元大阪府知事で政治評論家としてメディアにたびたび出演する橋下徹さんですが、特異な出自と波乱万丈な生い立ちも話題です。
今回は橋下徹さんの生い立ちなど経歴、父親と母親や出自・韓国に対する発言をまとめました。
この記事の目次
橋下徹のプロフィール
出典:https://twitter.com/
名前:橋下 徹(はしもと とおる)
生年月日:1969年6月29日
出身地:東京都渋谷区
学歴:早稲田大学政治経済学部経済学科
橋下徹は、かつて弁護士タレントとして日テレのバラエティ番組「行列のできる法律相談所」に出演して一躍人気になりました。
その後、政治家の道に足を踏み入れて大阪府知事となり、現在は政治評論家、タレント、大阪維新の会法律顧問として活動している人物です。
橋下徹の生い立ちなど経歴① 学生時代
出典:https://blog.goo.ne.jp/
小・中学と公立校に通った橋下徹は、小中学校ともに荒れた学校だったといいます。
小学6年生で東淀川区の小学校に転校した橋下徹は、その時点ですでに身長170cmある目立つ体格だったそうです。
また、東京出身だったことから方言の違いもあり、転校初日から同級生にからかわれ殴られるなど、幸先のいいスタートとは言えない転校初日を迎えました。
その荒れた学校で橋下徹が見出した活路は、ドラえもんに登場するジャイアンのような強い存在とうまく付き合うため、スネ夫のように強い人の下に付いて生きるという方法でした。
中学に上がると、部活はラグビー部を選択。その理由も「一番悪そうな部活に入れば安全だと思ったから」というスネ夫的な選択でした。
しかし、中学に上がってからの橋下徹は、もともと頭の回転が速く弁が立つ方だったこともあり、次第に別の生き方を見出します。
自分の思いをうまく言葉にできず非行に走ってしまう思春期の若者の代弁者となり、彼らの思いや悩みを聞いて、生徒同士のトラブルを解決したり、大人との交渉役になっていきました。
自然と話術や交渉術を身に付けた橋下徹は、クラスが揉めた時も互いの主張を聞いて解決に導き、教師には大人でも一目置くほどの交渉術を発揮するなど、処世術に長けていたそうです。
その後、上昇志向を持った橋下徹は、荒れていた公立中学校ということもあり高校受験前の偏差値は44でしたが、猛勉強をして偏差値70以上の大阪トップ校、北野高等学校に合格しました。
さらに高校卒業後は早稲田大学に入学し、司法修習を経て1997年に弁護士になりました。
このような生い立ちから現在の地位を築くまでに費やした努力を思うと、その生き方は驚嘆に値しますね。
橋下徹の生い立ちなど経歴② 弁護士からタレント、政治家へ
1997年に弁護士になった橋下徹は、示談交渉や企業コンプライアンス、エンターテイメント法やスポーツビジネスなどを得意としていました。
また、大正時代から現在まで残る最後の色街「飛田新地」の料飲組合顧問なども務める弁護士でした。
2003年からは、芸能プロダクションと契約して弁護士タレントとしても活動、「行列のできる法律相談所」にレギュラー弁護士団として出演し、知名度を全国に広げていきます。
出典:https://www.oricon.co.jp/
弁が立つことから他のテレビ番組にも起用され、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」でもレギュラーを務めました。
弁護士タレントとして地位を確立し支持を得た橋下徹は、政治家の道へ進むことを決意します。
2007年に大阪府知事選挙に出馬することを表明し、2008年の大阪府知事選で183万票以上を獲得して大阪府知事に当選・就任しました。
出典:http://www.asahi.com/
大阪府知事の他、第19代大阪市長、鳩山由紀夫内閣時代の総務省顧問、維新の会代表などを歴任し、2015年12月に任期満了で大阪市長を退任。政界から引退しました。
現在は政治評論家としての活動が多く、情報番組やワイドショーなどにコメンテーターとして出演しています。
橋下徹の父親・母親とは?
出典:https://www.lmaga.jp/
弁護士から政治家になり大阪府知事にまで成り上がった橋下徹ですが、実は出自に興味深い噂があり、父親と母親の情報も出回っています。
ここではまず、橋下徹を生み育てた父親・母親の情報を解説していきます。
橋下徹の父親
出典:https://www.mbs.jp/
橋下徹の実の父親は、被差別部落出身の元暴力団員だったことが判明しています。
橋下徹が大阪市長選に立候補したと同時に複数の週刊誌に取り上げられ、橋下徹本人も実の父親が元暴力団員であることを認めました。
しかし、その父親は橋下徹が小学2年生の時に自殺しているようです。
そのため、橋下徹の物心がつく頃には両親が離婚して家に父親がいなかったことから、父親については「ほとんど記憶がない」と語っています。
橋下徹の母親
出典:https://gendai.ismedia.jp/
橋下徹が幼い頃に離婚し子供を引き取った母親は、昼夜問わず働き苦労して家計を支え、小学2年生だった橋下徹と4歳年下の妹を女手一つで育てました。
母子家庭だった橋下徹はその後、小学5年生の時に大阪に移り住み、大阪市東淀川区にある手狭な府営住宅で育ちます。
母親はしつけに厳しい人だったようで、妹をいじめないこと、目上の人を敬うこと、人を傷つけないことの3つを約束させていたようです。
その代わり、世間体を気にして子供の行動を制限させるようなことはなく、進路についても子供に任せて一切口出ししない主義でした。
生きる上で大事なことはしっかりと教え、子供の人生は子供に決めさせる…放任主義に見えてしっかりと子供を見ている母親がいたから、今の橋下徹がいるのかもしれません。
母親は橋下徹が中学1年生の時に再婚し、現在もその再婚相手と共に橋下徹と同じマンションで暮らしています。
橋下徹の出自が話題に
出典:https://blog.goo.ne.jp/
元暴力団員の父親がいたことが明るみになった橋下徹。
政界に足を踏み入れてから、週刊誌により生い立ちなどのプライベートな部分にも焦点が当てられるようになります。
父親が部落出身だったこと、母子家庭となってからは同和地区に住んでいたことが週刊誌により明らかとなり、その出自と生い立ちが各週刊誌にこぞって取り上げられました。
東京都渋谷区で生まれた橋下徹ですが、小学5年生の時に大阪に引っ越し、大阪市東淀川区にある府営住宅で育ちました。
橋下徹が育ったのは同和地区と呼ばれる場所で、この生い立ちが週刊誌に掲載されました。
出典:https://www.city.osaka.lg.jp/
同和地区とは、簡単に言うと被差別部落、差別される地区のことを指します。
もともとは身分が低く、人が好まない卑しい仕事をしていた者が住んでいた地区で、いまだに差別がある地区とされています。
現代の日本ではほとんど気にする人はいなくなりましたが、西日本ではいまだに差別意識が残っていることもあり、住みたくない場所として避ける人もいる場所です。
橋下徹は母子家庭で育ったことから家計が苦しかったようで、大阪では府営住宅に住んでいました。
府営住宅に申し込んだら偶然その同和地区の住宅に当たったようで、同和地区だとは知らなかったといいます。
また、実の父親が被差別部落出身だったことも知らされていなかったようで、自分の出自や生い立ちを知らぬまま、同和地区で育ったようです。
このようないわくつきの出自である橋下徹ですが、自身には何の関係もなく、前述の通り、公立校から早稲田大学に合格し、弁護士・政治家へ転身、本人の素質は才能溢れるものでした。
出自は決して、その人を決めるものではないことがわかりますね。
橋下徹は韓国寄りの発言でも注目されている
出典:https://www.sbbit.jp
部落出身の父親を持ち、自身も同和地区で育った橋下徹は、差別問題にも関心を寄せています。
特に日韓関係については発言が多く、ツイッターなどのSNSでは在日韓国人について言及することもあります。
ツイッターユーザーの「日本に住む韓国人はなぜ通名を使うのか。堂々と本名を名乗ればいい」という旨の意見に対し、橋下徹は未だに差別が残っているからだと答えました。
橋下徹の中学時代には、在日韓国人の子供が本名に切り替える際に学年集会を開いて、子供が泣きながら本名を名乗る決意を述べ、同級生と話し合うという出来事があったといいます。
その頃に比べれば現在は差別意識は消えつつありますが、それでも在日韓国人に対するそういった意識があるのも事実だと答えました。
橋下徹は時に、韓国寄りの発言をすることから「韓国側に立ちすぎだ」と言われることも多いようですが、日韓関係を良好にしたいという気持ちは間違ったものではありません。
実際、橋下徹の子供は韓国のアイドルが好きでずっとミュージックビデオを見ているようで、その姿を見ると「次世代にギスギスした関係を引き継ぐ必要はない」と感じるといいます。
現在、日本での韓国文化の一大ムーブメントは言うまでもなく、韓国料理やK-POPが大流行しています。
日韓の若者世代の間では、政治的なしがらみなく、お互いの文化を尊重し合っている人々も増えています。
政治的にはまだまだ問題が山積みだとしても、個人と個人の間では国の隔たりなく良好な関係を築いていけるといいですね。
まとめ
壮絶な出自や生い立ちから、弁護士タレントや政治家へと成り上がった橋下徹についてまとめました。
現在、政治評論家としても活躍する橋下徹の今後の動向にも注目です。