「生ける伝説」の異名もある元レスラーでありタレントの天龍源一郎ですが、韓国人説も話題です。
今回は天龍源一郎の本名などのプロフィールや生い立ち、韓国人説の真相、父親や母親など家族の情報、結婚した嫁と子供(息子や娘)、自宅を紹介します。
この記事の目次
天龍源一郎のプロフィール
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名前:天龍 源一郎(てんりゅう げんいちろう)
生年月日:1950年2月2日
出身地:福井県勝山市
身長:186cm
天龍源一郎は、かつて大相撲力士やプロレスラーとして活躍し、現在はタレントとしてテレビ番組やCMでも活動しています。
13歳の時に大相撲の二所ノ関部屋へ入門し、「天龍」の四股名で大相撲力士として活躍した後、プロレスラーに転向し、1976年10月に全日本プロレスへ入団。
1992年にWARを旗揚げして、2010年に「天龍プロジェクト」を発足した後、2015年11月15日の引退試合をもってプロレスラー生活に幕を下ろしました。
引退時にはすでに65歳という年齢で、同世代レスラーの多くが引退する中、年齢を感じさせない活躍で第一線を走り続け、〝生ける伝説〟と呼ばれてきた存在です。
現在はタレントとして芸能活動を開始しており、CMやバラエティ番組への出演からドラマデビューまで、幅広い活動を行っています。
ここでは、そんな天龍源一郎の韓国人説、家族や結婚をまとめました。
韓国人説の真相、本名などのプロフィール、父親や母親など家族の情報、結婚した嫁と子供、息子や娘の現在、自宅の情報をお届けします。
天龍源一郎と韓国の関係
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天龍源一郎にはかねてより韓国人説が浮上していますが、福井県勝山市出身の日本人であり、韓国との関係を窺わせる記事や関連物はありません。
なぜ天龍源一郎に韓国人説が浮上したのかというと、在日韓国人だったことを公表している長州力と間違われての噂と考えられます。
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長州力は天龍源一郎と同じく、長年にわたりプロレスラーとして活躍した人物で、ミュンヘン・オリンピックへの出場歴もあります。
長州力は1964年開催の東京オリンピックの日本選手に憧れてオリンピックを目指します。
ですが、自身は山口県徳山市(現・周南市)の生まれではあるものの、両親が朝鮮半島出身であり、当時は日本国籍を持っておらず、韓国代表としてオリンピックに出場しました。
同じプロレスラーであり同年代に活躍した長州力が在日韓国人だったことから、天龍源一郎のことだと間違われるようになり、韓国人説が浮上したようです。
しかし前述した通り、天龍源一郎は福井県勝山市出身の日本人で、韓国人ではありません。
天龍源一郎の本名
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天龍源一郎の本名は、「嶋田 源一郎(しまだ げんいちろう)」です。
ただ、「俺は〝天龍源一郎〟になってから約50年。本名の嶋田源一郎よりも天龍の方が自分でもしっくりくるようになっている」と、天龍源一郎と呼ばれる方が人生で長くなっています。
そのため、病院の受付で「嶋田さん」と呼ばれても気付かないこともあるそう。
手術で全身麻酔を行った時には、娘が医師に「嶋田さんって呼びかけて起きなかったら、天龍って呼んでください」とお願いするほどだったといいます。
「天龍源一郎」誕生秘話
天龍源一郎は13歳の時に大相撲の世界に入り、出羽海部屋の天竜三郎から名前を借りて「天龍」という四股名を与えられました。
天龍源一郎が入門していた二所ノ関部屋の親方・佐賀ノ花が現役時代の天竜の活躍を見ていて、「自分の弟子の四股名に付けたい」とお願いして名前を借りたといいます。
そのため、本来は力士を引退した時に天龍の四股名を出羽海部屋に返すのが筋ですが、プロレスラーとしても「絶対に名前を汚さない」と誓って天龍を名乗りました。
プロレス引退後も、本名よりもしっくりくるほどの通り名となっているため、引退後も天龍源一郎として活動させてもらっていると語ります。
天龍源一郎が天龍の名前を返すのは、「俺の活動の場が無くなってからか、死んでからになるだろう」と語り、自分は死ぬまで天龍であることを口にしていました。
天龍源一郎の家族(父親)
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ここからは天龍源一郎の家族についてお届けします。
天龍源一郎の家族構成は、父親・母親・本人・弟の4人家族で、2人兄弟の長男として育ちました。
天龍源一郎の実家は福井県勝山市の農家で、厳格な性格だった父親は、息子の天龍源一郎にも農作業を手伝わせていました。
その一方で相撲好きであり、稲刈りの時期でも秋場所が始まると、農作業を他の家族に任せて天龍源一郎と一緒に相撲を見ていたというエピソードが残されています。
普段は厳格な父親も、相撲を見ている時は優しく、幼少期の天龍源一郎にとって父親と相撲を見る時間は良い思い出として記憶に刻み込まれているようです。
体の大きい天龍源一郎の体格は父親譲りで、父親も力士になることを夢見ていましたが、一人っ子だったため両親に反対されて夢を諦めたという過去があります。
その夢を息子に託したのか、天龍源一郎が中学生の時、相撲ができる体の大きい子を探していた二所ノ関部屋後援者に自分の息子を推したそうです。
そして巡業が来た際に、天龍源一郎と大鵬と引き合わせて相撲部屋に入門させました。
父親とのエピソード
父親は厳格な性格で厳しい人だったと同時に、血気盛んな人物でもあり、子供の頃はよく怒られていたといいます。
天龍源一郎が小学生の頃には、地元の相撲大会で「息子を中学生の部に参加させろ」と無理を言ったそうです。
そして、認められないとわかると息子に八つ当たりし、自宅までバイクで30分かかる会場に置いてけぼりにされた経験があると明かしています。
また、家で数学の宿題をしていた時には「てめぇ、こんなのもわからねぇのか!」と殴られ、父親の時代とは解き方が異なることを説明しても納得せず、さらに追加で殴られたそうです。
そんな父親について天龍源一郎は「厳しい父だった。怖い父だった」とした上で、「でも、俺の心の中で常に英雄だった」と語っており、今でも父親を尊敬していることがうかがえます。
天龍源一郎の家族(母親)
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天龍源一郎の母親は農家の嫁として嫁いできたことまではわかるものの、エピソードなどはほとんど残っておらず、詳細な情報はわかりません。
ただ、天龍源一郎が本格的に相撲界に参入したいと家族に打ち明けた際、反対する父親に対し、母親が「うちには弟もいるのだし」と説得してくれたと天龍源一郎の自伝に書かれています。
天龍源一郎を相撲界に引き込んだのは父親ですが、天龍源一郎は一家の長男でもあるため、実家の農家を継がせるために、父親は相撲入りを反対したのかもしれません。
天龍源一郎は弟について「家のことは弟にまかせっきりで申し訳ない」と語ったことがあるようなので、天龍源一郎の代わりに次男が実家の農業を継いだのかもしれませんね。
天龍源一郎が結婚した嫁はまき代さん
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天龍源一郎は、1982年の全日本プロレス時代に結婚しました。
嫁の名前は「まき代」さんで、天龍源一郎がエースを務めた団体「WAR」のチーフを務め、その後もマネージャーとして公私共に天龍源一郎を支えてきた存在です。
プロレス関係者やファンからも「チーフ」や「女将さん」と呼ばれて親しまれました。
天龍源一郎の嫁・まき代さんは2022年6月に死去
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2022年6月26日、天龍源一郎の最愛の嫁・嶋田まき代さんが2022年6月24日午前11時に肺がんで死去したことを、天龍プロジェクトが公式サイトを通じて発表しました。65歳でした。
嫁は亡くなる2年ほど前から入退院を繰り返していたようで、天龍源一郎がプロレスを引退したのも嫁の看病が理由でした。
天龍プロジェクトの公式サイトには、次のように記載されています。
「プロレス関係者の皆様やファンの皆様にも『チーフ』『女将さん』として親しんでいただき大変お世話になりました。生前のご厚誼に深く感謝するとともに謹んでお知らせ申し上げます」
嫁の死去から1ヶ月後にインスタグラム更新
最愛の嫁を亡くした天龍源一郎は、嫁の死去から1ヶ月後、自身のインスタグラムを更新しました。
インスタグラムには嫁の写真を手にした天龍源一郎、そして娘・嶋田紋奈との家族ショットが公開されました。
天龍源一郎は「沢山の皆様に惜別、哀悼の言葉をいただきました。まき代も喜んでいる事でしょう」とコメント。
さらに「私達家族は皆様のお気持ちに感謝して日々を過ごし、まき代には要らぬ心配をさせない様に力を合わせ頑張って生き抜きます」と前向きな決意を綴りました。
天龍源一郎の子供(息子・娘)
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天龍源一郎には娘がいます。名前は「嶋田 紋奈(しまだ あやな)」です。
1983年7月8日生まれで、現在は天龍プロジェクトの代表を務めています。
天龍源一郎は現在、「環軸椎亜脱臼に伴う脊髄症・脊髄管狭窄症」という病気で入院中です。
東京・新木場で開催された天龍プロジェクトの興行では、娘がリングに立ち、「天龍について少し話をさせてください」と切り出し、天龍源一郎の現状について次のように報告しました。
「毎日、衰えないように努力をしてきたのを家族は見てきたので、今回症状が出てしまったことは本人もとても残念だと思います」
「本人もとても元気にしています」
公式発表では早期に手術を行うことが伝えられ、手術後のリハビリ期間は現時点で2ヶ月〜最大半年ほどの予定と発表されています。
娘は天龍プロジェクトの代表として客の前に立ち、しっかりと父親の現状を伝えるなど、父親を公私共に支えています。
今後も代表としての活躍はもちろん、天龍源一郎との心温まる親子エピソードが披露されることを願いたいですね。
天龍源一郎のこれまでの自宅まとめ 【10回以上も転居している】
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天龍源一郎の自宅は現在、都内にあると思われます。
天龍源一郎はこれまで10回以上の引っ越しを繰り返しており、力道山のアパート、テキサス、西麻布など様々な場所を転々としてきました。
福井県勝山市の実家は天龍源一郎が5歳の時に建てられたもので、大きくて立派な家だといいます。
ただ住み始めた頃はまだ未完成で、足りない部分は父親が日曜大工をして補い、実家裏の嶋田家所有の山から木材を切り出して、天龍源一郎も運のを手伝ったと思い出が語られています。
相撲部屋に入門してからは相撲部屋住まいで、26歳でプロレスに転向してからは、当時力道山が経営しジャイアント馬場も住んでいた「リキアパート」の一室に住んでいました。
アメリカ・テキサスへプロレス修行に行った際には、家賃100〜150ドルの20畳ほどのアパートに住んでいたといいます。
日本に帰国してからはすぐに結婚し、当時の友人が西麻布に住んでいたことから西麻布に自宅を構えました。
その後、世田谷に一軒家を購入しましたが、自宅に泥棒が入ったことでその家を手放し、マンションに引っ越したといいます。
そのマンションは窓から富士山が見える眺望の良い部屋で、リビングが30畳もある高級マンションでした。このマンションが一番長く、6年ほど住んでいたようです。
しかし、天龍源一郎ほどの有名人が住んでいるという噂はすぐに近所を駆け巡り、小学生からピンポンダッシュをされるなどイタズラをされるように。
天龍源一郎の自宅だとバレるたびに引越しを繰り返し、最短10ヶ月で別の家に移るという生活をしていました。
そのため、現在の自宅の詳しい場所はわかっていませんが、引っ越しが多いため一軒家ではなくマンションの可能性が高そうです。
自宅ではソファの周りによく使うものを揃えることがこだわりだそう。
そのため、ソファの横にペリエやコーラが入った小型冷蔵庫を置き、手の届く場所に耳かきや爪切りなどのセットを置くのが定番だと語っています。
インスタグラムで公開される自宅での写真も、常に定位置にいるものが多いですね。
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現在は入院生活を送っている天龍源一郎ですが、一刻も早く元気になって自宅に帰れることを祈りたいですね。
まとめ
天龍源一郎の韓国人説から家族・結婚・自宅までをお届けしました。
天龍源一郎が病気を克服し、再び元気な姿を見せてくれる日を心待ちにしましょう!