和田アキ子

和田アキ子は在日韓国人!本名や生い立ち~父親・母親など実家の家族まとめ

大御所歌手であり芸能界の女帝として「ゴッド姉ちゃん」と呼ばれるタレントの和田アキ子さん。

 

和田アキ子さんの韓国人としての本名や韓国語のレベル、生い立ちと実家の家族について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。

和田アキ子の韓国人としての本名やプロフィールについて

和田アキ子の国籍や本名などプロフィールについて

芸能界で恐れられる女帝・和田アキ子

和田アキ子さんは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」として歌手デビューし、当時は『NHK紅白歌合戦』の最多出場記録を持つなど歌手として素晴らしい功績を残してきましたが、近年はバラエティ番組での”女帝ぶり”で注目を集めています。

 

和田アキ子さんについての詳しいプロフィールはこちら。

 

本名: 金 福子(김복자)Kim Bokja
別名: 金海 福子(帰化前の通名)、和田 現子(帰化後の旧姓)(わだ あきこ)、飯塚 現子(再婚後の本名)(いいづか あきこ)
生誕: 1950年4月10日
出身地: 大阪府大阪市天王寺区舟橋町
学歴: 城星学園高等学校中途退学
ジャンル: J-POP、歌謡曲、ソウル、R&B、ジャズ
職業: 歌手、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ、実業家
活動期間: 1968年 –
レーベル: RCAレコード(1968年 – 1974年)、RVC(1975年 – 1978年)、ワーナー・パイオニア(1979年 – 1991年)、ワーナーミュージック・ジャパン(1991年 – 2001年)、テイチクレコード(2001年 – 2006年)、ユニオンレコード(2007年 – 現在)
事務所: ホリプロ

 

引用:Wikipedia – 和田アキ子

 

ウィキペディアの引用にあるように、和田アキ子さんの帰化前の本名は「金海 福子」であり、読み方は「かねうみ」「かなうみ」「かなみ」「きんかい」となりますが、和田アキ子さんの読み方は「かねうみ ふくこ」となるようです。

 

韓国の「金海金氏」一族が日本での通名で使う苗字のようで、日本には約1300人の「金海」姓がおり、特に日本で最も在日韓国人・朝鮮人が多いと言われる地域である大阪市生野区に多いと言われています。

 

このことから和田アキ子さんの帰化前の国籍は韓国となります。

 

 

 

和田アキ子は韓国後を話せる?

和田アキ子が韓国語を話したことは無い

和田アキ子さんは父親が韓国人、母親は朝鮮人(詳細不明)であることから在日韓国人2世なので両親から韓国語を聞いて自然と話せていたかもしれませんが、話した、書いたというエピソードはありません。

 

両親は日本に馴染むために日本語を話していたはずなので、もしかしたら和田アキ子さんは韓国語に慣れ親しむ環境には無かったかもしれません。

 

和田アキ子さんはルーツである韓国に贔屓にするような言動は無く、父親を心底憎んでいたことから韓国が好きではない可能性もあるでしょう。

 

 

和田アキ子の韓国にまつわる生い立ちや実家の家族(父親・母親)について

和田アキ子の両親は在日韓国人だった

和田アキ子は父親を殺したいほど憎んでいた

和田アキ子さんの父親は韓国の済州島出身で、母親は朝鮮半島出身と言われており、在日韓国人2世となります。

 

和田アキ子さんの実家は大阪府大阪市天王寺区舟橋町の大阪環状線鶴橋駅近くにあり、その近所に父親が「金海道場」という格闘技道場を開き、母親は中央市場で乾物屋を経営していました。

 

在日韓国人の芸能人の中にはみやぞんさんのように極貧を経験した人も少なくないですが、和田アキ子さんの実家は生活は普通にできていたようです。

 

和田アキ子さんは子供の頃から人一倍体がおおきく、6歳の頃から父親に空手と柔道の稽古をつけられており、和田アキ子さんには3人の弟がいましたが、男尊女卑で暴力的な父親のシゴキは長女である和田アキ子さんに集中していたと語っています。

 

父親の前では必ず正座をして敬語で話さなければならず、少しでも気に入らないことがあれば小学生時代であっても容赦なく殴られていたそうです。

 

 

和田アキ子と金正日の正妻・高英姫は幼馴染だった

父親の道場に高英姫とその父親が通っていた

父親の「金海道場」には北朝鮮最高指導者・金正恩の母親で金正日の妻だった高英姫とその父親でプロレスラーの大同山又道が通っていたと言われています。

 

当時高英姫は9歳、和田アキ子さんは12歳で幼馴染のような関係であり、大同山又道が稽古に励んでいる間は和田アキ子さんが高英姫の面倒を見てあげていたようです。

 

高英姫は日本で和田アキ子さんに遊んでもらった楽しい思い出を胸に刻みながら、過酷な北朝鮮へと帰ったと言われています。

 

 

 

和田アキ子は中学校時代に初めて在日韓国人だと知った

中学時代に自身のルーツが韓国だと知った和田アキ子

和田アキ子さんは週刊誌「週刊文春」のインタビューにて「中学生の時に初めて自分が日本人ではなく韓国人だと知った」と語っていました。

 

和田アキ子さんは父親のシゴキにより中学校1年生になる頃にはすでに柔道初段の腕前でした。

 

暴力的で厳しすぎる父親を心から憎んでいた和田アキ子さんは飲酒と喫煙に溺れ、中学校2年生の頃には喧嘩負けなしとなり男の子分を従えて大阪・ミナミを縄張りとして練り歩き、周辺の不良から「ミナミのアコ」と恐れられる存在となりました。

 

和田アキ子さんは喧嘩に勝つと道頓堀川に投げ込むことも多々あったようで、翌日に死体で発見されてないか朝刊をチェックしていたそうです。

 

和田アキ子さんは大阪市立真田山小学校に通っていた5年生頃に洋楽に目覚め、アメリカの盲目の歌手でピアニストのレイ・チャールズに憧れて歌の才能を開花させ、ジャズ喫茶などで歌っていたところをホリプロダクション(現・ホリプロ)の社長・堀威夫さんにスカウトされて上京しました。

 

 

和田アキ子の父親が在日韓国人とバレないように帰化させる

「金海福子」でデビューしないように父親が「和田現子」に帰化させる

大阪出身で「金海」姓を名乗れば在日韓国人であることが100%バレると思った父親は、すでに帰化して”和田”姓を名乗っていた兄弟・和田忠浩(金和淑・和田アキ子の叔父)の養子にさせました。

 

外国人が日本人に帰化すると政府が承認した証拠として官報に名前が載りますが、和田アキ子さんも載っています。

 

法務省告示 第百五十四号
 左記の者の申請にかかる日本国に帰化の件は、これを許可する。
 昭和四十六年七月二十三日
 法務大臣 前尾繁三郎

 住所 東京都新宿区四谷四丁目二十四番地
 金福子(和田アキ子、和田現子、金海福子)昭和二十四年四月十日生

 大阪府大阪市生野区鶴橋出身

 

引用:在日韓国人和田アキ子こと金福子の帰化日 – 和田アキ子の同胞在日朝鮮人 横浜市議による社会法人不正取得疑惑

 

本名を「和田現子(わだ あきこ)」と名乗るようになり、R&B歌手ということで海外でも通じるような芸名として「マーガレット和田」という提案もありましたが、本人とイメージが違うということで「和田アキ子」として1968年10月25日にファーストレコード「星空の孤独」でデビューしました。

 

 

和田アキ子は父親を殺したいほど憎んでいた

父親に殺害予告をした和田アキ子

2017年10月14日に放送された番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』に出演した和田アキ子さんは、厳しすぎる父親に殺害予告をしたことを明かしました。

 

時にはベルトのバックルで殴られ、バックルの留め具が、下唇を貫通。「今でも傷があるんです。親父が“ボケッ、コラッ”て殴ったんです。血だらけになって、貫通したまんま、泣きながら病院へ行ったのを覚えています」と振り返った。

 

 そんな“しつけ”に「ちゃんとして欲しかったんでしょうね。でも、ことごとく反発しました。嫌いで嫌いでしょうがなかった」と複雑な“父娘関係”を告白し、「一回ね、“お父さん、私は本当にお父さんの子どもですか?”と言ったことがある。“もう耐えられない”と。“お父さん、寝てる間にお父さん殺して、私も死にます”と話したら、“おう、やってみいや、お前、先に殺してやるから…”。そういう父親でした」と涙ながらに回想した。

 

引用:デイリー – 和田アキ子、父親の厳しい“しつけ”を明かす 「お父さんを殺して私も死にます」

 

和田アキ子さんは家出を繰り返し、不良として名を轟かせながらも高校に入学したそうですが、父親に勝手に退学届を出されて学校に行けなかったそうです。

 

金正日の正妻・高英姫とその父親が道場に通っていたことからも、和田アキ子さんの父親はただの在日韓国人では無かったのかもしれませんね。

 

和田アキ子さんは大阪・ミナミ界隈で恐れられた不良だった反面、女性らしい面もあり、中学校はカトリック系の女子高に通い、姉妹校の男子校の男子と交際していました。

 

また、将来は保母さんになりたかったそうですが、家族全員に反対されて早々に諦めていたようです。

 

 

和田アキ子の叔父・和田忠浩(金和淑)は山口組だった?

和田忠浩は逮捕歴3回、実刑で収監されていた

和田アキ子さんの叔父・和田忠浩は金融業や不動産業で財を成していたようで、漫画「難波金融伝・ミナミの帝王」の主人公・万田銀次郎のモデルになった人物だと言われています。

 

以下が、和田忠浩が帰化した時の官報に掲載された内容です。

 

官報 第 10660 号
昭和 37年 7月 3日 火曜日
法務省 告示 第七百八十五号
左記の者の申請にかかる日本国に帰化の件は、これを許可する。
昭和三十七年七月三日
法務大臣 植木庚子郎
国 籍 朝鮮
出生地 朝鮮全羅南道済州島済州邑吾羅里以下不詳
住 所 大阪府大阪市東区東坂町四百五十四番地

金 和淑(和田忠浩)
昭和六年六月二十五日生

 

引用:在日韓国人和田アキ子こと金福子の帰化日 – 和田アキ子の同胞在日朝鮮人 横浜市議による社会法人不正取得疑惑

 

和田忠浩は金貸しとして貸し付けていた相手の返済が滞ったため、恐喝したことから2002年10月に逮捕されました。

 

和田アキ子の叔父・和田忠浩容疑者が2002年10月上旬恐喝未遂で広島県警に逮捕 されていたことが発覚。 
同容疑者は大阪で金融業、不動産関係の会社を経営。 
ある人物に4億5000万円を貸したが期限を過ぎても返済しなかったため広島市内に本社を 置くこの人物の連帯保証人に催促。 
この際右翼団体に取立てを依頼した疑い。また 叔父は2006年9月21日にも競売入札妨害と強制執行妨害の疑いで逮捕されている 

 

引用:正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現

 

そして和田忠浩は2009年6月には懲役2年の実刑判決が確定して収監されています。

 

このの情報について「元三代目山口組幹部組織小田秀組舎弟 現在六代目山口組の3次団体山健組生島組企業舎弟」と関連文書に記載されていることから確実に山口組系の構成員だと言われています。

 

和田アキ子さんが芸能界で”女帝”として君臨し、暴力といじめにより多くの芸能人を支配してきたと言われる裏には叔父・和田忠浩のような暴力団組織の後ろ盾があったからなのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

和田アキ子の生い立ちと実家の家族について総まとめすると・・・

芸能界で歌手やバラエティタレント、司会者として活躍してきた和田アキ子さんの生い立ちや実家の家族について総まとめしてきました。

 

・和田アキ子は在日韓国人2世でデビューと同時に帰化した

・和田アキ子の叔父は山口組の構成員で父親もその筋の人間の可能性がある

 

和田アキ子の芸能界での暴力・権力の凄さは色々と伝説がありますが、こうした生い立ちを鑑みると納得できる部分が多くあるようです。

 

 

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