吉本興業所属のタレント・長原成樹さんは、「生野連合」に属したヤンチャ時代など生い立ちや若い頃が話題です。
今回は長原成樹さんについて、生い立ちや韓国との関係、生野連合時代や芸人時代など、昔や若い頃をまとめました。
この記事の目次
長原成樹のプロフィール
出典:https://www.facebook.com/
名前:長原成樹(ながはら せいき)
本名:張成熙(チャン・ソンヒ)
生年月日:1964年04月18日
身長:180cm
体重:73kg
血液型:B型
出身地:大阪府 大阪市
趣味:バイク、車、サッカー、カバティー
長原成樹(ながはらせいき)さんは、吉本興業所属のお笑い芸人です。
映画「風、スローダウン」でおおさか映画祭第17回新人賞を受賞。映画「ゲロッパ!」「パッチギ!」、ドラマ「ひとりじゃないの」「わかば」など映画やドラマで俳優としても活躍中です。
書籍「犬の首輪とコロッケとセキとズイホウの30年」を執筆し、作家としても活動。
2016年9月には、なんばグランド花月で上演される「結成!!なんば悪役組合~VS吉本新喜劇~」に出演しています。
大阪市生野区に生まれ、幼少時代は悪さばかりを繰り返していたという長原成樹さん。
しかし、周囲の人々の愛や漫才との出会いから、自身の生き方を見直していき、漫才師としての道を選びます。現在では、テレビやVシネマ他で、幅広く活躍をしています。
長原成樹の昔や若い頃① 生い立ちや韓国との関係
出典:https://gramho.com/
長原成樹さんは、大阪市生野区に生まれ、好奇心が旺盛すぎるのが災いしてか、小さい頃から悪さばかりを繰り返していたそうです。
そんな長原成樹さんは在日韓国人を公言しています。
長原成樹さんの父親は「張瑞鳳」さんといい、15歳の時に韓国の済州島から渡ってきたそうで、日本語が堪能ではなく、無口だったそうです。
そして、自身の生い立ちについて著書「本職未満」で語っています。
僕はこの世界に入って、自分が韓国人であることを隠したことはありません。 誰かに聞かれたら『僕は日本人ちゃいますよ。韓国人ですよ』って答えてましたもん。
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ただ、在日韓国人ということで差別の経験もあったようです。
ちなみに長原成樹さんは、韓国語がうまく話せるわけでもなく、韓国料理が好物でもないそうです。
そんな私は何人や?と自問自答したら、「生野人」だ
自分は韓国人ではあるが、それはただ国籍だけのことで、在日韓国人とも言わず、「生野人」と思っているそうです。
それだけ、生野を愛していているということなのでしょう。
また、韓国人でもなく、日本人でもないという在日韓国人の置かれた境遇を表しているのではないでしょうか。
長原成樹の昔や若い頃② 生野連合に所属していたワルだった
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子どもの時からヤンチャだったという長原成樹さんは、大阪最強とも言われる暴走族グループ「生野連合」に所属していたようです。
そして、長原成樹さんは18歳の頃に強盗事件を起こして逮捕され、少年院にまで入っていたということです。
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その当時の様子は、長原成樹さんの自伝小説『犬の首輪とコロッケと―セキとズイホウの30年』の中でも描かれています。
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そして、『犬の首輪とコロッケと―セキとズイホウの30年』は、長原成樹さん自らが監督を務めて映画化されています。
昭和のディープな大阪・生野を舞台に、札付きのワルからお笑いの世界に飛び込んでいく長原成樹さんの半生を忠実に描いた真実の物語と話題になりました。
この映画では、大阪・生野や長原成樹さんの生い立ち、ヤンキーだった時代などが描かれています。
様々な経験によって大人になって行く長原成樹さんの半生は、映画や小説にできるくらいに波乱なものでした。
長原成樹の昔や若い頃③ お笑い芸人デビュー
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長原成樹さんは、鉄工所、塗装屋、ぶち抜き屋、運送屋などの職業を経験した後、小学校時代の同級生・村上龍也さんに誘われ、吉本興業の芸人養成所「NSC」の面接を受けに行きました。
しかし、ワルっぷりが滲み出ていたようで、校長に面接してもらえなかったようです。
柄が悪過ぎやから帰れ!
なんと、柄の悪さでNSCの面接に落ちてしまったそうです。
しかし、芸人になることを諦めきれず、当時うめだ花月にいた明石家さんまさんの所に押しかけて事情を説明したところ、明石家さんまさんがネタの手直しをしてくれたんだとか。
そして、そのネタを吉本興業に見せたところ、合格になったそうです。明石家さんまさんがすごい人だと改めて感じるエピソードですよね。
その後、「生野ブラザーズ」という名前で、吉本の舞台に立っていた長原成樹さんですが、それを見ていた漫才作家の香川登志緒さんの推薦を得て、吉本に横入りが成功したそうです。
その後、「生野ヤンキース」「ヤンキース」とコンビ名を変更しつつ、舞台に立ち、漫才落語新人コンクール第9回(1988年)最優秀新人賞を受賞。
順風満帆に見えたコンビ活動でしたが、1990年に相方の村上龍也さんの不祥事が発覚してコンビは解散。
コンビ解散後は、タレントや役者として活躍しています。
長原成樹の昔や若い頃④ 千原せいじの顔面を殴ったエピソードも
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千原兄弟の兄・せいじさんは、中学生時代、大阪アメリカ村で長原成樹さんを見かけたそうです。
その時、長原成樹さんの名前を呼んだだけで顔面を殴られてしまったんだとか。
殴られた理由は不明ですが、当時、千原せいじさんは中学生で長原成樹さんは約5歳年上なので、ヤンキー時代の長原成樹さんが尖っていたせいでは?とも言われています。
まとめ
出典:https://career-find.jp/
吉本興業のタレントで俳優の長原成樹さんについて、生い立ちや韓国との関係、生野連合時代や芸人時代など、昔や若い頃をまとめてみました。
若い頃はヤンキーだった長原成樹さんですが、その人生は波乱万丈で、苦労や努力、在日韓国人としての差別など、様々な経験をしてきたようです。
常に前を向いて生きてきたからこそ、現在の長原成樹さんがあるようで、その生き様は映画にも表れています。
今後の長原成樹さんの活躍にも注目していきましょう。