日本のプロ野球選手としてはもちろんメジャーリーガーとしても長年活躍されてきた松井稼頭央さんですが、実は韓国人だったのです。
今回は松井稼頭央さんの韓国人の発覚の経緯、国籍や本名、生い立ちなどをまとめてみました。
松井稼頭央のプロフィール
生年月日:1975.10.23
身長:177cm
体重:83kg
血液型:O型
出身地:日本・大阪府東大阪市
職業:元プロ野球選手・現野球監督
所属:西武ライオンズ
高校野球の超名門校PL学園からドラフト3位で野手として指名を受け、西武ライオンズに入団しました。
2003年のシーズン終了後にFA権を行使し、メジャー挑戦を表明しました。
2004年~2006年までニューヨーク・メッツに在籍し、その後2006年~2007年にはエリ・マレーロさんとの交換トレードでコロラド・ロッキーズへ移籍しています。
2008年~2010年はヒューストン・アストロズと3年契約をしました。
その後コロラド・ロッキーズとマイナー契約をし、傘下のコロラド・スプリングスでメジャー昇格を目指したものの、シーズン終了でFAとなり、メジャーリーガーとしての幕を閉じました。
2010年冬に日本のプロ野球に復帰することが発表され、2011年~2017年まで楽天イーグルスでプレーしています。
2017年のシーズン終了後、プロ野球で最初に入った球団である西武ライオンズへの復帰が発表され、ファンから歓喜の声が挙がりました。そして2018年シーズン終了後に引退しています。
これはずるいよ。。 #seibulions #松井稼頭央 pic.twitter.com/hRmVsffLzz
— 09 (@09_lions) October 21, 2018
引退の日には、試合後、自身が守っていた場所にそっと手を置いて別れを告げる姿が見られ、言葉は無くとも、たくさんの人の心に訴えるものがありました。
松井稼頭央は韓国人だった~発覚した経緯について
松井稼頭央さんが日本人ではなく韓国人?という噂がありましたが、どこから出てきた話なのでしょうか。
この件については、松井稼頭央さんの祖父が大きく関係しています。
火災事故
2008年、大阪のとある場所で焼肉店兼住宅で火災が発生し、男性1人が亡くなられました。
警察によると、亡くなった男性の布団の横には灰皿があり、寝タバコが原因による火事ということでした。
その方の名前は「朴 在潤(パク・ゼユン)」さんといって、足が不自由だったそう。自身のステテコにタバコの火が引火したことに気が付かず、寝てしまったようです。
隣で寝ていた妻が慌てて対処したものの、火が広がり朴在潤さんは帰らぬ人となってしまいました。
名前の変更
この事故について捜査が進むにつれて、この朴在潤さんはプロ野球選手の松井稼頭央さんの祖父だということが判明しました。
そのため、このニュースを取り扱う報道番組でも「朴在潤さん」から日本で使っていた名前の「松井次郎さん」へ変更されました。
このことから、韓国人の朴在潤さんの孫である松井稼頭央さんも韓国人であるということになり、その関係が明らかとなったのです。
松井稼頭央の国籍とは
松井稼頭央さんは韓国人か否かについて、特に否定もしていないことから事実だと考えられています。
国籍については、2000年の官報に帰化したことが記載されていたそうで、本名と生年月日が一致していることから、おそらく松井稼頭央さんではないかと言われています。
ちなみに「帰化」とは、自国の国籍を捨て、他国の国籍を取得しその他国の国民となることを言いますが、この場合日本人としての国籍を取得したと思われます。
なので、現在は韓国人ではなく、帰化して日本国籍を持つ日本人というのが適正でしょう。
松井稼頭央の本名とは
「稼頭央」というあまりない漢字の並びが特徴的な松井稼頭央さんですが、実はこちらは本名ではなかったんです。
本名は、「松井 和夫(まつい かずお)」さんだそうです。
読み方は全く同じですが、漢字は平和の「和に」夫婦の「夫」と書くんですね。
プロに入って2年後の1995年に、現在の「松井稼頭央」に選手登録を変更したんだとか。「中央で先頭に立って活躍できるように」という意味が込められているそうです。
当時は鈴木一朗選手が「イチロー」という名前を使うなど、本名とは違う名前で選手登録するのが流行していたため、松井稼頭央さんも特徴的な漢字に変更したようですね。
昔からのプロ野球ファンや松井稼頭央選手のファンは当たり前に知っていることかもしれませんが、最近見始めた人や名前を知っている程度という人にはビックリな情報でしたね。
松井稼頭央の生い立ち~現在
松井稼頭央さんは、幼稚園時代からずっと野球漬けの毎日を送っていたそうです。
小学3年生の頃、上級生の先輩に誘われて若江ジャイアンツに入団しました。
当時その地区が強豪ぞろいだったこともあり、小学生時代は全国大会まで行けず、また中学生時代も地区大会の決勝戦で破れ、全国大会まであと一歩及ばずという結果に。
高校には超名門校PL学園に入学し、松井稼頭央さん自身はケガで投げることはできませんでしたが、念願の春のセンバツに出場しています。
WBCのキューバ戦にスタメン出場した松井稼頭央。PL学園2年の1992年センバツ・準々決勝で相模と対戦。背番号1で先発登板し、2回2/3、2失点で降板。3番セカンドが元阪神の今岡誠。相模2-0PL学園、吉田道が4安打完封。 pic.twitter.com/m9oSnb0E5x
— ダルタン (@41____16) March 6, 2013
1年~3年の春あたりまで背番号10でベンチ入りはしていたものの、ケガが原因となってほとんど試合で投げることはできなかったそうです。
3年生の夏の大会ではやっと出場することができ、1回戦、2回戦ともに9回までを投げ抜きます。決勝戦にも出場しましたが、試合に破れベンチ横で涙を流す場面もあったようです。
プロ野球での活躍は誰もが知る通り、西武ライオンズではメジャー移籍までの7年間で、3回のリーグ優勝にチームの中心ととして貢献。「(二代目)ミスターレオ」とも呼ばれていました。
野球選手として高い身体能力が評価されていて、俊足、巧打、長打、強肩、好守を併せ持つ、いわゆる「5ツールプレイヤー」と言われています。
打力(Hitting)、守備力(Fielding)、走力(Running)のどれをとってもうまくこなすことから、日本球界最強のオールラウンド選手とも呼ばれました。
続いては…
— プロ野球選手の妻たち(TBSテレビ) (@tbs_purotuma) June 20, 2018
番組冒頭でご紹介した松井稼頭央選手と美緒さん夫婦。
憧れのメジャーリーグ挑戦。
そこにバラ色の未来が待っていると思って海を渡った夫婦が味わった苦難…。
天国と地獄を味わった夫婦の絆の物語です。#プロ妻tbs pic.twitter.com/hw9lpawn95
2000年にはモデル・タレントの松井美緒さんと結婚しています。
小学生時代からケガに悩まされていた松井稼頭央さんですが、プロ入りしてからもメジャーに行ってからもそれは変わらず、とても辛い時期もあったようです。
松井稼頭央さんによると、PL学園のころの記憶と言えば試合での思い出よりケガとどう闘ったかしか思い出せないくらいと言うほどです。
その教訓から、試合を休んでレギュラーを譲ってはいけないと思い、ケガや体調不良だったとしても試合を休むことなく、高卒後の西武では7年間全試合出場を続けたとか。
そんな松井稼頭央さんを妻の松井美緒さんが献身的に支え、WBC日本代表に選抜されたり、日本のプロ野球に復帰するなど、長きに渡ってプロ野球選手という職業を続けてきました。
現役を引退した後には、西武ライオンズでテクニカルコーチを努めたり、現在は西武ライオンズの二軍監督として起用されるなど、並外れた努力とその功績が認められています。
まとめ
松井稼頭央さんについてよく分かりましたか?
どうやら以前は韓国人だったようですが、すでに帰化して日本国籍をもっている日本人になられていたようですね。
韓国人であっても日本人であっても、松井稼頭央さんの積み重ねてきた努力と功績は変わりないものです。
今後も監督として、またその先にはコメンテーターやタレントさんとして活躍する姿に期待したいですね!