作家・作詞家として活躍する伊集院静ですが、華やかな結婚歴や芸能界デビューした子供も話題です。
今回は伊集院静の本名や身長、在日韓国人2世としての生い立ちなど若い頃の経歴、実家の家族、嫁や子供(娘)情報、現在を紹介します。
この記事の目次
伊集院静のプロフィール
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名前:伊集院 静(いじゅういん しずか)
生年月日:1950年2月9日
出身地:山口県防府市
伊集院静は、1950年生まれで山口県出身の作家・作詞家です。
1981年に『皐月』で作家デビューし、これまでに『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』など数々の作品を生み出してきました。
吉川英治文学新人賞、直木三十五賞、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞、紫綬褒章など受賞歴も多く、日本を代表する作家の1人として知られています。
伊集院静の本名
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伊集院静には4つの名前があります。
世間に広く知られているのは、まず作家業でのペンネームとして知られる「伊集院 静(いじゅういん しずか)」、そして作詞家としての名義である「伊達 歩(だて あゆみ)」です。
本名は「西山 忠来(にしやま ただき)」ですが、これは在日韓国人2世として生まれた彼が帰化した時の戸籍名となった日本名で、生まれた時の本名は韓国名の「チョ・チュンネ」でした。
ちなみに、作家としてのペンネーム「伊集院静」は、元々は広告代理店に入社する女性コピーライターに付けられる予定で、本人は本名で仕事をするつもりでいたようです。
しかし、当時の社長が本名で仕事をさせないという方針で、スポンサーへのプレゼン時に“これでやってください”と渡された名刺に書かれていた「伊集院静」を使い続けているそうです。
伊集院静の身長
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伊集院静の身長は公表されていません。
身長・体重や血液型など、パーソナルデータは公表されておらず、不明となっています。
ただし、かなりの高身長だと言われており、180cm前後である可能性が高そうです。
伊集院静は在日韓国人2世
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伊集院静は山口県防府市出身ですが、両親が韓国人であったことから、在日韓国人2世として生まれました。
そのため、前述の通り、出生当時の本名はチョ・チュンネという韓国名です。
1950年に生まれ、24歳だった1974年に日本に帰化しており、名前を日本名「西山忠来」に改めました。
伊集院静の若い頃の経歴
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ここからは、伊集院静の若い頃を見ていきましょう。
伊集院静は若い頃、野球部に所属していた野球少年でした。
小学校3年生の時に野球を始め、山口県立防府高校在籍時には、甲子園をかけた県大会で準決勝進出を果たしています。
高校卒業後、立教大学文学部日本文学科に入学しました。
当初、美術大学に進学するつもりでしたが、義兄だった読売ジャイアンツの高橋明選手を介して、長嶋茂雄監督から「野球をするなら立教に行きなさい」と勧められ、立教への進学を決意。
立教大学進学を機に上京して、野球部の寮に入りました。
結局、肘を故障して野球部は退部を余儀なくされましたが、野球部の寮に文学全集を持ち込むほど文学少年でもあった伊集院静は、その後は“言葉”を武器にする仕事へ進むことになります。
大学卒業後は電通に勤務
立教大学卒業後、伊集院静は大手広告代理店・電通に勤務し、そこでの経験を経てCMディレクターとなりました。
その後、アーティストのコンサートプロデュースにも手を広げ、松任谷由実、松田聖子、和田アキ子など数々のアーティストのツアーを手掛けています。
1981年に作家・作詞家デビュー
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作家としては、1981年に『皐月』でデビューを飾りました。
その後、『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』などの代表作を生み出します。
また、自身の出身地である山口県防府市を舞台とした自伝的長編三部作『海峡』シリーズなども広く読まれています。
作家として活躍する一方で、伊達歩名義で作詞家としても活動を開始。
近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」などのヒット曲を生み出し、1987年には「愚か者」が日本レコード大賞を受賞しました。
伊集院静の実家の家族① 父親と母親
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ここからは、伊集院静の実家と家族について見ていきましょう。
伊集院静の父親・母親は韓国人で、父親は韓国・慶尚南道出身であることがわかっています。
父親は13歳の時に日本に渡り、日本で出会った韓国人女性と結婚して、伊集院静が誕生しました。
父親に関しては、伊集院静が自身の父親を主人公として書いた『お父やんとオジさん』で人となりを知ることができます。
韓国の貧しい農家に生まれ、日本で廻船問屋の仕事に就いたことが書かれていました。
同じく幼い頃に韓国から家族と日本に渡ってきた母親は、結婚後、幼い伊集院静に日本の歌や文学に触れさせ、与謝野晶子や吉田松陰の作品を読み聞かせていたといいます。
伊集院静自身は幼い頃は絵を描くことが好きで本はほとんど読まなかったそうですが、母親の影響もあって文学に興味を持つようになったのかもしれませんね。
伊集院静の実家の家族② 兄弟姉妹
伊集院静は2男4女の6人兄弟です。
中でも、姉の1人はファッションの世界で活躍する西山栄子であることが知られています。
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伊集院静の姉・西山栄子は、「西山栄子ファッションオフィス」を設立したファッションコーディネーター、ファッションジャーナリストです。
伊集院静と同じく在日韓国人2世として生まれたのちに帰化し、文化服装学院デザイン科、早稲田大学第二文学部、大宮法科大学院大学を卒業しました。
松屋銀座本店で13年間デパート勤務を経験したのち、西山栄子ファッションオフィスを設立してファッション業界で活躍しています。
著書『大人のおしゃれ』『30からのおしゃれ上手』『ひとつ上をいく着こなし術』などを出版しているので、気になった方は書籍もチェックしてみてくださいね。
伊集院静は弟を亡くしていた
伊集院静の唯一の男兄弟である弟は、伊集院静が20歳の時に亡くなっています。
弟は当時高校2年生。冒険家になることを夢見る少年で、夏になるとボートで海へ出て、身体を鍛えていたといいます。
しかし、台風が近付いていた夏の日にボートで沖に出てしまい、10日後に遺体となって発見されました。
死後に読んだ弟の日記には、小学生の時にいじめられていた自分を助けてくれた兄への感謝の想いが綴られていたそうです。
伊集院静の歴代の嫁と結婚歴
伊集院静は、「稀代のモテ男」の異名をとるほど女性からの人気が高い人物です。
そのモテ男がどんな女性と結婚してきたか、これまでの結婚歴と嫁・子供の情報を見ていきましょう。
伊集院静の結婚歴
一般人(〜1980年)
夏目雅子(1984年〜1985年)
篠ひろ子(1992年〜)
伊集院静は、1980年まで一般女性と婚姻関係にありましたが、
しかし、夏目雅子は結婚から約1年で病気により死去。
その後、1992年に現在の嫁である女優・篠ひろ子と再婚しました。
最初の嫁は一般人
伊集院静は大学卒業後に勤務した広告代理店・電通時代に、一般人女性と最初の結婚しました。
最初の嫁との間に2児をもうけましたが、婚姻中から女優・夏目雅子と不倫仲になり、元嫁とは1980年に離婚しています。
2番目の妻・夏目雅子
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伊集院静の2番目の嫁は、女優・夏目雅子です。
夏目雅子は19歳の時にドラマ「愛が見えますか…」のオーディションに合格してヒロイン役として女優デビューしました。
ドラマ「西遊記」「虹子の冒険」「徳川家康」、映画「鬼龍院花子の生涯」「時代屋の女房」「魚影の群れ」などに出演、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を何度も受賞した名女優です。
カネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMに出演したことがきっかけで、この時CMディレクターを務めていた伊集院静と出会って恋仲になりました。
当時の伊集院静には嫁がいたため、不倫関係となりましたが、7年の不倫交際を経て1984年8月27日に結婚しています。
しかし、夏目雅子は27歳という若さで白血病により死去。
最愛の人を亡くした伊集院静はその後、酒やギャンブルに溺れる日々を過ごしたといいます。
夏目雅子の死後25年目に、伊集院静は彼女との思い出を記した手記「真っ白な壁」を発表しています。
夏目雅子との不倫や結婚生活について知りたい方は、ぜひご一読ください。
現在の嫁・篠ひろ子
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伊集院静の現在の嫁は、ドラマ「金曜日の妻シリーズ」で知られる女優の篠ひろ子です。
夏目雅子の死去に伴い開かれた「夏目雅子を偲ぶ会」の場で、元キャンディーズの田中好子を介して出会い、1992年8月7日に再婚しました。
結婚後は、篠ひろ子の出身地である宮城県仙台市に夫婦で移住しています。
現在、篠ひろ子は女優業を離れて家庭に入っており、料理など趣味の時間を楽しんでいるようです。
伊集院静の子供(娘):西山繭子
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伊集院静は、最初の嫁との間にもうけた2人の子供がいます。
子供はどちらも娘で、次女は女優や作家として活動する西山繭子です。
西山繭子は1978年1月21日生まれ、東京都出身で、大妻女子大学在学中に芸能界デビューしました。
2歳の時に伊集院静と母親は離婚しているため、西山繭子は「父と一緒に暮らした記憶がない」と語っており、離婚後に保険外交員となった母親と姉と3人で暮らしてきました。
幼稚園の時に父親が伊集院静であることを知り、中学生になった13歳の時に物心ついてから初めて対面を果たしたといいます。
その後、芸能界デビューすれば父親に会えると考えた西山繭子は、大学在学中の1997年に芸能界入りし、UHA味覚糖「おさつどきっ」のCMでデビューしました。
女優としてテレビドラマ「愛なんていらねえよ、夏」「瑠璃の島」に出演している他、作家として「色鉛筆専門店」「Dr.ルナの不思議なカルテ」などを出版。
現在も、女優・作家として幅広く活動しています。
伊集院静の現在
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伊集院静は現在も現役の作家として活動しています。
2020年にくも膜下出血で倒れ病院に救急搬送されるも、2度の手術を経て奇跡的に回復し、作家として復活を果たしました。
倒れた直後は「毎日、死ぬかもしれないと考えていました」と語るほどの病状だったようですが、治療の甲斐があり自由に外を歩き回れるほどに回復。
「退院して初めて外に出た時には、世界はこんなに明るかったのかと驚きました」と、命あることの素晴らしさを語っています。
70代を迎えた現在も執筆活動を続けており、自宅のある仙台と、仕事場にしている東京・御茶ノ水のホテルを行き来しながら作家業に勤しんでいるようです。
新作も続々と発売中
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2022年3月30日には、累計220万部を突破した伊集院静のベストセラー『大人の流儀』シリーズ第11弾が発売されました。
今作は、くも膜下出血という大病を経験した伊集院静が「もう一度、歩き出すために」と銘打って筆をとった作品。
コロナ禍に苦しむ全ての人に、“それでも人には、再び立ち上がる力がある”と語りかけています。
また、毎週月曜発売の週刊現代「それがどうした 男たちの流儀」、毎週木曜発売の週刊文春「悩むが花」、毎週月曜発売の週刊プレイボーイ「大人のカタチを語ろう。」などの連載も。
伊集院静の現在の活動が気になる方は、ぜひ連載作品もチェックしてみてくださいね。
まとめ
大病から復活し、作家として輝き続ける伊集院静について、本名や身長、在日韓国人2世の生い立ちや経歴、実家の家族、華麗なる結婚歴と嫁や子供情報、現在の活動をお届けしました。
70代となった現在も変わらぬ文才で執筆活動を行う伊集院静。これからの活躍も楽しみにしたいですね。