1980年代から映画やドラマで活躍している俳優・宍戸開ですが、韓国ハーフ説や実家の家族との仲も話題です。
今回は宍戸開の韓国ハーフ説と韓国との関係、生い立ち、若い頃や昔の経歴、実家と家族(父親・母親・兄弟)をまとめました。
宍戸開のプロフィール
出典:https://acali.co.jp/
名前:宍戸 開(ししど かい)
生年月日:1966年9月4日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:180cm
宍戸開は株式会社acali所属の俳優で、1988年にNHK大河ドラマ「武田信玄」で俳優デビューしました。
1989年に出演した映画「マイフェニックス」で銀幕デビューを果たし、日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞して話題に。
映画やテレビドラマのみならず、CMタレントやレポーターとしても活躍するなどマルチに活動してきました。
「ファイト!一発!」のキャッチフレーズが有名な大正製薬の「リポビタンD」のCMや、フジテレビのバラエティ番組「くいしん坊!万才」への出演でも知られています。
俳優業のかたわら、「五影開(いつかげ かい)」の名義で写真家としても活動しており、現在もマルチな活躍をしている宍戸開。
そんな宍戸開ですが、韓国ハーフ説も浮上しており、韓国との関係が話題になっています。
宍戸開は韓国ハーフ?噂のきっかけと真相
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宍戸開と言えば、彫りの深い濃いめの顔立ちでハーフのような雰囲気があり、日本人離れしたルックスが特徴です。
宍戸開の父親で俳優の宍戸錠は大阪出身で、生粋の日本人です。
一方、母親は旧満州大連、現在の中華人民共和国・大連市の生まれであることが判明しています。
母親がどういった経緯で日本に来たのか、国籍がどこなのかはわかりませんが、宍戸開のハーフ説は母親が旧満州大連生まれであることがきっかけで浮上したようです。
宍戸開は韓国ハーフではない
前述した通り、宍戸開は韓国ハーフではなく、日本人の父親と旧満州大連生まれの母親のもとに生まれました。
韓国ハーフと噂されることがあるようですが、韓国との関わりはありません。
ただ時折。ツイッターなどのSNSで韓国のニュースについて言及しているため、韓国への関心はあるようです。
宍戸開が映画「パラサイト 半地下の家族」を観た際には、自身のインスタグラムで「ほんと良く丁寧に創ってますニダ!」と発言していました。
「社会的格差貧困をテーマにした一大エンターテインメント」と褒めてはいましたが、この「ますニダ!」という言い回しは、韓国にルーツがある人間であればしない使い方でしょう。
これらのことから、宍戸開と韓国に特別な関連性はなさそうでした。
宍戸開の生い立ち
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ここからは宍戸開の生い立ち、昔の活躍と若い頃の画像を紹介します。
宍戸開は東京都出身で、桐朋中学校・高等学校卒業後、玉川大学文学部芸術学科に進学して演劇を専攻しましたが、途中で大学を中退。
その後、22歳だった1988年にNHK大河ドラマ「武田信玄」で俳優デビューを果たしました。
宍戸開の昔の活躍と若い頃の画像
宍戸開の昔の活躍とともに若い頃の画像も見ていきましょう。
こちらは1989年の映画「マイフェニックス」に出演した時の画像です。
この作品で映画初出演にして日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞しました。
出典:http://cinema-g.shop-pro.jp/
こちらは大正製薬の「リポビタンD」のCMに出演していた頃の画像です。
「ファイト!一発!」の掛け声が似合う、若々しいパッションがありますね。
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こちらは1998年から1999年にかけて、フジテレビの料理番組「くいしん坊!万才」に出演していた頃の画像です。
出典:https://middle-edge.jp/
昔はドラマや映画のみならずCMやバラエティでも活躍し、若い頃からマルチな活動をしてきました。
宍戸開の実家と家族(父親・母親・兄弟)エピソード
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宍戸開の実家、家族(父親・母親・兄弟)の詳細を見ていきましょう。
実家は、宍戸開が生まれた1966年に父親が東京都世田谷区に建てた豪邸でしたが、2013年2月4日に火事で全焼しています。
幸い、家族は外出中で実家には誰もおらず、怪我人は出ていません。
消防署の調べでは、古い電熱器のコードが出火の原因だったと言われています。
火事で全焼した頃には宍戸開はすでに実家を出ていましたが、生まれ育った実家や思い出の品々を火事ですべて失うこととなりました。
宍戸開の家族構成
宍戸開の家族構成は、父親・母親・姉・本人・弟の5人家族で、3人兄弟の真ん中として育ちました。
父親は俳優の宍戸錠、母親は元女優で作家の宍戸游子、姉はエッセイストの紫しえ、さらに叔父が俳優の郷鍈治、その妻で叔母が歌手のちあきなおみという芸能・文化人の一家です。
宍戸開の家族:父親
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名前:宍戸 錠(ししど じょう)
生年月日:1933年12月6日
没年月日:2020年1月18日(86歳没)
出身地:大阪府大阪市北区
血液型:B型
身長:174cm
宍戸開の父親・宍戸錠は、個人事務所を設立して俳優やタレントとして活動していました。
1954年に日活ニューフェイス第1期生として入社し、1955年に映画「警察日記」で俳優デビューしています。
「エースのジョー」という愛称で親しまれ、主役を食ってしまうほどの存在感のある俳優として日活黄金期を支えました。
宍戸開と父親は、フジテレビ系番組「くいしん坊!万才」のレポーターを務めるなど親子共演をしています。
しかし、2人の親子関係は良くなかったようです。
幼少期に父親が家庭を顧みずに破天荒な生活を送る中、母親が子育て全てを担って子供達を育てました。
浮気や夜遊びだけでなく、暴力を振るうこともあったようで、母親が2010年に他界してからは親子の関係は途切れていたといいます。
また、宍戸開は2010年に子持ちの一般女性と結婚していますが、父親に結婚報告をしていなかったことから関係が更に悪化。
事実上の勘当状態で、2013年に実家が全焼した際も報道陣の質問に「僕には関係ないことですから」と答えました。
父親の宍戸錠は、2020年1月18日に虚血性心疾患のため86歳で死去しています。
宍戸開の家族:母親
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名前:宍戸 游子(ししど ゆうこ)
生年:1933年
出身地:旧満州大連(中華人民共和国 大連市)
宍戸開の母親は、1933年に旧満州大連、現在の中国大連市に生まれました。
日本の学習院女子教養学園を卒業し、日活に入社して女優として活躍。そして、同じ日活のスターだった宍戸錠と1962年に結婚しました。
結婚後は女優業を引退し、主婦業に専念、3人の子供を育ててきました。
その後、40歳になった頃から執筆業を開始し、雑誌「クロワッサン」や「婦人公論」などに寄稿してエッセイスト・作家として活動しました。
「主婦だってルネサンス」「新しい朝、みつけた」「終わりよければすべてよし」「なんとおっしゃるうさぎさん」「がんだってルネッサンス」などの著書があります。
自身の人生を綴った書籍も多数出版されているので、気になった方はぜひチェックしてみてください。
晩年はがんを患い、2010年4月16日に死去しました。77歳でした。
母親の最期は長男の宍戸開と次男が看取り、夫の宍戸錠は仕事で死に目には会えなかったそうです。
宍戸開の家族:兄弟
出典:https://petomorrow.jp/
宍戸開には姉と弟がおり、3人兄弟の真ん中として育ちました。
姉はエッセイストの紫しえで、本名は宍戸史絵です。
父親の個人事務所である宍戸錠事務所に所属しています。
幼少期からクラッシックバレエを習い、1983年にベルギー・ブリュッセルの20世紀バレエ団附属芸術学校ムードラで特別研究生としてモダンバレエを学びました。
帰国後は、パフォーマンスアーティストや女優としても活動しました。
その後、父親である宍戸錠のマネージャーを経て、子宮頸がんを患った経験をもとにエッセイや講演会で活動しています。
弟の宍戸表(ひょう)は、かつては宍戸開のマネージャーを務めていたという情報がありますが、他の家族と違い一般人であるため、詳細な情報はありませんでした。
なお、「表」という名前は、父親の「錠」と長男の「開」を繋げて「錠を開いて表へ出る」という意味になるそうです。
現在、宍戸錠と弟の関係は不明ですが、宍戸錠と姉の兄弟関係は悪化していると言われてます。
宍戸開が父親と縁を切り、父親の面倒を姉1人で見てきたことが不仲の理由で、父親の遺産相続問題も起きていると噂されています。
まとめ
宍戸開の韓国ハーフ説と生い立ち、昔の活躍と若い頃の画像、父親・母親・兄弟など家族の情報をお届けしました。
現在も俳優として活動する宍戸開の新たな活躍にも期待です。
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