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ミス日本を受賞し国際派モデルとして活躍する新井貴子ですが、韓国人の噂やラグビー日本代表の稲垣啓太との結婚も話題です。
今回は新井貴子の生い立ち、父親(新井宏昌)や母親・兄弟(姉)など家族、結婚や子供の有無もお届けします。
この記事の目次
新井貴子のプロフィール
出典:https://www.vogue.co.jp/
名前:新井 貴子(あらい きこ)
生年月日:1990年12月8日
出身地:大阪府
身長:177cm
2012年のミス日本コンテストグランプリ受賞者で、国際的なモデルマネジメント会社「Donna」に所属し、世界的ファッションモデルとして活躍する新井貴子。
身長177cmの高身長に長い手足、艶めく黒髪とスレンダーなスタイルで人の目を惹きつけています。
ニューヨークを拠点に活動しており、世界4大コレクションと呼ばれるパリ・ニューヨーク・ロンドン・ミラノのランウェイを歩き、ブランド広告やファッション雑誌にも出演。
これまでにプラダ、ジバンシィ、カルバン・クライン、ドルチェ&ガッバーナなど、世界的ブランドから指名を受けて仕事をしてきました。
2017年には「世界のニューカマーのモデル15人」に日本人で唯一選ばれています。
ここでは、世界を舞台に活躍する新井貴子について、生い立ちと家族、韓国人の噂をまとめました。
元プロ野球選手の父親、ミス日本ミス着物受賞者の兄弟、モデルになるきっかけとなった母親など、家族の情報をお伝えします。
また、2022年1月に結婚を発表したラグビー日本代表の稲垣啓太との結婚、子供の有無についても詳しくお届けします。
新井貴子は韓国人?噂と真相
出典:https://www.missnippon.jp/
まずは、新井貴子が韓国人だという噂、その生い立ちから見ていきましょう。
結論から言うと、新井貴子は父親が在日韓国人3世で、韓国人の血が入っています。
しかし在日韓国人3世だった父親の新井宏昌は、新井貴子が生まれた頃に日本に帰化しており、新井貴子も日本国籍で育ちました。
そのため、韓国の血が入ってはいるものの、国籍は日本なので新井貴子は日本人です。
新井貴子の生い立ち
出典:https://www.webuomo.jp/
新井貴子は1990年に大阪府で生まれました。
現在はニューヨークを拠点に活動する新井貴子ですが、学生時代は日本で過ごし、中学・高校時代はバレーボールに熱中するスポーツ少女でした。
出身高校は「大阪信愛学院高等学校」です。
この高校は新井貴子の出身地である大阪府大阪市にある私立の女子校で、カトリック系のお嬢様学校として知られています。
新井貴子の生い立ち:大学時代はアルティメット部
出典:https://www.missnippon.jp/
新井貴子の出身大学は大阪体育大学です。この大学の体育学部健康・スポーツマネジメント学科に進学しました。
大学時代には「アルティメット」というスポーツに出会っている新井貴子。
アルティメットとは、フライングディスク(フリスビー)を使用したアメリカンフットボールに似た競技で、7人のチームが攻守に分かれて得点を競い合います。
新井貴子が在籍していた大阪体育大学アルティメット部は全国屈指の強豪で、2010年の全日本学生アルティメット選手権大会で準優勝を経験しました。
スポーツに熱中していた新井貴子でしたが、その後2012年にミス日本コンテストに出場し、グランプリを受賞。
現在は日本を離れてニューヨークを拠点に、世界的モデルとして活躍しています。
新井貴子の家族:父親は元プロ野球選手の新井宏昌
ここからは新井貴子の家族について見ていきましょう。
新井貴子の家族構成は、父親・母親・姉が2人・本人の5人家族で、3人姉妹の末っ子として育ちました。
父親は元プロ野球選手の新井宏昌であることが知られています。
出典:https://www.nishinippon.co.jp/
名前:新井 宏昌(あらい ひろまさ)
生年月日:1952年4月26日
出身地:大阪府
身長:175cm
新井貴子の父親・新井宏昌は、南海ホークスや近鉄バファローズでプレーしていた元プロ野球選手で、現役時代に2000本安打を達成しました。
在日韓国人3世でしたが、1991年シーズンを前に帰化し、日本国籍を取得。帰化前の本名は「朴鐘律」でした。
1992年に40歳で現役を引退したものの、野球解説者や野球評論家としても活躍し、現在も球団コーチや2軍監督を務めています。
新井貴子の家族:母親は元CAの新井裕紀
出典:https://ameblo.jp/
新井貴子の母親・新井裕紀は、客室乗務員として働いていた経歴の持ち主です。
残念ながら、新井貴子がまだ20歳の頃に乳がんで亡くなっていますが、新井貴子をモデルの道に導いたのは母親の死がきっかけでした。
新井貴子は母親の死去当時、大学生でアルティメット部に所属してスポーツに打ち込んでいました。
約6年間闘病していた最愛の母親が亡くなり、このまま部活を続けるか、何か別のことに挑戦するか迷うようになったといいます。
母親の死に直面して世界の全てが変わったように感じ、何に対しても気力が湧かずにいたところ、先にミス日本に挑戦していた姉の姿を見て勇気付けられたそう。
そして、自身も母親の死に悲しんでばかりいずに何かに挑戦してみようと奮い立ったのだといいます。
母親の死をきっかけに環境を変え、2012年のミス日本コンテストに挑戦したところ、見事グランプリを獲得。
ここから新井貴子のモデル人生がスタートしました。
新井貴子の家族:兄弟(姉・長女)新井寿枝はミス日本
姉が2人いる3人姉妹で、末っ子として育った新井貴子。
姉2人のうち、長女は2011年のミス日本コンテストでミス着物を受賞した新井寿枝です。
出典:https://www.oricon.co.jp/
名前:新井 寿枝(あらい ひさえ)
生年月日:1986年11月22日
出身地:大阪府
身長:169cm
新井貴子の姉・新井寿枝は、2011年のミス日本ミス着物受賞者であり、現在は東南アジアを中心に社会福祉活動を行う「スリーハーツ財団」の代表を務めています。
また、画家として、2009年頃からシンガポール・香港を中心にアジア諸国で「アートメッセンジャー」を名乗って活動中。
外国人向けにアレンジした絵手紙を世界に広め、日本文化を世界に普及する活動を行なっています。
2011年にはミス日本コンテストに出場し、「ミス着物」を受賞。これをきっかけに、外国人向けの観光誘致キャンペーン「VISIT JAPAN2011」のスペシャルサポーターを務めました。
また、2012年から2017年にかけて、カンボジア王国のテニス連盟の親善大使に就任。
さらに2013年には、ミス日本コンテスト主催者や歴代受賞者・ファイナリストが中心となって設立したボランティア団体「ミス日本ボランティア協会」の初代代表に就任しました。
この活動をきっかけに、2014年にはカンボジアにて「スリーハーツ財団」を設立し、発起人および代表に就任。
ミス日本コンテストともタイアップして、東南アジアを中心に社会福祉活動のイベントを開催するなど、世界をより良くしようとする活動に尽力しています。
私生活では2020年7月に一般男性と結婚し、2021年9月に第一子を妊娠、2022年3月に出産予定となっています。
新井貴子の家族:兄弟(姉・次女)は新井聖佳
新井3姉妹の次女・新井聖佳は、ミス日本に出場した姉や妹とは違い、一般人として生活しています。
そのため詳細なプロフィールは公表されていないものの、姉である新井寿枝のSNSに顔写真が公開されており、3姉妹揃って美人であることが知られています。
出典:https://www.instagram.com/
また、2017年のクリスマスイブには姉・新井寿枝のインスタグラムにて、次女・新井聖佳が結婚したことが報告されました。
「クリスマス・イヴの今日、妹のセイカが入籍しました」とのコメントとともに、ドレスを身に纏った新井聖佳と、旦那とみられる男性との美しく幸せそうなツーショットが公開されました。
出典:https://www.instagram.com/
婚姻届が受理された時刻が、亡くなった母親の誕生日と全く同じ数字だったことから、姉は「母の祝福を感じています」とコメントしています。
次女・新井聖佳のプロフィールや経歴は不明ですが、姉のSNSを見る限り家族関係は良好で、姉妹たちとも仲睦まじく過ごしていることがわかりますね。
新井貴子が結婚した旦那はラグビー日本代表・稲垣啓太
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