金正日

金正日の嫁と子供や家系図~息子・金正恩の日本人ハーフ説も総まとめ

はじめに

北朝鮮の前最高指導者である金正日総書記は2011年12月17日に死去しましたが、ネット上では金正日の日本人説が話題です。

 

今回は金正日と妻のプロフィールや家系図、金正日が日本人の子供説や息子の金正恩の日本人とのハーフ説をまとめてみました。

金正日と妻のプロフィール

 

北朝鮮で将軍様として崇められていた前最高指導者・金正日総書記

 

金正日についての詳しいプロフィールはこちら。

 

 

本名: 金正日(キム・ジョンイル)
生年月日: 1941年2月16日
出身地: ソビエト連邦 極東地方(ソ連当局のデータ)、日本統治下朝鮮 咸鏡南道恵山郡 白頭山(北朝鮮の中央人民委員会の公式発表)
死去: 2011年12月17日(70歳没)
死没地: 朝鮮民主主義人民共和国 平壌
政党: Flag of the Workers’ Party of Korea.svg 朝鮮労働党
配偶者: 洪一茜(朝鮮語版)、成蕙琳、金英淑、高英姫、金玉

 

引用:Wikipedia – 金正日

 

1990年代からインターネットが普及したことで、北朝鮮という国の実情や、金正日が非人道的な独裁者であることを認識する人が爆発的に増えました。

 

そのため、指導者が金正恩体制になってからも、北朝鮮に対する感情は今も最悪なままです。

 

しかし、金正日は北朝鮮拉致問題を認め、蓮池透さんら拉致被害者を帰国させたことで、日本政府と国交正常化に向けて努力をする「日朝平壌宣言」を結んでいました。

 

これにより、完全に日本との決別を望んではいない姿勢を見せていました。

 

 

これは、北朝鮮は日本に擦り寄って支援を引き出すことが目的とも言われてきました。

 

一方で、金正日の妻・高英姫が在日朝鮮人で日本に馴染みがあったこと、顔立ちが朝鮮人よりも日本人に似ていることなどから、日本に縁が深いためだという噂も浮上していました。

 

そのため、ネット上では「金正日の日本人説」が浮上し、「拉致被害者の横田めぐみさんが母親」など、信ぴょう性の無い様々な憶測が語られてきました。

 

 

そして、本当に金正日が日本人だった可能性が考えられる、信ぴょう性のある説も登場しています。

 

この「金正日の日本人説」についてまとめましたのでご紹介しましょう。

 

 

 

 

金正日の嫁・子供(息子達)を含む家系図について

 

家系図にはもちろん日本人名は無い

 

金正日の日本人説が囁かれる中で、家系図の中に日本人がいたかどうかを調べるのは自然な流れですが、そんなに簡単には日本人説を肯定するような記載はありませんでした。

 

仮に日本人が含まれていたとしても朝鮮名で書かれてあるはずなので、家系図を見るのは無意味かもしれません。

 

ですが、金正日が日本人だった可能性が高いとされる説が、2009年10月28日に発売された元空自空将の軍事評論家・佐藤守さんの著書「金正日は日本人だった」で綴られていました。

 

 

金正日の日本人説① 「父親がいない」と証言があった

 

金正日は金日成の子供ではなかった?

 

金日成と妻の金正淑(キム・ジョンスク)の間に長男ユーラ(正日)と2歳下の次男シューラがいたのですが、パク氏が目撃したユーラの弟いじめは度を越していたことから、そばにいた金策に兄弟仲の悪さの理由を尋ねると『ユーラは父なし子だから父親の愛がなく、ひねくれた』と暗にその出生の秘密を語ったと言います。

 

引用:まいじつ – 金正日の「出自」を疑うモスクワの証言|金正恩の父・金正日の「日本人説」その1

 

 

金日成は実の子供である弟・修羅(金万一)の方を溺愛していたようで、当時6歳の金正日にとっては邪魔な存在にしか感じず、自宅のプールで溺れさせて弟を殺害したと言われています。

 

この頃から、金正日は独裁者としての才能を開花させていたと言えるのかもしれません。

 

 

 

金正日の日本人説② 日本人・畑中理(はたなか おさむ)の子供説

 

畑中理は金日成の妻となる金正淑との子供を作った

 

佐藤守さんは金正日が金日成の実の子供ではなく、当時の大日本帝国で重責を担う日本人の子供だという情報を掴み、長い取材を行ってきたことを綴っています。

 

そして、金正日の実の父親は金策(キム・チェク)という北朝鮮名を持つ畑中理(はたなか おさむ)という日本人であることを突き止めました。

 

 

実は、《金正日の実父は金策だ》とモスクワ筋から報じられたことがある。
(中略)
本当の父親は『ひねくれた』とパク氏に語った金策なのですが、金日成が正日を養子にした理由については口を閉ざしたということです

 

引用:まいじつ – 金正日の「出自」を疑うモスクワの証言|金正恩の父・金正日の「日本人説」その1

 

金正日の実の父親が金策ということは、1993年発刊のロシア・モスクワの雑誌「ノーバヤ・プレーミア」でも報じられており、金日成はその記事について特に抗議はしなかったようです。

 

 

金策と金正日の父親である金日成の出会いは、同じ満州抗日軍に所属していたことのようです。

 

日本軍に攻められて劣勢となり、逃げるようにソ連極東軍第88特別偵察旅団に編入されました。

 

そして、この旅団には後に金日成の妻となる金正日の実母・金正淑も在籍しており、共に野営をする中で金正日を身ごもりました。

 

 

金策は金日成たちと共に抗日活動を行い、朝鮮共産党系組織に入ったあと、中国共産党に入党して中華人民共和国北満省委員会書記へと出世する。しかしその後、日満の軍警の弾圧が厳しくなったため、ソ連に亡命して戦後になって朝鮮半島に戻る。

「金日成28歳、金策38歳の1941年1月から6月のあいだに、金日成一家と金策は同じ野営で暮らしていたようで、そのときにできた子が金正日だというのが、金策が正月の父親だという話の元なのです

 

引用:まいじつ – 金正日の実父説のある「金策」とは何者か|金正恩の父・金正日の「日本人説」その2

 

日本人である金策が金日成らと共に日本軍に追われていた理由は、”残置諜者”と呼ばれる日本陸軍諜報員だったからだそう。

 

その任務は、戦後にソビエト連邦(現・ロシア)が朝鮮半島に進出し、日本(外地・満州国)が共産主義化するのを防ぐことでした。

 

そして、金策は日本の天皇制を模して金一族を指導者に置いた北朝鮮という国家を作りました

 

 

 

 

金正日の日本人説③ 実父の意思を継いで国家運営をした?

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