韓国3大未解決事件の1つ「華城連続殺人事件」ですが、その残忍な殺害方法はもちろん容疑者たちの悲惨な末路や警察の不手際も話題です。
今回は華城連続殺人事件について、殺害内容や犯人像など詳細、真犯人など真相をまとめました。
この記事の目次
華城連続殺人事件とは
華城(ファソン)連続殺人事件と言われる韓国で起きた凶悪事件は、1986年から1991年にかけて大韓民国の京畿道華城郡(現在の華城市)周辺という農村地帯で起こりました。
10代から70代までの10名の女性が強姦殺害された連続強姦殺人事件で、韓国3大未解決事件の1つと位置付けられています。
この事件をモチーフとした、2003年公開の韓国映画『殺人の追憶』も韓国では制作されていています。
韓国をの歴史上類を見ない残虐な事件として、韓国国内だけでなくアジア全土を震撼させる事態になった華城連続殺人事件。
事件は、京畿道華城郡(現在は市)台安村の半径2㎞圏内で10名の女性が犠牲となりました。
5年間で10名もの女性が殺されたのにも関わらず、また様々な目撃証言や証拠などが見つかっても決定的な犯人像が浮かび上がって来なかったのが、この事件の深い闇となっています。
しかしながら、近年DNAの捜査から、有力容疑者として見られていた50代の服役囚の男が、14件の殺人事件について犯行を自白したことで、容疑者が特定されたと言われています。
華城連続殺人事件の詳細① それぞれの事件の内容・犯人の遺留物も紹介
華城連続殺人事件は、韓国史上初の凶悪の連続殺人であり、1986年から1991年のわずか5年間の間に女性10名が殺害されたという重大性から、相当な規模で捜査が行われました。
しかし、犯人をみつけ出すことができず時効が成立し、警察の無力さが露呈した事件でもあります。
1人目の犠牲者
最初の犠牲者は71歳の女性で、1986年の9月早朝、娘の家に泊まって帰宅途中に被害に遭ったと推測されています。
遺体は畑の中から発見されました。下半身のみ裸にされており、足はXの字になるようにお腹の上に密着した形で縛られた状態でした。
2人目の犠牲者
最初の犠牲者出てからわずか1カ月後、次の犠牲者が遺体となって発見されます。
犠牲者となったのは25歳の若い女性で、お見合いの帰りに殺害されたと見られ、遺体は用水路に足を折り曲げて全裸の状態で遺棄されています。
検死により、遺体からは細いもので刺したような傷が4か所見つかりましたが、直接の死因は首を絞められたことによる窒息死と推測されています。
同時に、現場からは前回は発見できなかった犯人のものと思われる毛髪が発見されています。
6本見つかった毛髪の内、4本がB型の血液型、現場に残された遺留品から採取された検査でも、同様の血液型が特定されています。
3人目の犠牲者
犯人の血液型までは特定されましたが、3人目の犠牲者が出てしまいます。
夫と食事に行き、夫は仕事に戻り、女性1人で帰宅する途中、24歳の女性が行方不明となりました。
行方不明になってから約4か月後、被害者の家から僅か50mしか離れていない田んぼの”あぜ”脇で、かなり腐乱した状態で遺体として発見されます。
被害者の頭部から顔にかけて下着が被せられ、口にはガードルとストッキングの片方が押し込められていました。また、ストッキングが首に巻きつけられており、絞殺と推測されています。
4人目の犠牲者
さらに4人目の犠牲者が発見されます。
腐乱した遺体は、帰宅途中に行方が分からなくなっていた23歳の女性と判明しました。
女性の所有していた傘で陰部を何度も刺されて殺害されており、両手を後ろに回されてブラウスで縛られ、頭にはガードルが被せられて首にはストッキングが巻き付けられた状態でした。
そして、やはり田んぼのあぜ道の脇に遺棄されていました。
5人目の犠牲者
5人目の犠牲者は、学校帰りに友人と別れた後から行方が分からなくなっていた18歳の少女です。
マフラーで首を絞められ殺害されており、殺されたのは行方が分からなくなった翌日と検死で特定されました。
また、両手を後ろで拘束され、口には靴下が押し込まれている状態で、さらに衣類は一度脱がせた後、再び着せている痕跡が残っていました。
検死で犯人のものと思われる血痕と体液が見つかっており、やはり血液型はB型でした。
6人目の犠牲者
6人目の犠牲者は、夫を迎えに村の入口へと向かう途中で殺害されたと見られる、30歳の女性です。
迎えに来るはずの妻が待っても来ないことから、夫が捜索願を出し付近を捜索した結果、松の枝の下からブラジャーブラウスで首を絞められた状態で、上半身裸の状態で発見されています。
現場からは、犯人と思われるスニーカーの足跡が発見されました。
7人目の犠牲者
7人目の犠牲者は、クリスマスイブから行方が分からなくなっていた19歳の少女で、年が明けた1月14日に首を絞められた状態で発見されました。
手口がこれまでと同一であることから、7番目の被害者であるとされています。
8人目の犠牲者
さらに殺人事件は続き、54歳の主婦が息子の経営する食堂を手伝った後の帰宅途中に、何者かに両手を衣服で後ろに拘束され、農水路脇で遺体となって発見されます。
靴下とハンカチを口に押し込められて、リボンで首を絞められた状態でした。
被害者の陰部からは桃の欠片が発見されました。また、犯人と思われる人物の顔を、バスの運転手が目撃しています。
これで殺人は8人目となりました。
9人目の犠牲者
9人目の犠牲者は、学校からの帰宅途中殺害された14歳の少女です。
ストッキングで両手足を後ろで弓のようにそらした状態で拘束され、陰部には被害者の所持品と思われるボールペン・フォーク・スプーンが入れられているなど、凄惨な遺体で発見されます。
両胸には傷口が浅い傷が20か所ほどあり、口にはブラジャーが詰め込まれていました。
また、遺体からは、犯人の体液と白髪の毛髪を発見されています。
8人目の犠牲者から既に2年経過しての事件でした。
10人目の犠牲者
最後となる10人目の犠牲者は69歳の高齢女性で、長女の家からの帰宅途中、自宅からわずか100m付近の場所でストッキングで首を絞められて殺害されているのが発見されています。
上半身は裸で、下半身だけ下着を身に着け、陰部には靴下が挿入されていました。
華城連続殺人事件の詳細② 10件の犯行の共通点
事件には多くの共通点があり、被害者が全員女性、さらに女性に大きなトラブルなどなく、被害者同士の接点がありませんでした。
犯行現場にも共通点があり、畑か農水路もしくは山中であること、犯行が行われたのは雨の日か曇りの日ででした。
被害者が所持する物で陰部を刺したり首を絞めている手口や、被害者の衣類を畳んでいること、物的証拠を残していないこと、犯行の共通点が多いことから、計画的犯行と当初は思われていました。
華城連続殺人事件の詳細③ 警察が予想した犯人像
目撃情報や、犯行現場での様子から警察は犯人像を作成、身長165㎝~170㎝で、20代~30代の血液型がB型の男性としました。
また、犯行現場が華城で集中していたことから、華城の住人で、女性に対してなんらかの私怨を持っているのではないかと思われていました。
また、幾つかの目撃証言により、髪はスポーツ刈り、服装から機械や金属を扱った仕事をしている可能性が高く、犯行手口から、犯人の性格は残忍で冷酷な殺人鬼として見られていました。
華城連続殺人事件の詳細④ 容疑者5人の取り調べと悲惨な末路
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事件では、現場周辺に住む男性約2万人が警察の捜査の対象となり、さらに事件と何らかの関わりのある人物5人が容疑者と浮上し、取り調べを受けています。
1人目の容疑者
最初の容疑者は43歳の電気職員の男性で、1987年に警察で事情聴取を受け、一度犯行を自供したため、犯人と思われました。
しかし、目撃証言と食い違い、なおかつ物証も無いということで、7日後に釈放となっています。
2人目の容疑者
次に浮上したのは、別件の窃盗で捕まった16歳の少年です。
ただし、少年はなんと取調べ中に死亡しています。警察の尋問方法、拷問などの暴力行為が問題視され、3人の刑事が拷問致死罪に問われ、起訴の末、懲戒・免職処分となっています。
3人目の容疑者
次に取り調べを受けたのは、兵役後に工場に勤めていた周囲からは真面目な青年だと定評があった22歳の男性です。
3件の罪を自白しましたが、自白に一貫性が無く、また確たる物的証拠もないため、検察は釈放しています。
4人目の容疑者
また、別件の暴行による罪で捕まっていた、楽器工場の勤めていた19歳男性も容疑者として取り調べを受けました。
目撃証言もあり、衣服から血痕も見つかったことで、9件目の事件を自供するも、現場に残されていた毛髪と体液のDNAが一致しなかったため、暴行のみでの有罪判決となっています。
5人目の容疑者
5人目の容疑者は38歳の無職の男性で、9件目の事件の容疑で取り調べを受け、後に釈放されています。
しかし、釈放後に精神に異常をきたして列車に飛び込み自殺をしています。
上記5人以外にも捜査対象となった人物は数多くいます。
91年4月には、事件の容疑者として警察の追跡を受けていた当時32歳のチャン氏がアパートから投身自殺しています。
また、7件目の犯人と疑われたパク氏も釈放後、父親の墓の付近で首をつって自殺しているのが発見されています。
さらに、驚くべきことに心霊術師の情報提供により逮捕された容疑者もいるようで、拷問の後遺症によるストレスで後に死亡しています。
そして、警察側にも交通事故を初め極度のストレスなどから死亡者が続出したことでも知られています。
このように、10件の犠牲者だけでなく、この事件にまつわる自死や不審死が相次いだことから、メディアは「華城怪談」と揶揄しました。
華城連続殺人事件の真相① 警察の捜査ミスが続出していた
華城連続殺人事件の捜査は、韓国の歴史において史上最大規模で行われることになったものの、時効前の真犯人特定には至りませんでした。
警察と機動隊を合わせて約180万人近い人数が動員されたと言われていますし、事件現場でタバコの吸殻や髪の毛6本も発見されているなど、わずかながらも物証もありました。
しかし、当時の韓国ではDNA鑑定は導入されておらず、鑑定は日本の警察の協力を仰いでいました。
それでも当時、日本の科学捜査はもまだ正確な鑑定ができるほど設備が整っておらず、結果的に捜査は難航していたわけです。
また、最初に血液型をB型と決めつけて捜査していたことも、捜査ミスの1つだと後に激しく非難されています。
さらに、様々な噂や憶測が飛び交うなど、風評ばかりが賑わう状態でした。実際、『スパイによる犯行なのでは?』との噂が信じられ、公安警察が投入される事態も起きます。
つまり、噂の信憑性を確認するための警察の捜査水準がかなり低かったとも言われています。
結果、犯人は捕まることなく、2006年にすべての事件に対する時効が成立し、事件は未解決のまま幕を閉じることになりました。
この事件を担当した指揮官は、被害者の無念・遺族の悲しみや憤りを背負い努力してきたにも関わらず、時効を迎えたことで自分の不甲斐なさと腹立たしさを、メッセージで残しています。
華城連続殺人事件の真相② 8件目は模倣犯の仕業だった
10件中7件は若い女性が犠牲になっているのに対して、最初と8番目と最後の犯行は71歳と52歳、69歳と年齢にかなり開きが見られます。
そのことから、この最後の2件の事件は、別の人物による犯行ではないかとの憶測もありました。
後々、8件目の被害者に関しては、事件をテレビで知った人物が同じ手口で殺害した模倣犯による犯罪であることが判明しており、犯人も特定されて逮捕されました。
結果、同じ殺人鬼が犯した犯行は、残り9件となっています。
華城連続殺人事件の真相④ 安養小学生拉致殺害事件の犯人同一?
2007年12月25日、大韓民国京畿道安養市で発生した殺人事件「安養小学生拉致殺害事件」において、39歳の男性が捕まりました。
警察も犯人の余罪を追及したことから、インターネット上では、華城連続殺人事件の犯人ではないかとの憶測も流れたことがあります。
しかしながら、最終的に2004年の軍浦市の女性以外は関与していないと結論。
この事件の犯人特定では、捜査にDNA鑑定が用いられたので、華城連続殺人事件の血液をこの鑑定で特定するべきとの意見もある中、結果として警察は容疑者は無関係としています。
華城連続殺人事件の真相⑤ 事件発生から30年後、犯人が特定される
ついに2019年9月19日、韓国警察は事件の犯人として56歳の男・イ・チュンジェを特定したと発表しました。
現場で採取されたDNAを最新技術で鑑定した結果、刑務所に収監中の男のDNAと一致したのがその理由です。
イ・チュンジェは、華城市陳雁洞(旧華城郡台安邑陳雁里)の集落で生まれ、20代半ばの1990年代初めまで暮らしていたことがありました。
1994年1月、忠清北道清州市で家に遊びに来た当時20歳の妻の妹を性的暴行して殺害して遺棄したとして、無期懲役の判決を受けて釜山刑務所で服役している男性でした。
しかし、イ・チュンジェの血液型は”B型”でした。
警察は、この事件の容疑者として男を特定した直後、「すでに公訴時効を迎え断罪はできないが、必ず真実を究明する」と発表、理由は警察の名誉回復と、国民の公憤と傷の癒しのためと説明しています。
1963年生まれのイ・チュンジェ容疑者は、最初の事件(1986年9月15日)から、最後の10番目の事件の被害者が発見された1991年4月3日まで犯行場所から半径3キロ内に居住していました。
捜査線上に挙がって、当然警察の取調べを受けていたはずですが、この男性だけは何故かあまり詳細に調べられず、濡れ衣を着せられた無関係の4人が自殺をする結果になってしまいました。
出典:https://livedoor.sp.blogimg.jp/
このため、当時の警察は一部の事件の証拠の分析などを通じて、容疑者をB型とだけ決めつけ、DNA捜査より前の段階で精密な捜査なしに犯人逮捕に乗り出したのではと指摘されています。
実際、当時の捜査に参加したある警察官は、「さまざまな情況から、容疑者の血液型がB型である可能性が高かったため、同じ血液型を持つ人を対象として捜査に注力してきたのは事実だ。捜査のタブーである予断が問題だったと思う」と語っています。
また、清州西部警察署と、華城捜査本部の連携も取れていなかったことが、結果的にイ・チュンジェ容疑者にたどり着けなかった要因として指摘されています。
しかしながら、こうした批判もある中で、犯人に繋がる証拠が少なかった事、捜査当時の韓国と日本の科学捜査の未熟さなど、時代による原因も大きかったことは間違いないでしょう。
まとめ
韓国社会を震撼させた華城連続殺人事件について、まとめてみました。
真相を調べていくと、警察の決めつけによる捜査ミスや誤認逮捕、さらに時代背景など、複雑な要素が絡まっているのが分かります。
特に今回の事件は、風評・噂も非常に多い事件として有名です。
興味がわいた方は、ぜひ映画『犯人の追憶』を視聴してみてはいかがでしょうか。