1990年代後半に宇多田ヒカルさんとともにR&Bブームの火付け役となった倉木麻衣さんですが、韓国人説も浮上しています。
今回は倉木麻衣さんの本名や生い立ち、韓国人説、実家の家族(父親・母親・兄弟)、現在をまとめました。
倉木麻衣のプロフィール
別名: Mai-K
生誕: 1982年10月28日
出身地: 千葉県船橋市
学歴: 立命館大学産業社会学部産業社会学科人間文化学系卒
ジャンル: J-POP、R&B、ディスコ、ティーン・ポップ
職業: 歌手、作詞家
担当楽器: ボーカル
活動期間: 1999年 –
レーベル:
日本 Bip!GIZA studioNORTHERN MUSIC
台湾 Forward Music(中国語版)
韓国 C&L Music
事務所: LOOP
1998年12月に宇多田ヒカルさんがファーストデビューシングル「Automatic」をリリースしたことで、それまでの小室ブームに完全に終止符を打たれ、R&Bブームが巻き起こりました。
その約1年後の1999年12月、少し遅れて鮮烈なデビューを果たしたのが、倉木麻衣さんです。
デビューシングル「Love, Day After Tomorrow」は、ノンタイアップながら売上140万枚という異例のスマッシュヒットを飛ばします。
当時は、倉木麻衣さんは曲調や声が宇多田ヒカルさんに似ていると感じた人が多かったことから、「パクリ」や「二番煎じ」といった酷評が相次いでいたのも事実です。
しかし、宇多田ヒカルさんに触発されてデビューしたわけではもちろんなく、その後も独自路線を貫いて累計1800万枚のCDを売り上げるに至った本物のシンガーです。
倉木麻衣の本名とは
”倉木麻衣”は芸名であり、本名は「青野麻衣」だと言われています。
倉木麻衣さん本人が本名を明かしたわけではなく、学生時代の卒業アルバムの流出などから本名が割れたようです。
なお、倉木麻衣さんは歌手デビューが決まっていても友達には一切話していなかったと明かしています。
歌手デビュー後、友人が雑誌に載っている倉木麻衣さんを見つけて「この倉木麻衣って人、まいちゃんじゃないの?」と聞いてきた際には、倉木麻衣さんは曖昧に返事をしていたそうです。
秘密裏に歌手活動をしていたこの頃の心境を歌詞に載せたところ、大ブレイクしたのが「Secret of my heart」でした。
倉木麻衣が在日韓国人だという噂はネットユーザーの勘違いか
芸能人には割とつきものの在日韓国人疑惑ですが、倉木麻衣さんにも「実は韓国人では?」といった噂が流れていたことがありました。
以下は、 Yahoo!知恵袋で「倉木麻衣さんは韓国出身なのですか?」と投稿された質問に対する答えですが、ユーザーの勘違いから広まった可能性も否定はできません。
倉木麻衣さんのベストアルバムのネット記事の下の方に出てる
タレント名鑑のプロフィールに
出身地が韓国となっています。
タレント・歌手・アーティスト・モデル Mai(マイ)
誕生日:-.星座:-.出身地:韓国.
この「Mai(マイ)」という歌手は、「Mai」というキーワードにより出現した別の歌手であることが指摘されています。
また、倉木麻衣さんがデビューした少し後から韓流ブームが始まったので、その影響も多少あったのかもしれません。
倉木麻衣の生い立ち
倉木麻衣さんの生い立ちに関する詳しい情報は明かされてはいませんが、出身地は千葉県船橋市であることが判明しています。
幼い頃の倉木麻衣さんは兄の影響もあって、外で遊ぶのが大好きな活発な女の子でした。
また、祖父と祖母が音楽が好きで実家にカラオケセットがあったことから、日常的に歌に慣れ親しんだ環境にあったようです。
そんな倉木麻衣さんが歌に目覚めたのは小学校6年生の時。
習っていたピアノのレッスン中、音符を見ながら歌を歌ったところ、ピアノの先生から「あなたはピアノよりも歌のほうが向いている」と言われたことがきっかけで歌に目覚めたそうです。
倉木:うちの家族は、祖父と祖母が音楽好きで、マライア・キャリーとかマイケル・ジャクソンとか、洋楽が特に好きだったんです。それで、うちにカラオケ・セットというものがありまして。
烏丸:ああ、昔の、カセットを入れるタイプの……。
倉木:そうです。それを親戚が集まった時に、祖父をはじめ、みんなで披露したりして。そういう背景もあって、母親が薦めたんだと思います。最初は“ピアノって何だろう?”という感じだったんですけど、映画の主題歌やアニメの主題歌から入って、それで歌いながら弾くことが好きになって。
引用:【倉木麻衣×BARKS連載対談】第一回(幼少期~1999年)「今振り返ると、みんなはバイトや部活に打ち込んでいたんですけど、自分は部活もやりつつデモテープを作って」
恩師というのは人生においてとても大事な存在であり、倉木麻衣さんも恩師の一言で人生が激変していくことになりました。
倉木麻衣は学生時代は積極的だった
前述のように幼少期から活発な女の子だった倉木麻衣さんは、学生時代もクラスの学級委員を務めたりするなど積極的な性格をしていたようです。
インタビューでは、倉木麻衣さんは3つの部活に所属していたことを明かしています。
倉木:いえ、部活は2つ掛け持ちしてまして(笑)。合唱部と演劇部。あとは、美術部にも入っていました、幽霊部員として(笑)。もともと、自分を表現することが得意なタイプではなかったので、音楽や演劇、美術を使って、自分を表現したかったんだと思います。
引用:【倉木麻衣×BARKS連載対談】第一回(幼少期~1999年)「今振り返ると、みんなはバイトや部活に打ち込んでいたんですけど、自分は部活もやりつつデモテープを作って」
なお、倉木麻衣さんは慎重な性格でもあるようで、歌手一本でやっていけなかった時のことを考えて、2001年4月に立命館大学産業社会学部人間文化学科に入学したようです。
倉木麻衣の実家の家族(父親と母親・兄弟)
ここからは倉木麻衣さんの実家の家族について分かっていることを紹介します。
芸能人を親に持つ「2世タレント」と呼ばれる人がデビューすることが増えましたが、倉木麻衣さんも実はその1人なんです。
倉木麻衣さんの両親は早々に離婚しており、母親は一般人女性だったとみられています。
そして父親は、フジテレビの時代劇でアイドル的な人気を博していた俳優で、さらにCMディレクターや映画監督、実業家など幅広い顔を持つ多彩なタレント・山前五十洋さんです。
この山前五十洋さんは、とてもひどい毒親だったようで、芸能界デビュー後も倉木麻衣さんを苦しめることとなります。
なお、倉木麻衣さんの祖父は、詩人や出版社経営をしていた山前実治さんで、叔母は女優の滝沢れい子さんという芸能一族だったようです。
倉木麻衣の父親・山前五十洋は毒親だった?
前述のように、倉木麻衣さんの母親と父親の山前五十洋さんは早々に離婚しましたが、その後しばらくは山前五十洋さんは倉木麻衣さんと疎遠だったようです。
しかし、倉木麻衣さんがデビューを果たして一躍トップスターとなると、山前五十洋さんは絶縁状態だったにもかかわらず、突然父親として名乗りを上げました。
ファースト・アルバム「delicious way」発売後
売れ行きが好調だとわかると
離婚していた父親が実父であると
名乗り出てきたそうです。
ただ、離婚前から音信不通で
父親としての役割を果たしていなかったようです。
挙句の果てには
倉木麻衣さんが9歳だったときのビデオを
所属事務所に10億円で売ろうとしたとか。
山前五十洋さんは娘の知名度にあやかって、勝手に暴露本を出版し、ホームビデオを所属事務所に10億円で売りつけようとするなど、意地汚い守銭奴として倉木麻衣さんを苦しめました。
さらに、山前五十洋さんは自身がプロデュースを手掛けていたセクシータレントに、「くらきまい」という芸名でデビューさせようとするなど、親として信じられない行動をしています。
山前五十洋さんは倉木麻衣さんの事務所と揉めて、結局このプロデュースは実現しませんでしたが、こうした異常行動をとる父親に対して、倉木麻衣さんは完全な絶縁を心に決めたようです。
また、山前五十洋さんは2020年4月5日、心不全のため死去しています。
倉木麻衣に兄弟はいる?
前述のように倉木麻衣さんが活発な女の子だったのは、兄がいた影響でした。
ただ、母親は女の子らしくピアノを習わせたかったようで、これがきっかけで倉木麻衣さんの音楽人生がスタートしたようです。
倉木:子供の頃は、うちにいるよりも外に出て木に登ったり、公園に行って虫を捕ったり、男の子っぽいアクティブな性格だったんですね。兄がひとりいるんですが、一緒によく外で遊んでいました。それで4歳の頃に母親が、どういうわけか「ピアノを習ってみないか?」と言い出しまして。
引用:【倉木麻衣×BARKS連載対談】第一回(幼少期~1999年)「今振り返ると、みんなはバイトや部活に打ち込んでいたんですけど、自分は部活もやりつつデモテープを作って」
宇多田ヒカルさんも芸能一家でしたが、やはり時代の人となるアーティストは才能のある一族に囲まれて育つ人が多いのでしょう。
ちなみに、倉木麻衣さんの兄は東京医科歯科大学を卒業している優秀な人物のようで、もしかしたら現在は歯科医として社会生活を送っているのかもしれません。
倉木麻衣の現在
1999年から2000年初頭にかけて、音楽界にセンセーショナルを巻き起こした倉木麻衣さん。
それから約20年が経った現在も変わらず、トップシンガーとして活躍を続けています。
第1000回記念として放送されたテレビアニメ『名探偵コナン』の主題歌「ZEROからハジメテ」が、2021年6月2日にDVDシングルとしてリリースされました。
この曲は、2004年に発売された「My Reflection」以来、実に17年5ヶ月ぶりにオリコン週間DVDチャートランキングで1位を取得しました。
倉木麻衣はCM出演もしている
また、2021年4月7日からスタートしたテレビ東京系『ラブコメの掟〜こじらせ女子と年下男子〜』の主題歌として、倉木麻衣さんは「Can you feel my heart」をリリース。
さらに同月16日にも新曲「Wで包むよ」をリリースし、同曲が使用されたCM『クレバリーホーム』に本人が出演するなど、安定した活動で存在感を発揮し続けています。
まとめ
1999年にデビューシングル「Love, Day After Tomorrow」で鮮烈な歌手デビューを果たした倉木麻衣さんについて、プライベートの情報をまとめてきましたが、いかがでしたか?
倉木麻衣さんは神秘のベールに包まれている部分が多いので、これまでのインタビューでも生い立ちや実家の家族などの詳細については突っ込んだところまでは明かしていないようです。
ただ、デビュー後はそれまで連絡を取っていなかった父親の山前五十洋さんの異常行動に大変苦しめられたようで、現在は絶縁状態とのこと。
母親や兄との現在の交流は不明ですが、良い関係を築いていることを願うばかりです。
デビューから現在まで多くの楽曲をリリースし、2021年も積極的にアーティスト活動を続ける倉木麻衣さんは、CMにも出演するなど、メディアで活躍中です。
また、世界の困っている人々を助けるためにボランティアに参加するなど、慈善活動にも積極的に参加しています。
アーティスト活動で人々を魅了してやまないのはもちろん、ボランティア精神が高い人柄であることが分かります。
これからも日本を代表するシンガーの1人として活躍し続けるであろう倉木麻衣さん。活動を応援していきたいですね。