北朝鮮に24年間も拉致され、2002年に無事帰国した蓮池薫さんですが、家族会との確執やスパイ疑惑も注目を集めています。
今回は蓮池薫さんの兄や嫁と子供、家族会との関係、スパイ疑惑と真相、現在の活動をまとめました。
蓮池薫さんのプロフィール
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プロフィール
生年月日:1957年9月29日
出身地:新潟県柏崎市
(著書)
『蓮池流韓国語入門』
『私が見た、「韓国歴史ドラマ」の舞台と今』
『半島へ、ふたたび』
『夢うばわれても拉致と人生』
『拉致と決断』
蓮池薫さんは、1978年7月31日、中央大学法学部3年生の夏休み、実家に帰省していました。
そして、当時交際していた奥土裕木子さんと新潟の海岸で北朝鮮の工作員に拉致されました。
拉致した工作員は、通称「チェ・スンチョル」、通称「ハン・クムニョン」、通称「キム・ナムジン」でした。
蓮池薫さんは、知らない男性から「煙草の火をかしてくれませんか」と突然声をかけられたそうです。
そうして、いつの間にか忍び寄っていた3~4人の男性に体を拘束され、大きな布の袋に頭まで入れられそのまま船に乗り、2晩かけて北朝鮮北部の軍港へたどり着いたそうです。
そうして、「招待所」という施設に連れていかれました。
その後、24年間という長い間北朝鮮での生活を強いられた蓮池薫さんは、その間に交際していた奥土裕木子さんと結婚し、子供をもうけています。
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北朝鮮では、1993年に自殺したとされている横田めぐみさんと同じ集落で暮らしていたそうです。
さらに、1981年に亡くなったとされている増元るみ子さんとは、蓮池薫さんの奥さんが1978年秋~1979年10月25日まで一緒に暮らしていたそうです。
この間、3回も引っ越しをしたそうです。
北朝鮮での日本人の生活は、食糧は配給制で、服などの生活必需品は毎月支給される30ドル(約3000円)で賄い、「生き甲斐もなかった」と蓮池薫さんは語っています。
蓮池薫さんの家族① 兄
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蓮池薫さんのお兄さんは、蓮池透さんといい、1955年1月3日に生まれました。
1997年3月に、東京理科大学工学部電気工学科を卒業します。
東京電力で働いていた!
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蓮池透さんは、1997年~2009年まで東京電力で働いていおり、2002年に日本原燃に出向、核廃棄物再処理(MOX燃料)プロジェクトを担当しています。
退社するまで、東京電力で原子力発電の中枢にいたようです。
国の安全審査への対応や高レベル放射性廃棄物処分の研究をされ、福島第一原発での勤務経験もあります。
福島では、計測制御装置のメンテナンスをされていたようで、原子炉水位や原子炉圧力などの数値を制御し記録をするのが仕事だったそうです。
さらに、3号機・4号機は新入社員の頃、保守点検で携わっていたそうで、思い入れがあると語っています。
そのような経緯から、東日本大震災での福島第一原子力発電所の事後発生後に取材を受けています。
蓮池透さんは、レベル7の事故が信じられないと話しています。その理由として、
「レベル7の事故の確率は1千万分の1と言われていて、工学的には絶対に起こりえないということです。私自身、安全審査にも関わっていたので、安全性には絶対の自信がありましたから」
と語り、さらに、「あのような津波は想定していなかった」と明かしました。
蓮池薫さんの家族② 嫁
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蓮池薫さんの奥さんは、一緒に北朝鮮によって拉致された奥土裕木子さんです。
奥土裕木子さんも新潟県柏崎市の出身で、1956年4月15日生まれです。拉致された当時は、カネボウ化粧品の社員として働いていたようです。
帰国後の2002年10月25日に、柏崎市の市役所に蓮池薫さんと一緒に婚姻届と出生届を出しにいき、「蓮池裕木子」さんになりました。
蓮池薫さんの家族③ 子供2人
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蓮池薫さんには北朝鮮で生まれた子供が2人います。
蓮池薫夫妻が日本に帰国することができてから、1年半後にお子さん達が帰国できました。
北朝鮮にいるときは、子供たちに日本語を学ばせていなかったようです。その理由は、子供が大きくなった時に工作員にされるのを防ぐためだったそうです。
長女:蓮池重代さん
1981年生まれで、名前の「重」は蓮池薫さんの祖父からとったそうです。また、「重みのある人間に」という願いが込められているんだとか。
平壌では、外国語大で英語を学んでいたようで、帰国後は柏崎市内にある新潟産業大の3年生に編入されました。
そして、2014年から大学にて学び直しているそうです。大学は早稲田大学という噂もありますが真相は分かりません。
大学卒業後は、就職し現在は社会人として過ごしているようです。
長男:蓮池克也さん
1985年生まれで、名前の「克」は「耐え忍んで勝ち抜いてほしい」という願いが込められているそうです。
日本に帰国した時、克也さんは19歳という若さでした。日本語を学ぶため、新潟産業大に通っていたそうです。
その後は証券会社に勤め、インターネットで取引をする実務に従事されていました。
蓮池薫さんのスパイ疑惑と真相
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なんと拉致被害者でもある蓮池薫さんが実は、北朝鮮のスパイではないのかというびっくりなスクープを週刊誌「週刊現代」が掲載しました。
参議院に出馬経験がある、元小学校教員の横井邦彦さんの証言だそうです。
横井さんは、当時勤務していた小学校で放送用具の片付けを行っていると、突然男が「横井先生」と声をかけてきたそうです。
その男は、「われわれは、100人もの日本人をまとめる日本人の指導者が必要なのです。ぜひ私と一緒に北朝鮮にわたり、あなたに彼らの指導をお願いしたい。」と話したそうです。
横井さんがこの申し入れを断ると、男は豹変し「あなたを拉致してでも北朝鮮に連れていく」と言ったそう。
横井さんが「国政選挙の候補予定者が突然失踪したら、日本の警察が黙っていない」と言うと、相手は諦めたそうです。
そして、蓮池薫さんが帰国した映像を見て、あの時の男が蓮池薫さんだと気づいたそうです。
この証言が本当だとすると、蓮池薫さんは帰国する以前に拉致目的で日本に戻っていたということになりますね。
しかし、政府から抗議文が寄せられ、蓮池薫さん本人も「荒唐無稽な作り話」と抗議文を送っています。
この証言は今のところ噂のレベルで、確証や証拠が無いようです。なぜ横井さんはこのようなことを発言されたのかも気になるところですが、真相は分からないままです。
蓮池薫さんが「家族会」を退会し話題に
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家族会とは、北朝鮮によって拉致された被害者家族と親族によって結成された団体です。
拉致問題の早期解決と、拉致された方の帰国を求めて各地で署名運動や公演を行い、また日米の政治家へも働きかけています。
蓮池透さんは、そんな家族会の事務局・副代表を務めていましたが、2007年に副代表を辞任しています。さらに、拉致被害者家族会から退会させられています。
一体どうしてでしょう?
この件について、2010年3月28日の記者会見で増元照明事務局長は次のように説明しています。
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「解決のために北朝鮮への圧力を強めるという方針と反対のを発言しており、それが家族会の総意との誤解を招く恐れがある」と明かしています。
さらに、「被害者を取り戻したご家族がもうこれ以上、外部にいろいろなことをしゃべらないでほしい。救出運動を邪魔してほしくないと思っています。」とも批判しています。
また、横田早紀江さんは「一緒にまだ活動していた時の一生懸命やっていた彼の姿を私はいつも思い出しながら本当にこんなことにどうしてなったのかなという悲しい思いです。」と述べています。
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蓮池透さんは、約4年前から家族会の総会に出席していません。
講演などでは「経済制裁は拉致被害者の救出につながる戦略的なものではなかった。拉致問題に風穴を開けるには、交渉、対話に軸足を移すことが必要」と発言されています。
また、取材に対して「私を辞めさせて拉致問題が進展するという判断なら甘んじて受ける。被害者を救出したいという思いは同じ。自由な意見が言えないのは残念だ」と話しています。
蓮池薫さんの現在
韓国語を活かした仕事に従事
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2002年に帰国してから、学校法人柏専学院嘱託職員として新潟産業大学で韓国語の教育をされ、柏崎市民プラザで韓国語の講師もされていたそうです。
この韓国語の講師をされていた時期がちょうど韓流ブームだったそうで、生徒さんは目を輝かせて受講されていたそうです。
勉強をしながら翻訳者としても仕事をし、2005年には初訳書「孤将」を発刊します。
また、2004年9月に中央大学に復学し、2008年に中央大学法学部法律学科を32年かけて卒業しました。
このことに関して蓮池薫さんは、「50歳になっての卒業。やはり悔しい。拉致という悲惨さを感じずにはいられなかった。」と心境を語りました。
現在は、新潟産業大の准教授をしながら、拉致問題などについて全国各地での講演会や取材に応じているようです。
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さらに、2019年の米朝実務協議後に、次のように語っています。
「北朝鮮は米国との歩み寄りの姿勢も示しているように映る。米朝間が動けば、日朝関係にプラスに作用する可能性がある。」
「米朝が動き、日朝間も交渉できる時がくるかもしれない。日本政府はその時に備えて今から準備してほしい。早期交渉に入るということが早期拉致被害者の救出につながる」
また、
「北朝鮮にとって、いちばん損失が少なく、得るものが大きい形として、被害者全員を返して日本とうまくいくようにすることがベストだと感じられるようにすること。北朝鮮に日本が望むような選択をさせるための対処が必要だと思う。」
なども述べており、現在も拉致被害者救出に向けての努力をされています。
支援金の辞退
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蓮池薫さんは北朝鮮で大変な生活をされていましたが、帰国して日本でも精神的に大変だったようです。
柏崎市の実家には、帰国して数年「税金で暮らすのか」というひどい内容の手紙が度々届いていたそうです。
さらに、「一家の衣食住はすべて税金」「2人の子供は大学入試も学費も免除」というような根も葉もない噂があったそうです。
さらに、うつむいて歩いていると「子供が帰ってきたのに嬉しくないのか」と言われ、逆に笑顔でいると、「まだ帰ってない被害者がいるのに」と言われていたそうです。
このようなこともあり、「税金で暮らしているとは言わせない。おれはおれでやる」と言い、政府から月30万円の支援金を辞退したそうです。
参議院選挙に立候補
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2019年5月31日には、山本太郎さんが党首を務める「れいわ新選組」から国政選挙に立候補を表明し、「第25回参議院議員通常選挙」の比例区に立候補しましたが、落選しました。
まとめ
蓮池薫さんのプロフィールや拉致された当時の状況、兄や妻と子供、家族会との関係、スパイ疑惑と真相、現在の主な活動などをまとめて紹介しましたが、いかがでしたか?
北朝鮮では移動や言論の自由がなく大変だったことはよく知られていますが、実は日本に帰国後も、心無い噂や非難を受けていたようで大変な苦労をされたことが分かりました。
現在は各地で講演会を行って、自由に発言できることに感動されているといいます。
未だ拉致被害者の方は全員戻ってきていません。蓮池薫さんもきっと自由を感じながらも、まだ帰できていない方のことを思うと辛い気持ちになることでしょう。
拉致問題が解決する日が、1日でも早く来ることを祈るばかりです。