木原誠二官房副長官の妻の元旦那・安田種雄ですが、国籍は韓国で元関東連合との噂や、不審死を遂げた真相やその後も話題です。
今回は安田種雄の生い立ちと出身、父親・母親・兄弟、結婚した嫁と子供、不審死事件の真相をまとめました。
この記事の目次
- 安田種雄のプロフィール
- 安田種雄の国籍は韓国?噂のきっかけと真相を紹介
- 安田種雄の出身地:三軒茶屋
- 安田種雄の生い立ちと経歴① 少年時代
- 安田種雄の生い立ちと経歴② 元関東連合のメンバーだった?
- 安田種雄の生い立ちと経歴③ 人気モデルとして活動
- 安田種雄の家族(父親・母親・兄弟)
- 安田種雄が結婚した元嫁は木原郁子(旧姓・舩本郁子)
- 安田種雄には子供が2人いる
- 安田種雄の不審死事件① 元嫁・木原郁子との離婚直後に死亡・・・
- 安田種雄の不審死事件② 第一発見者は父親
- 安田種雄の不審死事件③ 不審点が多数浮上
- 安田種雄の不審死事件の真相① 再捜査が開始され新たな事実が判明
- 安田種雄の不審死事件の真相② 再捜査打ち切りは木原誠二官房副長官の圧力?
- まとめ
安田種雄のプロフィール
出典:https://bunshun.jp/
名前:安田 種雄(やすだ たねお)
生年:1977年
出身地:東京都世田谷区三軒茶屋
身長:180cm
安田種雄は、日本の内閣副官房長官・木原誠二の妻と過去に結婚していた男性で、モデルや配管工、風俗店などに勤務していたことが分かっています。
2006年4月10日に死去しており、当時は自殺として処理されましたが、死亡の状況に不審な点が多かったことから12年後の2018年に再捜査となりました。
しかし再捜査は突然打ち切りとなり、2023年7月20日に改めて安田種雄の親族が再捜査を求める記者会見を行っています。
現在では、木原誠二副官房長官や妻が事件に関わっているのではないかと見られており、不審死の真相に注目が集まっている状況です。
また、韓国籍で関東連合のメンバーだったとの噂もあり、安田種雄の生い立ちと出身や国籍、家族や結婚歴も話題になっています。
安田種雄の国籍は韓国?噂のきっかけと真相を紹介
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2006年に亡くなっている安田種雄ですが、2023年に彼の親族が再捜査を求める記者会見を東京・霞が関の司法記者クラブで行いました。
悲痛な思いを吐露していた安田種雄の父親でしたが、話し方がカタコトで独特の訛りがあり、韓国人特有の発音に聞こえたことがネットユーザーの間で話題に。
これをきっかけに「父親は韓国人ではないか」と噂する声が上がり、安田種雄の国籍も韓国だとする噂に発展したのです。
韓国人特有の話し方とは?
韓国では「長音」、つまりコーヒーやハンバーガーなど単語の伸ばす部分「ー」を発音しない場合が多く、コーヒーはコピ、ハンバーガーはヘンボゴと発音します。
また、韓国語には「つ」と「ざ」の発音がなく、ハングルでは「つ」は「ちゅ」、「ざ」は「じゃ」と表記します。
そのため、「おつかされさまです」は「おちゅかれさまです」、「ありがとうございます」は「ありがとうごじゃいます」という発音になります。
安田種雄の父親もこの韓国人特有の発音がところどころにみられたことから、韓国籍ではないかと言われることになりました。
「安田」姓は在日韓国人が多い?
父親が韓国人特有の発音だったということ以外にも、「安田」という姓が在日韓国人に多いことも韓国籍の噂の発端です。
在日韓国人は日本での通名として、韓国名の漢字表記を残した名字を使うことが多々あります。
名字が「キム」なら「金」、「パク」なら「朴」を分けて「木下」などが使われ、特に「金田」「木下」「新井」「安田」などが韓国系の方に多い名字と言われています。
もちろん、あくまでもそれらの漢字を使うことが多いだけで、上記の名字であっても純日本人である可能性はあります。
安田種雄の国籍が韓国かどうかは真相不明
安田種雄の父親が記者会見で見せた話し方の違和感から韓国人説が浮上しましたが、実際に安田種雄の親族が韓国籍であるという情報は出ていません。
在日韓国人、あるいは帰化した元韓国人の可能性もありますが、生粋の日本人である可能性もあり、国籍が韓国という噂を裏付ける情報は見つかりませんでした。
安田種雄の出身地:三軒茶屋
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安田種雄は東京都世田谷区出身で、地元は三軒茶屋です。
三軒茶屋は住みたい街ランキングで上位に入る人気の住宅地で、オシャレな街として若者にも人気のエリア。
一方で戦後の闇市がそのまま現代の飲み屋街として残ったような下町っぽい街並みの地帯もあり、雑多な雰囲気を醸し出す横丁的な空気感も三軒茶屋の特徴の一つです。
安田種雄はそんな三軒茶屋の団地で育ちました。
実家の詳細な場所は公開されていませんが、東京の中でも人気の三軒茶屋出身で、生涯を東京で過ごしたことがわかっています。
安田種雄の生い立ちと経歴① 少年時代
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ここからは安田種雄がどんな生涯を辿ったのか、生い立ちや経歴についてお届けします。まずは、少年時代から見ていきましょう。
安田種雄は両親と姉2人の5人家族の末っ子として生まれました。
中学卒業後、高校に進学するも中退。当時は暴走族に入るような非行少年で、パチンコ店の従業員に暴行を加えて少年院に入った経験もあるそうです。
一度は非行の道に走った安田種雄ですが、高校中退後に配管工として働くようになると真面目に仕事に取り組むようになりました。
安田種雄の生い立ちと経歴② 元関東連合のメンバーだった?
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安田種雄には、関東連合のメンバーだったという噂もあります。
安田種雄が過去に非行に走り、不良仲間とつるんでいたことは、安田種雄の父親が次のように証言しています。
「種雄は中学に入学すると不良仲間とつるむようになり、暴走族に入ったこともありました」「やんちゃな子でしたが、家族想いで約束は必ず守り、人情に厚く弱い者いじめだけはしなかった」
実の父親が明かしている以上、安田種雄が暴走族に入っていたことは間違いありません。
しかし暴走族のチームは特定されておらず、不良少年だったからといって関東連合のメンバーだったかどうかは不明です。
不良仲間の横の繋がりで関東連合メンバーと近しい関係にあったり、何かしらの接点があった可能性は考えられますが、安田種雄自身が関東連合だったという情報は見つかりませんでした。
安田種雄の生い立ちと経歴③ 人気モデルとして活動
安田種雄は配管工として働くかたわら、雑誌モデルとしての活動も行っていました。
20代だった1998年には、ストリートのイケてるメンズを集めたスーパーティーンズ写真集『BADGE LESS(バッヂレス)』に掲載。
この写真集の定価は2,800円ですが、現在はプレミア価格となっており、最低でも15,000円、Amazonでは50,000円以上で出品されているなど入手困難になっています。
帯にもしっかりと「安田種雄」の名前が記載されていますね。
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また、この写真集の他にも数々のファッション雑誌に登場し、1ページまるまる使った特集記事が組まれたり、ある雑誌の人気投票で1位を獲得したりした、と言われています。
安田種雄の家族(父親・母親・兄弟)
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ここからは安田種雄の家族についてお届けします。
安田種雄の家族構成は、父親・母親・長女・次女・本人の5人家族で、3人姉弟の末っ子として生まれました。
安田種雄の家族が記者会見を開く
2023年7月20日、安田種雄の家族が東京・霞が関で記者会見を行い、不審死事件の再捜査を訴えました。
この時に安田種雄の家族として席についたのが、父親と姉2人です。
父親は顔を出して記者会見に臨んでいましたが、名前や年齢などの情報は公開されませんでした。
姉2人は顔を隠した状態で席につき、こちらも名前や年齢などを明かさずにいました。
母親は表に出てきておらず、記者会見に臨んだ父親と姉たちも詳細な情報を公開していないことから、安田種雄の家族に関する詳細はほとんどわかっていません。
なお、父親も姉たちも口を揃えて「やんちゃでしたが家族想いで、約束は必ず守る」「弱い者いじめはしなかった」「人情に厚かった」と話し、家族から愛されていたことがわかりました。
安田種雄が結婚した元嫁は木原郁子(旧姓・舩本郁子)
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安田種雄は過去に結婚していたことがあります。
元嫁は現在、内閣官房副長官の木原誠二と結婚している木原郁子(旧姓・舩本郁子)です。
若い頃はファッション雑誌の読者モデルとして活動しており、さらに銀座でナンバーワンホステスを張っていたこともある美女。
安田種雄がモデルの仕事をしている時に舩本郁子と出会い、2002年に結婚しました。
結婚後も子供を出産後に育児情報誌でモデルをしたり、子供たちやママ友と集まってパーティーを企画したりと、子供を軸にした生活を送っていると報じられています。
現在は木原誠二官房副長官の嫁となっている木原郁子は、2023年で44歳となっており、4人の子供を持つ母親です。
安田種雄には子供が2人いる
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2002年に結婚した安田種雄と元嫁の間には、長男と長女、つまり一男一女の子供2人が生まれています。
子供が誕生してからの家族4人は、嫁の父親が所有していた文京区大塚の木造住宅で暮らしていたようです。
木原郁子は4人の子供を授かっていますので、あとの2人は木原誠二官房副長官と再婚後に生まれた子供だと思われます。
安田種雄の不審死事件① 元嫁・木原郁子との離婚直後に死亡・・・
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子宝に恵まれた当初は夫婦関係も良好だったようですが、次第に安田種雄と嫁の仲が悪化し、夫婦喧嘩が多くなったといいます。
そして2006年には離婚の話が出始め、嫁が幼い子供たちを連れて家出を繰り返すようになり、その度に安田種雄が探しに行くという生活になっていきました。
最終的に、嫁は完全に家を出て1ヶ月以上行方不明状態に。その時、安田種雄は「離婚しても子供は引き取りたい」と周囲に漏らしていたといいます。
そして2006年春、嫁と子供を連れ戻すため、当時嫁と親しくしていた男性Y氏の家を訪れた安田種雄でしたが、そこで離婚届にサインをしたそうです。
しかしその数時間後、安田種雄は自宅で亡くなっているのが発見されます。これが不審死事件として現在も注目を集めている事件の始まりです。
安田種雄の不審死事件② 第一発見者は父親
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2006年4月10日、当時風俗店勤務だった安田種雄が、東京都内の自宅で深夜3時頃に亡くなっているところを発見されました。
第一発見者は安田種雄の父親です。
安田種雄は家出をしていた嫁と子供を迎えに行くため、前日に父親から車を借りており、その日の夜に電話で「離婚届を書いた」と父親に伝えていました。
父親は眠れないほど息子を心配し、深夜に貸していた車を返してもらおうと自宅を訪ねたところ、居間で血まみれになって死んでいる安田種雄を発見したといいます。
当時の捜査によると、安田種雄の遺体には頭部から喉元に向かってナイフによる刺し傷があり、さらに胸部の刺し傷は肺近くにまで達しており、死因は失血死でした。
また、同時に体内から致死量の覚せい剤が検出されたことで、警察は覚せい剤での錯乱による自殺と見立てたのです。
安田種雄の不審死事件③ 不審点が多数浮上
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安田種雄の死には、いくつかの不審な点が明らかになっています。
不審点① 家の中に残された数々の血痕
不審死と言われる理由として一番に挙げられるのが、自殺とは考えられない血痕があったことです。
事件現場に残された血痕からは、何者かが安田種雄の遺体を動かした形跡が見つかりました。
また、廊下に残された血痕は凶器から滴り落ちたもので、室内と階段に血液が付いた足跡が付着していることも発見されています。
この状況から、何者かが一度凶器を持ち出して部屋を出たことが考えられます。
捜査員はこれらの推察から「自殺とはどうしたって考えられない」と証言しており、安田種雄の嫁が事件に何らかの関わりがあると見ていました。
不審点② 夫婦喧嘩の声が近所に漏れていた
安田種雄の死亡時、嫁は子供と一緒に隣の寝室で寝ていたそうで、血まみれという壮絶な死を遂げた旦那の異変に「気付かなかった」と警察に供述しています。
仮に自殺だとして、致命傷となるほど深く自らを切りつけ、物音ひとつ立てず死に至ることは可能なのでしょうか?大の大人が倒れるとなると相当な音がするはずです。
ただし、元嫁がよほど熟睡していたのであれば気付かなかった可能性も十分あるでしょう。
また、近隣住民の証言では当日22時〜23時の間に夫婦が大声で喧嘩をしている声を聞いたという情報もあったようです。
なお、安田種雄の元嫁の事情聴取を担当した捜査員は、「事件性がある」と断言していたといいます。
不審点③ 友人男性Y氏との関係
のちの再捜査の際、捜査員が事件に関わるキーマンとして目を付けたのが友人男性Y氏です。
安田種雄の嫁は当時、Y氏と親密な関係にあり、事件直前もY氏の自宅にいたことがわかっています。
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週刊誌『週刊文春』によれば、安田種雄の嫁とY氏は共通の趣味であるフリーマーケットを通じて知り合ったとのこと。
次第に親密な関係となり、嫁は子供を連れてY氏の元に家出を繰り返すようになったといいます。
安田種雄の元嫁、そしてY氏が不審死事件にどう関わっているのか注目が集まっています。
安田種雄の不審死事件の真相① 再捜査が開始され新たな事実が判明
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2006年4月10日に安田種雄が遺体で発見されてから12年後の2018年春。
警察が過去の未解決事件を掘り起こす中で、担当刑事が、ナイフへの血の付き方が自殺とするには不自然だと気付き、再捜査へと乗り出しました。
Nシステムの分析の結果、事件当日にY氏が自家用車で、安田種雄の自宅方面に向かっていたことが判明。
なお、2018年当時のY氏は覚せい剤取締法違反で逮捕されていたため、収監されていた宮崎刑務所内で、約30回にわたり事情聴取が行われたようです。
そしてY氏に粘り強く事情聴取を行なった捜査員は、真相に迫る衝撃的な証言を得ることに成功しました。
その衝撃的な内容とは、「安田種雄の元嫁・木原郁子が夫婦喧嘩の末に刺してしまった」というものです。
安田種雄の事件当日夜、Y氏は安田種雄の嫁から電話で「種雄くんが刺せと言うので、刺しちゃった」と伝えられたといいます。
電話を受けたY氏は自家用車で現場に向かい、血まみれで倒れている安田種雄を目にしたそう。
嫁はその場に駆けつけたY氏に「夫婦喧嘩になって、『殺せるなら殺してみろ』と刃物を握らされたので、刺してしまった」と経緯を話したといいます。
その後、Y氏は血まみれの安田種雄が自殺で死んだように隠蔽工作をしたと思われ、この供述をもとに、木原誠二官房副長官の嫁となっていた木原郁子へ改めて事情聴取が行われたのです。
しかし再捜査は程なくして突然打ち切られ、進展がないまま終了という幕切れとなりました。
安田種雄の不審死事件の真相② 再捜査打ち切りは木原誠二官房副長官の圧力?
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政治の中枢にいる人物の嫁が重要参考人という衝撃的な事実、そして理由の不明な突然の捜査打ち切り・・・。
そして、捜査の再開を求めて遺族が記者会見を開いたのが、前述の2023年の会見です。
様々な憶測を呼ぶ事実が並んだことで、安田種雄の不審死事件が世間的に大きく注目されることになりました。
なお、2018年春に再捜査が開始された時点で、安田種雄の元嫁はすでに内閣官房副長官の木原誠二と再婚していました。
再捜査が進む中で元嫁は再三にわたり警察署に呼ばれて事情聴取を受けることになり、事件は真相解明に向けて前進していましたが、ある日突然、その再捜査が中止に。
再捜査打ち切りには、現在の夫である木原誠二官房副長官の政治的な圧力があったのではないかと噂されています。
というのも、再捜査打ち切りから5年後の2023年、取り調べを担当した警視庁捜査一課の刑事がマスコミに、捜査の中で判明した元嫁と木原誠二官房副長官のやり取りを告発したからです。
それによると、事情聴取を終えた妻と木原誠二官房副長官がタクシーの中で交わした会話がドライブレコーダーの記録に残っていたそう。
その会話の内容は「俺が手を回しておいたから心配するな」というもの。
もしこれが嫁を励ますためのハッタリだと言えばそれまでですが、内閣官房副長官という立場上、政治的な圧力を掛けられる立場であることは誰もが想像できます。
実際、安田種雄の不審死事件はその後、十分な説明がないまま突然の捜査中止になっています。
また、取り調べ担当の刑事が「自殺とする証拠品はない。事件性はある」と断言した一方で、警視庁の國府田剛捜査一課長は「事件性は認められない。自殺と考えて矛盾はない」と発言。
警視庁の公式見解と、当時の捜査を担当した現場刑事の主張が正反対という異例の事態もまた、この事件の再捜査が政治的な圧力により打ち切られた、という噂を助長している理由でしょう。
木原誠二官房副長官は「事実無根」と回答
出典:https://www.nikkan-gendai.com/
安田種雄の不審死事件に関する報道が続く中、木原誠二官房副長官は、自身の嫁が重要参考人として事情聴取や家宅捜索を受けていた事実について、一切の質問や取材に答えていません。
一貫して報道の全てを「事実無根」と回答しており、それだけでなく代理人弁護士を通じて即座に報道内容を否定。
さらに、司法記者クラブに対して「御通知(至急)」と題して、刑事告訴をチラつかせる文書を送付しています。
しかし、前述のように担当捜査員は安田種雄の不審死に事件性があると断言し、メディアも数々の不審点やY氏の供述を取り上げたことで、全てを事実無根とするには無理がある状況です。
木原誠二官房副長官がそれでも「事実無根」と主張するならば、その主張に足る説明があって然るべきだとの声も多数上がっています。
今後、木原誠二官房副長官から納得のいく説明はあるのか、不審死事件が真相解明に至ることはあるのか、新たな進展が待たれます。
まとめ
世間の関心を集める安田種雄の不審死事件について、経緯や不審点、真相と現在、安田種雄の生い立ちや韓国籍の噂をお届けしました。
少年時代は非行に走ったこともあった安田種雄は、更生して真面目に働き、嫁との関係修復や子供との幸せな暮らしを望んでいたものの、血まみれで亡くなっています。
亡くなった時の状況に不審な点が多いことに加え、その後の再捜査で真相に近づく証言が出ているにもかかわらず突然の幕切れなど、遺族が到底納得できないのも当然な状況です。
事件の真相解明に向けて新たな動きはあるのか、今後の展開にも注目しましょう。