世紀末の大晦日に起こった「世田谷一家殺人事件」は未解決事件として知られていますが、韓国人の李仁恩という人物が犯人だとも言われています。
今回は世田谷一家殺人事件について経緯、犯人の行動や特徴、真相や現在をまとめてみました。
この記事の目次
世田谷一家殺人事件とは
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世田谷一家殺人事件は、2000年(平成12年)12月30日~31日、東京都世田谷区で起こった殺人事件です。警視庁の正式名称は、「上祖師谷三丁目一家四人強盗殺人事件」です。
被害者は、父親(当時44歳)・母親(41歳)・長女(当時8歳)・長男(当時6歳)でした。
20世紀最後の日に発覚したこの事件は、年の瀬の犯行・数多くの遺留品(指紋や足跡など)・残忍な犯行・犯行後の犯人の異常な行動、そして未解決事件として今も注目されています。
被害者が殺害された状況とは?
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犯人はまず、2階の子供部屋で寝ていた長男を殺害しています。
長男は手で首を絞められたことによる窒息死で、その時にできた圧迫痕・鼻からの出血などの他には、外傷などは見つかっていません。
次に、異変に気づき階段を上がってきた父親が襲われ、足や尻などを切られており、さらに報道では頭部に柳刃包丁の破片が残っていたと言われています。
そして、屋根裏部屋で寝ていた母親と長女を襲います。
母親と長女は顔や首を中心に何度も刺されており、死んでからも執拗に刺していることも判明しています。
犯人は、子供部屋の二段ベッド付近や階段の移動時に、壁に背中をつけて横歩きをしていることが足跡から分かっています。この歩き方は軍隊などで習うようです。
犯人の入出経路は?
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犯人は、被害者宅の公園側にある2階の浴室窓から出入りしたとみられています。
浴室の真下の地面辺りに犯人の靴跡と思われる足跡が発見され、さらに浴室の窓は開いていました。網戸は外に外れて落ちていたそうです。
また、窓の真下にある公園のフェンス付近の木の枝も折れており、若者なら無理なく侵入できることが検証の結果分かったようです。
しかし、犯人が着用していたと思われるジャンパーに擦った痕がなく、浴室の窓から繊維痕や擦れた跡が発見されていないとの報道もあり、普通に玄関から入った可能性も指摘されています。
発見時、玄関の鍵は閉まっていたようで、玄関のドアノブなどからは指紋や血痕は発見されなかったようです。
また、被害者宅に残っている血が付いた足跡は階段の途中から上りの一方向のみだったそうです。
そのため、玄関から靴を脱いで侵入した後に犯行に及び、そして床が血だらけになったため、犯人は階段の途中で靴を履いた、と考える警察幹部もいるようです。
世田谷一家殺人事件の犯人とは① 犯行後の行動が異常だと話題に
異常な行動① 傷の手当?
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どのような経緯で犯人が怪我をしたのかは発表されていませんが、犯人は右手を負傷したようです。
その右手の怪我の手当をするためなのか、救急箱を漁った跡や血痕がついたタオル2枚が台所に散乱していたようです。
怪我に絆創膏を貼ろうとしたものの、大きさが合わなかったようで剥がし、居間にあったノートの裏に絆創膏が張り付けられていました。
そして、生理用品で止血をした痕跡も残っていたようです。
負傷した傷はかなり深かったようで、骨が見えるほどの傷だったのでは、と言われています。
その後、栃木県日光市にある「東武日光駅」で、警察が指名手配した犯人像と酷似している男が右手の治療をしていたという目撃証言がありました。
さらに、傷を負った詳細を話さなかったことからも犯人の可能性が高いと指摘があったものの、なぜか警察は現地調査に行きませんでした。
翌日、犯人は羽田空港から台湾に逃亡しており、この男が犯人だったのかは分からずじまいになってしまいました。
異常な行動② 被害者宅でくつろいだ?
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驚くことに犯人は、一家4人を残殺した後に被害者宅の冷蔵庫からお茶やメロン・アイスクリームを食べていたようです。
2階の浴槽と居間の座布団の上からアイスの容器が1つずつ発見され、1階のパソコンの横には2個重ねられた状態で置いてあったそうです。(紙袋に2個入っていたとの報道もあるようです)
また、アイスをスプーンではなく、カップごと握り潰して食べていたようで、さらに直接アイスにかぶりついたため歯型も残っていたそうです。
殺人後に食事をしただけでなく、さらに犯人は被害者宅のトイレも使用したそうです。
しかも大便をしたようで、トイレに一部残っていた大便からはインゲンとゴマが検出されました。被害者家族の胃の内容物や食事とは異なっていたようです。
さらに、2階の居間にあるソファで仮眠もしたようです。
異常な行動③ パソコンで劇団四季の舞台を予約?
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事件当日の午後10時20分から50分頃まで、被害者がパソコンを触った形跡が通信記録の解析の結果分かっており、この時にはまだ被害者一家が生存していたことが確かなようです。
しかし、被害者の死亡推定時刻以降の31日午前1時18分頃と午前10時5分頃にもインターネットに接続していたことが判明しています。ただし、接続時間は5分ほどと短かったようです。
また、犯人の指紋がマウスから検出されています。
犯人はパソコンで、劇団四季の舞台チケットの予約を試みたようですが、失敗していたようです。
その他には、被害者の会社や大学の研究室、科学技術庁(現文部科学省)などのサイトを閲覧していたことが分かっています。
事件当初はインターネットを見ていたのは犯人ではなく、自動的にサイト情報を拾ってくる巡回ソフトによるものだと思われていました。
しかし、同ソフトが機能上アクセスできるのは各サイトのトップページのみで、サイト内のコンテンツの閲覧履歴が認められたことで、犯行後犯人がパソコンを使用したのは確実なようです。
異常な行動④ 浴室で仕分け作業?
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犯人は、家の中を物色していたり、仕分けなどの作業も行っていたようです。
まず2階の居間のソファでは、キャッシュカードなどカード類や手帳・預金通帳・運転免許証などの書類が仕分けされていました。
次に浴室では、父親の仕事関係の書類や領収書・母親の塾の書類・止血に使用した生理用品・アイスのカップなどが散乱していました。
なぜか浴槽に散乱していた書類は、手やハサミで引きちぎられていました。
この浴槽の中のものは、犯人にとって不必要なものを棄てたか、浴室の中で仕分けをしていたということが考えられます。
空き巣特有の手口のようですが、犯人も被害者宅を物色する際、戸棚や机などの引き出しは下から順番に開けていた形跡があったようです。
世田谷一家殺人事件の犯人とは② 犯人が残した遺留品
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世田谷一家殺人事件では、犯人の遺留品が数多く残っていたため、当初警察も世間も事件解決に時間はそうかからないだろうと思われていました。
しかし、遺留品の多くが大量生産品で、量販店やスーパーなどで購入することができるものばかりだったため、捜査が難航したようです。
トレーナー(ラグランシャツ)
大量の返り血がついていたのにもかかわらず、2階の居間から畳まれている状態で発見されました。
胴の部分がグレーで両腕・丸首の部分が紫色のデザインで、サイズはLでしたので犯人の身長は175~185cmだと思われます。
犯人が着ていたものは、何度も洗濯したのか、色がクリーム色になっていたそうです。
ダウンジャケット
袖口に犯人の血と同じA型の汗が検出されたこのダウンジャケットは、事件直前に販売され、すぐに完売になったユニクロ製の「エアテックジャンパー」です。
販売数は8万2000着で、このうち都内では1万194着売れたそうです。
色は黒で、こちらのサイズもLサイズでした。
ポケットの中からは、神奈川県横須賀市にある三浦半島の海岸の砂やケヤキヤナギの枯葉・ケヤキの花粉・スズメより小さい鳥の糞などが検出されました。
スニーカー(テニスシューズ)
現場に足跡が残されており、その足跡から「Slazenger(スラセンジャー)」という英国のブランドのものだということが判明しています。
1998年10月~2000年11月にかけて、韓国のメーカーが4530足を製造・販売をしていました。
犯人の靴のサイズは、残されていた足跡から韓国サイズで28cm、日本サイズで27.5vmです。
マフラー
緑色地で赤と橙色で濃い緑の格子模様が入った、小さめのタイプのマフラーも現場に残されていました。長さは約130cm、縦30cmです。
毛玉やほつれががあり、長い期間に渡って犯人が使用していた可能性があるようです。
柳刃包丁
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福井県のメーカーの柳刃包丁で、刃渡り21cm、全長約34cmの一般的な刺身包丁です。
凶器として犯行に使用した際、刃が欠けたようです。
ヒップバッグ
深緑色で、ベルトの長さは83cmに調節されていました。
バッグの内側と外側には、刃物による20数か所の傷がありました。
バッグの中からは砂や石英が入っており、この砂はカリフォルニア州のものの可能性が高いようです。
また、犯人とDNA型が一致している毛髪も発見されています。
この他にも、たくさんの遺留品が発見されています。
世田谷一家殺人事件の犯人とは③ 判明している特徴
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犯人の特徴については、現場に残されたもの等からいくつか判明していることもあります。
前述の通り、犯人は犯行時に負傷したようで、現場に犯人の血液が残っていました。
そのため、血液型がA型であることが判明しており、犯人の性別は男性だということです。
さらに、向精神薬・風邪薬・覚せい剤などの薬物の反応も血液から出てきておらず、たばこも吸わない人物のようです。
ちなみに、被害者の4人の中に血液型がA型はいなかったようで、明らかに犯人のもののようです。
また、被害者の傷跡などから犯人は右利きの可能性が高く、身長は170cm前後のやせ型と推定されています。
犯人の指紋は被害者の家から複数見つかっており、その指紋から親指は渦状紋であり中心に豚の鼻のような2本の線があります。
さらに、警視庁の2,000を超える犯罪者指紋データでは犯人が特定できていないことから、犯人には犯罪歴がない可能性があります。
警視庁は事件当時、15歳~20代の細身の男性、と犯人像を絞りました。
この年齢は、2階の浴室の窓から侵入したことを想定し、公園のフェンスから2階の窓から上ることができる身体的能力が理由だそうです。
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現場には犯人と思われる血液が残されていました。その血液をDNA鑑定したところ、犯人の父親系がアジア系民族、母親系には欧州系民族のルーツが含まれていることが判明しています。
2006年のDNA鑑定では、母親系はミトコンドリアDNAのハプログループはアドリア海や地中海の南欧系民族に見られ、アジア民族には見られない「アンダーソンH15型」。
父親系を示すY染色体では、日本人以外のアジア系民族に多い「ハプログループ02a2b1」であることが判明しています。
この02a2b1の分布頻度は、日本人 (東京) の約33人に1人、中国人の約10人に1人、韓国人の約5人に1人だそうです。
この結果を受け、特別捜査本部では「アジア系を含む日本国外の人」「混血の日本人」の可能性もあるとし、国際警察機構(ICPO)を通じ日本国外の捜査機関に捜査の協力を求めています。
しかし、ずっとさかのぼった祖先が混血という可能性もあるため、純粋な日本人である可能性もあることから、国内でも幅広く捜査する方針を出しています。
世田谷一家殺人事件の真相① 韓国人「李仁恩」犯人説
指紋検証
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フリージャーナリストである一橋文拓さんは、旧知の警察関係者などのツテを頼って、2003年にこっそり李仁恩の指紋を採取し、遺留指紋を照合しました。
その結果、不鮮明な指紋ではありましたが、ほぼ指紋が一致するという結果を得たそうです。
さらに、指紋以外にも犯人が来ていたジャンパーのポケットから出てきた砂が、李仁恩の出身地である韓国の京畿道水原市周辺のものと一致しました。
そしてその他にも、共通点を確認したそうです。
で働いて「李仁恩」とはどのような人物なのか?など下記でご紹介したいと思います。
李仁恩とはどんな人物?
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「李仁恩」と言う名前は仮名ですが、韓国の殺し屋で元韓国軍人だと一橋文拓さんは言っています。
李仁恩は発達障害を持っていたそうで、そのことで所属していた軍隊の上官にいじめを受けていたそうです。そのことが原因で残忍な性格になった、と李仁恩を知る知人は語ったそうです。
李仁恩の性格はプライドが高いようですが、臆病者でもあったようです。
李仁恩の学生時代の残忍なエピソードとして、ある犬の目が嫌だと言い、その犬の目を突き刺し、悲鳴が怖いと言って喉を切って殺した、と高校時代の友人が語っていたそうです。
世田谷一家殺人事件の真相② 黒幕は「金田秀道」説
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一橋文拓さんによると実行犯は李仁恩だが、黒幕は都内に住む元宗教団体幹部の金田秀道だと明かしています。
この金田も日本人ではなく、在日韓国人の可能性があり、通名は「金(キム)」だそうです。
金田は精神的に弱った若者に付け入り、自分の私兵として教育していたようで、アメリカのネバダにある訓練施設で、戦い方などの軍事訓練をしていたそうです。
李仁恩も軍隊でいじめを受け弱っていたところ、金田に救われて食事や住む家を与えてもらい、李仁恩にとっては恩人だったのでしょう。
そして、李仁恩もアメリカの施設で戦い方や射撃訓練を受けたそうです。
金田秀道の目的とは?
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金田秀道は事業失敗し、多額の資金を必要としていたようです。
そこで、被害者宅に隣接する都立祖師谷公園の拡張に伴う移転補償金などの1億数千万円を狙い、被害者の土地を手に入れるため、李仁恩に犯行を指示したとされています。
被害者が住んでいた世田谷区は、不動産ブローカーや暴力団によって住民が脅迫されるなど、横暴な地上げが多発していました。
そして、しぶしぶ立ち退いた住民の土地を、相場より高く転売するといった行為があったようです。
被害者の土地も目をつけられ脅迫を受けていたようです。しかし、立ち退きを拒否した被害者は嫌がらせを受けることになりました。
「知り合いの不動産ブローカーを通じてX氏から『宮澤さん(被害者)の土地の取引の話をまとめることができたら、もうけたカネの15%を成功報酬として支払う』と持ち掛けられその話に飛びついた。けれど宮澤さんが拒否したため『脅しをかけろ」とX氏に指示され、李仁恩に協力してもらった」
と金田は証言しているようです。
世田谷一家殺人事件の現在① 捜査特別報奨金制度対象事件に指定
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世田谷一家殺人事件の犯人は未だ逮捕されておらず、2019年12月現在も未解決事件になっています。この事件は、捜査特別報奨金制度対象に指定されています。
捜査特別報奨金制度対象事件とは、2007年4月1日に警察庁が設けた懸賞広告制度のことです。
都道府県警察が捜査中の事件で、容疑者の確保に直結する有力な情報を提供した者に懸賞金が支払われます。情報提供者が複数いる場合は、均分されます。
懸賞金は100万~300万(最高1000万)で、応募期間は原則1年間です。しかし、必要と認められた事件には延長されるようです。
また、支給されないケースもあるようで、それは以下の場合が該当します。
・犯人や共犯者
・匿名、偽名を名乗っており、個人情報を特定できない者・警察職員
・情報の提供に、強盗・脅迫・窃盗などの法令に抵触する手段やその他公序良俗に反する手段があった場合
世田谷一家殺人事件の懸賞金は最大300万円支払われるとされましたが、2010年12月16日以降は、「事件の捜査に協力する会」によって私的懸賞金として最大700万円も用意されました。
そのため、懸賞金の合計額は最大の1000万円になりましたが、2014年12月にはさらに私的懸賞金が1000万円増額されています。
このため、犯人逮捕につながる情報を提供した人物には、合計最大2000万円が支払われることになっています。
上記にも記載しましたが、期限が1年ということもあり、2008年12月以降、毎年延長されているようです。
世田谷一家殺人事件の現在② 遺族会の結成
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2009年2月28日、殺人事件被害者遺族の会、通称「宙の会(そらのかい)」が結成されました。
これは、世田谷一家殺人事件の遺族と、別の事件の遺族が連携し、殺人事件に関する公訴時効の停止と廃止を目標にしたものです。
2010年4月27日、殺人罪・強盗殺人罪などの法廷上限が死刑にあたる罪の公訴時効廃止などが盛り込まれた「改正刑事訴訟法」が成立し施行されました。
世田谷一家殺人事件はもちろん、施行時に公訴時効が完成していない過去の事件にも適用されます。
また、DNA鑑定技術によって個人を100%に近い精度で特定可能になったことから、犯人のDNAが特定されている事件に対して、DNAに人格を与え起訴できるように刑事訴訟法などの制度改正も訴えています。
また、世田谷一家殺人事件がきっかけで、世田谷区成城署は防犯カメラや警察に通報できるスーパー防犯灯の設置を促進し、さらに各家庭の防犯意識も高めました。
防犯カメラを設置したことで、窃盗事件が減るといった効果や、他の事件の解決にも結び付いたようです。
世田谷一家殺人事件の現在③ 訂正された情報
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事件当時の情報から、訂正や新たに分かったこともあるようです。
犯人が被害者宅に潜んでいた時間は、パソコンの通信記録から10時間以上あると報道されてきましたが、1度目の午前1時18分頃のネット接続後に逃走した可能性もあるようです。
さらに、当時は2000年分の年賀状が現場からなくなっており、犯人が持ち去ったと報じられましたが、捜査のため捜査員が持ち出していたようで、返却していなかっただけのようです。
世田谷一家殺人事件の現在④ 李仁恩と金田秀道のその後
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犯行後、羽田空港から台湾へ逃亡した李仁恩は2002年に台湾で目撃されています。
世田谷一家殺人事件を犯す際、「教団のため」と金田秀道から命令され、忠誠心から李仁恩は仕事をしましたが、実は金田がお金に困っていたことから企んだことに気づいたといいます。
騙されたと分かった李仁恩は、投資顧問会社元代表X氏を暗殺するため来日します。その際に、金田に会い、問い詰めたといいます。
金田は、下手な言い訳をすると殺されると戦慄していましたが、自分の仲間に李仁恩を囲ませていたこともあり、「Xに命令されてやった」と答え、その場をしのいだそうです。
また、日本で世田谷一家殺人事件が大きく報じられていたので、「今はまだ動くな」と李仁恩は金田に殺しは止められていたんだとか。
李仁恩は金田に止められたことに不満が溜まっていったようで、その不満を金田も感じとり、そして、次に李仁恩に会ったら殺されると感じた金田は、李仁恩を遠ざけていたそうです。
ですが、李仁恩は自分を遠ざけている金田にさらに不信感を抱きました。
その後、暗殺しようとしていたX氏は病死したため、李仁恩は金田から離れることを決め、国外逃亡し、アメリカの犯罪組織やフィリピンの武道集団に身を置き、戦闘技術などを磨きました。
李仁恩は、闇社会要人を年間10人は殺害するということで、有名な存在のようです。
一方で金田は、いつ李仁恩が自分の目の前に現れて殺されるかもしれないという恐怖に怯えているようで、その姿は老人のようだそうです。
世田谷一家殺人事件の現在⑤ 被害者遺族のその後
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事件のあった世田谷区の家の隣には、被害者の1人である宮澤泰子さんの姉・入江杏さんが住んでしました。
その、入江さんは「ミシュカの森」を毎年12月に開き、グリーフケアにういて考えています。
グリーフケアというのは、犯罪被害者や病気・震災・事故など死別に苦しむ人たちのケアだそうです。
そこで入江さんは、第1発見者でもある母親について話しています。
入江さんの母は事件後、自宅に引きこもるようになり、被害者の遺族だと知られないようにしていたそうです。
その理由について、「事件との関わりを世間に知られてると、住む場所を追われ夫の仕事がなくなる。息子が学校でいじめられ就職や結婚の道が閉ざされる。」と懸念していたからだそう。
そのため、入江さんも沈黙せざるをえなかったそうです。
しかし、苦しんでいる母親をみて、その苦しみが何かを模索し出したそうです。
そして、入江さんは自分の体験を外に向かって語ることを始め、人と人とのつながりを「グリーフケア」を通して広げる活動をされています。
2019年も世田谷一家殺人事件を追悼する集会「ミシュカの森2019 グリーフケアという希望」が上智大学中央図書館で開催され、会場は満席だったそうです。
その冒頭で、事件現場となった家の取り壊しを警察から打診されていることを明かし、苦しい胸の内を語りました。
「妹夫婦・姪・甥と私たちはひとつの家族のようにずっと過ごしてきました。あの家は心に刺さったトゲのようになってしまったんです。警察から老朽化のため取り壊したいと打診され、大変迷っています。目にするのが本当につらかった現場がなくなるという安堵の一方で、事件は解決していないのに取り壊していいのかと」
さらに、5年前に現場に入った時のことも語り、
「子どもたちの色鮮やかなかわいい洋服や、お皿に入ったお菓子もそのままになっており、生活の息吹と4人の気配があるように感じ、時間が止まっているかのようでした。家に入るのはとてもつらかったですが、やはり現場があるからこそ肌で感じられるものがありました」
と振り返るとともに、現場を保全してくれている警察への感謝と事件解決の願いなどを語っています。
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警察からに建物の取り壊しの話を聞いた時は、虚脱感を感じたそうです。
老朽化という事情は理解しつつも、4人がどうして亡くならなければいけなかったのかまだ未解決の状態で、見逃している部分もあるかもしれず、取り壊しを悩んでいるようです。
しかし、
「犯人を何としても捕まえて4人が一生懸命に暮らしてきた場所を見せ、なぜひどい事件を起こし、子供までも殺害したのかを聞きたい。そのためにも4人の思い出がつまった現場をとどめておかなければならない。近隣住民の方からご迷惑がかかるといわれると申し訳なく思います。しかし、事件解決のためもう少しお力添えをお願いしたい。
4人は声を発することも、涙を流すこともできないので、あの現場を少しでもとどめておくことが大切だと思っています。」
と語っています。
まとめ
世田谷一家殺人事件の経緯や犯人像、そして犯人の可能性が高いと言われている「李仁恩」、、さらに、世田谷一家殺人事件の現在をまとめてみましたが、いかがでしたか?
・遺留品が多く、犯人の血液・指紋なども残されていた。
・犯行後、犯人はすぐに逃走せずアイスなど食べたりと異常な行動をとっていた。
・DNA鑑定の結果、犯人が日本人ではない可能性もある。
・黒幕ではと言われている男は、今度は自分が殺されると怯えている。
・被害者遺族は警察から、老朽化を理由に事件現場である家の取り壊しを打診されている。
未だ犯人逮捕どころか特定もされていない事件ですので、遺族の方の苦しみは想像を絶します。
そんな絶望の中でも、遺族たちは現在でも事件解決に向けて取り組んでいらっしゃいます。
そして、取り壊しを打診されている現場は見るのも本当は辛いでしょうが、犯人逮捕につながる重要な証拠として現在のままとどめておきたいという気持ちが強いようです。
亡くなった4人は二度と戻ってきません。せめて犯人は必ず逮捕され、罪を償ってほしいと思います。
最後に、被害者ご家族のご冥福をお祈り申し上げます。