ドラマ『男はつらいよ』『蒲田行進曲』などへの出演で知られ、歌手としても活躍してきた昭和を代表する大御所女優の松坂慶子さん。
松坂慶子さんの韓国にまつわる本名や生い立ち、実家の家族について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
松坂慶子の韓国にまつわる本名やプロフィールについて
松坂慶子の本名やプロフィールについて
女優、歌手、バラエティタレントとして活躍してきた松坂慶子
松坂慶子さんは高校2年生だった1969年にスカウトされて同年に映画デビューして以降、1973年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』で世間の認知度を獲得し1970年代末にはトップ女優となりましたが、一方で歌手としても「愛の水中花」などでブレークし2015年までシングルを出し続ける活躍を見せてきました。
バラエティ番組にも出演して人気を集め、松坂慶子さんはまさに昭和を代表するトップスターとして活躍してきました。
松坂慶子さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 高内 慶子(たかうち けいこ)
生年月日: 1952年7月20日
出生地: 東京都大田区
国籍: 日本
身長: 162cm
血液型: A型
職業: 女優・歌手・司会者・タレント
ジャンル: 映画・テレビドラマ・演劇
活動期間: 1967年 –
配偶者: 高内 春彦
引用:Wikipedia – 松坂慶子
松坂慶子さんの父親が在日韓国人1世、母親が日本人だったことから日韓のハーフということになりますが、生まれた時は韓国籍でした。
父親は日本に渡ってきて間もなく帰化したものの松坂慶子さんが生まれた後のことであり、母親は捨て子で無国籍だったことから法務省と交渉して日本国籍を取得したことがウィキペディアで説明されています。
父も日本名を名乗っていたが国籍は韓国のまま、つまり慶子も韓国籍であった[5]。知人の力を借りて法務省と交渉した結果、1964年に母の戸籍が回復し、慶子の将来を考えて彼女を母の非嫡出子として母の戸籍に入れたことにより日本国籍となった[5]。 これらの事実は1993年に出版された両親の著書『娘・松坂慶子への「遺言」』で公表された。
現在の松坂慶子さんの本名は、1990年にジャズギタリストの高内春彦さんと結婚したことから”高内 慶子”となります。
松坂慶子の生い立ちや実家の家族について
松坂慶子の父親は在日韓国人、母親は身売りされた捨て子だった
複雑な家庭環境で生まれた松坂慶子
松坂慶子さんの父親・英明さんは1938年の第二次世界大戦直前に日本に仕事を求めて兵庫県姫路市に渡り住み、仕事場で松坂慶子さんの母親・つね子さんと出会い同棲をするようになりました。(戦後の混乱期に仙台で出会ったという説もある)
松坂慶子さんの父親・英明さんは単身で韓国で渡ってきたこと、母親・つね子さんは幼少期に人身売買で売られて身寄りが無かったため孤独な身の上同士惹かれあったのでしょう。
そして第二次世界大戦終戦後に二人は神奈川県藤沢市に移り住み、英明さんはリアカーを使った行商をしていたようですが、時期にいくつものビジネスを立ち上げて成功をつかみます。
松坂慶子さんは1952年に生まれましたが、早産で未熟児だったことから体が弱く、誤って古い牛乳を飲んだ時に死にかけたこともあったそうです。
それでも、裕福な家庭で育った松坂慶子さんは、両親の”イングリッド・バーグマンのような美しい女性に育って欲しい”という願いから、ピアノやバレエ、美空ひばりさんなどの曲を手がけた昭和を代表する歌謡作曲家・古賀政男の歌謡レッスンも受けていました。
また、松坂慶子さんはくるみ児童合唱団にも入っていたようです。
松坂慶子さんは子供時代からのんびりとした性格だったようで、それは現在も変わらずお風呂や公園などでぼーっとするのが好きだと語っています。
松坂慶子、高内春彦との結婚で親子絶縁騒動が起きる
松坂慶子と高内春彦は”格差婚”と言われた
松坂慶子さんが結婚相手として選んだのは当時ニューヨークを拠点に活動していた無名のギタリスト・高内春彦さんだったことから両親は結婚を猛反対しました。
「高内春彦さんは、ニューヨークで活動していた無名のミュージシャンでした。トップ女優だった松坂とは、知名度の点でも収入の点でも雲泥の差がありました。この格差婚に猛反対したのが、松坂の父・英明さんと母・つね子さんだったのです。取材に対しては『収入もないのに亭主面してゴロゴロしているだけ』など、春彦さんへの憎悪を語り続けました。ついには夫をかばい続ける松坂も許せなくなり、’92年には絶縁も宣言したのです」(前出・芸能記者)
高内春彦さんは売れないミュージシャンだったにも関わらず、結婚挨拶に行った際に松坂慶子さんの父親・英明さんに「マンションを持っています」と嘘を付いており、それが後でバレた際に英明さんは激怒して絶縁宣言をしました。
松坂慶子、高内春彦と共に母親の介護をしている
松坂慶子は80歳を過ぎた母親の介護をしている
父親の英明さんが2007年12月に亡くなったことから絶縁状態は雪解けし始め、母親のつね子さんも80歳を過ぎて介護が必要になったため松坂慶子さんは夫の高内春彦さんと娘2人と母親の5人で暮らしているようです。
高内さんは、松坂が仕事で忙しいときなどは家事や育児を担当し、家族を守り続けてきた。そのスタンスは結婚から28年目をむかえたいまも変わらないという。松坂家の知人は言う。
「つね子さんも90代後半になり、ほとんど外出することもなくなりました。着替えなど日常生活についても、松坂さんや高内さん、それにヘルパーさんたちが介助しています。訪問入浴サービスも利用していますが、スタッフへの応対や誘導などを高内さんがやることも多いそうです。『西郷どん』でも九州ロケがありました。特に松坂さんが仕事で地方にいるときなどは、つね子さんの介護は高内さんが差配することになります」
高内春彦さんは決して働かずに自宅でゴロゴロしているヒモではなく、芸能人として多忙を極める松坂慶子さんの代わりに主夫として娘たち2人の面倒を見ていたようです。
英明さんとつね子さんは”男は外に出て働くもの”という昭和時代の固定概念から絶縁宣言までしましたが、松坂慶子さんと高内春彦さんの夫婦は時代を先取りしていたと言えるかもしれません。
高内春彦さんは松坂慶子さんの母親・つね子さんの介護について以下のようにインタビューでコメントしています。
「義母の介護ですか?そうですね、自宅介護ということになるでしょうか。家族でローテーションを組みながら続けています。夫婦で協力といいますか、ヘルパーさんたちに助けていただきながら、妻と私でいっしょにやっています」
”売れないミュージシャン”というイメージが先行すると高内春彦さんを”格差婚”として批難する声も多かったようですが、人としてとてもしっかりした人のようで、松坂慶子さんの男を見る目が確かだったということでしょう。
年齢も高内春彦さんの方が2歳年下ということで、松坂慶子さんはもしかしたら芸能生活を生涯続けて行きたかったため結婚前から年下男性で家庭を支えてくれる人に限定して結婚相手を探していたのかもしれませんね。
朝ドラのまんぷくでさ、松坂慶子さんがこれは世を偲ぶ仮の姿よ〜って言うてたんやけど、デーモン閣下しか思い浮かばんかったわ( ͡° ͜ʖ ͡°)NHK閣下のこと大好きやんて思った笑
— kckk1010 (@kckk1010) 2019年1月19日
そういえばこの間、電車でおばさん同士が、朝ドラ「まんぷく」の母親役について「あんな母親いないわよね」という会話をしていたけど、私の母親はそのままあのタイプ。面倒くさい。一緒にテレビを見ているだけでも面倒くさい。だけど顔は松坂慶子とは全く似ていない。顔が似ていれば良かったのに。
— irma (@IRMA_Bellini) 2019年1月19日
毎日新聞の夕刊が「まんぷく」に母親役で出演している松坂慶子さんを特集して彼女を絶賛しているが、松坂慶子ほどの大女優ならどんな役でもこなせるのは当然だろう。小生の個人的意見としては大女優の松坂慶子さんには、朝ドラのあんな役には出てほしくないと思っている。
— ぼんくら (@takaikumega) 2019年1月15日
松坂慶子の生い立ちや実家の家族について総まとめすると・・・
還暦を超えても衰えることなく活躍を続けている松坂慶子さんの生い立ちや実家の家族について総まとめしてきました。
・松坂慶子は現在高内春彦と共に母親の介護をしている
松坂慶子さんが現在まで第一線で活躍を続けることができているのも、夫の高内春彦さんのおかげだと考えると、芸能人の主夫への見方が全く変わるでしょう。