北朝鮮工作員によるスパイ・日本人拉致事件の中でも、背乗りで日本人に成りすまして多くのスパイ活動が行われた「西新井事件」。
今回は西新井事件について、犯人の背乗り行為など詳細と真相、被害者や事件の現在をまとめました。
この記事の目次
西新井事件とは
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「西新井事件(にしあらいじけん)」とは、1985年に発覚した北朝鮮工作員によるスパイ事件です。
日本に密入国した北朝鮮工作員が、“背乗り”という成りすまし行為で日本人を名乗り、十数年間に渡ってスパイ活動・日本人拉致を行いました。
ここでは、西新井事件でどのようなスパイ活動が行われたか、詳細と真相をまとめます。
まずは日本人に成りすましていた犯人の詳細を見ていきましょう。
西新井事件の犯人は北朝鮮のスパイ
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西新井事件の犯人は、日本に密入国していた北朝鮮工作員の通称チェ・スンチョルという男です。
同胞の土台人(北朝鮮工作員が日本に潜入する際、活動の土台として利用する在日朝鮮人)に「朴(パク)」と名乗り、土台人の協力を得て日本人に成りすまし、スパイ活動を開始します。
犯人のチェ・スンチョルは日本語が堪能で、関西弁も使いこなす語学力がありました。
日本に来てからは日本人以上に日本文化に染まることを徹底し、正月には着物を着て初詣に出かけるほどだったといいます。
その一方、北朝鮮工作員として行ったスパイ活動は数知れず、北朝鮮による日本人拉致被害者・蓮池薫夫妻の拉致実行犯でもあります。
ここからは、犯人チェ・スンチョルが行ったスパイ活動、背乗りについてお届けします。
西新井事件で行われた「背乗り」とは
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西新井事件において重要になるのが、「背乗り(はいのり)」という行為です。
「背乗り」とは、工作員や犯罪者が自身の正体を隠し、実在する他人の身分や戸籍を乗っ取って、その人物に成りすます行為を指す警察用語です。
戸籍の乗っ取りには、すでに死亡している人物や行方不明・失踪者の戸籍を取得する場合や、対象の人物を殺害した上で身分証明書などを奪って成りすます場合があります。
背乗りは元々ソ連の情報機関が使っていた行為ですが、その後に北朝鮮の情報機関もよく使うようになりました。
西新井事件では、複数の日本人がチェ・スンチョルによる背乗り被害に遭っており、その不正取得した身分・戸籍が使用されて数々のスパイ活動が行われました。
ここからは西新井事件でどのような背乗り行為、スパイ活動が行われたのか、詳細と真相を見ていきましょう。
西新井事件の詳細と真相
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1985年に発覚した「西新井事件」では、日本に密入国した北朝鮮工作員・チェ・スンチョルが日本人に背乗りし、十数年間に渡りスパイ活動や日本人拉致などを行いました。
日本に密入国したチェ・スンチョルは日本人名の「松田忠雄」と名乗り、東京都足立区の西新井に居を構え、ゴム工場に勤め始めました。西新井事件の事件名はこの居所に由来しています。
そこから数年間、背乗りと拉致、スパイ活動を繰り返してきたチェ・スンチョル。
そのスパイ活動の詳細について見ていきましょう。
1972年、日本人「小熊」に背乗り
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1972年、チェ・スンチョルは東京で福島出身の日本人男性・小熊和也と出会い、彼に成りすますことを決めました。
病気がちだった小熊さんを病院に入院させ、小熊さんの実家を訪れて会社社長であると身分を偽り、実家の家族を騙して戸籍を福島から東京に移しました。
その後チェ・スンチョルは、小熊さん名義のパスポートや運転免許証を不正取得して背乗りすると、日本でのスパイ網を確立しました。
1974年、在日朝鮮人を密入出国
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1974年、チェ・スンチョルは日本から在日朝鮮人を密出国させ、北朝鮮に連れて行きました。
半年に渡って、北朝鮮で在日朝鮮人にスパイ教育を受けさせた後、再び日本に密入国させ、土台人としての任務に就かせます。
在日朝鮮人はスパイ活動のための資金調達や、新たな工作員の獲得の任務を担当しました。
1978年、蓮池夫妻を北朝鮮に拉致
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1978年7月31日、拉致事件の被害者の1組である、蓮池薫・祐木子夫妻の北朝鮮による拉致が実行されました。
蓮池薫は当時中央大学法学部3年生で、夏休みに新潟に帰省していたところを当時交際中だった奥土祐木子(のちに結婚)と共に拉致されます。
その後、1978年から2002年までの24年間を北朝鮮で過ごすことになりました。
弁護士になる夢は奪われ、北朝鮮において日本の新聞の翻訳業務を強いられる生活を送ることになったのです。
蓮池夫妻はその後、北朝鮮が拉致を認めたことで2002年10月15日に日本に帰国を果たしています。
1980年、日本人「小住」に成りすます
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1980年頃になると、チェ・スンチョルは新たに北海道出身の日本人男性・小住健蔵の戸籍を取得しました。
小住さん名義で日本のパスポートと運転免許証を不正取得し、その後貿易会社を設立。
さらに日本人女性を騙して恋人関係になり、母子家庭に入り込んで家族旅行に頻繁に出掛けるようになりました。
チェ・スンチョルは家族旅行と称して日本の海岸沿いを訪れ、撮影した写真やビデオを北朝鮮に送ることが目的でした。
海岸沿いの風景は、工作員の不法入国や帰国のための下見写真として使用されます。
その後もチェ・スンチョルはしばらくスパイ活動を行っていましたが、1983年頃に日本から出国したとされており、現在は北朝鮮に戻っているものと考えられます。
1985年、在日朝鮮人の逮捕で事件発覚
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1985年3月1日、スパイや国際テロの捜査を行う警視庁公安部外事第二課が在日朝鮮人を逮捕したことで、前述した一連の事件が発覚するに至りました。
しかし、すでにチェ・スンチョルは日本を出国しており、逮捕には至っていません。
韓国の国家安全企画部(現在の国家情報院)が日本の警視庁に「西新井に住む男は北朝鮮の工作員だ」と情報提供したことで、公安部外事二課が内偵捜査を開始しました。
1985年に捜査員たちがチェ・スンチョルの住んでいた西新井のマンションなどを一斉家宅捜索しましたが、犯人はすでに行方をくらませた後で、逮捕することは叶わなかったのです。
チェ・スンチョルは1983年頃に日本を出国したとされており、日本のパスポートを使って、北朝鮮工作員のアジア最大拠点だったマレーシアに行ったと言われています。
警視庁公安部はチェ・スンチョルを「国外移送目的略取」「国外移送」「旅券法違反」の容疑で国際手配し、北朝鮮に対しチェ・スンチョルの所在の確認と身柄の引き渡しを要求しました。
西新井事件の現在① 背乗り被害者はどうなった?
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事件発覚から35年以上が経った現在、西新井事件の犯人であるチェ・スンチョル、そして背乗りされた被害者たちはどのような現在を過ごしているのでしょうか。
最初に背乗りされた小熊和也は、チェ・スンチョルが事件の発覚を恐れて北朝鮮に拉致しようとしましたが、1976年に日本で病死したことがわかっています。
小住健蔵は1961年以降行方がわかっておらず、北朝鮮に拉致されたか、あるいは消されてしまった可能性が高いとみられています。
また、北朝鮮拉致被害者である蓮池夫妻は、北朝鮮で24年間に渡り日本の新聞の翻訳業務を強いられた後、2002年に日本に帰国しました。
帰国後の蓮池薫は新潟産業大学の特任講師に就任し、2013年には准教授に昇格しています。
各地で講演を行い、拉致の経験や帰国後について語るなど、現在も精力的に活動されています。
西新井事件の現在② 犯人チェ・スンチョルはどうなった?
警視庁公安部は2006年、チェ・スンチョルに対し「国外移送目的略取」「国外移送」「旅券法違反」などの容疑で国際手配し、北朝鮮に対し所在確認と身柄の引き渡しを求めました。
しかし現在まで北朝鮮からのアクションはなく、行方はわかっていません。
警察庁のホームページには、現在もチェ・スンチョルの名前があります。
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警察庁の「北朝鮮による拉致容疑事案について」にある「国際手配被疑者一覧」に、チェ・スンチョルの名前と顔写真が掲載されています。
蓮池夫妻の「アベック拉致容疑事案(新潟)」の容疑で現在も国際手配中で、北朝鮮に対し所在の確認と身柄の引き渡しを要求していることが掲載されています。
数々のスパイ活動を行い、蓮池夫妻の拉致の実行、在日朝鮮人の密入出国を実行してきたチェ・スンチョル。
チェ・スンチョルが現在どこにいるのか、生きているのかも不明です。
現在も国際手配中ではあるものの、北朝鮮が対応する可能性は限りなく低く、西新井事件の主犯であるチェ・スンチョルの逮捕は難しいでしょう。
まとめ
「西新井事件」の詳細とスパイ活動の真相、犯人であるチェ・スンチョルの現在と被害者の現在をお届けしました。
今後、犯人逮捕に動きはあるのか、北朝鮮情勢にも注目が集まります。