北原三枝(石原まき子)は韓国人?実家と家族・養子縁組した子供も総まとめ

故・石原裕次郎の妻で、北原三枝の芸名で女優として活動した石原まき子ですが、韓国人説も長年ささやかれています。

 

今回は北原三枝こと石原まき子の実家エピソード、父親・母親・兄弟・養子縁組した子供など家族の情報をお届けします。

北原三枝(石原まき子)のプロフィール

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

芸名:北原 三枝(きたはら みえ)
本名:石原 まき子(いしはら まきこ)
生年月日:1933年7月23日
出身地:東京都目黒区

 

石原まき子は、故・石原裕次郎の妻で、通称「石原軍団」として知られる石原プロモーションの代表取締役会長および石原裕次郎記念館元館長です。

 

石原裕次郎と結婚する以前は女優として活動しており、松竹に入社して「北原 三枝(きたはら みえ)」の芸名で女優業をしていました。

 

北原三枝としての本格的なデビュー作品は、1952年の映画「カルメン純情す」で、その後1954年に日活に移籍してエースとして活躍。

 

1956年には映画「狂った果実」で石原裕次郎と初共演を果たしています。

 

以来、石原裕次郎とは全23作で共演する名コンビとなり、日活を代表するスター女優だった北原三枝。

 

1960年の映画「闘牛に賭ける男」を最後に石原裕次郎と結婚し、女優業を引退しました。

 

出典:https://www.nikkatsu.com/

 

女優引退後は石原裕次郎の妻・石原まき子として夫の活動を支え、石原プロモーションの経営に携わる裏方として尽力。

 

石原裕次郎亡き後は、石原プロモーションの代表取締役となり、2011年には代表取締役会長に就任しました。

 

石原プロモーションは2021年1月16日に解散しましたが、石原まき子は現在も亡夫の遺品や版権の管理を行う「石原音楽出版社」「一般社団法人ISHIHARA」の名誉会長を務めています。

 

そして、90歳を迎えようという今もご健在です。

 

 

北原三枝(石原まき子)は韓国人?噂と真相

出典:https://conex-eco.co.jp/

 

北原三枝こと石原まき子にまつわる噂で以前より囁かれてきたのが、韓国人ではないかといった噂です。

 

実際に石原まき子について検索すると、候補ワードに「石原まき子 韓国」と表示され、多くの人が韓国人説について気になっていることがわかります。

 

噂では結婚前、北原三枝が韓国籍だったために石原家側の親族と揉めたらしいといった話もあったとのこと。

 

しかし、北原三枝そして石原まき子どちらの名前で調査してみても、彼女が韓国籍だったという明確な情報はなく、韓国人説は噂の域を出ません。

 

ではなぜ石原まき子に韓国人説が浮上したのでしょうか?


それは彼女の旧姓が「荒井」だったことが関係しているようです。

 

石原まき子の韓国人説は旧姓「荒井」が原因

石原まき子の旧姓「荒井」は在日韓国人が多く使用する日本名だという声がよく見られます。

 

実際には「新井」のほうが在日韓国人に多い名字という印象がありますが、同じ読みである「荒井」もそういったイメージのある名字と言われてきました。

 

そのため〝旧姓が「荒井」だから、イコール韓国人だ〟という突飛な噂話が流れ、石原まき子の韓国人説に繋がったようです。

 

昔の芸能人は韓国籍と噂されることが多々ありましたが、これだけでは石原まき子が韓国人だったという結論にはなりませんよね。

 

御歳90になろうという現在も、石原まき子の韓国にまつわる情報は一切ないため、単なる噂のままとなっています。

 

 

北原三枝(石原まき子)の実家の場所

出典:https://www.oricon.co.jp/

 

石原まき子は東京都目黒区の出身で、実家も目黒にありました。

 

しかし戦時中に東京大空襲を受けた経験があり、当時を振り返って「目黒の家が焼けた」といった過去を明かしているので、目黒の実家は戦争で焼失してしまったようです。

 

中学卒業までは目黒区で過ごしたことが判明しており、目黒区立第二中学校を卒業しています。

 

幼い頃からダンスや芝居など芸能の仕事に憧れを持つ少女で、中学卒業後に日劇ダンシングチームに入団。

 

その後の1952年に、松竹のニューフェイスに合格して本格的に女優デビューを果たしました。

 

 

北原三枝(石原まき子)の家族:父親・母親

出典:https://www.sponichi.co.jp/

 

ここからは、石原まき子の実家の家族についてお届けします。

 

石原まき子の家族構成は、父親・母親、そして何人かの兄弟がいることがわかっていますが、両親に関する情報はほとんど公表されていません。

 

ただ、母方の祖父だけはエピソードが明かされています。

 

石原まき子は祖父が大好きなおじいちゃん子

石原まき子は1933年生まれで、6歳だった1939年から1945年まで第2次世界大戦の戦時の最中にいました。


戦争末期には実家のある目黒が東京大空襲の被害に遭いましたが、幼かった石原まき子は山梨県に住む祖父のもとへ疎開していたことを明かしています。

 

祖父は自分の子供達の中でも特に石原まき子の母親を可愛がっていたようで、その娘である石原まき子のことも大層可愛がってくれました。

 

疎開した時には世間からよそ者として冷たい目で見られる経験もしたようですが、そんな時でも祖父が庇って優しくしてくれるなど、たくさんの愛情を注いでもらったといいます。

 

しかし、そんな祖父も1944年に他界。


惜しみない愛情を注いでくれた祖父の死は石原まき子の気力を奪い、疎開生活中は山梨県の美しい自然を見ることだけが唯一の救いだったことを明かしていました。

 

 

北原三枝(石原まき子)の家族:兄弟

出典:http://www.shikoku-np.co.jp/

 

石原まき子には何人かの兄弟がおり、その中で人物像や名前が明かされているのは3人です。


第2次世界大戦で戦死した兄、そして和男、七郎という弟がいます。

 

弟・和男とは共に疎開していた

石原まき子の兄弟に関してはほとんど情報が明かされていませんが、その中で唯一、弟の和男とは戦時中に共に疎開していた過去があることが判明しています。

 

石原まき子がまだ11歳という若さだった1944年、戦火から逃れるために石原まき子と弟の和男は、山梨県にある祖父の家に疎開しました。

 

石原まき子と弟など兄弟エピソード

石原まき子が疎開した当時、弟はまだ幼く、東京を発つ時には母親から「和男を頼みましたよ」と手を握られたことを明かしています。

 

母親から託された言葉を胸に山梨県へと疎開した石原まき子ですが、弟は身体が弱く、疎開先で黄疸にかかってしまいました。

 

母親からの言葉を強く受け止めていた石原まき子は、弟の体調悪化に責任を感じ、黄疸に効くと聞いたシジミを探して川や田んぼを流れる小川に入っては、シジミを採って歩いたといいます。

 

足が凍りついてしまいそうな冬でも川に入り、茶碗一杯分のシジミを採っては味噌汁を作り、弟の黄疸が快方に向かうことを祈り続けました。

 

弟は石原まき子が苦労して作った味噌汁を「おいしいよ」と言いながら笑顔で飲んでくれたようで、弟のその姿を見るだけで報われた気持ちになったと明かしていました。

 

 

北原三枝(石原まき子)の家族:養子縁組の子供

出典:https://dot.asahi.com/

 

石原まき子は石原裕次郎の妻として知られていますが、この2人の間に実の子供はいませんでした。

 

しかし、石原裕次郎亡き後に石原まき子が自身の甥である石原邦彦と養子縁組を結んだことがわかっています。

 

石原まき子が養子縁組をした理由

石原まき子は石原プロモーション解散後、石原裕次郎の遺品や版権の管理を行う法人「石原音楽出版社」「一般社団法人ISHIHARA」の名誉会長に就任しました。

 

その時に自身の甥と養子縁組し、息子となった石原邦彦を代表に就任させています。

 

養子縁組の経緯は明かされておらず、当初は養子縁組した事実も限られた関係者のみにしか知らされていませんでした。

 

そのため、養子縁組の理由について石原まき子の口から語られたことはありません。

 

しかし、石原まき子が高齢になったことにより石原プロは解散したとされているので、養子縁組も自身の年齢を考えて石原家の財産を託す者を作りたかったのではないかと考えられます。

 

実際に、石原邦彦は石原音楽出版社の代表に就任していることからも、石原まき子の後継者として石原裕次郎が築いた財産を守っていくことになりそうです。

 

養子縁組した石原邦彦の人物像

石原まき子と養子縁組した石原邦彦は、石原まき子の弟の息子で、甥にあたります。

 

元々は東京都世田谷区で書店を経営していたようで、2018年に「石原音楽出版」の代表に就任しました。

 

年齢は2020年時点で50代の独身であることが明らかになっていますが、詳細なプロフィールや経歴などは不明です。

 

石原まき子は2017年に成城の自宅敷地内に別邸を新築し、養子縁組した息子とその両親を住まわせているそう。

 

そして石原邦彦は、石原まき子の身の回りの世話や法人の業務を行いながら、今でも世田谷区内の書店に立つことがあると明かされています。

 

近所の住人からは「邦彦さんは控えめで真面目」と言われており、石原軍団の関係者からは「クニちゃん」と呼ばれて可愛がられていたそうなので、人柄が良く人望もあることが窺えます。

 

90代を迎えようとする石原まき子が、石原家の後を託すには適任の人物なのかもしれませんね。

 

 

まとめ

 

北原三枝こと石原まき子の韓国人説、実家や家族、養子縁組した息子についてお届けしました。

 

今後も長きに渡り愛され続けるであろう石原裕次郎。築いた財産が正しく後世に残されることを祈りたいですね。

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