北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親・横田滋さんは拉致被害者の会代表を務めるなど尽力されましたが、娘との再会叶わぬまま老衰のため亡くなりました、
今回は横田滋さんの学歴や職業、結婚した嫁、娘や息子、自宅を調べてみました。
この記事の目次
横田滋さんのプロフィール
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名前:横田滋(よこたしげる)
生年月日:1932年11月14日
2020年6月5日(87歳没)
出身地:徳島県徳島市
出身校: 北海道札幌南高等学校
配偶者 横田早紀江(妻)
横田滋さんは、北朝鮮による拉致被害者である横田めぐみさんの父親です。
拉致被害者家族会初代代表を長らく務め、日本全国に「拉致被害者」の存在を広めましたが、老衰のため、2020年6月5日に87歳で亡くなりました。
そんな横田滋さんは徳島市生まれで、徳島市八万(はちまん)小学校の5年生だった1944年まで徳島市で暮らし、教師だった父・庄八さんの転勤に伴い、札幌市に引っ越しました。
その後、父・庄八さんは札幌南高等学校の国語教諭として教鞭をとり、教頭先生も務めたそうです。
横田滋さんの学歴
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横田滋さんは、父親・庄八さんが教師をしていた、札幌南高等学校(戦前は札幌第一中学)を卒業しています。
札幌南高等学校は、北海道で一番偏差値の高い公立高校で、優秀な生徒が集う名門校です。
以前、横田滋さんが札幌について語っていました。
「両親は道内出身。父の仕事の関係で徳島で生まれました。札幌市の幌南小学校に転校し、44~61年の計17年間を札幌で暮らしました。札幌南高校を卒業し日銀札幌支店に勤め、名古屋支店に転勤。そこで結婚し、めぐみが生まれた」
北海道は横田滋さんのご両親のふるさとなので、横田家ゆかりの土地ということになりますね。
横田滋さんの職業 【日本銀行のエリート行員だった】
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横田滋さんは、札幌南高等学校卒業後、日本銀行に入行して札幌支店に勤務しています。
そして1961年まで札幌で過ごし、その後、1962年には名古屋支店に異動になっています。
日本銀行は日本で唯一の中央銀行で、簡単に就職できるわけではありません。しかし、横田滋さんのこれまでの公の場での振る舞いをみると、元日本銀行の行員なのも納得できます。
中央銀行は、国家や特定の地域の金融機構の中核となる機関で、「通貨の番人」「銀行の銀行」であり、国の預金を受け入れて政府の資金を管理する「政府の銀行」という立場でもあります。
そのような役割を持つ日本銀行の行員を定年まで勤めた横田滋さんは、優秀な人物だったのは間違いありませんね。
また、一般的に銀行員は異動が多く、日本銀行も部署によってですが、1~3年で日本全国に転勤があるとされています。
横田滋さんも札幌、名古屋の他に、広島、新潟、前橋、東京など日本全国に家族を伴い、転勤していたようです。
横田滋さんが結婚した嫁は横田早紀江さん
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横田滋さんは、1962年に知人の紹介で知り合った早紀江さんと結婚しました。
横田早紀江さんも拉致被害者家族連絡会などの活動で、これまで度々メディアに出られていますね。
横田滋さんは温厚そうな笑顔をたたえながら、内に秘めた強さも持ち合わせる印象がありますが、そんな滋さんの傍にはいつも、優しくも凛々しい妻・早紀江さんが付き添っていました。
お2人は58年という長きに渡り、連れ添い、支え合って来ました。
娘・めぐみさんが拉致被害に遭ってしまったことで、以降の人生は想像を絶する苦しみ、寂しさ、怒りを経験したに違いありません。
横田滋さんと早紀江さんは夫婦であると同時に、共に戦う同志のような存在であったのかもしれません。
嫁・横田早紀江さんのプロフィール
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名前:横田早紀江(よこたさきえ)
生年月日:1936年2月4日
出身地:京都府京都市
出身校:京都市立堀川高等学校
横田早紀江さんは、京都市立堀川高等学校を卒業後、繊維関係の商社に約4年半勤務しています。
ちなみに、京都市立堀川高等学校は京都府内で2番目に偏差値が高い高校として有名ですので、夫・横田滋さん同様に、早紀江さんも優秀な方ですね。
拉致被害者家族の関係で、メディアに出られることが多い早紀江さんですが、理路整然とした物言いは清々しくもありますね。
早紀江さんは滋さんと結婚後、1965年10月5日に名古屋市の精霊病院で長女・めぐみさんを出産しました。
その後、双子の息子である拓也さんと哲也さんを出産し、5人家族となります。
日本銀行員である滋さんの転勤に伴い、全国を移動した妻早紀江さんは、めぐみさんが生まれた当時のことを語っています。
私は、最初男の子がいいと思っていました。ところが大きな女の子が生まれました。生まれた時も「拓也」という名前しか考えていなかったんです。用意した名前が無く、早くつけなきゃと思って、ひらがなで、かわいい名前にしました。「めぐみ」というのはとても良い意味があるので「めぐみ」にし、めぐみは、いつも野原を駆け回っているイメージが強い女の子で、元気いっぱい庭で遊んでいました。
めぐみさんは活発な女の子だったようですね。
また、めぐみさんの洋服は早紀江さんの手作りだったそうで、母親の娘に対する愛情がうかがえます。
めぐみの着る物は、たいてい私が着ていた物を利用してワンピースやス
カート、刺繍をしたブラウスを作っていました。写真展の中に、萩に行った
時に4人で歩いているオレンジ色の服が出ていますが、あれは旅行に行く前
に新しい布を買ってきて、一生懸命作ってあげたものです。
そして、めぐみさんへの想いを語る母・早紀江さん。
その時の新潟の美しい景色は悪夢のような思い出となってしまい、壮絶な日々を過ごすことになってしまいました。
このことが起きた時は物凄い衝撃で、本当に死んでしまいたいと思いました。こんなに苦しい思いをしなければならない人生なのか、どうして見つからないのかと悩みました。私は海も桜の花も大好き、雪もそれなりに好きだったのですが、あの日以降、新潟の景色を思い出すだけで、海も雪も桜吹雪も残酷な思い出になってしまいました。北朝鮮に生きていたということは大変な喜びでした。
めぐみさんがいなくなった後、苦悩の日々を過ごす早紀江さんは、クリスチャンの友人の勧めで聖書を読み、癒されていくのを実感したようで、7年後の1984年に洗礼を受けています。
横田滋さんの娘は拉致被害者のめぐみさん
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男親は娘がかわいくて仕方ないと良く言いますが、横田滋さんも娘めぐみさんをとてもかわいがっていたそうです。
めぐみがいなくなる前日が私の誕生日で、その時めぐみが櫛をプレゼントしてくれました。おしゃれに気を遣うようになったので、お父さんもきちんとしてほしいという意味でプレゼントしてくれたのだと思います。
横田滋さんが新潟赴任時代だった1977年11月15日、長女・めぐみさんは、新潟市立寄居中学校からバドミントン部の練習終了後の下校途中に失踪してしまいました。
横田めぐみさんの人柄
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横田めぐみさんは、明るく朗らかな性格で、歌ったり絵を描いたりすることが好きで、習字やクラシックバレエを習っていたそうです。
また、バトミントンでは新潟市の強化選手に選ばれたそうなので、運動神経も良かったのでしょう。
そして、女子のバドミントン部は全国的に高い水準だったので、めぐみさんは自分が今までの学校の成績を維持できるかと心配するくらいの頑張り屋さんでした。
横田滋さんの娘・めぐみさん拉致事件の発生と生存説
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横田めぐみさんは1977年11月15日、下校途中に新潟で北朝鮮の工作員に拉致されています。
事件は学校から自宅までの約600メートルの間に発生しました。
佐渡市の拉致被害者曽我ひとみさん(60)が、北朝鮮でめぐみさん本人から聞いたという証言がある。「曲がり角で男に捕まり、空き地に連れ込まれて拉致された」というものだ。
引用:新潟日報―「あの日」の現場、同級生・池田さん親子と歩く
めぐみさんは約40時間、北朝鮮に向かう船の船倉に閉じ込められ、「お母さん、お母さん」と泣き叫んでいたそうです。
また、北朝鮮に到着時は、出入口や壁などを引っ掻いたため爪が剥がれそうになるほど手が血まみれだったようです。
解決に結びつく有力な手がかりがないまま、長い年月が過ぎ、めぐみさんが北朝鮮で生きているとの情報が日本にもたらされたのは、約20年後の1997年でした。
その後、第1回日朝首脳会談において、北朝鮮の金正日氏が日本人13人の拉致を認めて謝罪しました。
しかし、5人が生存していたものの、めぐみさんを含む8人は死亡したと発表しました。
北朝鮮政府は、めぐみさんが結婚して娘を生んだがうつ病を患い、1994年4月に自殺したと説明しています。
しかし、めぐみさんがまだ生きていると横田滋さんは考えていました。
なぜなら、北朝鮮はその後、めぐみさんの遺骨を提出しましたが、鑑定の結果、その骨の一部からめぐみさんのものとは違うDNAが検出されているからです。
また、元工作員の金賢姫さんも、めぐみさんが工作員教育に関わり、秘密を知ったこと、金正日一家との関わりがあるために、帰国させられないが現在も生きていると主張しています。
横田滋さんの息子は双子の哲也さんと拓也さん
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横田滋さんには、めぐみさんの下に双子の息子がいます。
横田哲也さんと拓也さんです。
めぐみさん出産の時に、母・早紀江さんは男の子が欲しくて「拓也」という名前を考えていたと語っていたので、念願の男子の誕生となりました。
横田哲也さんと拓也さんは、めぐみさんの4歳下で、めぐみさんが拉致された当時は9歳だったそうです。
「海鳴りがすごくて、寒く、空は真っ暗だった」。横田拓也さんにとっての42年前の新潟市の記憶だ。「姉がいなくなったさみしさもあってか、ずっしりとした独特の重い雰囲気を感じていた。その印象は昔も今も変わらない。 めぐみさんが消息を絶った42年前のあの夜。母早紀江さんに手を引かれ、双子の弟哲也さんとともに探し歩いた。
引用:新潟日報―「全被害者帰国譲れぬ」 北朝鮮にメッセージ
当時のことを拓也さんは、重苦しく怖い気持ちだったと振り返っています。
拓也さんは独協大学外国語学部英語学科、哲也さんは大東文化大学を卒業しているそうです。
現在は、拉致被害者家族連絡会の事務局長を拓也さんが、哲也さんが事務局次長を務めています。
横田滋さんは娘・めぐみさんに会えないまま2020年6月に死去
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北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で拉致被害者家族会の前代表だった横田滋さんが老衰のため亡くなりました。87歳でした。
横田滋さんは脱水症状を訴えて、2018年4月から川崎市内の病院に入院していた。滋さんの長女・めぐみさんは1977年、13歳の時に新潟市の自宅近くで行方不明に。滋さんと妻の早紀江さんはめぐみさんを捜し続け、20年後に初めて拉致の可能性が明らかになった。1997年には拉致被害者家族会を結成し10年にわたって代表を務め、被害者の救出を訴える活動を全国各地で行った。その回数はゆうに1000回を超えている。
引用:ABEMA TIMES-横田めぐみさんの父・横田滋さんが死去 87歳 拉致被害者の救出訴える
2002年の日朝首脳会談で北朝鮮は「めぐみさんは死亡した」と発表しましたが、横田滋さんは、その後もめぐみさんを探し続け、被害者の会の活動に熱心に取り組みました。
晩年の横田滋さんは、早紀江さんの介助を受けながら、娘・めぐみさんとの再会を心待ちにしていたと言います。
妻・早紀江さんは、最後に滋さんの耳元で大きな声で叫んで送ったそうです。
『天国で待っていて。私も行くから忘れないで』
横田滋さんは、最後まで娘・めぐみさんに会うことを願っていましたが、とうとう叶いませんでした。その無念を思うと、本当にいたたまれません。
横田滋さん死去で会見した息子たちの発言が話題に
出典:https://www.nikkei.com/
横田滋さんが亡くなり、遺族の記者会見の場で、息子の哲也さんと拓也さんは父・滋さんから受け継いだ強い思いを次のように語りました。
「一番悪いのは北朝鮮だと思いますが、拉致問題が解決しないことに対して、安倍総理は何をやっているんだというメディアもあります。北朝鮮問題を1丁目1番地に掲げていたのになにも動いていないじゃないかと。40年以上も何もしてこなかった政治家や、北朝鮮が拉致なんかするわけないと言ってきたメディアがあったから、ここまで安倍政権が苦しんでいるんです。何もやっていない方が政権批判をするのは卑怯だと思います」
引用:AERAdot.-横田滋さん死去で会見 「日本中が一枚岩に」「政権批判は卑怯」息子たちが訴えた背景
この会見の発言は、政治的な発言ととられたり、反論する政治家がいたりと、大きくとりあげられていました。しかし、SNS上では賛成する意見が多かったようです。
「国内には敵も味方もないはず。日本対北朝鮮、被害者と加害者の構図しかない」としたうえで、日本中が一枚岩になって立ち向かうべきだと訴えた。
引用:AERAdot.-横田滋さん死去で会見 「日本中が一枚岩に」「政権批判は卑怯」息子たちが訴えた背景
息子の哲也さんと拓也さんが一番訴えたかったのは、拉致被害問題を他人事だと思わず、日本全体で団結して解決していかなければならない、という想いではないでしょうか。
横田滋さんの葬儀は自宅がある川崎市の教会で行われた
出典:https://www.sakigake.jp/
横田滋さんは、日本銀行を定年退職後、一家で川崎市に定住しています。
川崎市では、横田滋さんの自宅マンションの住民有志が支援団体「あさがおの会」を作っているそうなので、マンション暮らしということですね。
横田滋さんの葬儀が8日、自宅のある川崎市内の教会で行われた。支援団体の救う会によると、妻早紀江さん(84)は「安らかな顔だったので、天国に行ったと信じている」としっかりとした口調で話したという。
引用:新潟日報―横田滋さん安らかに 川崎市の教会
また、川崎市議会も「風化させないための取り組みが続けられるよう努める」とする決議を全会一致で可決しています。
まとめ
出典:https://mainichi.jp/
最愛の娘・めぐみさんを北朝鮮に拉致され、娘に再会できないまま天国に旅立たれた横田滋さんについて、学歴や職業、結婚した嫁、娘や息子、自宅がある川崎市での葬儀をまとめました。
拉致問題を風化させず、横田早紀江さんら家族が1日も早く、拉致被害者に会えるよう、私たち日本人ひとりひとりが訴えていく必要があります。
最後に、横田滋さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。