ロックバンド「ARB」のボーカルで、ドラマや映画でも活躍する俳優の石橋凌ですが、韓国人説も話題です。
今回は石橋凌の国籍や韓国との関係、生い立ちと実家、家族(父親・母親・兄弟)、昔や若い頃の画像とエピソードをまとめました。
石橋凌のプロフィール
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名前:石橋 凌(いしばし りょう)
本名:石橋 秀樹(いしばし ひでき)
生年月日:1956年7月20日
出身地:福岡県久留米市
血液型:AB型
身長:170cm
ENTER the DEE所属の俳優で、ロックバンド「ARB」のボーカルとしても知られる石橋凌。
高校卒業後の1977年、甲斐よしひろの紹介でロックバンド「ARB」にボーカルとして加入し、1978年10月にシングル「野良犬」でデビューしました。
デビュー当初はレコード会社の方針でラブソング中心のアイドル路線で売り出されましたが、方向性の違いにより、1年経たずに独立。
独立後、レコード売上やコンサート動員が奮わず悩んでいたところ、スポーツクラブで松田優作に出会い、松田優作が監督を務めた映画「ア・ホーマンス」に誘われて俳優デビューしました。
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この作品で演技初挑戦にしてキネマ旬報新人男優賞を受賞。
これ以降、本格的に映画俳優を志し、その後は大河ドラマ「武田信玄」や「眠れる森」、映画「ボクの女に手を出すな」や「キッズ・リターン」に出演して俳優の地位を確立しました。
映画「Aサインデイズ」ではヨコハマ映画祭の主演男優賞を受賞、映画「キッズ・リターン」や「迅雷 組長の身代金」でヨコハマ映画祭の助演男優賞を受賞。
さらに、映画「AIKI」で報知映画賞の助演男優賞、高崎映画祭の最優秀助演男優賞を受賞するなど、数々の受賞歴を持つ俳優です。
ヤクザ役から刑事役まで幅広い役柄を演じることができる石橋凌ですが、一部ネット上で韓国国籍ではないかという噂が浮上しています。
ここでは、石橋凌の国籍が韓国と言われる噂や真相をはじめ、生い立ちと実家、父親・母親・兄弟などの家族、昔や若い頃の画像とエピソードをまとめました。
石橋凌の国籍は韓国?韓国人説が出たきっかけ
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石橋凌の出生地は、福岡県久留米市です。
ネット上には石橋凌の国籍が韓国という噂が浮上していますが、噂の出どころは明らかになっておらず、噂を裏付ける情報も出ていないため単なる噂に過ぎません。
ではなぜ、韓国国籍の噂が流れたのかについて調査したところ、ドラマで石橋凌が在日韓国人の役を演じたことがあり、それが噂の一因になっていることが判明しました。
ドラマで在日韓国人を演じていた
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石橋凌は、2020年にNHK総合で放送された全4話のドラマ「心の傷を癒すということ」に出演しました。
この作品は阪神・淡路大震災から25年を機に制作され、阪神・淡路大震災で自ら被災しながらも、他の被災者の心のケアに奔走した精神科医・安克昌をモデルに描かれたヒューマンドラマ。
精神科医で在日韓国人として生まれた主人公・安和隆を柄本佑が演じ、石橋凌は主人公の父親で在日韓国人一世の安哲圭を演じました。
ドラマはギャラクシー賞2020年2月度月間賞・第57回奨励賞を受賞、第46回放送文化基金賞番組部門テレビドラマ番組最優秀賞を受賞しています。
石橋凌はこの作品で韓国国籍の在日韓国人一世の役を演じましたが、韓国人なのは作品の中であり、実際に石橋凌が韓国国籍という情報はありませんでした。
石橋凌の生い立ちや実家とは
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ここからは、石橋凌の生い立ちや実家についてお届けします。
石橋凌は福岡県久留米市の出身で、5人兄弟の末っ子として生まれました。
実家は経済的に厳しい家庭だったようですが、音楽好きの家族に囲まれて育ったようです。
また、兄たちの影響で幼い頃からジョン・レノン、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランなど海外のアーティストの音楽を聴いて過ごしました。
石橋凌の若い頃、まだエレキギターを弾くのは不良と言われていた時代でしたが、高校生の時に音楽の道で食べていくことを決意しバンドを結成。
プロを目指して、地元・福岡のライブハウスで演奏していました。
高校卒業後はイタリアンレストランなどでアルバイトしながら過ごし、1977年に甲斐よしひろの紹介でバンド「ARB」にボーカルとして加入したことで念願のデビューを果たしました。
地元・久留米への思い
石橋凌の出身地・福岡県久留米市は、ゴム産業発祥の地で工場が多く、商人の町と呼ばれていました。
その一方で、松田聖子や藤井フミヤなどの超有名アーティスト、女優の吉田羊や藤吉久美子、漫画家の松本零士、作曲家の中村八大や画家の青木繁などを輩出。
さまざまな分野で活躍する芸能人・文化人を誕生させた文化的な町でもあります。
石橋凌は若い頃、地元の工場地帯というイメージが好きになれず、もっと文化的な面を売りにして押し出していけばいいのにと不満を持つ日々を過ごしていました。
また、高校時代に地元にライブハウスがなく、電車で博多のライブハウスまで通っていたそうで、地元の工業地帯のグレーな色よりも博多のカラフルな色彩に心を奪われたと語っています。
石橋凌にとって地元は淋しい町という思いがあり、若い頃に書いた「淋しい街から」というタイトルの曲があります。
しかし今では地元に愛着を持ち、デビュー40周年のアニバーサリーツアー最終日に久留米市を凱旋、また久留米市の思い出マップを手書きで描くほど地元愛が強いことで知られています。
石橋凌が独断と偏見で紹介する久留米市の名所スポットマップは、石橋凌の公式サイトで見ることができるのでぜひチェックしてみてください。
石橋凌の家族(父親・母親・兄弟)
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ここからは石橋凌の家族についてお届けします。
石橋凌の家族構成は、父親・母親・兄が4人の7人家族で、5人兄弟の末っ子として育ちました。
石橋凌の家族:父親
石橋凌の父親は普通のサラリーマンでした。
石橋凌が中学1年の時に父親は肝臓がんで亡くなっており、その後は経済的に厳しい生活を送っていたといいます。
父親の死については、石橋凌がソロでリリースしたシングル「カクテル・トゥナイト」の収録曲「12の頃」で触れられています。
「あれはまだ12の頃 せみが鳴く暑い日に 親父はひとりで遠くの静かな世界へ旅立った」という歌詞から始まり、父親の笑顔や家族で映画を見た思い出、亡き父親への想いが歌われています。
各種音楽配信サービスでも聴くことができるので、石橋凌の父親への想いを感じたいという方はぜひ「12の頃」を聴いてみてくださいね。
石橋凌の家族:母親
石橋凌の母親は、看護師資格を持ち、百貨店の医務室で働いていました。
若い頃に夫を亡くしながらも、5人の子供を育て上げた強さを持つ母親です。
2000年代にはすでに80歳代の高齢になっていましたが、その時もライブを観に来てくれるなど、息子の音楽活動を応援してくれていたといいます。
石橋凌の家族:兄弟
石橋凌は5人兄弟の5男で、男ばかりの兄弟の中で末っ子として育ちました。
一番上の兄は12歳年上で年が離れており、兄弟の影響で幼い頃から邦楽洋楽問わずさまざまな音楽を聴いて育ったといいます。
ただし、男兄弟の末っ子ということで理不尽な目に遭うことも多く、他の兄弟の喧嘩に巻き込まれたり、兄弟の隙をついておかずを奪取したりと、家庭ではサバイバル生活だったようです。
石橋凌の昔・若い頃の写真やエピソード
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ここからは石橋凌の昔、若い頃を見ていきましょう。
若い頃の石橋凌と言えば、1977年に「ARB」に加入、1988年にシングル「野良犬」でデビューするも、事務所の方針と合わず、デビュー1年弱で独立したというロックな時代でもあります。
当時のレコードのジャケット写真でセンターに立つ石橋凌を見ると、事務所がアイドル路線で売りたくなるのも納得の甘いマスクをしていることがわかりますね。
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独立後は家も楽器も没収されて、ワンボックスカーやライブハウスに寝泊まりし、友人と一緒に借りた狭いマンションで雑魚寝したりと貧乏時代を過ごしたようです。
その後、スポーツジムで俳優・松田優作と出会ったことにより、映画「ア・ホーマンス」でヤクザ役を演じていた頃の石橋凌がこちらです。
出典:https://middle-edge.jp/
現在も貫禄のある渋い雰囲気でヤクザ役から刑事役、時代劇まで幅広い役柄を演じ、俳優として揺るぎない地位を確立した石橋凌。
彼のこれからの活躍も楽しみにしたいですね。
まとめ
石橋凌の韓国国籍の噂、生い立ちと実家、家族、昔の画像とエピソードをお届けしました。
俳優として、そしてミュージシャンとしても人気を誇る石橋凌のこれからにも注目です!