岩城滉一

岩城滉一は在日韓国人!本名と生い立ち~実家と家族も総まとめ

硬派バイクチーム「クールス」出身で、アウトロー俳優として活躍してきた岩城滉一さん。

 

岩城滉一さんの韓国にまつわる生い立ちや本名、実家の家族について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。

岩城滉一の韓国にまつわる本名やプロフィールについて

岩城滉一の本名やプロフィールについて

日本を代表するアウトロー俳優・岩城滉一

岩城滉一さんは舘ひろしさんがリーダーだったこうはバイクチーム「クールス」の副団長をしており、それがきっかけで1975年にオファーがあり映画『新幹線大爆破』で俳優デビューを果たしました。キャリアの中で覚せい剤逮捕など問題も起こしましたが、数々のドラマ・映画などに出演してきた他、レーサーとしても活躍してきました。

 

岩城滉一さんについての詳しいプロフィールはこちら。

 

本名: 岩城 滉一(いわき こういち)
生年月日: 1951年3月21日
出生地: 東京都
身長: 175cm
血液型: A型
職業: 俳優
ジャンル: 映画・テレビドラマ
活動期間: 1975年 –
配偶者: 結城アンナ
事務所: A-team

 

引用:Wikipedia – 岩城滉一

 

岩城滉一さんは2017年4月5日に帰化して日本国籍を取得していますが、官報の情報から元の韓国名は「李光一」となることが分かっています。

 

2017年4月5日
住所 東京都世田谷区
李光一 昭和26年3月21日生
岩城滉一(いわき・こういち、本名:李光一、1951年3月21日 – )と生年月日が一致している。

 

引用:人名力 – 芸能界における在日コリア人と『官報』に帰化の記録がある人名

 

このことから”岩城滉一”は芸名で、本名は「岩城光一」である可能性が高いでしょう。

 

 

岩城滉一はデビュー当時から在日韓国人だと明かしていた

岩城滉一は在日韓国人であることを隠さなかった

差別の根強い日本において在日韓国人・朝鮮人の芸能人にとって”在日”であることは事務所から伏せるように言われますが、岩城滉一さんは芸能界デビュー当時からカミングアウトしていました。

 

デビューする前のクールス時代から在日だと、ちゃんと言っておりクールスから芸能界入りする時に事務所や映画会社に言ってます。

隠してないですよ。

1979年にペップ出版から出版した岩城滉一著書の旅人の唄でも第7章の『家族と国籍』で話してます。

 

引用:Yahoo!知恵袋 – 岩城滉一はいつ韓国人って暴露したんですか?

 

矢沢永吉さんのロックバンド「キャロル」の親衛隊で知られたバイクチーム「クールス」時代のメンバーだったジョニー大倉さんも在日韓国人であり、岩城滉一さんらは当時マスコミや雑誌のインタビューで「俺たち二人は在日だよ、だからなんだってんだ。同じ人間じゃねーか、なめんなよ」と答えていたようです。

 

ちなみにジョニー大倉さんのCDには韓国名でリリースしていたことから、矢沢永吉さんとジョニー大倉さんを取り違えたマスコミにより、「矢沢永吉は在日韓国人」という誤報が流れ、それが現在までに定着してしまったそうです。

 

岩城滉一さんの世代は現在よりももっと在日韓国人・朝鮮人への差別がひどかったため、幼少期からいわれのない差別やいじめを受けて育ったのかもしれません。

 

在日韓国人出身で劣悪な環境で育ったことから学生時代にヤンキーになり芸能界で成功した芸能人は多いですが、岩城滉一さんもそうした生い立ちだったようです。

 

 

岩城滉一の問題発言で在日韓国人差別が殺到

岩城滉一がサッカー日本代表を痛烈批判

2014年10月に岩城滉一さんがCMの発表会見の席でサッカー日本代表選手に対して暴言を吐いたためネット上ではヘイトコメントで炎上する騒ぎがありました。

 

「あんなことがあると、芸能人はますます在日だと明かしづらくなるね」

 

 芸能関係者が「あんなこと」というのは、俳優・岩城滉一の炎上騒動のことだ。先日、CMの発表会見の席上で岩城がサッカー日本代表のことを「猿かオランウータン」「まねしかできない」などと暴言を吐いたところ、岩城の在日韓国人という出自と結びつける批判、攻撃が殺到したのだ。

 

引用:exciteニュース – 事務所の圧力で「在日」を明かせない芸能人…岩城滉一騒動でさらに差別が

 

この岩城滉一さんの暴言は中々結果を出せない日本代表チームに対するもどかしさから、いつもの毒舌の延長線上のつもりだったのかもしれませんが、ネット上のネトウヨや嫌韓ユーザーにとっては格好の攻撃対象となってしまいました。

 

 

 

 

 

岩城滉一の韓国にまつわる生い立ちや実家の家族(父・母・兄弟)について

岩城滉一の父親は鉄工場経営者だった

岩城滉一の父親は非常に怖かった

岩城滉一さんの性格を見れば想像がつきやすいですが、岩城滉一さんの父親・岩城元道さんは鉄工場の社長で非常に怖かったそうです。

 

岩城滉一さんの父親・岩城元道さんは戦前か戦後に韓国から渡ってきた在日韓国人だと思いますが、もしかしたら廃品回収業から成功して鉄工場経営者になったのかもしれませんね。

 

岩城滉一さんは4人兄弟の2番目長男で、姉、弟、妹がいました。

 

家庭は絶対的な亭主関白だった岩城元道さんを中心に回っており、母親の詳細は不明ですが岩城滉一さんが日韓のハーフだという情報が無いことから在日韓国人のようです。

 

なお、岩城元道さんは2003年12月14日に亡くなっています。

 

岩城滉一は幼少期からやんちゃだった

岩城滉一は小学校時代からやくざに憧れていた

岩城滉一さんは小学校時代にやくざの刺青を観て憧れを持ちやくざになりたいと思っていたそうです。

 

岩城滉一さんは少年時代に鉄工場に出入りしていたヤクザ風の従業員に憧れを持ち、強くかっこいい男になりたいと思っていました。

 

岩城滉一さんは亡き父親から「女は惚れるな、惚れさせろ」「酒は飲んでも、飲まれるな」と言われて育っており、若い頃は反町隆史に似ているとネットで言われるように高校時代はよく女子からラブレターをもらっていたそうです。

 

やくざに憧れていた岩城滉一さんは高校時代にやくざがよく着ている3つボタンのスーツを着て学校に行っており、両親に内緒でバイクの免許を取得しました。

 

岩城滉一さんは硬派な不良をしており、他校に乗り込んで喧嘩を売り、日々喧嘩に明け暮れていました。

 

岩城滉一さんの出身学校は中野区立本郷小学校→中野区立第ニ中学校→日本大学附属鶴ケ丘高校で、帝京大学に進みましたが中退しています。

 

岩城滉一、硬派バイクチーム「クールス」を結成する

岩城滉一は舘ひろしに話しかけられて友達になった

岩城滉一さんが大学中退してから、飲食店で食事をしていたところに舘ひろしさんが「あのバイク君の?」と話しかけたことをきっかけにバイクの話で盛り上がり友達になりました。

 

当時、バイクの免許を持っていなかった舘ひろしさんは、岩城滉一さんの勧めでバイクの後ろに乗せてもらい教習所に通い免許を取得しました。

 

そして舘ひろしさんを団長、岩城滉一さんが副団長として硬派バイクチーム「クールス」を結成し、友情の証として血判状を交わしました。

 

「クールス」は1975年4月13日に開催された矢沢永吉さんのロックバンド「キャロル」の解散コンサートで親衛隊を務めたことで一躍世間の注目を集めることになりました。

 

これがきっかけでキングレコードから熱いオファーを受けて、ロックバンド「クールス」が結成されて1975年9月リリースのシングル「紫のハイウェイ」でデビューし、その後現在までメンバーを変えながらも「クールス」の音楽活動は続いています。

 

 

 

 

 

岩城滉一の韓国にまつわる生い立ちや実家の家族について総まとめすると

昭和を代表するアウトロー俳優として活躍してきた岩城滉一さんの韓国にまつわる生い立ちや実家の家族について総まとめしてきました。

 

・岩城滉一はデビュー当時から在日韓国人であることを全く隠してこなかった

・岩城滉一は在日韓国人だったが2017年4月5日に帰化した

 

岩城滉一さんは在日韓国人だと明かした芸能人の代表的な扱いをされてきましたが、韓国が好きだというエピソードは無く、デビュー当時から差別をされ続けても日本が大好きなようです。

 

一部に差別をされても圧倒的に憧れる声の方が多いため岩城滉一さんは気にならないのでしょう。

 

 

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