韓国で民主化を求めて起きた光州事件ですが、映画化された『タクシー運転手』で再び注目されています。
今回は光州事件の経緯や時代背景など詳細、真実の隠蔽などその後、映画『タクシー運転手』の見所など、わかりやすく紹介します。
この記事の目次
光州事件とは~経緯や背景など詳細をわかりやすく解
1979年10月、朴正熙大統領が暗殺されたことがきっかけで、18年余に及んだ軍事独裁政権が終わると同時に、韓国ではそれまで抑圧されてきた民主化への気運が蠢動し始めました。
その熱気は、1980年の春に新学期を迎えた大学街で一気に沸騰したと言われています。
これはいわゆる「ソウルの春」とも呼ばれていて、それは韓国南西部の都市・光州でも活発でした。
5月17日、全斗煥(チョン・ドゥファン)が率いる新軍部が非常戒厳令を全国に布告したのを機に、一夜明けた光州では学生たちが休校令を破って民主化要求のデモを続行しました。
これに対する戒厳軍の武力弾圧が、光州事件の発火点となったと言われています。
残忍な武力行使は丸腰の市民にも無差別に行われて、耐えかねた人々は銃を取って市民軍を結成するのですが、27日未明、空挺部隊によって制圧されてしまいます。
当時、犠牲者は193人と発表されましたが、密かに埋められた遺体もあったとされており、身元不明者や行方不明者を合わせると、実際の犠牲者は2000人を超える説もあります。
光州事件を映画化した『タクシー運転手』が話題に
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映画『タクシー運転手』が公開された2017年8月の直前、強権的で暴力的・反民主的だった朴槿恵(パク・クネ)政権が、国民の「ろうそくデモ」の影響もあって倒されました。
その後、朴槿恵政権がろうそくデモに対する戒厳軍投入の準備をしていた、という仰天情報がスクープとして、韓国で大きく報じられています。
一歩間違えていれば、光化門一帯に装甲車が来て、銃声が響き、38年前の光州と同様のことが起こったはずだ、と韓国国民から非難を浴びていました。
国のトップを反民主的な人物が占める中でクランク・インした、映画『タクシー運転手』。
非暴力のデモで朴槿恵政権を倒し、民主化運動に従事してきた文在寅(ムン・ジェイン)を据えた政権を樹立した自負から、映画『タクシー運転手』は韓国国民に歓迎されたようです。
映画『タクシー運転手』は、そんな「民主化」と「反動」の間を揺れ動いてきた韓国現代史の特徴でもあり、そして現在の韓国国民のプライドを映し出している作品です。
つまり、韓国そのものを知ることが出来る作品なのです。
光州事件を映画化した『タクシー運転手』のあらすじ&見所とは
『タクシー運転手』という韓国映画は、ソウルのタクシー運転手、キム・マンソプが主人公となって物語が進んでいきます。
韓国の異常事態に勘づき、取材のために訪韓したドイツ人記者のユルゲン・ヒンツペーターを乗せて、ソウルから光州に赴くことから物語が進んでいきます。
この主人公となっているマンソプは、日々の生活にお金が無くて、とにかくお金が欲しかったため、10万ウォンの報酬目当てに同僚を差し置いて、ヒンツペーターの運転手となりました。
「ソウルの春」に沸き立つ学生運動に眉をひそめ、政治や社会問題からは距離を置き、1人娘との安寧な暮らしだけを願う、典型的な一市民だったのがこの主人公のマンソプです。
マンソプに降りかかる様々な出来事
家に1人置いてきた娘のことが気がかりなマンソプは、報酬を受け取ると、ヒンツペーターを光州に残して逃げ帰ろうと考えていました。
ですが、帰路を急ぐ道中、デモに出かけた息子の行方を捜す1人の母親と遭遇したマンソプ。
見捨てるに忍びなく懇願に負けて乗せたことから、光州に戻らざるを得なくなり、そして光州の惨劇を目撃してしまうことになります。
それでも、マンソプは再度脱出しようとするのですが、今度は光州の人々を見捨てたことへの罪責感に苦しみます。悩んだ末、マンソプは光州へと引き返すことを決意します。
そして苛烈な銃撃戦と検問をかいくぐり、情報封鎖された韓国から世界へ、光州の惨状を伝えてほしいと願い、命がけでヒンツペーターを支えることになるのです。
マンソプは当初、民主化運動を「暇な学生の遊び」と馬鹿にしていて気に留めていませんでした。しかし、惨劇を目の当たりにすることで、民主化運動を自分の問題として考え始めました。
主人公の心の変化を映画を観ることで、まるで自分の心の変化とみなし、人々の共感を得たことは間違いないでしょう。
光州事件を映画化した『タクシー運転手』と韓国国民の感情のリンクとは
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映画『タクシー運転手』では、前述の通り、光州事件における主人公・マンソプの心理の変化が描かれています。
単なる歴史描写だけでなく、人々が「自分の歴史」として感情移入しやすいよう、作りこまれています。
マンソプが出会った光州の人々や、事件の惨状などにより、マンソプの心が次第に変化していく様子を一緒に体感することができるのです。
韓国国民の1人1人が主人公の映画
チャン・フン監督や主演のソンガンホさんのインタビューからも、「歴史的な事件を目撃した国民の1人であるマンソプという人間の小さな心の変化」がこの映画のテーマであることがわかります。
ヒンツペーターの残した「歴史的な事件」を、映画を通して目撃する観客は否応なしに自分が「韓国国民の1人」ということを感じずにはいられないでしょう。
そして、過去の光州事件だけでなく、これからの未来にも自然と思いを馳せるに違いありません。
今起こっていることを正しく理解し、自分がどうするべきかを自分の力で考えていくことが大切です。
マンソプが映画の中でたどる道のりは、こうしたプロセスそのものを投影していると言えます。
光州事件の真実とその後① 激しい民主化運動へ
80年代以降の韓国では、死者たちが社会を突き動かしてきたと言ってもいいほど、政治的不義に抗議する焼身自殺が頻発していました。
日本ではあまり知られていないことなのですが、80年代から90年代にかけて、韓国の民主化運動は文字通り人々が命をかけて闘ってきたことがわかります。
自分と同世代の若者たちが、社会正義のためとは言え、なぜ死ぬことさえも辞さないのか、今の日本人にはを疑問に思う人も多いかと思います。
民主化を求めるデモは、例年4月から5月にかけてもっとも過熱していたこともあり、この頃の抗議の自殺は5月に集中する傾向があったそうです。
抗議活動の原点は「光州」
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抗議運動による犠牲者や自殺者たちの遺書や遺稿などを通じて、命を賭した抗議行動を動機づける原点に「光州事件」があったと気づかされます。
「光州事件」という惨劇が、80年代以降の韓国の激しい民主化運動を支える背骨となっていました。
しかし、韓国では1987年6月に民主化宣言を勝ち取るまでの間ずっと、光州事件は公式的には「無かったこと」にされていたそうです。
光州事件の惨事を語ることが非合法とされていた時代であり、民主化運動に携わる学生たちの学習用に、光州事件の映像を様々に編集した海賊版が流布されていました。
そこには、80年代半ばにドイツから密かに持ち込まれたヒンツペーターの映像も含まれているそうです。
無惨に死んでいった犠牲者の記憶は、韓国政府により「無かったこと」にされていた間も、様々な媒体を通し、韓国の民主化運動に従事する人たちの間で語り継がれていたのです。
光州事件は、民主化を求め続けた韓国の人々の間で、連綿と受け継がれる遺言のようなものだとも言われています。
つまり、光州事件前後を経験した韓国人にとって、『タクシー運転手』そのものがまさに「韓国の民主化」に繋がっているようです。
光州事件の真実とその後② 韓国政府の民主化宣言へ
韓国は光州事件以降、民主化と反動を行ったり来たりする情勢でした。
そして事件後、光州事件を隠そうとする政府に対し、焼身自殺などの過激な手段で光州事件の真相を告発しようとする政治的自殺が頻発していました。
一方で、反共として全斗煥を支持したアメリカへの敵対心をあおり、北朝鮮との民族統一運動を活発化させていきました。
1987年、大規模デモが起こる
1987年1月、大学生の拷問致死事件が起こったのきっかけに、学生と市民による民主化闘争が全国的に広がり、6月にはデモの先頭の大学生が催涙弾の直撃で死亡する事件も起きました。
軍事独裁政権の打倒を目指す運動は一気に加速し、政府は民主化宣言を出すことになりました。
民主化運動は、さらに南北統一を目指す運動へと一時進んだ時期もありましたが、89年の訪北運動以降は残念ながらしぼんでいったようです。
さらに、1991年の春には、デモの最中に撲殺されるという事件が起きます。
この事件に抗議するべく、再び焼身自殺が頻発しましたが、焼身自殺で政府に訴えるのは生命軽視だと非難が集中することになります。
これにより、学生や市民の心はますます運動から離れていきました。
光州事件の真実とその後③ 事件が隠蔽されタブー視される
「5・18特別法」の制定とともに暗い過去が誕生
1993年、大統領に就任した金泳三が光州聖域化を宣言しました。それにより、光州事件での犠牲者たちを葬った望月洞墓地を「国立5・18墓地」に昇格させました。
一方で、「5・18特別法」を制定したことで、96年に全斗煥と盧泰愚(ノ・テウ)に死刑を宣告しました。
つまり、光州事件とその後の民主化運動の歴史は、韓国政府にとってタブーな歴史として扱われるようになりました。
その後、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の足掛け10年間では、韓国は輝かしい華やかな歴史的出来事が続きます。
日本文化開放や南北首脳会談の実現、その功績による金大中大統領へのノーベル平和賞受賞、日本での韓流ブーム、ワールドカップ日韓共催など、韓国では明るいニュースが目を引きます。
ただその分、人々は暗い過去である光州事件をさらに遠ざけるようになったとも言われています。
光州事件の真実とその後④ ドラマ『モレシゲ(砂時計)』が放送され話題に
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1995年に韓国で起こった「モレシゲ(砂時計)現象」も印象的です。
『モレシゲ(砂時計)』は、最高視聴率64.5%を記録した韓国のドラマで、語ることさえ許されなかった光州事件を描いているとして、話題になりました。
主人公たちが光州事件に遭遇する場面で、背景に当時の映像が使われたことは韓国社会に大きな反響を呼びました。
実際、このドラマにより光州事件を知った韓国人も多く、衝撃を受けたり、それまで関心が無かったけれど民主化運動の意味を悟った人が少なくなかったとも言われています。
『モレシゲ(砂時計)』の概要は以下の通りです。(Wikipediaより引用)
1970年代から1990年代までの激動の韓国現代史を、3人の主人公を通して描写している。特に1980年の光州民主化運動(=光州事件)を韓国のテレビドラマとして初めて扱った。
(中略)
視聴率は、平均で45.3%を記録。当時『砂時計』の放映時間になると人々がこれを見るために早く帰宅し、通りが閑散となるという現象を起こし、そのため砂時計をもじって「帰宅時計」と呼ばれることもあった。
ドラマ中、光州事件の実際の映像が使用されている部分がある。これは金泳三政権下でしかできなかった韓国初公開であった映像である。
日本国内では、2006年の4月から9月にかけて、衛星デジタル放送局のBS朝日で放映された。
光州事件の真実とその後⑤ 朴槿恵政権が倒れ再び民主運動の機運が高まる
韓国で光州事件がタブー視される中、朴槿恵政権時代に発生したセウォル号沈没事件とその後の政府の対応により、韓国国民は再び光州事件を見直し始めます。
ちなみに、セウォル号沈没事件は以下の通りです。(Wikipediaより引用)
2014年4月16日午前8時58分頃、韓国・仁川市の仁川港から済州島へ向かっていた清海鎮海運(チョンヘジンかいうん、청해진해운)所属の大型旅客船「セウォル(世越、SEWOL)」が全羅南道珍島郡の観梅島(クァンメド)沖海上で転覆・沈没した。
セウォルには修学旅行中の京畿道安山市の檀園高等学校2年生生徒325人と引率の教員14人のほか、一般客108人、乗務員29人の計476人が乗船しており、車両150台あまりが積載されていた。
この事故は乗員・乗客の死者299人、行方不明者5人、捜索作業員の死者8人を出し、韓国で発生した海難事故としては1993年10月に全羅北道扶安郡蝟島と辺山面格浦里の間の沖合いで292人の死者を出した『西海フェリー沈没事故』を上回る大惨事となった。
韓国では2013年まで10代の死因第1位は自殺だったが、この事故により多数の高校生が死亡したため2014年の10代の死因第1位は運輸事故となった。
この時期、イルベと呼ばれる韓国版ネットの間では、セウォル号と並んで、民主化、光州といったワードをめぐるヘイトクライムが問題になっていたそうです。
そうした中で、セウォル号遺族たちに連帯する意思を示した文化人や芸能人に対するバッシングが過熱していきます。
後で明らかになったことですが、彼らは朴政権が作成したブラックリストに名前が載せられていたそうです。そして、映画『タクシー運転手』の主演だったソンガンホさんもその1人でした。
監督も俳優たちもブラックリストの存在は知らなかったはずですが、朴槿恵政権の独裁的の強い性格と暴力をも厭わない雰囲気は、韓国国民はすでに感じていたと言われています。
そんな政治からの抑圧から、正しい民主化をつかみ取るために韓国国民は「ろうそくデモ」を展開することになるのです。
ソウルと光州を行き来する間に変化していったタクシー運転手・マンソプの心情は、朴槿恵政権を倒すことになった「ろうそくデモ」に繋がる、韓国国民の30年間の歩みと同じと見ることができるでしょう。
光州事件を映画化した『タクシー運転手』が果たした役割とは
2016年5月、光州事件を世界に発信したドイツ人記者である、ユルゲン・ヒンツペーター氏が亡くなりました。彼の遺言通り、爪と遺髪が光州望月洞墓地に埋められたそうです。
そして続く6月、出演者がブラックリストに登録されながらも映画『タクシー運転手』がクランク・インし、朴槿恵政権が倒れた直後の、2017年8月に公開されました。
光州事件や映画の制作過程そのものが、韓国でタイムリーに起きていた事件や風潮とぴったり重なっていたことで、より話題を呼んだことは間違いないでしょう。
韓国国民の心を動かした作品
出典:https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/
この光州事件は、海外の人が知らないだけではなく、韓国人たちも目を背け、語ることを許されなかった事件です。
しかし、映画『タクシー運転手』により、恥ずべき過去ではなくなり、しっかりと過去と現実に向き合った時でもあったと言われています。
神話の構造に沿う物語
前述の通り、映画『タクシー運転手』は、ソウルのタクシー運転手が、ドイツ人ジャーナリストを光州まで送っていく先で弾圧の実態を知り、困難を乗り越えて成長し、帰還する物語です。
これは、神話学者のジョセフ・キャンベルが提唱する「英雄の旅」の構造をそのまま用いていることが分かります。
つまり、旅立ち(分離)、試練、帰還という流れです。これは、英雄が誕生する定番の構成であるようです。
タクシー運転手・マンソプも、映画冒頭では英雄とはかけ離れた俗物の塊のような人物でした。そして、10万ウォンという大金のためだけに、ジャーナリストを乗せて光州に向かいます。
そして、報道規制や電話も通じず、軍が道路を封鎖している光州で現実を知ったマンソプは、次第に現状を打破しようと、「英雄として覚醒」していくことになります。
映画『タクシー運転手』は、光州事件のことだけではなく、自分の身の回りに起きている政治的事件、さらに過去や未来、様々なことを考えさせられる作品と言われています。
韓国には、政権に消されている事件も多くあるのは事実です。
しかし、事実を世界に発信しようと尽力したタクシー運転手と外国人記者がいたこと、そしてこうして数年後には公に事件を語れるようになったことは、韓国社会の大きな成長とも言えます。
現在の大統領である、文在寅は光州事件について、犠牲者の名誉を守ることや、事件の真相を究明していくことを約束しています。
光州事件のさらなる真相が明らかにされること、民主化された韓国が後戻りすることのないよう、今後も韓国の動向に注目が集まりそうです。
まとめ
光州事件について、事件の経緯や背景など詳細、事件が映画化された作品『タクシー運転手』が話題になった真相をわかりやすくまとめてみました。いかがでしたでしょうか。
光州事件は、一時韓国でタブー視され、韓国人自身も詳しく知っている人が少なかった事件です。
ですが、映画『タクシー運転手』などを通して韓国人がこの光州事件としっかりと向き合うようになり、そして政治も変わってきたとも言われています。
映画『タクシー運転手』を、光州事件の起こった背景や真相、そしてその後など現在の韓国を何も知らずに観るのと、知った後で観るのとでは少し違う感情が湧くことでしょう。
映画『タクシー運転手』を一度見たことがある方も、これを機にぜひもう一回視聴してみてはいかがでしょうか。