『プレイバック』や『いい日旅立ち』など数々のヒット曲を生み出してきた昭和の伝説的アイドル歌手・山口百恵さん。
山口百恵さんの在日韓国人説や本名、生い立ちと実家の家族について詳しく総まとめしましたのでご紹介しましょう。
この記事の目次
山口百恵のプロフィールについて
人気絶頂期に突然芸能界引退をした山口百恵
山口百恵さんは1972年12月のオーディション番組『スター誕生!(日本テレビ系)』で準優勝して芸能界入りを果たし、1973年4月の映画『としごろ』で女優デビューし、同タイトルの主題歌で同時に歌手デビューを果たしました。
1970年代にアイドル歌手、女優として一世を風靡すると、1980年3月7日に三浦友和さんとの婚約発表を会見で発表し、同時に芸能界引退を発表しました。
山口百恵さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 三浦 百惠(みうら ももえ)(旧姓:山口)
別名義: 横須賀 恵(よこすか けい)(作詞時のペンネーム)
生年月日: 1959年1月17日
出生地: 東京都渋谷区恵比寿
出身地: 神奈川県
身長: 158cm
血液型: A型
職業: 元歌手、元女優
ジャンル: テレビドラマ、映画、歌謡曲
活動期間: 1973年 – 1980年
配偶者: 三浦友和(1980年 – )
著名な家族: 三浦祐太朗(長男)、三浦貴大(次男)
引用:Wikipedia – 山口百恵
人気絶頂期の突然の芸能界引退宣言にファンは衝撃を受けるものの、世間的には人気が失速する前に芸能界を引退したことに潔いと評価も得ていました。
しかし、山口百恵さんの生い立ちからすると早々に芸能界を引退したのも頷けるかもしれません。
山口百恵の本名や在日韓国人説について
山口百恵の在日韓国人は誤報だった
山口百恵さんに在日韓国人説が浮上したきっかけは小学2年生から中学生で芸能界デビューするまで神奈川県横須賀市に住んでいたためでした。
横須賀市鶴ヶ丘の周辺には不入斗という在日韓国人・朝鮮人が多く住むコリアタウンがあり、その地域の県営住宅には朝鮮系の人が多く住んでおり、鶴ヶ丘団地にも住んでいました。
山口百恵さんは横須賀市立鶴久保小学校を経て横須賀市立不入斗中学校に進学してますので、在日韓国人・朝鮮人が多い学校に通っていたことになります。
さらに山口百恵さんの父親が仕事で朝鮮に行くことがよくあったことから、当時の雑誌等で「山口百恵の父親は朝鮮系」と書いてしまったそうです。
中国の黒竜江日報が発行する「生活報」の今月11日の報道によれば、中国大衆にもよく知られた日本のトップ歌手である山口百恵は韓国人の父を持つ韓国系だ、と紹介した。
山口百恵は1959年、韓国人の父と日本人の母の間に生まれたが、両親の離婚後は母方の姓を名乗り、現在まで母親と一緒に日本人として生活してきた。
(略)日本では芸能界デビュー時に所属事務所の指示に徹底的に従うのが慣例。したがって元々名前を変える意思がなかったこれら韓国系芸能人も元々の姓と名前を隠し、名前を変えて日本人戸籍に登録しなければならなかった、と同紙は伝えた。
しかし、それは全くの誤報だったようで山口百恵さんの両親は日本人であり、在日韓国人ではないようです。
1986年5月号の月刊『創』の特集記事「山口百恵“韓国ルーツ説”の真相を追う」で、徹底的に山口百恵さんの家系を洗い出していました。
結論を簡単にまとめると,百恵の父・Kこと久保茂は旧姓が山本茂で,その父・山本徳太郎,母・イチの二男。大正十年一月に久保コノの養子となる。久保茂の父・山本徳太郎は山本寅吉(江戸時代の人),トミの二男で,戸籍を江戸時代末期まで遡っても韓国とは無関係。母方も同様。
それは山口百恵さんの生い立ちと実家の家族から読み解けます。
美空ひばり 小柳ルミ子 明石家さんま 春日八郎 西城秀樹 山口百恵
— SHIN(박철규)ソウルで美容師 (@park7030) 2018年10月5日
ここらへん皆んな在日韓国人って記憶だったんだけど、違うのかな?ふとおもった
山口百恵の生い立ちは壮絶だった
不倫相手との間に生まれた非嫡出子だった山口百恵
山口百恵さんは芸能界引退直前となる1979年9月に自叙伝『蒼い時』を出版しており、そこには壮絶な生い立ちから芸能界の裏側、結婚する三浦友和さんとの馴れ初めから初体験までが赤裸々に語られていました。
この自叙伝は発売1ヶ月で100万部を突破し、年末までには200万部を売り上げるベストセラーとなったようですが、この時期に出版した意図は山口百恵さんの芸能界引退理由そのものだったのでしょう。
それが山口百恵さんの壮絶な生い立ちを知ることで、多くのファンは納得したことだと思います。
山口百恵さんは同著の中で「私には父親はいない。私はあの人の存在を認めない」と綴られており、父親への深い憎しみが伝わってきます。
山口百恵の父親・久保茂
山口百恵さんの父親は医者の久保茂という人物で、旧姓は山本茂でした。
画像は中国での番組のものですが、写真を無断引用された放送されていたようです。
久保茂は本妻と子供がいながら山口百恵さんの母親・正子さんと不倫関係に陥り、母親の父に「責任を持ってきちんとします」と、本妻と離婚して再婚するつもりであることを伝えていました。
しかし、久保茂は山口百恵さんと5歳下の妹・淑子さんが誕生しても本妻と離婚することはなく、戸籍上では”認知”という形だったようです。
山口百恵の父親は最低の男だった
久保茂は山口百恵の成功後に無心してきた
山口百恵さんは正子さんと淑子さんの女3人での貧しい生活を送る中で、自身が歌手になって成功すればお金がたくさん稼げると考えてオーディション番組『スター誕生!』に出演しました。
同番組で山口百恵さんは準優勝を果たしたものの、審査員の阿久悠さんから「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけど歌手は諦めた方が良い」と言われましたが、20社からオファーを受けて大手芸能事務所ホリプロから女優・歌手として同時デビューを果たしました。
その後、山口百恵さんは伝説的な歌姫として一世を風靡し、目的だったお金も有り余るほど稼ぐことができましたが、そこに目をつけた久保茂が突然姿を現して山口百恵さんにお金の無心をするようになりました。
久保茂は父親という肩書きを利用して事務所から勝手にお金を借りたり、正子さんから山口百恵さんの親権を奪おうと裁判を起こしたこともあったようです。
まさにクズ男だった久保茂と完全に縁を切るために山口百恵さんは多額の手切れ金を渡して縁を切りました。
山口百恵の母親は若くして死去
久保茂のストレスで早死した山口百恵の母親
その後、苦労に苦労を重ねた正子さんは1989年に51歳という若さでこの世を去ってしまいました。
創価学会員だったためお葬式は学会葬で行われたそうです。
山口百恵さんがデビュー当時に久保茂の存在を隠したいため、「幼い頃に両親が離婚して父親はいない」と公表したことでいらぬ憶測を呼び、”在日韓国人”説に結びついていった側面もあるようです。
久保茂はその後東京郊外にある老人ホームに入り、山口百恵さんから拒絶され続けていることについて怒りをあらわにしていたようですが、最期は孤独に生涯の幕を閉じたようです。
こうした山口百恵さんの壮絶な生い立ちを知ると、どこか物憂げな表情をしている印象は人生を現していたのかもしれませんね。
山口百恵「蒼い時」読了。数年前から私は百恵ちゃんのファンで、有名な曲ならほぼ歌える。今まで華やかな姿しか知らなかったから、裕福ではない過去や父親との関係、裁判の事件などを初めて知った。百恵ちゃんは今、幸せだろうか?幸せであってほしいと思う。https://t.co/JkjKzXSpg8 #はてなブログ pic.twitter.com/wrSvtwCBg7
— あすか (@asca0406) 2018年11月17日
山口百恵みたいな顔に産まれたかったくらい、好き。とか言うと年齢詐称疑われるけど、わたしの高校時代に印象に残った本の上位のひとつが、彼女の「蒼い時」だから。あれはまだうぶだった頃のわたしには、衝撃だったな。
— あさこ (@JZulus) 2018年11月29日
自分と同い年(21歳)のときに書いたってのが衝撃です。でも、メディアでは見せないけどセンチメンタルなところがあることは、どの21歳よりも濃い人生を歩んでてもあまり変わらないところなのだと思いました。おもしろかったです。#山口百恵 #蒼い時 #アウトプット #月間読破10冊チャレンジ pic.twitter.com/XIj74FqNU2
— 相撲@社会研究生 (@kazuya33585505) 2018年9月17日
山口百恵の在日韓国人説や生い立ちについて総まとめすると・・・
「昭和の伝説的な歌姫」として現在まで語り継がれている山口百恵さんの在日韓国人説や生い立ちについて総まとめしてきました。
・山口百恵は母親と妹を楽させたいと思い芸能界に入った
山口百恵さんは芸能界に入って大金を稼ぎ、母親と妹を楽させることは出来たと思いますが、父親の久保茂との騒動などがあり一層芸能界引退を決意していたのかもしれません。
「昭和の伝説的な歌姫」が生まれたのもクズ男・久保茂がきっかけだったというのも皮肉な話ですが、芸能界らしいとも言えるかもしれません。