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北朝鮮と韓国は同じ朝鮮民族でありながら分断状態が続いており、統一が望まれつつ現在の関係が注目を集めています。
今回は北朝鮮と韓国の分裂前の歴史、38度線を国境に分断した理由、統一を目指す現在の関係をまとめました。
北朝鮮と韓国の分裂前の歴史① 三国時代~18世紀
出典:”https://pixabay.com
中世時代の朝鮮半島は、百済、新羅、高句麗の3国で覇権を争った”三国時代”であり、その後に台頭した高麗が朝鮮半島統一を果たしました。
13世紀にはモンゴル帝国(元)に支配されるも、元の衰退により主権を回復し、14世紀には「李氏朝鮮」の朝鮮王朝が誕生します。
15世紀に朝鮮王朝は国の基礎を固める発展を遂げることになります。
朝鮮は15世紀4代国王、世宗の時、黄金期を迎える。世宗は訓民正音(ハングル:朝鮮語の文字)の制定、史書の編纂、儒学の振興などのほか、農業の奨励、対外的には倭館の設置、女真との戦争などで領土を拡張した。科学の振興も図られた。蒋英実などを重用し、天文観測機構の設置や、機器(渾天儀、簡儀)の製作、時間を表す仰釜日晷、自撃漏などを製作するなど、画期的な成果を挙げ、朝鮮の基礎を固めた。
引用:Wikipedia – 朝鮮の歴史
そして、16世紀には豊臣秀吉の「朝鮮出兵」により支配されましたが、中国王朝・明の救援と豊臣秀吉の死去により主権を回復しました。
17世紀には、中国王朝・清の侵攻を受けて屈辱的な支配下に置かれますが、22代国王の正祖により、朝鮮王朝は復興を迎えることになります。
1776年に22代国王の正祖が即位する。正祖は即位初期には弱まり続けていた王権を掌握していく。当時の政権は老論という一派が大きな権力を持っていて王権を上回るほどの実勢を握っていた。正祖は王権を強化するため、政治の改革に着手し、蕩平策を標榜する。蕩平策は基本的に政治の人事がどこの政派にも偏らず、能力ある人物を登用することで、その裏には当時与党で、王権よりも強い政権をもっていた老論をけん制する狙いがあった。
引用:Wikipedia – 朝鮮の歴史
このように、朝鮮半島は外敵からの支配の歴史を歩んでいますが、19世紀に入ると今度は欧米列強国が来訪するようになり、開国を要求されるようになりました。
北朝鮮と韓国の分裂前の歴史② 19世紀「大韓帝国」誕生以降
北朝鮮と韓国は”大韓帝国”という一つの国だった
そうした中で日本、ロシア、清が朝鮮半島の覇権を争うようになり、日清戦争が勃発しました。
戦争後に結ばれた下関条約の締結により、朝鮮王朝は主権を回復し、1897年に独立を宣言して「大韓帝国」に国号を変えて独立しました。
しかし、初代内閣総理大臣だった伊藤博文が大韓帝国の独立運動家・安重根に暗殺されたことで、皮肉にも「韓国併合」を早めることになり、1910年にそれは実現しました。
この「韓国併合」により、大韓帝国は大日本帝国の保護国となります。
この日本統治時代に大韓民国は、急速に国力の回復はもちろん、それまで世界最貧国に属していたところから日本の先進国水準にまで引き上げられました。
この当時を生きていた現在の韓国人高齢者はよく「日本統治時代は良かった」と懐古することが多いようで、反日を国体とする現代韓国では批判の的になっています。
北朝鮮と韓国が分裂した理由とは 【38度線を国境として分裂】
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