韓国好きで知られるタレント・大沢あかねですが、韓国人説が浮上して話題になっています。
今回は大沢あかねが韓国人だという噂の真相、生まれ育った実家の場所と地元エピソード、父親・母親・兄弟・祖父など家族の情報をお届けします。
大沢あかねのプロフィール
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名前:大沢 あかね(おおさわ あかね)
生年月日:1985年8月16日
出身地:大阪府大阪市大正区
血液型:O型
身長:160cm
大沢あかねは、テンカラット所属のタレントです。
1994年に子役として芸能界デビューし、NHK「天才てれびくんワイド」にてれび戦士としてレギュラー出演したことで注目を浴びました。
その後、ローティーン向けファッション雑誌「ピチレモン」や「Fapri」の専属モデルを務めるなど若い女子のカリスマ的存在に。
また、バラエティ番組「クイズ!ヘキサゴンII」や「脳内エステIQサプリ」などでタレントとしての地位を確立しました。
現在も日本テレビ系情報バラエティ番組「ヒルナンデス!」の木曜レギュラーを務めています。
私生活では、2009年にお笑い芸人の劇団ひとりと結婚し、3児の母親となりました。
そんな大沢あかねは、若い頃からK-POP好きという韓国文化に精通したタレントとして知られていますが、巷では韓国人説が浮上して話題になっています。
ここでは、大沢あかねが韓国人だという噂の真相、実家と家族をまとめました。
大沢あかねは韓国人?
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大沢あかねといえば、2011年にNHK「テレビでハングル講座」に出演して韓国語を学び、バラエティ番組でもK-POPファンとしてコメントを求められることが多いタレントです。
韓国と関わりが深い活動をしていることから、ネットユーザーの間では「大沢あかねは韓国人なの?」といった疑問が生まれており、一部で“大沢あかね韓国人説”が浮上しています。
しかし、結論から言うと大沢あかねは日本人です。
元プロ野球選手である祖父の大沢親分こと大沢啓二は日本国籍で、父親も母親も韓国人という情報はなく、大沢あかねの国籍は日本でしょう。
ただ、大沢あかねはかなりの韓国好きとして知られており、近年の芸能活動は韓国関連のものも多くなっています。
大沢あかねと韓国の関係
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大沢あかねは、自身が「K-POPファン歴20年」であることを公言しています。
最初に韓国の音楽に興味を持ったのは、2003年にリリースされたイ・ヒョリの「10 Minutes」がきっかけでした。
この楽曲が韓国で流行していた頃、大沢あかねは母親と韓国を訪れていたそう。
そして、ソウル市内の交差点の大型ビジョンでミュージックビデオが流れているのを見て「なんてかっこいいんだろう!」と衝撃を受けたのがK-POP好きの始まりです。
そこから韓国の文化や音楽に興味を持ち、BIGBANGをはじめ様々なK-POPアーティストの曲を聴くようになり、現在に至ります。
バラエティ番組「バズリズム02」に出演した際も、K-POPファン歴20年の知識を総動員して、これからブームが来るであろう韓国アイドルやアイドル事務所について熱弁していました。
劇団ひとりとの間に生まれた娘とも韓国の話題で盛り上がるようで、K-POPだけでなく韓国料理や韓国メイクなど様々な文化を親子で楽しんでいるようです。
大沢あかねの実家
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大沢あかねは大阪府大阪市大正区の出身です。
出身中学校が「金光藤蔭中学校」のため、実家はこの辺りのエリアにあったものと思われます。
ただ、大沢あかねは幼い頃から芸能活動を開始し、中学卒業後の2001年に芸能活動を本格化させるため母親と一緒に上京しています。
上京後の実家の場所は不明ですが、母親は東京都板橋区で飲食店を経営しているので、その辺りに実家がある可能性が高そうですね。
大沢あかねの家族(父親・母親・兄弟)
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ここからは、大沢あかねの家族についてお届けします。
大沢あかねの家族構成は、母親・本人の2人家族で、父親は幼い頃に家を出て行って生き別れとなっており、兄弟はおらず、母一人娘一人の2人家族で育ちました。
大沢あかねの家族:父親
父親は、大沢あかねがまだ2〜3歳の頃に家を出て行ったようです。
ある冬の日、「銭湯に行く」と家を出て行ったきり父親が帰ってくることはなく、そこから母親との2人暮らしが始まりました。
そのため大沢あかねには父親の記憶はなく、芸能活動を始めてからも連絡を取り合っていないようで、父親が今どこで何をしているのかは知らないそうです。
大沢あかねの家族:母親
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大沢あかねの母親は「大沢まみ」という名前で、東京都板橋区で韓国料理を提供する飲食店「道頓堀」を経営しています。
大沢あかねの父親が家を出て行ってからは母親が女手一つで家を守り、昼はトラック運転手、夜は大阪・ミナミでホステスとして働いて家計を支えました。
大沢あかねが小学生の時に芸能界入りしてからは“ステージママ”としての手腕を発揮。
雑誌「ピチレモン」の看板モデルを張るようになった娘をさらに有名にするため、夜のお店のお客さんにも宣伝して口コミで娘の存在を広げる努力をしていたといいます。
大沢あかねが中学を卒業した2001年には、芸能活動を本格化させるため共に上京し、2008年に東京都板橋区に飲食店「道頓堀」をオープンしました。
大沢あかねの母親:上京後の仕事
大沢あかねの母親が経営する「道頓堀」は、スナックの雰囲気が漂う居酒屋で、看板メニューは韓国料理です。
母親は上京後に韓国レストランで働くようになり、そこで覚えた料理を活かして飲食店をオープンしました。
さらに韓国レストラン勤務時に覚えた韓国語を活かして韓国語の通訳の仕事をしていたそう。
映画「新大久保物語」の主演を務めたK-POPグループ「MYNAME」の所属事務所の仕事を手伝っていたこともあるそうです。
大沢あかねの母親:女優デビュー
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2013年11月公開の映画「新大久保物語」に大沢あかねの母親が出演し、女優デビューを果たしたことが話題になりました。
映画「新大久保物語」は、日本を代表するコリアンタウンである新大久保とソウルを舞台に、未来のスターを夢見るK-POPグループの青春を描いた作品です。
大沢あかねの母親は、映画主演を務めた「MYNAME」の所属事務所の仕事を手伝っていた縁で映画に出演することになったようです。
大沢あかねの家族(祖父)
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大沢あかねの祖父は、“大沢親分”の愛称で親しまれる元プロ野球選手・大沢啓二です。
大沢啓二は、1932年3月14日生まれ・神奈川県藤沢市出身で、1956年に「南海ホークス」に入団して野球選手として活躍しました。
現役引退後はロッテや日本ハムの監督を務め、1981年には日本ハムをリーグ優勝に導いています。
監督として通算725勝をあげた手腕を活かし、プロ野球のコメンテーターや講演会、「社団法人 全国野球振興会」の理事長としても活躍しました。
サングラスをかけた渋いルックスと江戸っ子口調が特徴で、その貫禄と親分肌のキャラクターから「大沢親分」として親しまれました。
大沢あかねと祖父の家族エピソード
大沢あかねは祖父が大沢親分という環境から、子供の頃から屈強な野球選手に囲まれて育ちました。
子供の頃から右を見れば江夏、左を見れば張本。という環境で育ったため、「強い男が好き」と語ったことがあります。
また、祖父が大沢あかねに電話を掛けた際に留守電に繋がり、留守電を知らせるメッセージの音声を孫の部屋に侵入した不審者と勘違いして怒鳴りつけたエピソードも。
2010年9月8日には大沢あかねが第一子を出産し、祖父の大沢啓二にとって初めてのひ孫が誕生しました。
大沢あかねの祖父・大沢啓二の死去
2010年10月7日、大沢あかねの祖父である大沢啓二が胆嚢がんのため亡くなったことが発表されました。
大沢あかねは所属事務所を通じて、以下のようにコメントを発表しました。
「お爺ちゃんは本当に私の心の支えでした。いつも、いつも陰ながら支え応援してくれていました」
「結婚し、母になり、これからは私でも何かお爺ちゃんの力になれるかなぁと思っていた矢先の事でしたので、残念で悲しくてなりません。ただ一つ、ひ孫をみせる事ができたのが、最後のお爺ちゃん孝行だったと信じたいと思います」
大沢あかねの祖父は親分肌の厳しい性格でしたが、孫には優しく、大沢あかねはそんな祖父が大好きだったようですね。
まとめ
大沢あかねの韓国人説の真相、実家や家族についてお届けしました。
女性タレントきっての韓国好きとして知られ、現在は韓国関連の仕事でも活躍する大沢あかねの今後にも注目が集まります。