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俳優、小説家、映画監督としてマルチに活動する大鶴義丹さんですが、韓国との関係や離婚・再婚も話題です。
今回は大鶴義丹さんの本名や国籍、実家の家族(父親や母親)、元嫁マルシアさんとの結婚や離婚原因、子供や再婚をまとめました。
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大鶴義丹のプロフィール
出典:https://www.excite.co.jp/
名前:大鶴義丹(おおつる ぎたん)
生年月日:1968年4月24日
血液型:A型
出身地:東京都
学歴:玉川学園高等部自主退学
和光高等学校卒業
日本大学芸術学部文芸学科中退
身長:180cm
特技:料理・素潜り
趣味:車・釣り、スポーツスキー、モータースポーツ全般
所属事務所:ケイダッシュ
俳優、小説家、映画監督など多才な才能を発揮して活躍する大鶴義丹さん。
高校1年の時に父親の唐十郎さんが脚本を務めたNHKドラマに出演。その後、大学在学時代に映画「首都高速トライアル」に出演して本格的に俳優の世界に進みました。
また、大学在籍中の1990年に『スプラッシュ』で第14回すばる文学賞を受賞して小説家デビューも果たしています。
1995年には「となりのボブ・マーリィ」で映画監督デビュー。
以後もドラマ、舞台、映画、執筆と幅広く活躍していますが、最近では、情報番組やバラエティ番組、ドキュメンタリー番組などにも数多く出演しています。
大鶴義丹の本名と国籍
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「大鶴義丹」は珍しい苗字と名前ですが、「鶴」は本名では「靏」で「大靏義丹」が本名です。(読みは同じ)
また、大鶴義丹さんの母親は日本で女優として活躍していた在日韓国人3世の李麗仙さんなので、在日韓国人ハーフということになります。
「大鶴義丹の国籍は韓国なのでは?」という噂もありますが、大鶴義丹さんは東京都杉並区生まれなので、国籍は日本です。
大鶴義丹の父親は唐十郎 (から じゅうろう)
出典:https://m.youtube.com/
大鶴義丹さんの父親は、劇作家、作家、演出家、俳優として活躍する唐十郎さんです。
唐十郎さんの本名は「大靏義英(おおつる よしひで)」さんといい、1940年東京生まれ。父は、監督、プロデューサーだった大鶴日出栄さんです。
明治大学文学部演劇学科卒業後、1963年に劇団「シチュエーションの会」を旗揚げして(翌年「状況劇場」に改名)「恭しき娼婦」を公演しています。
「状況劇場」は根津甚八さん、小林薫さん、佐野史郎さん、六平直政さん、渡辺いっけいさん他、多数の個性派俳優を輩出していることでも有名な劇団。
唐十郎さんは「状況劇場」座長を経て、劇団「唐組」を主宰して全国各地で紅テントでの公演を続けています。
また、『佐川君からの手紙』で芥川賞、『少女仮面』で岸田国士戯曲賞、『海星・河童』で泉鏡花文学賞を受賞。
現在は劇団唐組で活躍する他に、明治大学客員教授に就任しています。
大鶴義丹の母親は李麗仙(り れいせん)
出典:https://www.tv-ranking.com/
大鶴義丹さんの母親は、女優の李麗仙さんです。
李麗仙さんは舞台での活動が主軸の女優で、その個性的な演技は「アングラの女王」の異名を取るなどして有名でした。
また、テレビドラマ『3年B組金八先生』に出演して、石川千春教頭役を熱演するなど、テレビでも活躍し、多くの人々に知られる存在となりました。
そんな李麗仙さんは東京生まれで、両親は在日韓国人2世。生まれた時の名前は李初子( 이초자 イ・チョジャ)で、日本名は星山初子です。
東京都立広尾高等学校卒業後、舞台芸術学院在学中に夫となる唐十郎さんと知り合います。
その後、舞台芸術学院を中退後、唐十郎さんが設立した「状況劇場」に参加して、星山初子の名前でデビュー。
数年後には李礼仙( 이예선 イ・イェソン)と名乗り、劇団の看板女優として活躍します。
そして、1967年、25歳の時に唐十郎さんと結婚して、翌年には長男の義丹さんを出産しています。
大鶴義丹の母親・李麗仙は韓国当局のブラックリストに載っていたことも
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前述の通り、在日韓国人3世の母親を持つ大鶴義丹さんは韓国ハーフですが、その他の韓国との関係も話題になっています。
李麗仙さんは大鶴義丹さんを出産後、なんと当局からブラックリストに名前が載り、警戒された過去があったそう。
73年に李さんの人生を大きく変える出来事が起きる。そのころ韓国では民主化運動に対して政府が圧力をかけていた。そんな中、韓国の民主活動家で後に同国大統領になる金大中氏が、都内のホテルで拉致されたのだ。実は李さんは当時、韓国で反政府運動などをしていた詩人・金芝河氏らと交流があった。
引用:東スポWEB~李麗仙さん日本国籍取得秘話 愛息・大鶴義丹のために…金大中事件とブラックリスト
ちょうどこの頃は韓国情勢が緊迫化していた時代で、李麗仙さんはそんな混沌とした状況に巻き込まれそうになったようです。
李さんがバングラデシュに行くためビザを申請すると、自身がブラックリスト入りしていることを知る。
「さらに知人が逮捕されるなど、取り巻く状況を李さんは心配していました。家族の安全を考え、息子の大鶴義丹が小学校に入学するタイミングで日本に帰化することを決断したのです」
引用:東スポWEB~李麗仙さん日本国籍取得秘話 愛息・大鶴義丹のために…金大中事件とブラックリスト
その後、1987年2月に芸名を李麗仙に改名。そして、翌1988年4月には唐十郎さんと離婚しています。
また、2013年にインタビューで「あなたはどの国の人なのか?」という質問に対して李麗仙さんは次のように語りました。
「国籍は日本。日本で生まれ育ったので、韓国で暮らすのは難しい。保険の恩恵を受けようと思ったら日本で生活しなければならない。でも、心までは日本に渡していない」。そして、その言葉の最後に「血とはそういうもの」と付け加えた。
引用:挑戦日報~女優人生50年、李麗仙さんが韓国名にこだわったワケ「心まで日本に渡したくないという自尊心」
このように、在日韓国人の複雑な心情を吐露していたようです。
李麗仙さんは2019年に脳梗塞を患い療養していましたが、2021年6月22日、肺炎のため、東京都内の病院で死去しています。
大鶴義丹の家族 【異母妹弟】
出典:https://fumi2019.com/
大鶴義丹さんは、父親唐十郎さんと母親李麗仙さんの間に長男として生まれました。
一人っ子として育った大鶴義丹さんですが、唐十郎さんは李麗仙さんと離婚後に再婚しており、大鶴義丹さんには異母妹と異母弟が誕生しています。
異母妹は1991年7月29日生まれの女優・大鶴美仁音(おおつる みにおん)さんで、舞台を中心に活動しています。
異母弟は1993年11月14日生まれの俳優・大鶴佐助(おおつる さすけ )さんで、2005年にデビューしてから舞台、ドラマと幅広く活動しています。
妹の大鶴美仁音さんとの共演はありますが、弟の大鶴義丹さんとの共演はまだないようです。
大鶴義丹が結婚した元嫁はマルシア
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大鶴義丹さんは歌手、女優、タレントとして活躍するマルシアさんと1994年12月26日に入籍しています。
マルシアのプロフィール
出典:https://twitter.com/
本名 :西家一枝マルシア
生年月日: 1969年2月14日
出身地: ブラジル・サンパウロ州モジダスクルーゼス市
血液型 :A型
趣味 :映画鑑賞、 掃除
デビュー年 :1989年
デビュー曲 :「ふりむけばヨコハマ」
マルシアさんはブラジル・サンパウロ出身の日系ブラジル人3世です。
1985年、 TBS歌謡選手権ブラジル大会にて準優勝、1986年東京で開催された「ワールドチャンピオン大会」でフレンドシップ賞を受賞。
その時、審査員を務めた作曲家の猪俣公章氏の目に留まってスカウトされ、1989年 「ふりむけばヨコハマ」でデビューを果たしています。
この「ふりむけばヨコハマ」はヒット曲となり、その年の各賞の新人賞を総ナメにしました。
その後、歌手、女優、タレントとしてテレビ番組や舞台で大活躍のマルシアさん。
マルシア独特の日本語である「マルシア節」は視聴者の笑いを誘い、当時話題となりました。
マルシアとの馴れ初めと結婚生活エピソード
出典:http://blog.livedoor.jp/
大鶴義丹さんとマルシアさんは、1993年のドラマ「オレたちのオーレ!」で共演したことがきっかけで急接近して、1年半後に入籍しています。
交際中から大鶴義丹さんにぞっこんだったマルシアさんは、結婚後も女優業をしながら家事をすべてこなし、仕事を終えた義丹さんを迎えに行くなどして、妻として頑張っていたようです。
大鶴義丹と元嫁・マルシアとの離婚原因とは
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