NHK連続テレビ小説『ふたりっ子』や映画『硫黄島からの手紙』など数々のドラマ・映画に出演し、2016年には落語家デビューも果たした伊原剛志さん。
伊原剛志さんの韓国人説や本名、生い立ちや実家の家族について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
伊原剛志の韓国人説と本名などプロフィールについて
伊原剛志のプロフィールについて
渋い色気を持つ演技派俳優・伊原剛志
伊原剛志さんは1983年に舞台『真夜中のパーティ』で俳優デビューを果たして翌年に映画『コータローまかりとおる!』でスクリーンデビューをし、以降ドラマ『ふたりっ子』で注目を集めると演技派俳優としてのキャリアを積み上げてきました。
伊原剛志さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 伊原 剛(いはら たけし)
生年月日: 1963年11月6日
出生地: 福岡県北九州市
国籍: 日本
身長: 184cm
血液型: O型
職業: 俳優
ジャンル: 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間: 1982年 –
配偶者: 相築あきこ(1990年 – 2000年)、伊原純子(2001年 – )
事務所: ケイダッシュ
引用:Wikipedia – 伊原剛志
伊原剛志の韓国人としての本名とは?
伊原剛志は日本に帰化している元在日韓国人
伊原剛志さんは2001年にトーク番組『徹子の部屋(テレビ朝日系)』に出演して、在日韓国人3世から帰化したことを明かしました。
伊原剛志さんは女優の相築あきこさんと1990年に結婚し2000年に離婚、元在日韓国人だとカミングアウトした2001年に一般人女性の伊原純子さんと再婚しています。
再婚により伊原剛志さんは自身のルーツを明かすきっかけとなったのかもしれません。
元在日韓国人3世ということで、伊原剛志さんの祖父母が韓国人ということは明かされていますが、両親が韓国人かハーフなのかはわからないようです。
伊原剛志さんの帰化する前の本名は「尹惟久(ユン・ユグ)」でした。
伊原剛志の生い立ちと実家の家族について
伊原剛志のお好み焼き屋「ごっつい」は世界展開
伊原剛志が1992年にお好み焼き屋を開業
伊原剛志さんは1992年にお好み焼き屋「ぼちぼち」を開業し、再婚した嫁・伊原純子さんが経営を引き継いで「ごっつい」に改名し、日本とアメリカに20店舗も展開するチェーン店に成長させました。
上の画像は番組で紹介された「ごっつい」の店長を勤めている伊原剛志さんの弟で、兄弟は他に弟が1人、妹が2人おり伊原剛志さんは長男となります。
両親も韓国料理店や喫茶店を経営していたことから伊原剛志さんには見てきた飲食店のノウハウがあったのでしょう。
伊原剛志さんは2005年には朝鮮風すきやき屋「韓すき」を開店していることから、自身のルーツである韓国文化に深い誇りを持っているようですね。
伊原剛志は在日韓国人として差別されていた?
伊原剛志は学生時代にヤンキーだった
伊原剛志さんは1963年11月6日に福岡県北九州市で生まれ、4歳の頃に大阪府大阪市生野区に引っ越しました。
生野区は日本で最も在日韓国人とヤクザが多い町として知られており、当時韓国籍の伊原剛志さんは国籍を意識せずに育ったようです。
伊原剛志さんの実家は韓国料理店経営で両親が共働きだったものの生活は苦しかったようで、伊原剛志さんはカトリック系の幼稚園・聖フランシスコ学園に通っていました。
そして、伊原剛志さんは入学した大阪市立田島小学校から大阪市立北巽小学校に移り、小学校時代は勉強はせずにメンコや花札、ビー玉などで賭け事をしてお小遣いを稼いでいたそうです。
伊原剛志さんは大阪市立巽中学校を経て大阪府立今宮高校に進学しますが、在日韓国人への差別があったかは不明ですがグレてヤンキーをしていたようです。
伊原剛志は芸能界でも屈指のヤンキーだった
伊原剛志は芸能界でのヤンキー番付でも上位
芸能界には日本最大の暴走族「ブラックエンペラー」の7代目総長だった宇梶剛士さんを始め学生時代に名のあるヤンキーだった人が複数いますが、伊原剛志さんも番付で上位に入るほどの喧嘩自慢だったと言われています。
WEBメディアがまとめた「元ヤン有名人格付けランキング」では伊原剛志さんは9位にランクインしています。
横綱 宇梶剛士
大関 赤井秀和
関脇 バッドボーイズ佐田
小結 つまみ枝豆
小結 浜田雅功
前頭筆頭 ウド鈴木
前頭一枚目 辰吉丈一郎
前頭二枚目 哀川翔
前頭三枚目 井原剛志
伊原剛志さんは経済的に恵まれない家庭環境で育ったと言われており、高校は進学校に通っていたもののボンタンを履くヤンキーだったようです。
伊原剛志さんは中学校時代にラグビー部に所属し、高校ではサッカー部のキーパーをしていたようで体が強く、喧嘩は地元で負けなしの強さを誇っていたようです。
そのため、伊原剛志さんは「人を殴り殺してしまうかもしれない」という恐怖感を持っていたというエピソードがあり、その喧嘩の強さを物語っています。
演歌歌手・都はるみさんや俳優・松田優作さんなど在日韓国人の芸能人が差別に苦しんできたというエピソードがありますが、伊原剛志さんがそうした差別からヤンキーになったかはわかりません。
しかし、伊原剛志さんは体育教師を目指していたものの日本国籍でないと教員免許を取れないことから諦めて俳優を目指し、1982年にアクション俳優やスタントマンの芸能事務所・ジャパンアクションクラブに入団しその翌年に俳優デビューしました。
ドレミファドン見てるけど、伊原剛志さんめっちゃ渋かっこいいから昔から好きやわ~💕チームバチスタとか色々。
— アリス (@saranara62) 2019年1月2日
どうしよう。
— あきち♡⃛ (@akichi_0130) 2019年1月2日
伊原剛志さんが素敵すぎるんだがぁぁぁ(♡ω♡)
伊原剛志さんほんとかっこいい…!
— 彩@自称郁也くんの恋人~郁也くんにメロメロ中v (@Tougechan_Love) 2019年1月2日
セクシー////しゅき////
ドラマ「トクボウ」の朝倉草平さんはもちろん
相棒-劇場版Ⅲの神室司さんが本当にな…どセクシーでな…!#ドレミファドン
伊原剛志の韓国人説や実家の家族について総まとめすると・・・
日本のみならず世界で俳優として活躍する伊原剛志さんの韓国人説や実家の家族について総まとめしてきました。
・伊原剛志は在日韓国人の多い大阪市生野区で育ちヤンキーだった
伊原剛志さんは福岡生まれの在日韓国人ながら、小学校時代から大阪人らしい商魂溢れる性格だったようで、日本では不利になりがちな韓国籍により成功を掴んだと言えるでしょう。