世間を騒がせている宗教団体「統一教会」の創立者である文鮮明ですが、ヘリコプター事故での死亡説や墓の場所も話題です。
今回は文鮮明の晩年の活動、ヘリコプター事故の詳細、死因と命日、現在の墓の場所についてお届けします。
文鮮明のプロフィール
出典:https://www.ucjp.org/
名前:文 鮮明(ぶん せんめい)
韓国語表記:문선명 (ムン・ソンミョン)
生年月日:1920年2月25日
文鮮明は、キリスト教系の宗教団体「世界平和統一家庭連合」の創立者です。
この宗教団体は旧称を「世界基督教統一神霊協会」と言い、「統一教会」の略称で知られています。
文鮮明は日本統治下の朝鮮・平安北道定州郡に生まれ、1954年に統一教会を創立しました。
統一教会では、開祖である文鮮明を「地上に再来したメシア」と呼び、再臨の主であることを主張し、世界中に散らばる統一教会信者にとって彼と妻の韓鶴子は〝真の父母〟という存在です。
数万人もの信者を抱える宗教団体のトップである文鮮明は、反日思想を教義に掲げ、日本人信者から莫大な金を巻き上げていることが問題になり、過去にも度々話題になりました。
2022年7月に起きた安倍晋三元首相の銃撃事件で、「母親が統一教会の信者で、多額の献金で家庭が壊れた」と犯人が動機を語ったことで、日本中が統一教会に注目しています。
ここでは、統一教会の創立者であり、すでに死去している文鮮明の晩年から現在までをまとめました。
過去のヘリコプター事故の詳細、晩年の活動、死因と命日、墓の場所についてお届けします。
文鮮明の晩年の活動
出典:https://news.yahoo.co.jp/
1954年に文鮮明が韓国で創立した統一教会は、現在約200か国に信者を増やすまでに成長しています。
一方で、韓国では財閥グループとしても知られており、マスコミ・金融・流通・食品・薬品・医療など、多くの分野に関連企業を持つ大きな団体です。
統一教会を大きな影響力を持つ宗教団体に作り上げた文鮮明は、晩年には北朝鮮の金日成主席と会談し、統一教会と北朝鮮が組んだ企業や自動車メーカーの設立にも力を入れていました。
ただ、次第に衰えも見せるようになり、死去までの数年間は毎月訪米するなど精力的に活動する一方で、死去の数ヶ月前からは認知症を患い、癇癪を起こしていたといいます。
そして、2012年に文鮮明は92歳でその生涯を閉じました。
文鮮明はヘリコプター事故で死亡?事故の経緯と死亡説の真相
出典:https://jp.yna.co.kr/
2008年7月、統一教会の創立者・文鮮明らが乗ったヘリコプターが不時着する事故が発生しました。
事故が起きたのは2008年7月19日午後5時頃、ソウルを離陸したヘリコプターが原因不明の故障で運航が続けられなくなり、韓国・京畿道加平郡にある山中に緊急着陸したとのことです。
ヘリコプターは緊急着陸後、搭乗者が避難してすぐに爆発しました。
ヘリコプターには16人の搭乗者がおり、文鮮明を始め妻や孫、統一教会関係者、乗務員ら14名が負傷する事故となりました。
文鮮明は事故現場から2kmほど離れた病院で手当てを受けたものの、かすり傷などの軽症で済みました。ただ、この事故で女性1人が重傷を負ったと報じられています。
ヘリコプター事故後の死亡説
出典:https://ameblo.jp/
緊急着陸後にヘリコプターが大爆発、搭乗者14人が負傷という事故が報じられると、統一教会の創立者・文鮮明がすでに死亡しているのでは?といった噂が飛び交うようになりました。
文鮮明は病院に運ばれたものの軽症で済んだと報じられましたが、この報道に疑問を持つ者がおり、事故のニュース映像に黒焦げの人間の遺体のようなものが映し出されていると話題に。
また、文鮮明が退院したと報道された時の上の写真が、合成のように見えることから、「本当はすでに死亡しているのでは」と噂になったのです。
しかし、事故後も文鮮明は精力的に活動していると公表されており、統一教会日本本部も「8月1日から通常の活動に戻っており、事故後に何人も文氏に会っている」とコメントしています。
結局、文鮮明の死亡説はヘリコプター事故当時の一過性のものでした。
文鮮明の死因と命日
出典:https://biz-journal.jp/
文鮮明の命日は2012年9月3日です。
2012年9月3日午前1時54分、文鮮明が入院先の韓国・京畿道加平郡の清心国際病院で、肺炎を原因とする合併症などが死因となり、92歳で死去したことが報じられました。
文鮮明は死去の2ヶ月前である2012年7月にアメリカから韓国に帰国し、それ以降は風邪を引いて咳が続いていました。
8月に入って症状が悪化したため、韓国・ソウル市内のカトリック大ソウル聖母病院に入院して、風邪と肺炎による合併症の治療を受けていたといいます。
8月12日に一時退院したものの、翌日に急激に体調が悪化したことで再入院。症状は悪化し続け、危篤状態に陥りました。
集中治療室で治療を受けるものの容体は悪化し続け、「現代医学の技術では容体を改善させることは困難」との判断を受け、京畿道加平郡にある統一教会の清心国際病院に移送されます。
その後、2012年9月3日に妻や子供に見守られながら死去しました。
死去から2日後の9月5日には、統一協会の聖地と呼ばれている清心平和ワールドセンターで葬儀が行われ、6日から13日までの8日間に渡り通夜が営まれて信者らが焼香をあげました。
北朝鮮から弔電も
統一教会のトップである文鮮明の死去に、世界各国から弔電が送られました。
死去当時も北朝鮮の金正恩が弔電を送っていましたが、あれから10年が経った2022年、北朝鮮から文鮮明の遺族に再び弔電が送られたことが報じられ、話題になっています。
北朝鮮労働党の外郭団体「朝鮮アジア太平洋平和委員会」の名前で、遺族に向けて「文先生の遺志を受け継ぎ、すべてがうまくいくことを願っている」といった旨の追悼文が送られています。
このことは、北朝鮮のウェブサイト「わが民族同士」でにて「民族の和解と団結、国の統一と世界の平和のために傾けた文鮮明先生の努力と功績は末永く追憶されるだろう」と綴られました。
文鮮明の墓の場所
出典:http://www.u-ch.org/c
日本人信者に莫大な献金を強いて家庭崩壊に追い込む実態や、信者同士6000組のカップルの合同結婚式などが連日報道されたことで、カルト宗教と強烈に印象付けられている統一教会。
これは日本だけでなく、世界的にも同様で、一部メディアからは「宗教的詐欺師」「何万人を洗脳した人形使い」などと揶揄されています。
その一方で、統一教会の信者にとっては文鮮明は「真の父様」であり、地上に再来したメシアであり、第3のアダムであり、再臨の主として讃えられる存在です。
そのため、死去後の現在もさぞ立派な墓が建てられているのだろうと考えられます。
文鮮明の墓の場所について調査した結果を見ていきましょう。
文鮮明の墓の場所
文鮮明の墓の場所について調べると、埋葬地として「韓国・京畿道加平郡」という地名が出てきます。
加平郡は京畿道の北東部にある郡で、一般人には南怡島に行く船乗り場や、川でのウェイクボードやバナナボートなどのアクティビティが楽しめる地域として知られる場所です。
そして、統一教会の本部がある場所でもあります。
ただ、埋葬地として京畿道加平郡の名前が挙がるだけで、詳しい墓の場所などは公表されていません。
統一教会の本部があるのがこの場所なので、もしかすると本部内に埋葬されている可能性も高そうです。
文鮮明の遺体は永久保存されている?
統一教会信者からは、文鮮明の遺体は「御聖体」と呼ばれ、永久保存されているという衝撃的な話が語られています。
この信者によると「今後、人類が先生(文鮮明)をメシヤとして受け入れた時、生前の先生にお会いできなかった人でも、永久保存してあれば誰でも先生に会える」とのこと。
これは統一教会信者の話の又聞きのため、ソースがあるわけではありませんが、遺体に防腐加工が施され、本部に安置されていると考えるのも〝無くはない〟と思わせるのが統一教会ですね。
文鮮明の石碑は漣川郡に
出典:http://shimpankaihiproject.blog.fc2.com/
京畿道漣川郡にある定州東山公園墓苑には、文鮮明の「頌徳碑(しょうとくひ)」が置かれています。
頌徳碑とは、その人の偉業や功績を讃えるために建てられる碑のことで、いわゆる石碑です。
この石碑が置かれている定州東山公園墓苑は、軍事境界線が通る漣川郡にあり、ソウルからは車で2時間以上かかる田舎にあります。
アクセスはかなり悪い場所ですが、統一教会トップとして人生を歩んだ文鮮明の石碑とあって、奉献式の際には統一教会信者が集まり、文鮮明への尊敬と感謝に想いを馳せたとのことです。
まとめ
文鮮明の晩年から死因、ヘリコプター事故や墓についてお届けしました。
日本での統一教会の問題は今後どうなるのか、文鮮明亡き現在の統一教会にも注目が集まります。