金村キンタローは元プロレスラーですが、大日本プロレスの女性社員へのわいせつ事件も話題です。
今回は金村キンタローのプロフィールや身長、在日韓国人の生い立ち、実家の家族、結婚した嫁と子供、引退理由や現在をお届けします。
この記事の目次
- 金村キンタローのプロフィール
- 金村キンタローは在日韓国人
- 金村キンタローの身長
- 金村キンタローの生い立ち
- 金村キンタローの家族
- 金村キンタローが結婚・離婚した元嫁は中見川志保
- 金村キンタローと元嫁・中見川志保の離婚原因
- 金村キンタローと元嫁に子供はいる?
- 金村キンタローの強制わいせつ事件① 大日本プロレス女性社員が事件を公表
- 金村キンタローの強制わいせつ事件② 無期限出場停止処分&解雇
- 金村キンタローの強制わいせつ事件③ 被害者と和解
- 金村キンタローの強制わいせつ事件④ わずか2ヶ月でプロレスに復帰
- 金村キンタローのひき逃げ事件① 事故詳細
- 金村キンタローのひき逃げ事件② 事故車は火野裕士のもの
- 金村キンタローがプロレスを引退した理由と
- 金村キンタローの現在
- まとめ
金村キンタローのプロフィール
出典:https://www.z-1.co.jp/
名前:金村 キンタロー(かねむら キンタロー)
本名:李 珩晧(リ・ヒョンホ)
通名:金村 珩皓(かねむら こうひろ)
生年月日:1970年8月9日
出身地:三重県津市
国籍:韓国
身長:178cm
体重:115kg
血液型:B型
金村キンタローは、元プロレスラーです。
中学生の時に世界オープンタッグ選手権のビデオを見たことをきっかけに、テリー・ファンクに憧れ、高校卒業後にアニマル浜口ジムへ入門。
アニマル浜口からの紹介で剛竜馬と出会い、プロレス団体・パイオニア戦志の新弟子となりました。
1990年12月20日にプロレスラーデビューし、「爆弾男」「理不尽小僧」の異名で活躍。
また、1993年に行われたW☆INGプロモーションのスクランブル・ファイヤーデスマッチで広く知られるようになります。
その後は、IWAジャパン、FMW、WEW、アパッチプロレス軍など様々な団体で活動し、デスマッチを得意とするプロレスラーとして活躍しました。
しかし2008年、大日本プロレスの女性社員に対し強制わいせつ事件を起こし、2023年には高齢女性を相手にひき逃げ事件を起こすなど、不祥事が話題になっています。
金村キンタローは在日韓国人
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金村キンタローは在日韓国人であり、国籍が韓国であることを公表しています。
韓国名の本名は「李 珩晧(リ・ヒョンホ)」で、日本では通名を使用しており、「金村 珩皓(かねむら こうひろ)」です。
なお、事件を起こした際に報じられた公的な名前は「李 珩晧(り こうひろ)」と記載されています。
在日韓国人である金村キンタローですが、ルーツに関する情報はほとんど公表されていません。
両親や先祖がどういった経緯で韓国から日本に来たのか、金村キンタローが在日何世にあたるのかといった情報は不明でした。
金村キンタローの身長
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金村キンタローの身長は178cmです。
金村キンタローは中学・高校時代は身長が低かったようで、高校時代に全日本プロレスの試合会場で入門を直談判した際に、身長が低いことが理由で不合格となった過去があります。
現在は平均身長よりも高身長になっているので、不合格となった後に身長が伸びたのかもしれないですね。
金村キンタローの生い立ち
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金村キンタローは在日韓国人ですが、出身地は三重県津市のため、日本で生まれ育ちました。
生い立ちについてはほとんど語られておらず、どんな幼少期を過ごしたのかはわかっていません。
中学生の時、友人の勧めで見た世界オープンタッグ選手権のビデオでテリー・ファンクに魅せられ、これがきっかけとなってプロレスラーを目指すようになりました。
高校生の時はプロレスに憧れを持ちながらもラグビー部に所属し、スポーツで体を鍛える高校時代を送りました。
高校卒業後に上京し、アニマル浜口ジムへ入門。
アニマル浜口の下で修行して1年が経った頃、剛竜馬を紹介されてプロレス団体「パイオニア戦志」の新弟子となり、プロレスラーとしての人生をスタートさせました。
金村キンタローの家族
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金村キンタローの家族については、一切の情報が公表されていません。
金村キンタローは在日韓国人であることを公表しているため、家族も韓国国籍の在日韓国人であることは確かですが、その詳細は不明です。
インタビューなどでも金村キンタローが家族について言及したものは見つかっておらず、どのような家族とどんな生活を送ってきたかはわかりませんでした。
金村キンタローが結婚・離婚した元嫁は中見川志保
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金村キンタローは1990年代に結婚し、その後に離婚しています。
元嫁は元女子プロレスラーの中見川志保です。
元嫁・中見川志保
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名前:中見川 志保(なかみがわ しほ)
生年月日:1973年7月22日
出身地:東京都
金村キンタローの元嫁・中見川志保は、元女子プロレスラーで、かつては「椿 志保(つばき しほ)」のリングネームで活動していました。
7歳の時に空手を始め、13歳からレスリングを習い、14歳で女子プロレス団体・全日本女子プロレスの練習生となりました。
16歳だった1990年に本名の中見川志保としてプロレスデビュー、同年開催の新人王トーナメントで優勝を果たしています。
この間に金村キンタローと結婚し、中見川志保は結婚を機にプロレスを一時引退しました。
その後復帰を果たし、2000年に渡米してアメリカのプロレス団体・ECWに所属。
2005年にドワンゴの協力でパフォーマンス集団「RING」を設立し、ダンス・ヒーローショー・音楽・プロレスを融合させたイベントのプロデュースを手掛けました。
プロレスラーとしては、2008年に椿志保の名前でプロレス団体・KAIENTAI DOJOから再デビューし、リング復帰を果たしました。
2012年にはプロレスイベント興行「プロレスリングfive」を旗揚げし、代表と総合プロデューサーを兼任して活躍。
そのかたわら、Vシネマのプロデュースや、中学生向けの小説執筆、著書を原作とした映像監督を務めるなど、マルチな才能を開花させました。
2015年にはプロレス11団体が参加したプロレス版夏フェス「24時間プロレス」を開催して成功を収めましたが、2016年8月に突然の現役引退を発表しています。
金村キンタローと元嫁・中見川志保の離婚原因
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金村キンタローと元嫁・中見川志保がどのような結婚生活を送っていたかは不明で、さらに離婚原因や離婚時期などの詳細な情報も公表されていません。
ただし、中見川志保が2016年にインタビューで元夫の金村キンタローについて言及しており、結婚生活中の心境を語っています。
中見川志保は結婚生活や離婚について「楽しかったなという思い出しかないし、離婚したからには色々あったんですけど、かといってそれを嫌だなと思う感じもないんです」と語りました。
離婚後も疎遠になることなく、「会ったら会ったで元気?ってなるし、最近どうよ、上手くいってんの?ぐらいの話はする」と答えています。
さらに「思ってるほど因縁もなければ情念もない、私的には全然なんともない」と語り、中見川志保は金村キンタローとの離婚に大きなダメージを受けていないことを明かしていました。
ちなみに、金村キンタローは2008年に全日本プロレスの女性社員に対し強制わいせつ事件を起こしているため、世間ではこの事件が離婚の原因になったのではないかと噂されています。
金村キンタローと元嫁に子供はいる?
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金村キンタローと元嫁・中見川志保の間に子供が生まれたという情報はありません。
もし子供が生まれていれば、中見川志保が引き取った可能性が高いものの、中見川志保のFacebookやSNSを見ても子供がいるような記載はないため、子供はいなかったものと思われます。
中見川志保は金村キンタローとの結婚後に一時引退しましたが、その後復帰してプロレスラーやプロデューサーとして精力的に活動していたので、やはり子供はいない可能性が高いでしょう。
ただ、中見川志保は2022年に別の男性と結婚し、結婚を記念してRING復活興行「椿志保結婚記念!初めての共同作業バトルロイヤル!」を開催しました。
今後、中見川志保は再婚相手との間に子供が誕生するかもしれないですね。
金村キンタローの強制わいせつ事件① 大日本プロレス女性社員が事件を公表
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2008年1月20日、大日本プロレス・DDTプロレスリング・KAIENTAI DOJOによる合同興行「千葉ブルーフィールド大会」が行われました。
しかしその大会開催直前に、金村キンタローが大日本プロレスの女性スタッフに対し強制わいせつ事件を起こしたことが発覚しました。
女性スタッフは当日券販売の売場におり、大会に参加していた他団体の選手から強制わいせつ行為を受けたことを公式に発表するよう求めたそうです。
一方、大日本プロレスの統括本部長・登坂栄児は「公表したら皆が損する。そんな態度じゃ一緒に仕事はできない」と脅して隠蔽し、女性スタッフは泣き寝入りを強要させられたといいます。
また、事件を知ったリングアナウンサーの村上☆健はブログで事件を告発しましたが、〝独自の判断により混乱を招いた〟との理由で全日本プロレスから出入禁止処分、その後退団しました。
金村キンタロー強制わいせつ事件:加害を認める
2008年2月17日、強制わいせつ事件の被害者である女性スタッフは、全日本プロレスの公式メルマガを通じて事件を暴露し、警察へ被害届を提出する意向であることを表明しました。
その翌日、リングアナウンサーの村上☆健のブログでは、被害女性が千葉県警千葉中央警察署に被害届を提出したと発表しています。
これを受け、全日本プロレスの統括本部長・登坂栄児が、公式サイトや記者会見を通じてコメントを発表。
強制わいせつ事件があったことを認め、加害者が金村キンタローであることを公表しました。
金村キンタローの強制わいせつ事件② 無期限出場停止処分&解雇
出典:https://mixi.jp/
全日本プロレスが公式サイトを通じて、強制わいせつ事件の加害者が金村キンタローであることを公表した後、記者会見で金村キンタローの無期限出場停止処分が発表されました。
事件後の隠蔽工作については、大日本プロレス側は「あくまで話し合いの上、合意のもとでの措置だった」と発表しています。
これに関しては被害者側の主張と大きく食い違っており、物議を醸す結果となりました。
また、金村キンタローのみならず彼が所属していたアパッチプロレス軍も無期限活動停止となり、予定されていた大会の中止も併せて発表されています。
全日本プロレスの統括本部長・登坂栄児は、自身への処分として役員報酬3ヶ月分を返納し、現場責任者兼統括部長から退くことを発表。
しかしこの処分は、あくまでもメルマガ運営の管理責任を取った処分であり、隠蔽工作は否定した上で役員としては残留することも報告されました。
2008年2月20日には、金村キンタローが出席した謝罪会見が行われ、今後はプロレスラーとしての活動を無期限自粛し、出場予定の大会も全て辞退したことを発表しました。
その2日後の2008年2月22日には、アパッチプロレス軍から金村キンタローが解雇されたことが発表されました。
金村キンタローの強制わいせつ事件③ 被害者と和解
出典:https://theghettotokyo.blogspot.com/
強制わいせつ事件から2ヶ月後の2008年3月11日、金村キンタローが事件の被害者と和解が成立したことが発表されました。
和解成立の場には、金村キンタローと被害者女性は同席せず、被害者女性の代理人・金村キンタローの代理人・事件をブログで告発した村上☆健の三者で話し合いが行われたといいます。
和解の条件として提出された示談書には、以下のように記載がありました。
- ・今後、金村キンタローは被害者女性と電話やメールを含め、一切の接触を行わない
- ・アパッチプロレス軍の関係者も被害者女性に誹謗中傷等を含めたコミュニケーションをとらない
- ・慰謝料、示談金の請求を行わない
村上☆健は2008年3月18日、この和解に圧力的なものはなかったこと、被害者は怒りは消えていないものの新たな職場で再スタートを切っていることをブログで報告しています。
同時に、全日本プロレスからは被害者女性をケアする連絡すらないこと、被害者女性が「大日本プロレスとは二度と関わりたくない」と漏らしていることも綴られました。
金村キンタローの強制わいせつ事件④ わずか2ヶ月でプロレスに復帰
出典:https://www.nikkansports.com/
和解成立が発表された直後の2008年3月27日、メビウス新宿FACE大会にて金村キンタローが早くもプロレスのリングに復帰しました。
翌月の2008年4月には大仁田厚とのロックアップでタッグ対戦が決定。
さらにその2ヶ月後の6月16日、金村キンタローを含む3名で「インディペンデント・ハードコア・ブラザーズ」が結成され、同チームを中心とした団体「XWF」が旗揚げされました。
このように、金村キンタローは強制わいせつ事件後の無期限活動停止は約2ヶ月ほどで終了し、プロレスラーとして活動に復帰したのです。
金村キンタローのひき逃げ事件① 事故詳細
出典:https://bokete.jp/
2023年10月13日、すでにプロレスラーを引退していた金村キンタローが、千葉市稲毛区の県道で軽自動車を運転中、自転車に乗っていた64歳女性の右ヒジに接触して事故を起こして逃走。
その2分後には、約390m離れた場所で渋滞により停止していた軽自動車に追突し、運転していた77歳の男性は無傷でしたが、同乗していた78歳と52歳の女性が軽傷を負いました。
これらの件で金村キンタローは、自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道路交通法違反(ひき逃げ)などの疑いで逮捕されています。
金村キンタローが容疑を認める
金村キンタローの事故については現場付近の防犯カメラに詳細が記録されており、金村キンタローが運転する自動車が勢いよく停止中の自動車に追突する様子が見られました。
他角度から捉えた防犯カメラの映像では、金村キンタローが運転する自動車は減速することなく追突したように見えています。
ひき逃げ事件からわずか2分後の事故ということで気が動転していたのか、運転中に何らかのトラブルがあったのかは不明ですが、金村キンタローは事故について容疑を認めています。
金村キンタローはひき逃げ事件について「大したことはないと思い、その場を離れてしまった」と供述。
追突事故については「ボーッとしていて、前の車に気付かなかった」と供述しました。
金村キンタローのひき逃げ事件② 事故車は火野裕士のもの
出典:https://www.j-athlete.co.jp/
金村キンタローがひき逃げ事件当日に乗車していた自動車は、親友であるプロレスラー・火野裕士のものでした。
金村キンタローと火野裕士は同じプロレスラーとして10年以上の親交があり、事故当日も一緒に食事をしていたことがわかっています。
火野裕士はテレビ番組の取材に対し、事故当日の金村キンタローについて「本当にいつものような感じ。安全運転で帰るから、ってその後だった」と発言。
ひき逃げを起こした経緯について「プロレスラーだし、あの人からしたら〝大したことない〟って思うかもしれない」という旨の発言をし、「しっかり謝罪してほしい」と答えました。
火野裕士はSNSでも、次のように投稿しています。
「うちの車やから自分にも警察から連絡あった」
「いやぁ頭いたい。なぜ止まらなかった?とりあえず車止めるやろ。ほんま止まってればよかったのに、なんで逃げた。これはかばえないよ。被害者に申し訳ない」
金村キンタローがプロレスを引退した理由と
出典:https://ameblo.jp/
強制わいせつ事件やひき逃げ事件など数々の事件を起こしてきた金村キンタローですが、現在はすでにプロレスラーを引退しています。
2015年11月15日、金村キンタローが翌年中の引退を表明し、2016年12月27日に後楽園ホールで開催された「金村キンタロー引退興行」で現役を引退しました。
金村キンタローの引退ツアーは団体のバックアップにより数々のビッグマッチが組まれ、疎遠になっていたという往年の戦友・佐々木貴、葛西純、関本大介なども参戦しました。
金村キンタローの引退理由は足の怪我
金村キンタローは引退表明の数年前から、左膝から左足にかけて痺れの症状があり、手術を要すると言われたことが引退理由です。
「手術してまでプロレスを続ける気はない。20歳からデスマッチをやって、骨折しようがやってきて、体はボロボロ。ボロボロになったら引退と思っていた」
手術しないといけないほど体が傷ついていたことから、ここが引き際だと考えてプロレス引退を決断しました。
金村キンタローの現在
出典:https://twitter.com/
金村キンタローはプロレスラー引退後の現在、どんな活動をしているのか判明していません。
ひき逃げ事件の報道では「韓国籍の男で千葉市中央区に住む自称元プロレスラー・金村キンタロー容疑者」と報じられただけで、現在の職業は明らかになりませんでした。
現役時代から数々のトラブルを起こし、敵も多かったという金村キンタロー。
プロレス関係者からは「お山の大将」と評されるなど人望に難ありと思われていますが、そんな金村キンタローの面倒を見ていたのが火野裕士でした。
現在は火野裕士が面倒を見ている
2023年に火野裕士が所有する車で事故を起こしたことで、現在も金村キンタローと火野裕士に交流があり、金村キンタローのことは火野裕士が面倒を見ていたことが明らかになりました。
詳細は不明であるものの、現在は足の怪我が悪化して杖をついていること、火野裕士のジムに通ってリハビリしていること、時折試合会場に姿を見せていることもわかっています。
職業不明なものの、金村キンタローはプロレス界とまだ付き合いが続いているようです。
まとめ
「爆弾男」「理不尽小僧」の異名で活躍した元プロレスラー・金村キンタロー。
IWAジャパン、FMW、WEW、アパッチプロレス軍など様々なプロレス団体で活動した一方で、強制わいせつ事件での一時活動休止、交通事故での逮捕でも話題になりました。
現在の活動や生活の様子はよく分かっていませんが、親友という火野裕士が金村キンタローのことを見守っているようで、一安心ですね。
金村キンタローが再び表舞台に立つことはあるのか、今後の動向にも注目が集まります。