拉致被害者

北朝鮮拉致被害者のリスト一覧と現在~日本政府認定17人の詳細まとめ

1970年~1980年代にかけて北朝鮮に拉致された人は、疑いのある人を含めてリストには883人いると言われています。

 

この記事では、日本政府が拉致被害者として認定している17名について現在の状況を詳しくまとめました。

この記事の目次

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人① 久米裕さん(石川県) 

 

1977年9月19日 宇出津(うしつ)事件

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

東京都三鷹市で当時警備員をしていた久米裕さん(当時52歳)は、休暇中だった1977年9月に上司に電話で「宇奈月温泉にいますので休み明けに出勤します。」と伝えたのを最後に失踪しました。

久米裕さんを拉致したのは在日朝鮮人の李秋吉で、本国から「45~50歳くらいの日本人男性を拉致しろ」という命令を受けた土台人であり、知り合いだった久米裕さんをターゲットにして海に連れ出し、密航で来ていた工作船で北朝鮮工作員に引き渡しました。

北朝鮮側は久米裕さんについて「入国していない」としらを切っており、現在までに安否が確認できていません。

 

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人② 松本京子さん(鳥取県) 

 

1977年10月21日 女性拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

松本京子さん(当時29歳)は1977年10月21日の午後8時頃に編み物教室のために自宅を出ましたが、自宅付近で工作員の男2人に声をかけられました。

その様子を近所の人が目撃しており声をかけましたが男2人に殴られ、松本京子さんは男2人に強引に海岸に連れていかれ工作員の密航船に乗せられました。

北朝鮮側は2004年11月に開かれた実務者協議で、松本京子さんについて「入国はしていない」とシラを切りましたが、日本政府は2006年に拉致被害者として断定しました。 

松本京子さんの安否は現在までに分かっていません。

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人③ 横田めぐみさん(新潟県) 

 

1977年11月15日 少女拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

当時13歳だった女子中学生の横田めぐみさんは、新潟市立寄居中学校からの下校途中に自宅付近(現中央区西大畑町・新潟大学付属新潟小学校前)で失踪しました。

北朝鮮側は横田めぐみさんについて、1986年に結婚して翌年に第一子を出産しましたが、1994年4月に入院先の病院で自殺し、1997年に火葬したと伝えました。

しかし、2004年11月に開かれた実務者協議において、北朝鮮側は横田めぐみさんの遺骨として提供しましたが、DNA鑑定の結果別人であることが分かりました。

横田めぐみさんの両親である横田滋さんと横田早紀江さん夫妻は怒りに震え、「予想通りの証言。こういうことを平気で言わせる国にはらわたが煮えくり返るばかりだ」とコメントしました。

なお、横田めぐみさんは大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫の同僚である金淑姫(キム・スクヒ)に日本人の立ち居振る舞いを教えていたとされており、金正恩の母親である高容姫(コ・ヨンヒ)が早くに亡くなったため、代理母として育てたとも言われています。

横田めぐみさんの安否は現在までに分かっていません。

 

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人④ 田中実さん(兵庫県) 

 

1978年6月頃 元飲食店店員拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

田中実さん(当時28歳)は当時ラーメン店の店員でしたが、同店の店主は北朝鮮から拉致の命令を受けていた土台人で、1978年6月に騙されて連れ出され成田空港から一緒に出国し、ヨーロッパ経由で北朝鮮に送り込まれました。

1994年6月に在日朝鮮人の男性が平壌を訪れた際に田中と名乗る拉致被害者と会ったことを兵庫県警に証言して拉致被害が確定しました。

また、田中実さんは北朝鮮で妻子をもうけており、2019年2月には平壌で生活していることが北朝鮮側の伝達により明らかとなりました。

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑤ 田口八重子さん(石川県) 

 

1978年6月頃 李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

当時22歳の東京にある飲食店店員だった田口八重子さんは、1978年6月頃に失踪しましたがしばらくは北朝鮮拉致事件に巻き込まれたとはわかりませんでした。

その後大韓航空機爆破事件で有罪判決を受けた北朝鮮工作員の金賢姫(キム・ヒョンヒ)が李恩恵(リ・ウネ)という人物から日本人の所作を学んでいたという情報を得たことから、1991年に日本から警察2人がソウルで金賢姫と面会し、10枚の似顔絵を見せたところ田口八重子さんが李恩恵であることを突き止めたことで拉致被害が明らかとなりました。

帰国した拉致被害者の証言によれば、田口八重子さんは1984年頃に平壌郊外にある日本人居住区で横田めぐみさんと北朝鮮工作員の女一人と同居をしていたことが分かりました。

また、北朝鮮側の説明によれば、田口八重子さんは拉致被害者の原敕晁さんと結婚しましたが1986年に原敕晁さんが病没し、同年7月には田口八重子さんも自動車事故で亡くなったとし、遺体は洪水に流されてわからないとシラを切りました。

全く信ぴょう性の無い説明であり、現在までに田口八重子さんの安否は分かっていません。

 

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑥ 地村保志さん(福井県) 

 

1978年7月7日 アベック拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

福井県小浜市で大工見習いをしていた地村保志さん(当時23歳)は、交際していたブティック店員の濱本富貴惠さん(当時23歳)と一緒に北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)に拉致されました。

地村保志さんと濱本富貴惠さんは拉致された北朝鮮の地で1979年に結婚し、平壌郊外にある日本人居住区で1984~1986年まで過ごしたあとに平壌市内に転居しました。

2002年10月に北朝鮮側が”一時帰国”と念を押して日本に帰国させましたが、日本政府は地村保志さんと濱本富貴惠さんが日本に留まりたいという意思を確認した上で北朝鮮には返しませんでした。

その後、2004円5月22日には息子2人と娘1人も帰国しました。

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑦ 濱本富貴惠さん(福井県) 

 

1978年7月7日 アベック拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

 地村保志さんの内容と同じ。

 

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑧ 蓮池薫さん(新潟県) 

 

拉致被害者

出典:https://www.sankei.com/

1978年7月31日 アベック拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

中央大学法学部生だった蓮池薫さんは(当時20歳)、化粧品会社社員だった奥土祐木子さん(当時22歳)と交際中でしたが、蓮池薫さんが「ちょっと出かける。すぐに帰る」と言って家を出て以降消息不明となり、北朝鮮工作員・チェ・スンチョルに拉致されました。

蓮池薫さんと奥土祐木子さんは拉致後、北朝鮮の地で1980年5月に結婚し、平壌郊外にある日本人居住区で暮らした後に平壌市内に転居しています。

2002年10月に他の拉致被害者数人と帰国を果たし、2004年5月にも平壌に残された息子と娘も日本に帰国を果たしました。

 

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑨ 奥土祐木子さん(新潟県) 

 

1978年7月31日 アベック拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

蓮池薫さんの内容と同じ。

 

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑩ 市川修一(鹿児島県) 

 

1978年8月12日 アベック拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

当時電電公社職員だった市川修一さん(当時23歳)は、鹿児島市内で事務員をしていた増元るみ子さん(当時24歳)と交際中で、鹿児島県日置郡にある吹上浜キャンプ場で拉致されました。

北朝鮮側によれば、市川修一さんと増元るみ子さんは1979年7月に結婚しましたが、市川修一さんは1979年9月に海水浴場で心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんも1981年に心臓麻痺で死亡したと無茶苦茶な説明をしていました。

しかもお決まりの洪水によって遺体が流失したと説明しており、結局二人の安否は現在までに分かっていません。

しかし、北朝鮮元工作員・安明進は1988~1991年にかけて「何回も二人を見た」と証言していました。

 

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑪ 増元るみ子さん(鹿児島県) 

 

1978年8月12日 アベック拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

市川修一さんの内容と同じ。

 

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑫ 曽我ひとみさん(新潟県) 

 

1978年8月12日 母娘拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

当時新潟県真野町(現佐渡市)で准看護師をしていた曽我ひとみさん(当時19歳)は、母親の曽我ミヨシさんと一緒に買い物に出かけたところを拉致されました。

曽我ひとみさんは1978~1980年まで平壌市内で横田めぐみさんと同居した後、1980年8月に元アメリカ兵のチャールズ・ジェンキンスさんと結婚しました。

1983年6月に長女、1985年7月に次女を出産し、2002年10月に曽我ひとみさんだけ日本に帰国を果たしました。

チャールズ・ジェンキンスさんと子供2人は北朝鮮政府が脅すような情報を与えたことから帰国を拒否しましたが、2004年5月の日朝首脳会談により同年7月9日にインドネシア・ジャカルタで家族4人は再会を果たし、同月18日に一家で日本に帰国を果たしました。

 

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑬ 曽我ミヨシさん(新潟県) 

 

1978年8月12日 母娘拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

当時准看護師をしていた曽我ミヨシさん(当時46歳)は、前述のとおり娘の曽我ひとみさんと一緒に拉致されました。

北朝鮮側の説明では拉致工作員が受け取ったのは曽我ひとみさんだけで、曽我ミヨシさんについては入国していないとしたため、現在までに安否が分かっていません。

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑭ 石岡亨さん(欧州) 

 

1980年5月頃 欧州における日本人男性拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

当時日本大学学生だった石岡亨さん(当時22歳)は、1980年5月頃に北朝鮮行きを勧められて6月頃にスペインにて拉致されました。

1980年4月にスペインの動物園でよど号ハイジャック事件のメンバーの妻だった森順子さん、若林佐喜子さんと一緒に石岡亨さんが写っている写真があり、石岡亨さんのパスポートは盗まれて北朝鮮工作員が使う偽造パスポートの原本にされました。

北朝鮮側の説明によれば、石岡亨さんは同じ拉致被害者の有本恵子さんと結婚し、1986年に長女が誕生しましたが、1988年11月4日に一家全員ガス中毒で亡くなったとし、他の拉致被害者と同じように洪水により遺体が流失したとしました。

そのため、石岡亨さんの安否は現在までに分かっていません。
 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑮ 松木薫さん(欧州) 

 

1980年5月頃 欧州における日本人男性拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

当時京都外国語大学大学院生だった松木薫さん(当時26歳)は、石岡亨さん同様に1980年6月頃にスペインにて拉致されました。

北朝鮮側の説明では、松木薫さんは1996年8月23日に自動車事故で死亡したとし、2002年9月には遺骨を日本政府に引き渡しましたがDNA鑑定により別人のものだと判明しました。

そのため、松木薫さんの安否は現在までに分かっていません。

 

 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑯ 原敕晁さん(宮崎県) 

 

1980年6月中旬 辛光洙(シン・グァンス)事件

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

当時大阪府鶴橋中華料理店「宝海楼」に勤務する調理師だった原敕晁さん(当時43歳)は、同店に勤務していた辛光洙により1980年6月17日に宮崎市青島海岸で拉致されました。

北朝鮮側の説明によれば、原敕晁さんは同じ拉致被害者の田口八重子さんと1984年に結婚しましたが、1986年に肝硬変で死亡したとし、洪水により遺体が流出したとしました。

そのため、原敕晁さんの安否は現在までにわかっていません。

なお、原敕晁さんには地元長崎市に兄がいて被害者の会にも出席していましたが、悲劇ドラマのようでテレビに出演することを拒んだためメディア等には姿を見せていません。
 
 

北朝鮮拉致被害者リストで確定している人⑰ 有本恵子さん(欧州) 

 

1983年7月頃 欧州における日本人女性拉致容疑事案

 

【拉致事件発生時から現在までの状況】

当時神戸市外国語大学学生だった有本恵子さん(当時23歳)は、欧州にて拉致されました。

よど号ハイジャック事件の実行犯だった柴田泰弘の妻・八尾恵が2002年3月12日に東京地裁での裁判で拉致を認める供述をしており、警視庁は同じ実行犯の魚本公博を国際手配して、北朝鮮側に身柄の引き渡しを求めてきました。

北朝鮮側の説明によれば、有本恵子さんは1985年に石岡亨さんと結婚し、1児を出産直後にガス中毒で家族全員死亡したとし、洪水により流されたため遺体は無いとしました。

北朝鮮では頻繁に洪水が起こっているようでまさにこの世の地獄としか言えませんが、所在をはぐらかし続けられた有本恵子さんの安否も現在までに分かっていません。

 

 

 

 

 

 

北朝鮮拉致被害者リストの確定している17名について総まとめすると

現在までに平行線を辿って解決を見ない、北朝鮮拉致被害者問題の17名の現在の安否について総まとめしてきました。

・北朝鮮拉致被害者で断定されている17名は氷山の一角で実際には1000人以上いる可能性がある

・北朝鮮は現在までに拉致問題の解決を図ろうという姿勢は見せていない

 

米トランプ大統領が北朝鮮拉致問題に目を向けたことで進展が期待されましたが、現在までに米朝首脳会談は空振りに終わっているため暗礁に乗り上げているようです。

 

とはいえ、アメリカに頼らずに安倍政権が掲げたマニフェストの通り、日本政府が主導で拉致問題解決に向けて全力を挙げるべきですが、現在までに目立った動きは無いようです。

 

 

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