韓日通算626本塁打という韓国人打者として最高の記録を残したイスンヨプ(李承燁)さんですが、現在や嫁や子供も注目を集めています。
今回はイスンヨプさんの韓国時代、巨人時代の活躍や年棒、嫁や子供情報などをまとめました。
この記事の目次
イスンヨプ(李承燁)のプロフィール
「国民打者」と呼ばれた韓国の英雄、イ・スンヨプ
イ・スンヨプさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 李承燁(イ・スンヨプ、韓国語:이승엽)
国籍: 大韓民国
出身地: 大邱広域市
生年月日: 1976年10月11日
身長: 183 cm
体重: 87 kg
選手情報
投球・打席: 左投左打
ポジション: 一塁手
プロ入り: 1995年 KBO地域優先ドラフト
初出場: KBO / 1995年4月15日、NPB / 2004年3月27日
最終出場: KBO / 2017年10月3日、NPB / 2011年10月18日
年俸: 10億ウォン(最終年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
慶商中学校
慶北高等学校
サムスン・ライオンズ (1995 – 2003)
千葉ロッテマリーンズ (2004 – 2005)
読売ジャイアンツ (2006 – 2010)
オリックス・バファローズ (2011)
サムスン・ライオンズ (2012 – 2017)
引用:Wikipedia – 李承ヨプ (野球)
イスンヨプ(李承燁)の韓国時代の活躍~来日までの経緯
日本移籍は本位ではなかったイ・スンヨプ
イ・スンヨプさんは1995年に慶北高等学校卒業後は投手としてサムスン・ライオンズに入団しましたが、高校時代の左肘の故障が完治せず、打者に転向しました。
この頃に憧れだった王貞治さんの1本足打法を参考に、フォームの改造を行いました。
シドニーオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権の日本戦で、イ・スンヨプさんは本塁打を放ったことから「国民打者」「ライオンキング」の愛称で呼ばれるようになりました。
2003年にFA権を取得したイ・スンヨプさんは、メジャーリーグへの挑戦を希望しましたが、獲得に意欲を示したのはロサンゼルス・ドジャースのみで、しかもマイナー契約でした。
好条件のオファーが無かったため、イ・スンヨプさんはかねて「最悪の場合は日本で1年間プレーすることを考えている」と語っていた通り、日本の千葉ロッテマリーンズと契約しました。
イスンヨプ(李承燁)が巨人で最高年棒に
イ・スンヨプの最高年棒は6億5千万円
イ・スンヨプさんは、2004年の西武ライオンズとの開幕戦で初打席に臨み、松坂大輔さんから初安打初打点を取りました。
しかしその後成績は振るわず、2005年も2軍スタートで成績を残せなかったため、ロッテを離れることになり、2006年1月19日にイ・スンヨプさんの読売ジャイアンツ入団が発表されます。
前年のWBCでの活躍や、当時巨人の主力だった高橋由伸さん、小久保裕紀さんが故障続きだったことから、開幕戦の横浜ベイスターズ戦から4番打者に指名されました。
そして、加藤武治投手から移籍後初の本塁打を放ち、その後もイ・スンヨプさんは絶好調をキープし続け、巨人の主砲として活躍しました。
次シーズンも巨人の熱烈なオファーがあり、2007年から推定年俸6億5千万円(契約金約30億円)で契約をし、イ・スンヨプさんのキャリアで最高の年棒となりました。
しかしこの年をピークに約3年で調子が下がり続け、戦力外となったイ・スンヨプさんは、2010年11月16日に巨人から契約更新をしないことを通告されます。
「中途半端な形で地元韓国に帰れない」と語ったイ・スンヨプさんは、オリックス・バファローズと契約し、移籍しました。
イスンヨプ(李承燁)が一番印象に残ったホームラン
イ・スンヨプが印象に残ったホームランは韓国でのプレー
ホームランを頻繁に打っている強打者にとって、思い出の1本を選ぶのは難しいかもしれませんが、イ・スンヨプさんは韓国シリーズで初めて優勝した時に放った1本だと答えています。
いつか誰かが一番記憶に残るホームランを選んでほしいと言ったが、本当に一つを選べない。2002年の韓国シリーズで放ったホームランもあるし、アジア新記録を打ち立てたシーズン56号ホームランもある。北京オリンピックのときも同じだ。
しかし、もっとも意味があると思うのは、2002年に初めて韓国シリーズで優勝したときのものだ。ホームランを打って泣いたことは多くないが、そのときは一番多く泣いた。韓国シリーズで4回優勝し、日本シリーズでも2回優勝したが、優勝して泣いたのは2002年だけだ。それだけ初優勝は強烈だった。
日本でのプレーよりもホームである母国の方が印象深いのは当然だと言えますが、イ・スンヨプさんは日本でのプレーにあまり良い印象を持っていなかったことも理由としてあるようです。
イスンヨプ(李承燁)が「巨人時代は最悪だった」と語り話題に
子供扱いされたことに腹を立てていたイ・スンヨプ
巨人は実力主義が強いチームのようで、実力が無ければまるでいじめのような扱いを受けることもあり、イ・スンヨプさんは移籍年と全盛期以降にひどい扱いを受けていたようです。
このことから、日本時代に良い印象を持っていなかったようです。
最悪だったのは日本時代だ。特に2008年から3年間は本当に大変だった。パフォーマンスと実力で示せばよかったのだが、巨人では他の部分に対するストレスも多かった。
他のチームには申し訳ないが、巨人は比較対象のない最高のチームだ。だが、実力で認められなければこれほど冷たくされる球団もない。誤解もあったし、まるで小学生のように扱われることが耐え難かった。心に受けた傷が大きかった。
暖かい言葉をかけてくれることを期待したわけではなく、どうか言葉を投げないでほしいと願った。野球をしながら、精神的につらいと思ったのは初めてのことだった。韓国では2軍の経験がなかったため、その心情を知らなかったが、いつか後輩たちが本音を打ち明けたら、うまく受け入れられるだろう。
イ・スンヨプさんは、巨人を「他と比較できない最高のチーム」とも語っています。
巨人にリスペクトの念も強く持っているようで、精神的には辛かったとしてもプレーは楽しめていた部分もあったのかもしれません。
しかし、イ・スンヨプさんはこの辛い経験があるからこそ、今後の後輩の指導に役立つと感じていたようです。
イスンヨプ(李承燁)の引退後の現在
イ・スンヨプさんは2012年に古巣のサムスン・ライオンズに戻り、2017年10月3日に現役生活に終止符を打ち、引退しました。
その後は韓国野球委員会(KBO)の広報大使を務めて、韓国野球界に貢献し続けています。
俺はイ・スンヨプ好きだったけどだからこそ文句を言ってたし、チームのことを考えればスタメンから干されて当然だと思うときもあった。
— note@野球実況垢 (@note233) June 2, 2019
それは本心であって、人から否定される筋合いはない。
イスンヨプ(李承燁)が結婚した嫁とは
イ・スンヨプの嫁は美人妻のイ・ソンジョン
2012年12月3日放送の韓国のバラエティトーク番組『ヒーリングキャンプ~楽しいじゃないか~(SBS)』に出演したイ・ソンジョンさんは、旦那のイ・スンヨプさんについて語りました。
イ・スンヨプさんとイ・ソンジョンさんの出会いは高校時代で、21歳と若くして結婚しましたが「怖いもの知らずだった」と、特に深く考えずに結婚したことを明かしました。
この日、イ・ソンジョンさんは「何がよくて結婚を決心したのか」というMCの言葉に「李承ヨプにメジャーリーグの夢があり、結婚後は一緒に米国へ行こうと言われた」とし「だから結婚したのに米国には行かなかった」と話して笑いを誘った。
また「あまり深く考えずに結婚を決めてしまったようだ」と話しながらも、「両親は若い年齢の結婚ということで止めたが、それを振り切った。李承ヨプが本当に好きだった」と告白して目を引いた。
結婚後、イ・スンヨプさんとイ・ソンジョンさんの間には2人の息子が生まれ、現在まで夫婦仲は良好であることが番組から感じ取れたようです。
イ・ソンジョンさんがとても美人であることから、韓国の芸能人だと思ってしまいますよね。
ですが、若い頃にモデルとして活動していたことはあるようですが、それ以外に芸能活動は本格的にしていなかったようです。
イスンヨプ(李承燁)の子供とは
イ・スンヨプの息子はイケメン
イ・スンヨプさんには息子さんが2人います。息子たちについて、一緒に露出することはあってもプライベートな情報はあまり明かされていないようです。
また、現役引退後の生活についてインタビューされた時には、子供との時間が増えたと答えています。
子供と過ごす時間がいちばん増えた。ところで、それほど良いわけじゃない。息子の大変な点を理解してやり、また急かしたりしなければならないから。何よりもこれまで妻がかなり大変だったと思うようになった。かつては「大変じゃないのに」と思ったが違った。子供たちは寝る時が静かで一番かわいい(笑)。子供たちに大きく望むことはないが、今日することを明日に先送りすることは嫌いだ。やりこめるというよりは、お父さんが思うにはこれが正しいという言い方をする。
韓国語を日本語に直訳しているため少し固い言い回しですが、イ・スンヨプさんは育児に参加する時間が増えたことで、妻がどれだけ子育てで大変な思いをしてきたかを痛感したようです。
イ・スンヨプさんの言葉は子育てに積極的に参加している父親なら共感できる話だと思いますが、2人の子供をとても愛していて、真剣に子育てに向き合っていることが伺えます。
イ・スンヨプで画像検索してたらユカワにそっくりなスンヨプの息子出てきてまじでわらった
— あんどるす (@DJ__RYUJ1N) May 31, 2019
思い出の交流戦。2005年中日の川上は8回途中までパーフェクト❗しかし、千葉ロッテのイ・スンヨプに千葉マリンのセンターバックスクリーンに豪快な一発を打たれノーヒットノーランどころか、完封も阻止されたことがありました。#交流戦
— 歌のおにいさん(花咲け野球垢) (@u094137) June 3, 2019
まとめ
かつての巨人の主砲で、韓国で「国民打者」と呼ばれて英雄視されていたイ・スンヨプさんについて総まとめしてきました。
・イ・スンヨプは「日本時代は悪かった」と語っているが嫌っているわけではない
イ・スンヨプさんは、現在も巨人の選手の活躍に注目しているようです。
元同僚だった阿部慎之助さんが通算400本塁打を達成したことについて、2019年6月1日に「本当にすごい」と祝福のメッセージを出していました。
韓国の「国宝投手」と呼ばれたソン・ドンヨルさんも日韓の野球の架橋となっていますが、イ・スンヨプさんも同様に今後も野球界を盛り上げてくれるでしょう。