複数の家族が巻き込まれた凄惨な殺人事件「尼崎事件」は日本中を震撼させました。
今回は尼崎事件の背乗りなど手口、犯人の角田美代子の生い立ち、人物相関図、旦那や息子、関与した家族の父母や兄弟の当時の状況、現在を紹介します。
この記事の目次
- 尼崎事件とは
- 尼崎事件の犯人・角田美代子の手口① マインドコントロール
- 尼崎事件の犯人・角田美代子の手口② 背乗り
- 尼崎事件の犯人・角田美代子の生い立ち
- 尼崎事件の家族相関図を紹介
- 尼崎事件に関わった家族① 犯人・角田美代子の義理の妹P
- 尼崎事件に関わった家族② 犯人・角田美代子の旦那Q(内縁の夫)
- 尼崎事件に関わった家族③ 犯人・角田美代子の息子(義理の長男)R
- 尼崎事件に関わった家族④ 犯人・角田美代子の息子(次男)S
- 尼崎事件に関わった家族⑤ 犯人・角田美代子の義理のいとこ男性T
- 尼崎事件に関わった家族⑥ 犯人・角田美代子の同居人女性U
- 尼崎事件に関わった家族⑦ 犯人・角田美代子の同居人男性V
- 尼崎事件に関わった家族⑧ A家(母親・兄弟)
- 尼崎事件に関わった家族⑨ B家(母親・息子)
- 尼崎事件に関わった家族⑩ 犯人・角田美代子の義理の長男Rの兄
- 尼崎事件に関わった家族⑪ C家(母親・兄弟)
- 尼崎事件に関わった家族⑫ D家(母親・兄弟・父親の兄)
- 尼崎事件に関わった家族⑬ E家(父親と母親)
- 尼崎事件に関わった家族⑭ F家(母親・娘)
- 尼崎事件の犯人・角田美代子の現在
- 尼崎事件の現在
- まとめ
尼崎事件とは
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そもそも、尼崎事件がどのような事件なのか、みなさんはご存知でしょうか。
尼崎事件とは、2012年10月、兵庫県尼崎市で起きた連続殺人死体遺棄事件です。
1987年頃に発生していた女性失踪事件を発端とし、数多くの被害者が確認されており、主に暴行や監禁などの虐待によって死亡しているという、凄惨で悲しい事件なのです。
25年以上という長期間に渡って、複数の家族があたかも本物の家族かのように生活していた中で起こったこの尼崎事件について、詳しくまとめました。
報道などでは、「尼崎連続変死事件」と呼ばれることも多いです。
尼崎事件の犯人・角田美代子の手口① マインドコントロール
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主犯格だった角田美代子は、長年に渡って様々な家族を乗っ取ることによってお金を脅し取り、その家族を崩壊させていきました。
その中で亡くなってしまった犠牲者は、少なくとも9人はいると言われています。
また、角田美代子が直接手を下すのではなく、取り込んだ家族を自由自在に操って、家族同士にて暴力を振るわせるなど壊滅させていったのです。
角田美代子のこのような手口は、マインドコントロールが挙げられます。
「なぜこんな女性にマインドコントロールできたのか」と疑問に思う方も多いでしょうが、それは何らかの力、そして黒幕がいたのではと言われています。
尼崎事件の犯人・角田美代子の手口② 背乗り
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尼崎事件の手口として話題になった1つに、背乗りが挙げられています。
背乗り手口とは、他人の身分や戸籍を乗っ取る行為のことで、「戸籍ロンダリング」とも言われ、養子縁組をすることによって戸籍情報をリセットすることです。
角田美代子は、この背乗りや戸籍ロンダリングを繰り返し行っていたことが判明しており、養子縁組制度を悪用したことにより、事件が発覚するまで時間もかかったのでした。
これは、日本人では思いつかない手口であり、朝鮮半島出身者特有の手口だとも言われています。
尼崎事件の犯人・角田美代子の生い立ち
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ここでは、主犯の角田美代子の生い立ちを見ていきましょう。
幼い頃の角田美代子は裕福な家庭で育っていたようで、お金に困ることはなく、家族全員が好き勝手な生活をして暮らしていました。
そんな角田美代子の父親は、多額のピンハネ凄腕手配師だったようです。
当時の尼崎には、全国から体力自慢の荒れくれ者達が集まっており、そんな輩たちを圧倒的な圧力・暴力・恫喝などで手懐けていたのが、角田美代子の父親だったのです。
さらに、汗水流して稼いだ日給(当時3500円ほど)を、食事代や酒代などの名目で4割程度をピンハネしていたんだとか。
しかし、食事はしっかりと与えて、時には酒も飲ませるなど、アメとムチの使い分けをしていたのです。
よく考えるとこれもマインドコントロールの一種かも知れませんが、荒くれ者たちを従わせることができた角田美代子の父親は人の扱いが上手かったことは間違いありません。
そんな父親を見て育ってきていたからこそ、人心支配のテクニックを角田美代子は知らず知らずのうちに覚えたのかもしれません。
角田美代子さんは、10代の頃・20代の頃にそれぞれ結婚し、離婚歴が2回あるようです。
尼崎事件の家族相関図を紹介
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尼崎事件には、主犯女性である角田美代子を軸に、娘や息子家族を始め、知人や友人家族など合わせて少なくとも6家族以上が関わっています。
具体的には、角田美代子の幼馴染の女性の家族、遠縁の家族、内縁の夫の同級生の実家家族、その同級生の実家の長女が嫁いだ家族、父親が大手私鉄会社勤務の家族とその父の実家家族です。
これまで日本で起こっている大量殺人事件の中でも、この尼崎事件は、逮捕・書類送検されている人物が17名とかなり多いことが特徴的です。
その17名の中には、被害者の子供や姉妹といった親族も含まれています。
つまり、主犯が本来別の家族でありながら、同じ家族内に被害者と加害者がいるという、異様な相関図が浮かび上がってくるのです。
次からは、そんな尼崎事件に関係している人物について紹介していきます。
尼崎事件に関わった家族① 犯人・角田美代子の義理の妹P
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義理の妹Pは、角田美代子とは幼少の頃からの付き合いでした。
数十年間共同生活をしていましたが、1998年に角田美代子の母と養子縁組を結んだことをきっかけとして、角田美代子の義理の妹になったのでした。
2001年、角田美代子の指示により、A家の長男と結婚をしました。
この義理の妹Pは、金庫番の役割をしていたことでも知られており、角田美代子からかなりの信頼を置かれていたようです。
さらには、他の同居人と比べても事件への関与を極力控えさせられていたほど大事にされていたのでした。
この義理の妹Pは、合計3件の殺人などに関与している疑いで起訴されており、懲役21年の判決を受けています。
尼崎事件に関わった家族② 犯人・角田美代子の旦那Q(内縁の夫)
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角田美代子とは、20代の頃からの付き合いだという内縁の夫Q。
内縁という関係でしたが、角田美代子に虐待されることもあったと言われており、内縁の夫Qが角田美代子に従うという従属的な間柄であったようです。
この内縁の夫Qについても、妹Pと同じく合計3件の殺人などに関与しているということから、起訴をされており、懲役21年という判決を受けています。
尼崎事件に関わった家族③ 犯人・角田美代子の息子(義理の長男)R
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義理の長男Rは、元々は角田美代子の遠縁のB家の人間だったのですが、角田美代子によって家庭崩壊に追い込まれてしまい、結果的に角田美代子の下で生活するようになりました。
1999年に角田美代子の養子になっており、2005年には新しい名前に改名もしています。
この義理の長男Rについても、妹P同様、角田美代子からはかなり大事にされていたことが分かっています。
義理の長男Rについても、義理の妹Pや内縁の夫Qと同じく合計3件の殺人などに関与しているとの疑いで起訴されており、懲役21年という判決を受けています。
尼崎事件に関わった家族④ 犯人・角田美代子の息子(次男)S
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次男Sは、戸籍上では角田美代子の実子となっていますが、関係者の情報では、本当の産みの親は角田美代子の義理の妹Pである可能性が高いようです。
この次男Sは、2007年になるとD家の次女と結婚しており、子供が2人います。
また、次男Sは角田美代子からとても大事にされていたようで、虐待行為などを受けたことが一切ないと言われています。
しかしながら、日常生活において常に行動を監視されるなど、精神的な息苦しさを感じていたと次男Sの口から明かされています。
次男Sは、合計2件の殺人に関与している疑いで起訴されており、懲役17年の一審判決が確定しています。
尼崎事件に関わった家族⑤ 犯人・角田美代子の義理のいとこ男性T
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義理のいとこ男性Tは、幼少期の頃に母親がC家の長男と再婚したことから、後に自分自身が激しい暴力を振るうことになるC家、そしてD家の人達とも親交がありました。
2002年頃に角田美代子と知り合って以降、角田美代子の下で生活するようになったようです。背中に入れ墨があります。
角田美代子の指示により、周囲に激しい暴力を振るっており、「角田美代子の暴力装置」としてみんなから恐れられていました。
そして、2004年になると角田美代子の叔父と養子縁組を結んでおり、角田美代子とは義理のいとこ関係になりました。
F家の母に対して死体遺棄容疑で、2012年9月に懲役2年6月という判決を受けており、一連の事件発覚時にはすでに服役中でした。
しかしながら、後に合計3件の殺人罪、そして1件の傷害致死罪によって起訴され、無期懲役判決が確定しています。
尼崎事件に関わった家族⑥ 犯人・角田美代子の同居人女性U
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同居人女性Uは、角田美代子の兄と交際したことをきっかけに、角田美代子と知り合ったと言われています。
家政婦的な存在で、角田美代子と長い間に渡って共同生活をしていました。2000年には、角田美代子が自宅マンションを購入する時の連帯債務者になっていることも明らかになっています。
この同居人女性Uは、2008年11月頃に死亡したようです。
この死亡に関しては、7名もの人物が監禁罪などによって起訴されており、同居人女性Uは被害者のうちの1人です。
尼崎事件に関わった家族⑦ 犯人・角田美代子の同居人男性V
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同居人男性Vは、沖縄県出身であり、東京に出て働いていました。
2006年頃、友人であったA家次男に誘われたことをきっかけに、角田美代子と共同生活をするようになりました。
角田美代子たちから暴力を振るわれるなどといった虐待行為を受けていたとも言われており、日常的に角田美代子の運転手役を務めていたようです。
2007年になると、角田美代子の指示によってD家の長女と結婚しています。
この同居人男性Vは、合計2件の殺人に関与していることで起訴されており、懲役15年という一審判決が確定しています。
尼崎事件に関わった家族⑧ A家(母親・兄弟)
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A家母について
A家の母は、当時はA家長男、A家次男、A家長女いった子供3人と一緒に角田美代子たちと共同生活をしていたと言われています。
現在行方不明で、2006年に失踪宣告を受けており、戸籍上は1994年に66歳で死亡という扱いになっています。
しかし、1987年頃に殺害されて尼崎の海に遺体を遺棄したという証言が挙がっています。
2014年2月、逮捕者たちの供述に基づいて、遺体が遺棄されたと言われる現場で捜索が行われましたが、残念ながら遺体の発見までには至りませんでした。
A家長男について
A家長男は、角田美代子と共同生活をしていました。2000年に角田美代子が購入したとされているマンションの名義上の所有者になっています。
2001年になると、角田美代子の指示によって、角田美代子の義理の妹Pと結婚しましたが、結婚は形式的なものだったと言われています。
そんなA家長男は、2005年に沖縄県にて転落死しており、当時は事故として処理されていました。
しかしながら、事件発覚後の捜査によって、保険金目的で自殺を強要された疑いが浮上し、このA家長男の死亡に関しては、6名もの人物が殺人と詐欺の罪によって起訴されています。
A家次男について
A家次男は、A家長男同様、角田美代子たちと共同生活をしていました。
その異常な生活ぶりに嫌気が差したのか、何度か東京などへと逃亡していましたが、その度に発見されて連れ戻されていたことが確認されています。
そんなA家次男は、2011年7月頃に死亡したとされています。
このA家次男の死亡に関しては、7名もの人物が死体遺棄に関与した疑いで起訴されており、その7名のうち、角田美代子の次男Sを除いた6名が殺人と監禁で起訴さ
れています。
尼崎事件に関わった家族⑨ B家(母親・息子)
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B家母について
B家母は、B家乗っ取り事件が起こっている最中の1999年に病死をしています。
死亡する前には、親族たちから暴行・飲食制限などといった日常的な虐待を受けていたという話も挙げられています。
2000年になると、B家の親族たちと角田美代子による窃盗事件が発覚をしており、その際にB家母の死亡に関しても捜査が行われました。
しかしながら、不審な点は1つも見つからなかったということから、B家母の死については事件化されませんでした。
B家の長男のついて
B家の長男は、B家乗っ取り事件の真っ最中である1999年、当時軟禁されていたマンションから飛び降り自殺してしまったとされています。
この自殺は、角田美代子によって行われていた親族会議の真っ最中に、B家の長男が突然走り出した挙句に、マンションから飛び降りたという証言もあります。
このB家の長男の自殺についても、B家母同様捜査が行われましたが、不審な点は見当たらなかったということから、事件化されていません。
尼崎事件に関わった家族⑩ 犯人・角田美代子の義理の長男Rの兄
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義理の長男Rの兄は、2000年3月頃から行方不明になっています。
しかしながら、何らかの事件に巻き込まれている情報は無く、自分で失踪したと思われています。2014年2月には、公開手配されています。
角田美代子の下での生活に苦しみ、失踪してしまったのかも知れませんが、未だ行方は分かっておらず、その謎は深まるばかりです。
尼崎事件に関わった家族⑪ C家(母親・兄弟)
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C家母について
C家母は、2003年3月に死亡したとされています。
このC家母の死亡に関しては、死亡者を含めて9名が傷害致死容疑によって書類送検されていましたが、既に傷害致死罪の公訴時効が成立していたことから、不起訴処分になっています。
C家長男について
C家長男は、以前角田美代子の義理のいとこTの母親と結婚していたことがありました。
C家長男は、2001年頃に角田美代子と知り合っており、共同生活をすることになりました。
角田美代子によって、当時務めていた学校用務員の仕事を退職させられてしまった挙句、その時に貰った退職金のほとんどを角田美代子に奪われてしまったようです。
その後、C家長男は角田美代子の下から逃亡しました。
C家長男は、C家母(実の母親)の傷害致死容疑で書類送検されていましたが、公訴時効が成立していたということから不起訴処分になりました。
C家次男について
C家次男は、2002年頃に角田美代子と共同生活をするようになりました。
しかしながら、2007年に同居していたA家次男と一緒に東京へと逃亡しました。
その後の2010年2月、潜伏先にてガンを発病して死亡をしました。この死亡に関しては事件性はないとされています。
しかしながら、C家次男はこれまでに1件の殺人、そして2件の傷害致死容疑などがあることから、書類送検されています。
C家次女について
C家次女は、2002年の末頃にC・D家の乗っ取り事件に巻き込まれたと言われています。
2003年10月頃から、C家次女は行方不明になっています。
しかし、何らかの事件に巻き込まれてしまったという話は一切出ていないため、自発的に失踪をしていると思われます。このことから、2014年2月には公開手配されています。
また、C家次女もC家母(実の母親)の傷害致死容疑によって書類送検をされましたが、公訴時効が成立していたということから、不起訴処分になっています。
C家孫について
C家孫については特に情報はありませんが、他のC家の人物たちと同じく、C家母(実の祖母)の傷害致死容疑によって書類送検をされています。
しかし、公訴時効が成立していたということから、不起訴処分になっています。
尼崎事件に関わった家族⑫ D家(母親・兄弟・父親の兄)
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D家母について
D家母は、C家母の長女です。香川県高松市のD家に嫁いでいましたが、C家とD家の乗っ取り事件によって、これまで仲良かった夫とは離婚に追いこまれています。
2003年8月に単独で逃亡し、4年ほど和歌山県にあるホテルに住み込みで仲居の仕事をしていました。
しかしながら、2007年末に角田美代子やその娘たちに居場所を発見され、尼崎へと連れ戻されてしまったようです。
そして翌年の2008年3月、意識不明の状態で病院へと運ばれており、そのまま意識が戻ることはなく、2009年6月に肺炎で病死しています。
このD家母の死亡については、1名が傷害致死罪によって起訴されてしまっています。また、D家母もC家母(実の母親)の傷害致死容疑によって書類送検されています。
D家長女について
D家長女は当時、IT企業にてウェブデザイナーとして活躍するなど、バリバリのキャリアウーマンだったようです。
しかしながら、C家・D家乗っ取り事件が巻き起こったことによって、角田美代子たちと共同生活をするようになります。
D家長女は、角田美代子からかなり冷遇されていたようで、虐待を受けることも特に多かったようです。
このようなことから、角田美代子の下から2回も逃亡しています。
1回目の逃亡では、2004年3月頃〜2006年12月頃までの約3年間居酒屋でアルバイトをしながら、大阪府枚方市内にあるアパートで1人暮らしをしていました。
2007年になると、角田美代子の指示によって、角田美代子の同居人男性Vと結婚しています。
しかしながら、2008年12月に死亡しています。
このD家長女の死亡には、7名もの人物が殺人と監禁罪によって起訴されています。
D家次女について
D家次女は、当時は名門高校に通っていたかなりの優等生であり、とても明るく優しい性格をしていました。
しかしながら、C家・D家乗っ取り事件が起こったことによって洗脳されてしまったようで、角田美代子に心酔していたと言われています。
D家次女は、角田美代子からとても優遇をされていましたが、初期の頃には虐待行為を受けることもあったと言われています。
また、常に角田美代子と行動をしており、角田美代子の片腕的存在というように周囲に見せていたようです。
また、2007年になると角田美代子の次男Sと結婚しており、2人の間には子供が2人います。
そんなD家次女は、C家長男とC家母の年金窃盗事件に関与した容疑で、一審にて懲役2年の実刑判決を受けています。
その後、合計3件の殺人罪などによって起訴されており、最終的に懲役23年の実刑判決を受けてしまいました。
D家父の兄について
D家父の兄は、C家・D家乗っ取り事件によって虐待を受けていたD家父である弟一家を助けようとしていました。
しかしながら、角田美代子たちに弟の家にて軟禁状態にされてしまったようです。
それ以降、これまで勤務していた工場を退職してしまったり、突然仲の良かった妻へ「離婚する」などとつきつけたりするなど、異変が見られるようになっていきました。
そして、2003年10月に角田美代子たちが尼崎に引き返す際にも同行をしており、角田美代子たちと共同生活をしていたと言われています。
そしてその後、2004年1月になると角田美代子の自宅マンションにて死亡をしました。
このD家父の兄の死亡に関して、8名もの人物が傷害致死容疑によって書類送検をされました。
しかしながら、嫌疑不十分であったことや、被疑者が死亡してしまっていたということなどから、いずれも不起訴処分になっています。
尼崎事件に関わった家族⑬ E家(父親と母親)
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E家父について
E家父は、当時大手私鉄会社に勤めていました。2009年春、角田美代子のクレームに対応してから、角田美代子が家庭に介入していき、E家・F家乗っ取り事件へと発展することになります。
そして角田美代子の手によって、退職・転居・離婚を強要され、E家は家庭崩壊してしまい、最終的には元妻と次女の3人で無理心中寸前にまで追い込まれてしまったのでした。
そんなE家父は、F家母(元妻の実母)に対して、傷害致死罪などによって起訴がされており、懲役3年執行猶予5年という刑が確定してしまっています。
E家母について
E家母は、F家母の次女であり、E家に嫁いできました。
2011年11月に警察へ保護された時の体重が、なんと35キロほどになっていたと言われており、これは角田美代子たちから虐待を受けていたからだと思われています。
また、E家母は、F家母(実の母親)に対しての傷害致死罪などで起訴されており、一審や二審にて懲役2年執行猶予3年の判決を受けていますが、これを不服として上告をしています。
尼崎事件に関わった家族⑭ F家(母親・娘)
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F家母について
F家母は、E家・F家乗っ取り事件があったことによって、2011年9月11日に死亡しています。
角田美代子たちから、食事制限などの虐待を頻繁に受け、死亡時の体重はなんと22キロほどにまで落ちてしまっていたのでした。
また、F家母の死亡については、3名の人物が傷害致死罪などによって起訴されています。
F家長女について
F家長女は、E家・F家乗っ取り事件によって、F家母(実の母親)の死亡後に、角田美代子たちから集中的に暴力を受けるようになっていました。
しかしながら、監禁状態から角田美代子たちの隙をみて脱走し、警察に駆け込んだことをきっかけに、この尼崎事件という一連の事件が発覚することとなったのでした。
そんなF家長女は、F家母(実の母親)に対する傷害致死罪などで起訴され、一審や二審で懲役3年執行猶予4年の判決を受けましたが、これを不服として上告をしています。
尼崎事件の犯人・角田美代子の現在
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角田美代子は、尼崎事件が発覚した2012年10月以降、弁護団や留置係の警察官に「生きていても意味がない」「死にたい。どうすれば死ねるのか」と自殺をほのめかす発言をしていました。
そして、2012年12月12日午前6時20分頃、兵庫県警本部にある留置所にて、角田美代子が長袖Tシャツを首に巻きつけて自殺を図っているところを発見され、病院に搬送されました。
そして、後に死亡が確認されたのでした。
死亡した角田美代子の遺体を引き取りたいという親族は1人もおらず、このことから、2012年12月19日に神戸市によって火葬が行われました。
尼崎事件の現在
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以上のように、数多くの家庭や人物が巻き込まれてしまった尼崎事件、本当に残酷で、このような事件は二度とあってはならない事件でもあります。
主犯女性である角田美代子は逮捕されたものの、後に自殺してしまったことから、この尼崎事件の真相解明は困難な状況になってしまいました。
この尼崎事件に関わってきた生存する人物たちへ事情聴取は行われていますが、やはり主犯の角田美代子がマインドコントロールしている部分が多かったと言わざるを得ません。
そのため、角田美代子が死亡した今現在、この尼崎事件の完全なる解決は難しいかもしれません。
複数の家族が関係しているこの事件は、被害者が別の家族への加害者になっていたり、養子縁組や結婚などで人間関係が複雑に絡み合い、非常に陰湿で、犯罪が長期間隠されてきました。
家族内の虐待や、養子縁組システムの闇など、今後の日本の社会の課題が多く浮き彫りになった事件なのではないでしょうか。
まとめ
尼崎事件について、背乗りなど事件の手口、犯人の角田美代子の生い立ち、事件に関与した家族の相関図とそれぞれの人物の関係や当時の状況、判決、現在をまとめてみました。
いかがでしたでしょうか。
尼崎事件には、本当に数多くの家庭や人物が巻き込まれ、複雑怪奇かつ残忍な事件です。
主犯の角田美代子のマインドコントロール力は凄まじい威力を持っており、これだけの家庭そして人数を自らの欲望のために操り、そして虐待させ合わせていたことに本当に驚きます。
虐待を逃れて失踪されている方も何人かいらっしゃり、現在はどこかで幸せに暮らされていることを願うばかりです。
今後このような凄惨な事件が起こらないよう、地域や社会の見守りや連携体制が大切だと言えるでしょう。