ストリートチルドレンを経て14歳でホステスとなり、山口組や伊藤管長、清原和博まで数々の大物から寵愛を受けた生島マリカ。
今回は生島マリカの若い頃から現在までの経歴、韓国人の家族(父親)、結婚した旦那と子供についてもお届けします。
この記事の目次
生島マリカのプロフィール
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名前:生島 マリカ(いくしま まりか)
生年月日:1971年
出身地:兵庫県神戸市
生島マリカは神戸市に生まれ、ストリートチルドレンを経て、14歳で北新地のホステスとなった女性です。
ホステスやクラブの経営、秘書、モデルなどを経験し、3度の結婚と離婚、2度のがんを経験。
2012年夏に真言宗某寺にて得度し、僧侶となりました。
自分が死んだ時に天涯孤独になる一人息子を想って、遺言を兼ねた文章を書き始め、現在は作家としても活動中です。
生島マリカは漫画『毎日かあさん』問題で話題に
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2022年、漫画『毎日かあさん』の作者である西原理恵子の毒親っぷりを娘・鴨志田ひよが告発した問題について、母娘と古くから親交がある生島マリカが言及しました。
生島マリカは、西原理恵子・鴨志田ひよ母娘について次のようにツイート。そして、このツイートから始まる長いツリーが、母娘問題をさらに浮き彫りにして話題になっています。
中3の時に娘が反抗期で言うこと聞かないから面倒みてくれと母親から紹介された。頭痛が酷くて怖いから医者に連れて行ってくださいと頼まれ付き添ったり16歳の誕生日にも母親はお爺さんに付きっきりで留守と。誕生日なのに誰も祝ってくれない美味しいお鮨が食べたいと言ったので高級寿司へ連れてった。
— Marika (@MaMaZ_marika) June 2, 2022
ここでは、漫画『毎日かあさん』問題で注目を浴びている生島マリカが一体何者なのか、若い頃から現在までをまとめました。
韓国人の家族と父親、結婚した旦那と子供、山口組や伊藤管長、清原和博まで数々の男達から寵愛を受けた過去についてもお届けします。
生島マリカの若い頃から現在までの経歴
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生島マリカは、1971年に兵庫県神戸市で生まれました。
実家は大阪・ミナミやキタの繁華街で宝石商をしており、乳母に育てられるなど裕福な家庭に生まれました。
しかし、実母が亡くなって父親が再婚したことを機に、13歳で家を追い出されてストリートチルドレンとなりました。
ストリートチルドレン時代
13歳で家を追い出された生島マリカは、ストリートチルドレンとして1年間ほど、野外や見知らぬ人の家で寝泊まりする生活を始めました。
小学校を卒業したばかりの少女が、工事現場、マンションの踊り場、ビルの屋上などで寝泊まりし、時にはディスコで知り合った人の家やホテルなどで過ごしていたのです。
14歳で北新地のホステスに
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ストリートチルドレンとして過ごしていた生島マリカは、14歳の誕生日を迎えた頃に、スカウトされていた北新地の高級クラブ「アクティブ」と契約してホステスとして働き始めました。
両親に「男に酌をするな」と言われて育ってきたそうですが、その父親から捨てられ、住む所も食べ物もなく、危険な目にも遭う生活の中で、親の教えを守ってはいられなかったといいます。
自分が安全に過ごせる居場所として選んだ高級クラブですが、前借り契約で200万円、支度金で100万円の計300万円の借金を追っての入店となりました。
店側は生島マリカが未成年だと知っていましたが、この時代は未成年が年齢を誤魔化してホステスとして働くケースが多く、生島マリカも正式な契約書を交わしてホステスとなったようです。
このホステス時代を巡っては、様々な波瀾万丈なエピソードがあります。
激しく劇的なホステス時代の若い頃の出来事は、後述する山口組との関係、伊藤管長との関係で詳しくお届けします。
2021年に仏門へ
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14歳で北新地のホステスとなり、16歳で銀座のホステスとなった生島マリカ。
その後、クラブ経営や秘書、ファッションモデルを経験。
2012年夏には、真言宗某寺にて得度して仏門に入り、僧侶となりました。
現在は作家としても活動し、ブログで発表したコラムに加筆した著書『不死身の花―夜の街を生き抜いた元ストリート・チルドレンの私―』などが出版されています。
また続編として『修羅の花〜山口組トップから伝説の経済ヤクザの息子までが素顔を見せた』などを執筆して話題になりました。
生島マリカは在日韓国人
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生島マリカは在日韓国人2世として生まれました。
壮絶な家庭環境の幼少期・少女期を過ごしているため、ルーツに関してはほとんど語られることがないものの、血筋は複雑で、印中露韓の血を引く在日韓国人2世とされています。
生島マリカの家族(父親)
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生島マリカは、父親・母親、異母異父兄弟9人という家族環境で育ちました。
実家が大阪ミナミ・キタの繁華街で宝石商をしていたことから家計は裕福で、生後は乳母に育てられました。
漫画『毎日かあさん』問題で毒親が話題になりましたが、生島マリカも家族からひどい扱いを受けていたようで、母親が毒親だったことを明かしています。
ツイッターでは、5歳で母親に泥棒扱いされたこと、実の母親譲りの八重歯を当の母親から“鬼の子”と言われ毛嫌いされたことが綴られていました。
生島マリカはその度に「この八重歯はあなたからもらったものだよ。あたしが鬼の子なら、あなたは鬼ということになるけどそれでいいの?合ってるけど」と何度も心の中で唱えていたそう。
小さい頃から声を殺して家族と関わっていたと語っており、そのため家族関係はかなり悪く、決して良い環境とは言えない幼少期を過ごしていたようです。
生島マリカの結婚歴は4回:旦那と子供
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生島マリカはこれまで4度の結婚と離婚を繰り返しています。
子供は息子が1人いますが、旦那について、全員の詳細は語られていません。
ただ、26歳の時に結婚した旦那の父親が、「日本一の経済ヤクザ」「元祖経済ヤクザ」と呼ばれる生島久次で、その長男であることは明かされています。
生島久次の長男との結婚
ホステス時代の1998年、生島久次の長男にデートに誘われ、初めてのデートでプロポーズされて結婚に至りました。
旦那の父親・生島久治は、元祖経済ヤクザの名に相応しく、同業に金を貸し付けるほどの資金力を持ち、野球賭博のシステムを考案した人物です。
しかし、生島久治は1996年に暗殺され、息子は26歳という若さで金持ちでも見たことのないような額の資産を手にしました。
生島マリカは彼のことを「お金を持っていることを恐れているかのようだった」と語っています。
博打や買い物など、お金を使うことに関して一切中途半端なことはせず、一晩で博打で3000万円を溶かして帰ってきたこともあったといいます。
父親の生島久治が遺したマンションは、年に一度行くかどうかで、誰も住んでいないにも関わらず、エルメスの絨毯を敷き詰め、5000万円かけて改築したというエピソードもあります。
海外に行けば、ニューヨーク五番街のGUCCIで店長が「今日は売る物がありません」と他の客を締め出すほど盛大に買い物をするなど、とにかく徹底的にお金を使っていたといいます。
旦那の金銭感覚について生島マリカは、「まるで強迫観念に駆られるかのごとく積極的にお金を使い、常軌を逸した買い物の仕方をしていました」と語りました。
「でも、彼はそうすることでしか世間とのかかわりを感じられず、生きている実感すら得られなかったのかなと思うのです」と理解を示しています。
元旦那と生島マリカの結婚生活は、著書『修羅の花〜山口組トップから伝説の経済ヤクザの息子までが素顔を見せた』で語られているので、気になった方はぜひ手に取ってみてください。
生島マリカと山口組の関係とは?
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生島マリカは実家が大阪の繁華街で宝石商をしていたことから、幼少期からヤクザと触れ合う機会がありました。
また、ホステスになってからは、自身がヤクザと交流を持つようになり、多くの大物から寵愛を受けています。
中でも、著書『修羅の花』には当時の山口組のトップとの関係が赤裸々に描かれています。
著書の中では、“神戸の社長”こと五代目山口組組長・渡辺芳則や、“奈良の会長”こと三代目山健組組長・桑田兼吉など、2人の大物から求愛されていた時のことが詳細に綴られました。
生島マリカは山口組の大物に対し、「ヤクザの大親分という先入観を排せば、優しくて気前のいい楽しいおじさんでした」と語っています。
五代目山口組組長・渡辺芳則は、生島マリカにとって“強面な見た目とは裏腹に慎重で、軽妙洒脱。つまりしゃれていて洗練された人だったといいます。
「お金やるわ」と言われ、財布を差し出すと、5円玉だけを入れるという冗談もするお茶目な人だったそうです。
一方、五代目山口組若頭補佐であり三代目山健組組長・桑田兼吉は、豪快そのものだったといいます。
北海道の高級な海の幸をこれでもかと贈り、ポンと紙袋で2000万円もの大金をプレゼントしてきたりと、豪快な羽振りの良さを持っていたとのことです。
生島マリカは当時、1人息子を持ったシングルマザーでしたが、この2人のどちらかと結婚してもいいと思うほど良好な関係を築いていました。
生島マリカと伊藤管長の関係とは?
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生島マリカと言えば、有名なのが宗教法人「柿本寺」の元管長・伊藤義文との愛人関係です。
伊藤管長は脱税で逮捕されますが、当時14歳だった生島マリカが伊藤管長の愛人だったことが明るみになり、ワイドショーでも取り上げられる大きな騒動となりました。
生島マリカと伊藤管長の出会い
2人の出会いは、生島マリカが最初に勤めた店を辞める際に、前借り分と支度金300万円の借金を肩代わりしてくれる移籍先を探している時に出会ったクラブママ・上原潤子がきっかけです。
潤子ママに「金主に挨拶に行く」と言われて連れていかれたのは雑居ビルの一室で、そこの社長室に、紫色の法衣と金色の袈裟をかけた伊藤管長がいました。
伊藤管長は自身が管長であり、川崎のソープランドのボーイからここまで這い上がってきたことを語り、「良かったらまた俺の話を聞いてくれる?」と再び会うことを求めてきたといいます。
数日後、2人は初めてのデートで天ぷらを食べ、そのままホテルのスイートルームで関係を持ちました。
当時、生島マリカは14歳でしたが、本人が「体も充分に早熟していました」と語っているように見た目は大人っぽく、その日から伊藤管長との愛人関係が始まりました。
伊藤管長の逮捕で愛人関係が発覚
伊藤管長は、宗教法人を隠れ蓑に多数のソープランドを経営し、巨額の脱税を行なっていました。
国税局の調べでは、伊藤管長は大阪で17軒のソープランドを経営し、3年間で85億円を売り上げながら、赤字申告や無申告を繰り返して約25億円の所得を誤魔化したとされています。
1987年4月3日の朝日新聞朝刊では、伊藤管長に所得税と重加算税で計約22億円を追徴する処分が決定されたと報じられました。
この脱税が発覚したことで、当時14歳だった生島マリカとの愛人関係もメディアの報道で明るみになり、「14歳愛人 ロリコン管長」といった見出しで連日ワイドショーで大騒ぎに。
生島マリカは伊藤管長について「きっとたくさんいた愛人のうちの1人だったと思います。どうして彼がわたしを可愛がって執着したのか分かりません」と語りました。
生島マリカと清原和博の関係とは?
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生島マリカと懇意にしていた大物の1人に、元プロ野球選手の清原和博がいます。
生島マリカと清原和博は、西武ライオンズ時代に1年ほど交際していた恋人関係でした。
2人の出会いは、生島マリカが22歳の時で、当時働いていた北新地のクラブに清原和博が飲みに来て、翌日店に直接電話がかかってきて食事に誘われたといいます。
一緒に食事をしたのがきっかけで交際に発展し、1年間ほどの交際期間を経て破局しますが、その後も友人として交流を続けていました。
2014年に清原和博が覚醒剤疑惑を報じられた時も、マスコミの追跡から逃れるために家にかくまっていたことを明かしています。
その後、清原和博が逮捕されると「私は彼が絶対にやってないと信じる」と語り、「帰ってきたら、友人としてバックアップしていくつもりです」と支えていくことを宣言していました。
現在の関係性は不明ですが、逮捕後も信じて待っていると語っていたことから、今でも交流を続けているのかもしれませんね。
まとめ
壮絶な人生を送っている生島マリカについてお届けしました。
生島マリカが綴った自身の自伝も興味深い内容となっているため、彼女の人生に興味がある方はぜひチェックしてみてくださいね。