松井稼頭央は韓国人!国籍や本名・生い立ち~現在まで総まとめ【プロ野球選手】

 

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「稼頭央」というあまりない漢字の並びが特徴的な松井稼頭央さんですが、実はこちらは本名ではなかったんです。

 

本名は、「松井 和夫(まつい かずお)」さんだそうです。

 

読み方は全く同じですが、漢字は平和の「和に」夫婦の「夫」と書くんですね。

 

プロに入って2年後の1995年に、現在の「松井稼頭央」に選手登録を変更したんだとか。「中央で先頭に立って活躍できるように」という意味が込められているそうです。

 

 

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当時は鈴木一朗選手が「イチロー」という名前を使うなど、本名とは違う名前で選手登録するのが流行していたため、松井稼頭央さんも特徴的な漢字に変更したようですね。

 

昔からのプロ野球ファンや松井稼頭央選手のファンは当たり前に知っていることかもしれませんが、最近見始めた人や名前を知っている程度という人にはビックリな情報でしたね。

 

 

松井稼頭央の生い立ち~現在

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松井稼頭央さんは、幼稚園時代からずっと野球漬けの毎日を送っていたそうです。

 

小学3年生の頃、上級生の先輩に誘われて若江ジャイアンツに入団しました。

 

当時その地区が強豪ぞろいだったこともあり、小学生時代は全国大会まで行けず、また中学生時代も地区大会の決勝戦で破れ、全国大会まであと一歩及ばずという結果に。

 

高校には超名門校PL学園に入学し、松井稼頭央さん自身はケガで投げることはできませんでしたが、念願の春のセンバツに出場しています。

 

 

 

1年~3年の春あたりまで背番号10でベンチ入りはしていたものの、ケガが原因となってほとんど試合で投げることはできなかったそうです。

 

3年生の夏の大会ではやっと出場することができ、1回戦、2回戦ともに9回までを投げ抜きます。決勝戦にも出場しましたが、試合に破れベンチ横で涙を流す場面もあったようです。

 

 

プロ野球での活躍は誰もが知る通り、西武ライオンズではメジャー移籍までの7年間で、3回のリーグ優勝にチームの中心ととして貢献。「(二代目)ミスターレオ」とも呼ばれていました。

 

野球選手として高い身体能力が評価されていて、俊足、巧打、長打、強肩、好守を併せ持つ、いわゆる「5ツールプレイヤー」と言われています。

 

打力(Hitting)、守備力(Fielding)、走力(Running)のどれをとってもうまくこなすことから、日本球界最強のオールラウンド選手とも呼ばれました。

 

 

 

 

2000年にはモデル・タレントの松井美緒さんと結婚しています。

 

小学生時代からケガに悩まされていた松井稼頭央さんですが、プロ入りしてからもメジャーに行ってからもそれは変わらず、とても辛い時期もあったようです。

 

松井稼頭央さんによると、PL学園のころの記憶と言えば試合での思い出よりケガとどう闘ったかしか思い出せないくらいと言うほどです。

 

 

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その教訓から、試合を休んでレギュラーを譲ってはいけないと思い、ケガや体調不良だったとしても試合を休むことなく、高卒後の西武では7年間全試合出場を続けたとか。

 

そんな松井稼頭央さんを妻の松井美緒さんが献身的に支え、WBC日本代表に選抜されたり、日本のプロ野球に復帰するなど、長きに渡ってプロ野球選手という職業を続けてきました。

 

 

現役を引退した後には、西武ライオンズでテクニカルコーチを努めたり、現在は西武ライオンズの二軍監督として起用されるなど、並外れた努力とその功績が認められています。

 

 

まとめ

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松井稼頭央さんについてよく分かりましたか?

 

どうやら以前は韓国人だったようですが、すでに帰化して日本国籍をもっている日本人になられていたようですね。

 

韓国人であっても日本人であっても、松井稼頭央さんの積み重ねてきた努力と功績は変わりないものです。

 

今後も監督として、またその先にはコメンテーターやタレントさんとして活躍する姿に期待したいですね!

 

 





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記事へのコメント

  1. 松井は2年の選抜で背番号1で東海大相模戦に先発しているし 投げられなかったというのはでたらめ。

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