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「反骨の柔道王」と呼ばれ、総合格闘家として「K-1」や「DREAM」、「UFC」などで活躍してきた秋山成勲さん。
秋山成勲さんの韓国にまつわる生い立ちや本名、日本国籍取得の理由、実家の家族について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
秋山成勲の韓国にまつわる本名や国籍問題、プロフィールについて
秋山成勲の国籍問題や本名、プロフィールについて
秋山成勲は常に日本人から嫌われ続けた「反骨の柔道王」
秋山成勲さんは3歳の頃から柔道に打ち込み、大学卒業後にオリンピックを目指しましたが激しい在日韓国人差別や国籍問題で断念し、その後帰化して日本国籍を取得したにもかかわらずオリンピック出場は叶いませんでした。
その後フリーの総合格闘家として「K-1」「DREAM」「UFC」などに参戦して活躍しましたが、在日韓国人であることや不祥事での無期限出場停止などから格闘技界で完全に嫌われ者となりました。
秋山成勲さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 秋山 成勲(あきやま よしひろ)
通称: 反骨の柔道王、セクシー山
国籍: 日本
生年月日: 1975年7月29日
出身地: 大阪府大阪市生野区
所属: フリーランス→チーム・クラウド
身長: 177cm
体重: 77kg
リーチ: 191cm
階級: ミドル級→ウェルター級
バックボーン: 柔道
テーマ曲: Time To Say Good Bye(サラ・ブライトマン)
引用:Wikipedia *- 秋山成勲
秋山成勲さんは韓国国籍だったことで日本代表選手としてオリンピックに出場できなかったことから2001年9月に日本に帰化して日本国籍を取得しましたが、その際の官報の情報が以下のとおりです。
2001年9月13日
住所 大阪市生野区
秋成勲 昭和50年7月29日生
秋山成勲(あきやま・よしひろ、本名同じ、1975年7月29日 – )と生年月日が一致している。
秋山成勲さんが帰化する前の韓国名は「秋成勲(チュ・ソンフン)」ですが、秋山成勲さんは「柔道のために日本に帰化したが私は永遠に韓国人」だと語っています。
秋山成勲の韓国にまつわる生い立ちや実家の家族について
秋山成勲は在日韓国人の多い大阪市生野区で育った
秋山成勲は父親の影響で柔道を始めた
秋山成勲さんは日本で最も在日韓国人・朝鮮人が多い大阪府大阪市生野区で生まれた在日韓国人4世で、柔道をしていた父親の影響で柔道を3歳の頃から始めました。
生野区の人口の半数が在日韓国人・朝鮮人とも言われるくらい日本屈指のコリアタウンであり、昭和の時代から日本人と共存してきたことから比較的在日差別の意識は低いと言われています。
そのため、秋山成勲さんも在日韓国人として酷い差別を受けて育ったということは無いかもしれませんね。
秋山成勲さんの母親は水泳の韓国代表選手だったと言われていますので、後に格闘技界で「魔王」と恐れられるほどの強さを見せた秋山成勲さんのDNAはサラブレッドだったようです。
秋山成勲さんには妹がひとりおり、実家は裕福ではなかったものの、月1回だけ家族で行く近所の焼肉屋が楽しみだったと語っています。
秋山成勲さんは清風高校を経て近畿大学へ進学しました。
秋山成勲は大学卒業後に韓国釜山へ
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