在日芸能人多い理由

日本に在日韓国人や朝鮮人の割合が多い理由まとめ!地域・地位・ヤクザ・犯罪などの観点からも解説

はじめに

日本には「在日」と呼ばれる在日韓国人・朝鮮人の方々が多数おり、現在の日本社会とは切っても切れない存在です。

 

今回は在日韓国人・朝鮮人が生まれた経緯、社会的地位が高い人ややくざなど在日の割合が多い理由をまとめました。

在日韓国人・朝鮮人が生まれた経緯

 

日本の歴史と在日韓国人・朝鮮人

 

 

在日韓国人・韓国人の生まれた歴史を遡ると、日本の韓国併合後の統治時代に行き着きます。

 

当時、韓国人・朝鮮人は国籍はそのままでも実質「大日本帝国の国民」でした。

 

戦時中日本にいた在日韓国人・朝鮮人の多くは、戦時の徴用工召集で渡航した人や密航してきた人です。

 

 

この密航者の多くは、日本の植民地支配により仕事を失い、母国を捨てて仕事を求めてきた人も多く、戦前の1935年~40年までの間にすでに120万人余りに膨れ上がっていました。

 

戦時の徴用工を含めると、終戦の1945年までに200万人もの在日韓国人・朝鮮人がいました。

 

日本人にとって、彼らは植民地支配下では格下の身分の人間と見下していたため、酷い差別がありました。

 

戦後の朝鮮は、日本の統治時代を終えて連合国やアメリカにより約3年間の暫定軍事政権下に置かれたものの、事実上の独立を果たしました。

 

そこで、独立したにもかかわらず、「現在までになぜ日本には在日韓国人・朝鮮人が多いのか」という疑問が出てくると思います。次項ではその理由を見ていきましょう。

 

 

 

在日韓国人・朝鮮人が帰国しなかった理由とは

 

GHQの施策により、内地(日本)にいた在日韓国人・朝鮮人は帰国が可能だったにも関わらず、残り続けた理由は何だったのでしょうか。

 

 

実は終戦後、日本はGHQ主導の下で在日韓国人・朝鮮人を帰国させる要請を韓国側に求めましたが、当時の韓国政府は非常に消極的で受け入れを拒否しました。

 

そのため、韓国政府は日本人と在日韓国人の双方から「棄民政策」としてそしりを受けましたが、これが現在まで日本に在日韓国人が多い理由になります。

 

 

また、日本に残った在日韓国人・朝鮮人は、母国では食べていけず密航してきた人が非常に多いため、すでに日本で生活の基盤を作っていたことから帰りたくても帰れない人も多くいました。

 

また、戦後の連合国軍政、アメリカ軍政、ロシア府政など目まぐるしく体制が変わり、朝鮮統一の夢も潰えてしまったことから結局日本に戻ってきた韓国人も多くいます。

 

 

さらに1952年4月28日に発効された「サンフランシスコ平和条約」では、それまで日本国籍を取得していた60万人もの在日韓国人・朝鮮人の国籍が失効。”外国人”扱いとなりました。

 

その後日本国籍を再取得はできましたが、当時は非常に制約が多く、屈辱を受けた上に再び「天皇の臣民になる」というアイデンティティに関わる選択を取らなかった朝鮮人も多くいました。

 

こうした背景もあり、在日韓国人・朝鮮人が多く日本に残るようになりました。

 

 

帰国した在日朝鮮人の末路とは

在日北朝鮮の人々は、本国からも差別の対象でした。

 

北朝鮮国民からは「ジェッキ」「チェポ」という蔑称で呼ばれており、「母国を捨てた裏切り者」として忌み嫌われていました。

 

帰国した人は、北朝鮮に配偶者として在住していた日本人よりも少し上程度の身分として扱われましたが、社会的権利が無いに等しく、飢餓で多くの人が亡くなりました。

 

 

また、日本で経済的に成功を収めて資産を持って帰国した人は、財産をすべて没収。

 

それだけでなくさらに、日本に残してきた家族や親戚などに送金を求めて資金源になるように命令されたようです。

 

それに従わない者や日本の科学技術獲得に貢献しなかった帰国者は、子孫まで含めて10万人余りが強制収容所送りとなり、拷問の末に処刑されました。

 

そして、北朝鮮政府である金一族に協力的な帰国者には、日本国内に再び送り込み、スパイ活動をさせたようです。

 

 

在日韓国人・朝鮮人の割合が多い地域とは





HARYUトップページに戻る

記事に関連するタグ

関連する記事

記事へのコメント

前後の記事

検索

人気のキーワードから探す