東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗)の現在!生い立ち・父親と母親や弟など家族・結婚した嫁や出所後も総まとめ

はじめに

世間を震撼させた酒鬼薔薇聖斗事件の犯人・少年Aこと東慎一郎ですが、在日韓国人説も浮上しています。

 

今回は東慎一郎の生い立ちや在日韓国人説と真相、家族(父親・母親・兄弟)、結婚して嫁がいる噂や出所後など現在を紹介します。

東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗/元少年A)が起こした神戸連続児童殺傷事件

 

出典:https://blog.goo.ne.jp/

 

酒鬼薔薇聖斗を名乗る当時14歳の少年Aが起こした、「酒鬼薔薇聖斗事件」とも言われる神戸連続児童殺傷事件は日本の犯罪史に残る悲惨な連続殺傷事件で、当時の日本を震撼させました。

 

「酒鬼薔薇聖斗事件」は少年Aが数ヶ月に渡り、複数の小学生を殺害・暴行し、死亡者2名と重軽傷者3名を出しました。

 

その中には首から上から切断された遺体、耳まで切り裂かれた遺体もあり、中学校の正門前に置かれた被害者の口には「酒鬼薔薇聖斗」という名前での犯行声明文が挟まれていました。

 

マスコミは当初犯人像を30〜40代として報道していましたが、実際に逮捕された犯人が14歳の中学生だったことも衝撃的で、社会的に大きな注目と批判を集める事件となったのです。

 

そしてその犯人・少年Aの昔の本名が、「東慎一郎」だと言われています。事件を起こした後は名前を変えているようで、現在の本名は「K.M」というイニシャルのようですが、名前は判明していません。


今回は「酒鬼薔薇聖斗事件」の犯人・東慎一郎について、生い立ちから現在、そして彼を育てた父親と母親、共に育った兄弟の現在もまとめました。


在日韓国人という噂、結婚して嫁がいるという噂、どのような少年時代を過ごしてきたのか、出所後にどのような生活を送っているのかに迫ります。

 

 

東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗/元少年A)の生い立ち・在日韓国人の噂と真相

出典:https://pixabay.com/ja/

 

「酒鬼薔薇聖斗事件」の犯人である東慎一郎は、殺害の残虐さや異常性から、どのような生い立ちで育ち、事件を起こすことになったのか、注目が集まっています。

 

東慎一郎は3人兄弟の長男で、教育熱心な母親のもとに生まれました。

 

長男として弟たちの手本となるよう厳しく躾けられたようで、それが重圧となり人格に歪みが生じたと言われています。

 

その歪みが表に現れ、東慎一郎は少年時代からたびたび犬や猫に対する動物虐待を行い、近所の同世代の子供達に対し暴力的な行為を行なうなど、加虐性は子供の頃からあったといいます。

 

 

東慎一郎は小学校を卒業後、中学校へ入学すると登校拒否をするようになりました。


登校拒否になる前は卓球部に所属していましたが、練習が退屈だと感じるようになり、練習に出なくなります。放課後に暇をつぶすために、近くの山へ登るようになったと言います。


その山が事件現場の1つとなった、いわゆる「タンク山」です。

 

東慎一郎はタンク山を隅々まで歩き回り、獣道まで把握して山中に詳しくなったようです。

 

東慎一郎は最終的には登校拒否となりましたが、中学校在学中には当時の校長から問題行動が多かったと評されています。


他の生徒の私物を隠して燃やしたり、何もしていない生徒の頭を叩いたり、他の生徒の自転車のタイヤをカッターナイフで切ったりしたそうです。

 

 

このような残忍な人格を持っていた東慎一郎ですが、父親や母親、兄弟など家族は特に問題のない至って普通の家庭で育ちました。


母親が教育熱心で厳しく躾けられたことが人格形成に影響を及ぼした可能性はありますが、虐待や育児放棄などを受けていたという情報はありません。

 

また、東慎一郎に対して在日韓国人という噂がありますが、在日に関する明確なソースはありません


在日韓国人の犯罪をまとめた個人サイトに記載されているだけで、東慎一郎の生い立ちから在日韓国人である確証はありませんでした。

 

 

東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗/元少年A)の父親・母親・兄弟の事件後と現在

 

出典:https://pixabay.com/ja/

 

少年A・東慎一郎が事件を起こした後、父親が文藝春秋より『「少年A」この子を生んで……』という書籍を出版しました。

 

本の内容は母親の手記、育児日誌、父親の日記で構成されています。


事件を受けての心情、実際にあった出来事が記されており、東慎一郎と家族との関係も垣間見ることができます。

 

 

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手記によると、事件発覚後、逮捕された息子と面会した際、「誰が何と言おうとお前はお父さんとお母さんの子供だ、家族5人で頑張って行こう」といった旨の言葉を父親が掛けたそうです。


しかし、その父親に対し東慎一郎が放った言葉は、「帰れ、ブタ野郎」という怒鳴り声でした。

 

事件が報道されて日本中に衝撃が走ると、父親は家族と離れ、親戚の元へ身を寄せました。また、離婚して苗字も変え、息子との接点を極力無くした状態で生活を始めたようです。

 

 

また、母親は手記の中で

 

「息子には、生きる資格などとうていありません」


「もし自分の子供たちがあのような行為で傷付けられ殺されたとしたら、その犯人を殺してやりたい、償われるより死んでくれた方がマシ」

 

「遺族に死んで償えと罵倒されその場で殺されたとしても、当然の報いだ」

 

と心境を語っています。しかし、

 

「もしそのような状況になった時には息子ではなく自分に死なせてほしい」


「息子のやったことは私の責任」

 

「息子のためなら死ねます」

 

といった、母親の愛情ゆえの言葉も残しています。

 

厳しく躾けられたという東慎一郎ですが、実際に母親と東慎一郎がどのような親子関係を築いてきたかは分かりません。2人にしか分からない複雑な事情もあったのかもしれません。

 

しかし、言葉だけを見ればしっかりと愛情を持った母親であることが分かります。

 

教育熱心で厳しかったとは言え、普通の父親と母親のもとで育った「普通の中学生」がこのような事件を起こしたことは、社会的にも更なる衝撃を与えたのでした。

 

 

出典:https://pixabay.com/

 

さらに、東慎一郎には2人の弟がいます。

 

事件後、兄弟は弁護士の協力によって別の土地で生活をしています。


少年Aの弟だということをひた隠し、静かに暮らしていると思われます。

 

 

東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗/元少年A)の現在① 出所後の生活とは?

 

出典:https://twitter.com/

 

「少年A」こと東慎一郎は、現在すでに出所しています。


事件から20年以上が経ち、社会に放たれた東慎一郎はどのような生活を送っているのでしょうか。

 

東慎一郎の家族は、事件後から中神戸法律事務所の羽柴修弁護士に支えられて生活を送ってきました。


羽柴弁護士は、兄弟の新しい生活の場、生活全般のサポートを引き受け、被害者遺族への謝罪の橋渡し役として動いてきました。

 

現在、遺族への慰謝料は、東慎一郎の両親が出版した本の印税に加え、東慎一郎本人と両親からそれぞれ月に数千円が支払われていると言われています。

 

 

出所後の生活としては、ある団地の一室で法務省関係者と同居して共に家事を行い、社会勉強をしていることが明らかになりました。


少年院で取得した溶接の資格を生かして工場に勤め、真面目に働いているとの報告もあります。

 

退勤後に保護司と面談し、週に1回は精神科医のカウンセリングを受け、月に3回ほど母親とも会っているといいます。

 

 

「東慎一郎」という名は、実は出生名ではなく、出所後に改名した新しい本名です。


身元引受人と養子縁組して改名した名前で、他にも出身地や学歴なども偽のプロフィールが用意されたといいます。

 

少年院で体を鍛え容姿も逞しくなったこともあり、そのため現在の東慎一郎を見ても事件当時の「少年A」と分かる人は少ないと言われています。

 

 

それでも人の噂はよく回るもので、身元を隠して生活していても週刊誌などの取材は止まず、東慎一郎が少年Aであることは周囲にバレてしまいます。

 

そのため、現在はすでに「東慎一郎」から改名してる可能性もあり、居場所も転々としているようなので、どこに拠点を置いて生活しているか詳しいことは分かっていません。

 

更生のためには静かな環境が必要ということで、法務省が意図的にマスコミなどに住居や名前の偽の情報を流しているという噂もあります。


定期的に「少年Aは東京にいる」「埼玉県に住んでいる」といった情報が流れるのは、このためかもしれません。

 

 

東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗/元少年A)の現在② 手記「絶歌」が出版され話題に





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