北朝鮮による拉致被害者の1人である横田めぐみさんは、拉致から42年が経った現在も帰国が叶わず、家族が奔走中です。
今回は横田めぐみさん拉致の経緯、家族(父・母・弟・旦那・娘)、拉致の真実、現在をまとめてみました。
この記事の目次
横田めぐみさん拉致の経緯 【家族の動向も紹介】
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横田めぐみさんは、1977年(昭和52年)11月15日、当時13歳という幼い年齢で北朝鮮に拉致され、未だに日本に帰国できていない女性です。
横田めぐみさんは、新潟県新潟市の新潟市立寄居中学校に入学後、バトミントン部に所属しており、そのバトミントン部の練習終了後の帰り道に突如失踪しました。
失踪現場と思われる場所は自宅から離れておらず、新潟警察は誘拐事件として捜査しましたが、何の手がかりも得られませんでした。
当時、近隣住民の多くが日本海の方から暴走族の爆音に似た音を聞いた、との情報が寄せられていたようです。
この点について、ジャーナリストの石高健次さんは、不審船から発せられた船舶用ディーゼルエンジンの音ではないかと推測しているようです。
その日、母親の早紀江さんは自宅でシチューを作って娘の帰りを待っていました。しかし、めぐみさんが帰ってこないので、心配し学校まで迎えに行ったそうです。
けれど、学校の体育館にも友人の家にもおらず、父親である滋さんと弟たちも探し回るも見当たりませんでした。
同日午後9時50分、横田夫妻は新潟県警に捜索願を出し、新潟県警は捜査を開始します。
11月22日に公開捜査に踏み切り、毎日新聞や新潟日報で報道されます。
このように、公開捜査をしたり、1年間の捜査員のべ3000人が動員されたものの、横田めぐみさんの手がかりはつかめませんでした。
「救う会」結成
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警察はもちろん家族もめぐみさんの捜査活動をし、新聞や雑誌でめぐみさんと似ている女性を見かけると新聞社に問い合わせを行って女性がいる場所を訪ねたり、必死に探回ったそうです。
そんな中、「現代コリア」の10月号で石高健次さんが書いた拉致の記事が掲載されると、1997年(平成9年)「アエラ」や「経済新聞」などでも取り上げられました。
石高さんが書いた記事を、ジャーナリストの高世仁さんが元北朝鮮工作員の安明進さんに確認したところ、横田めぐみさんが北朝鮮による拉致にあった事実が判明したのです。
1997年1月21日、母親の早紀江さんの元に参議院議員橋本敦さんの秘書である兵本達吉さんを通じ、めぐみさんが拉致にあったことが伝わりました。
そして詳しい情報は、父親の滋さんが議員会館で聞いたそうです。
めぐみさんの拉致から、すでに19年もの歳月が経っていました。
「めぐみさんを救う会」が結成されると、全国で23箇所で「救う会」が結成されました。
「拉致被害者家族連絡会」結成
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めぐみさんが拉致された情報を得た横田さん夫婦は、1997年3月14日、ソウルにいる元北朝鮮工作員・安明進さんと会見し、消息を聞きました。
その際、横田めぐみさんの過去の写真を数多く持って行き、その中で拉致される約1か月前の写真を見た安明進さんは、北朝鮮で見た女性と1番よく似ていると証言しました。
その写真は、日本国内で取られた最後のめぐみさんの写真でもあるそうです。
そして、韓国から帰国した3月25日、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成しました。
横田めぐみさんの北朝鮮での生活とは
横田めぐみさんは、残念ながら未だに帰国しておらず、拉致された後に北朝鮮でどのように生活していたのかなどの確実な情報がありません。
しかし、同じ拉致被害者で帰国できた方たちの証言がいくつかあります。
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その方たちの話をまとめてみると、横田めぐみさんは
・1978年(昭和53年)8月18日~1980年頃まで、平壌市内で曽我ひとみさんと同居していた
・1986年(昭和61年)平壌へ転居
・1994年(平成6年)頃まで、地村夫妻・蓮池夫妻と同じ地区で暮らしていた
とされています。
横田めぐみさんの家族① 母親・横田早紀江さん
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氏名:横田 早紀江
生年月日:1936年2月4日
出身地:京都府京都市
横田早紀江さんは、1963年(昭和38年)に横田滋さんと結婚しました。
翌年に第1子のめぐみさんが生まれ、そしてその後、めぐみさんに双子の弟が生まれます。
日本銀行の銀行員をされていた横田滋さんの転勤のため、1976年(昭和51年)7月23日に広島から新潟に家族で転居します。
1983年(昭和58年)東京へ転居しますが、転勤で前橋市へ。1993年(平成5年)、滋さんが退職すると川崎市に定住されました。
クリスチャンへ
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早紀江さんがクリスチャンになったきっかけは、めぐみさんが行方不明で手がかりもなく悲しみの中にいた時に、友人から「ヨブ記」を勧められたことでした。
そのヨブ記に感銘を受けた早紀江さんは、聖書を読むようになったそうです。
さらに、マクダニエル宣教師宅で行われていた「聖書を読む会」に出席するようになると、五十嵐キリスト教会の礼拝にも出席し、キリスト教に入信しました。
1984年(昭和59年)、TEAMのマクダニエル宣教師より洗礼を受けた後は、日本福音キリスト教会連合の教会に所属されました。
夫がめぐみさんの拉致について議員会館に行っている間、早紀江さんは千葉のキリスト教会の集会に行き、「せめて娘がどこにいるのかだけでも教えてください」と祈っていたのだとか。
帰宅後に拉致の情報を聞いた早紀江さんは、初めて希望を見つけたそうです。
2000年5月、東京で毎月行われる「横田早紀江さんを囲む祈り会」がいのちのことば社のチャペルで開始され、チャペルは満員になりました。
2001年には、アムネスティ・インターナショナルの「インターナショナル・ジャスティス・ミッション」にゲストとして招かれました。
著書
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1999年 めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる
2003年 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会「家族」
2014年 愛は、あきらめない 他
横田めぐみさんの家族② 父親・横田滋さん
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氏名:横田 滋
生年月日:1932年11月14日
出身地:徳島県徳島市
横田滋さんは、1951年に日本銀行札幌支店に入行し、1993年に定年退職されています。
「北朝鮮による拉致拉致被害者家族連絡会(家族会)」の代表として活動していましたが、約10年間続けてこられた家族会代表を、健康上の理由で辞任されました。
その健康上の理由とは、5万人に1人という「突発性血小板減少性紫斑症」にかかったことでした。
横田滋さんが「突発性血小板減少性紫斑症」になってしまった原因は、認知予防に脳検査を受けた際、血液がサラサラになる抗血栓剤を処方されたことのようです。
この抗血栓剤には5万人に1人が発生する副作用があり、その副作用が「突発性血小板減少性紫斑症」でした。
横田滋さんこの時のことを次のように明かしています。
「入院前日から尿も黒くなって、胃から出血していることがわかり、血漿交換ができる病院を探してもらったのですが、どこもベッドが空いていなくて、最終的に救急車で運ばれ入院しました」
そして一時危篤状態に陥ったものの、一命をとりとめました。
また、悪性皮膚がんの「黒色腫(メラノーマ)」にかかっていたこともあった横田滋さん。
右足裏にホクロのようなものできて、だんだんと分厚くなっていっていたそうです。おかしいとは思いつつ、痛みや痒みなどの症状がなかったため、1年ぐらいほったらかしだったとか。
妻の早紀江さんがすごい剣幕で「とにかく皮膚科に行って!」と怒ったそうで、「おまえはうるさい!」と言いながらも皮膚科に行ったところ、すぐに紹介状を書かれ翌日緊急手術に。
医者からは、もう少し遅かったら命はなかった、と言われたそうです。
早紀江さんの言葉によって命が助かったようなもので、この時強く病院に行くことを勧めていなかったらと思うと怖いですね。
2017年、妻の早紀江さんに続き、横田滋さんも、日本福音キリスト教会連合中野島キリスト教会にて受洗し、クリスチャンになりました。
著作
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2005年 めぐみ(前編・後編)
2012年 めぐみへの遺言
横田めぐみさんの家族③ 弟2人
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めぐみさんには、双子の弟がいるようです。
名前は、「横田哲也」さんと「横田拓也」さんと言うそうです。
横田哲也さんと横田拓也さんは、拉致被害者奪還のために、そしてこれからも被害者を出さないために啓蒙活動を行っています。
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2017年9月11日には、「横田めぐみさんを救う会」メンバーや超党派の拉致議連のメンバーと一緒に訪米されています。そこで、アメリカ政府に対して連携を求める講演を行いました。
長男の拓也さんは、署名活動や講演会などで全国を奔走する両親をずっと見てきたと言います。
2014年9月17日、小泉元首相が訪朝した際の記者会見で、父・滋さんが声を詰まらせ、後列から身を乗り出して母・早紀江さんが支える姿を間近で見たことで、意識が変わったそうです。
そして、「これはもう、子供の立場ではいられない」と思い、救出運動の中心として表舞台に立つようになったそうです。
2019年10月に受けたインタビューで拓也さんは、
「42年間という長い時間がかかっているのに、なぜ解決しないのか。政府は「できることはやっている」というが、北朝鮮に帰国を決断させるために整えるべきことは、まだまだあるはず。いらだちが本音です」
「政府には弱腰は許されない」
と訴えています。
横田めぐみさんの家族④ 旦那・金英男さん
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横田めぐみさんは北朝鮮で結婚されていたようで、その相手も1978年に北朝鮮に拉致されたとされる人物で、名前は、金英男(キム・ヨンナム)さんというようです。
しかし、本人は北朝鮮による拉致を否定しており、北朝鮮の特殊機関に勤務し、南北統一の仕事をしていると話しているようです。
さらに、北朝鮮へ渡った経緯として2006年6月29日に開かれた第14回南北離散家族再会事業での記者会見では、
「全羅北道群山の仙遊島海水浴場に遊びに行ったときに、小さな船に乗ったまま寝てしまい沖にながされ、そのまま漂流していたら北朝鮮の船に助けてもらった」
と発言されています。しかし、地元の方は漂流することはないような海だ、と話しているようです。
この会見では、妻であるめぐみさんの生存に関して、「1994年4月13日に病院で自殺した」と答えています。
また、めぐみさんの死亡に関して「偽物だという幼稚な主張は、夫であるわたしとめぐみに対する侮辱であり、耐えられない人権蹂躙」とも非難されました。
これに対して、横田夫妻は「会えたのはよかったが、複雑な思い」と感想を述べ、日本政府には「北朝鮮の謀略や計画性が見え隠れするが、絶対に惑わされてはいけない」とも語りました。
ちなみに、金英男さんは再婚されており、再婚相手の間にも1人子供がいるようです。
横田めぐみさんの家族⑤ 娘・キムヘギョンさん
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2002年(平成14年)9月17日、平壌で行われた日朝首脳会談の時に、梅本和義駐英公使がめぐみさんの娘とされている「キム・ヘギョン」さんに面会しました。
このキム・ヘギョンさんが本当にめぐみさんの娘なのかを調べるため、横田夫妻の血液とめぐみさんおへその緒とでDNA鑑定しました。
その結果、めぐみさんとキム・ヘギョンさんの血縁関係が証明され、キム・ヘギョンさんは横田夫妻にとって本当の孫であることが判明しています。
横田めぐみさん拉致の真実
横田めぐみさん拉致から長い年月が経ち、さらに被害者の中から無事帰国できた人達の証言などから、北朝鮮の嘘や拉致について見えてきた真実がいくつかあるようです。
めぐみさんの死亡説は嘘!?
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北朝鮮政府は、1994年に横田めぐみさんは死亡した、と発表しています。しかし、この発表が嘘ではないかと言われています。
嘘だと言われる理由について、以下の点が挙げられています。
・北朝鮮がめぐみさんの死亡の証拠として、めぐみさんのものとされる遺骨を提供したが、DNA判定の結果、5つの遺骨のうち4つは同一のDNAだが、残りの1つは別のDNAのものだった。
・1997年にオボンサン火葬場でめぐみさんは火葬されたとしているが、そもそも北朝鮮に火葬をする習慣がない。
また、オボンサン火葬場の建設は1999年であり、1997年には施設すら存在していなかった。
・同じ拉致被害者で2002年に帰国した地村富貴恵さんが、1994年6月にめぐみさんが引っ越してきたと証言。(北朝鮮は1994年4月に自殺したと発表している)
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さらに、複数の目撃情報として、1995年以降に金正日の子息の家庭教師をしていたという情報もあります。
めぐみさんの拉致は偶然ではない!?
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日本人拉致には3パターンに大別されると、拉致被害者の支援組織「救う会」の西岡会長とジャーナリストの恵谷治氏が、拉致事件の発生現場や被害者の証言などで検証したようです。
その3つというのは、「会場遭遇拉致」「人定拉致」「条件拉致」があるそうです。
会場遭遇拉致とは、工作員が海上で漁船に見つかるなどした時に、摘発されないように、目撃者をさらっていく方法です。
該当事件としては、昭和38年5月石川県志賀町から出漁し、消息不明になった寺越昭二さんなどです。
人定拉致とは、工作員らが、拉致する対象者を選定し連れ去る方法です。
該当事件としては、東京三鷹市役所警備員の久米裕さんが挙げられます。
今までは上記の2つの拉致が常識でしたが、調べていくと条件拉致という方法もあることが分かったそうです。
そして、横田めぐみさんはこの条件拉致だったのではないかと恵谷氏は語っています。
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当初、めぐみさんは事件の日に何かの現場を見て偶然に拉致された、と考えられていました。
しかし、大韓航空機爆破事件の実行犯である、金賢姫(キムヒョンヒ)元北朝鮮工作員の証言によると、「当時、若い女性を連れてきて洗脳しろという命令が金正日から出ていた」そうです。
つまり、横田めぐみさんは「若い女性を連れてこい」という条件拉致と考えられるのです。
しかし、女性1人だと精神的に不安定になり寂しいなどの問題が出てきたようで、「カップルにしろ」という条件拉致になったという説もあるようです。
その証拠に、めぐみさんが拉致された翌年から、カップルが拉致される事件が頻発しています。
横田めぐみさんや家族の現在
めぐみさん
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元北朝鮮の工作員である金賢姫はインタビューで、「めぐみさんはきっと生きている。でも出てくるのは一番後になるでしょう」と横田夫妻に伝えたことを話しています。
その理由として、めぐみさんが金正恩氏の家庭教師をしていた可能性があり、金一族の秘密を知ってしまったからだと明かしました。
さらに、脱北者の男性は、朝鮮労働党の工作機関の作戦部幹部の息子から「めぐみは見てはいけないものをみている」と説明を受けたという証言もあるようです。
めぐみさんの父:滋さん
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2018年4月、体調不良により滋さんが川崎市内の病院に入院されたそうです。
その病院に、安倍晋三首相がお見舞いに訪れ、会談するトランプ大統領に対して、米朝首脳会談の際に拉致問題を主張することや拉致被害者の早期帰国に向けた決意などを伝えたそうです。
滋さんは食事を口から摂ったり話すことが難しい状態ではあるものの、意識ははっきりしているそうです。
そして、めぐみさんの写真を見せて「必ず帰るから頑張りましょう」と話しかけると、その言葉に滋さんも「頑張る」と口を動かしているそうです。
また、入院前は講演会などで全国各地を駆け回っていたので「長い間大変だったから休息ができているね」と言うと「そうだ」と答えると明かしています。
めぐみさんの母:早紀江さん
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早紀江さんは現在も、キリスト教の支援者が主催する集会などに参加されているようです。
また、次のように語っています。
「42年というのは腹が立つほど長い時間。早く解決策がみつかることだけを願っている」
「家族は年老いて、病も抱え疲れ果てている。安倍首相には被害者との再会までに残された時間が限られているという現実を十分理解していただいていると思う。すべての被害者の救出へ、全力を尽くしていただけると願っている」
55歳になっためぐみさんに関しては、「13歳までしか育てていないので分からないこともあるが、強さ・やさしさ・明るさという本質の部分は変わっていないと思う。」と答えています。
まとめ
横田めぐみさん拉致の経緯や家族(父・母・弟・夫・娘)、拉致事件の真実や現在をまとめてみましたがいかがでしたか?
拉致問題がいつ解決するのか先が見えない中、めぐみさんのご両親も高齢になり、その怒りや悲しみは想像を絶します。
近年では、トランプ大統領と金正恩氏が米朝首脳会談を行うなどし、その際も拉致問題についてトランプ大統領が発言もされています。
このことがきっかけで拉致問題解決に向けて、少しでも動きがあるのではという期待も高まっています。
もちろん、安倍首相も拉致問題解決に向けて努力されていると思いますが、1日でも早く被害者全員が無事帰国できる日が来てほしいと祈るばかりです。