つかこうへいと言えば数々の名作を生みだした劇作家として知られていますが、生前は在日韓国人であることを公表しています。
今回はつかこうへいの生い立ちと韓国との関係、実家と家族、結婚歴と嫁や子供(娘)、死去と死因についてお届けします。
この記事の目次
つかこうへいのプロフィール
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名前:つか こうへい
生年月日:1948年4月24日
出身地:福岡県嘉穂郡嘉穂町(現:嘉麻市)
血液型:A型
つかこうへいは、「熱海殺人事件」などで知られる劇作家、演出家、小説家です。
慶應義塾大学在学中に劇団「暫」に参加して演劇に携わり始め、1973年に「熱海殺人事件」が評価されて、当時最年少の25歳で「岸田國士戯曲賞」を受賞。
1974年に劇団「つかこうへい事務所」を設立し、東京・紀伊国屋ホールを拠点に「初級革命講座飛龍伝」「ストリッパー物語」「いつも心に太陽を」など数々の舞台を成功に導きました。
1982年には映画「蒲田行進曲」が大ヒットし、戦後生まれ初となる直木賞を受賞。日本アカデミー賞最優秀脚本賞も受賞しています。
また、これまでの活躍が称えられ、2007年には紫綬褒章を受章、2010年には旭日小綬章を受章しました。
劇作家として日本の演劇界を牽引してきたつかこうへいについて、ここでは韓国人である彼の生い立ち、実家や家族についてまとめました。
結婚した嫁と子供、女優として活動する娘の情報、死去と死因についてもあわせてお届けします。
つかこうへいは韓国人
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つかこうへいは、光文社発刊のエッセイ『娘に語る祖国』の中で、自身が在日韓国人2世であることを明かしました。
国籍は韓国で、本名は「김봉웅(キム・ボンウン)」といいます。
また、「つかこうへい」という名前はペンネームで、日本で生活する上で使用している日本名は「金原 峰雄(かねはら みねお)」です。
在日韓国人のため生まれ育ちは日本であり、つかこうへいが始めて祖国・韓国の地を踏んだのは劇作家として成功を収めた後の1987年4月でした。
韓国で「熱海殺人事件」を上演
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つかこうへいは1987年に生まれて初めて祖国である韓国の地を踏み、同年11月に韓国・ソウルで韓国人役者による舞台「熱海殺人事件」を上演しました。
「熱海殺人事件」は韓国でも大成功を収め、その後「蒲田行進曲」も韓国で上演されて映画版も大ヒットするなど、韓国演劇界にも多大な影響を及ぼしてします。
つかこうへいの生い立ち
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ここからは、つかこうへいの生い立ちを見ていきましょう。
つかこうへいの生い立ち:在日韓国人2世として誕生
つかこうへいは、福岡県嘉穂郡嘉穂町(現:嘉麻市)に在日韓国人2世として生まれました。
嘉穂町立大隈小学校、嘉穂町立大隈中学校を経て、福岡県立山田高校に進学し、高校時代は新聞部の部長を務めていました。
高校時代から執筆活動を行い、社会の流行や通俗的な考えを批判するコラム「反逆児」を執筆していました。
つかこうへいの生い立ち:大学在学中に演劇の世界へ
高校卒業後、浪人生活を経て慶應義塾大学文学部哲学科に進学したつかこうへい。
大学時代から「つかこうへい」のペンネームを使用し、詩人から物書き人生をスタートさせました。
大学時代には予備校で講師のアルバイトを行い、この時に生徒からの依頼で芝居の戯曲を書いたことが演劇の世界に入るきっかけに。
学生劇団「仮面舞台」や、早稲田大学の劇団「暫」に参加して劇作家や演出家の活動を開始し、1970年代に入って「熱海殺人事件」をきっかけにつかこうへいブームを巻き起こしました。
つかこうへいの実家と家族
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つかこうへいの実家、家族についても見ていきましょう。
つかこうへいの出身地は福岡県嘉穂郡嘉穂町で、実家は牛隅筑豊という田舎町にありました。
家族構成は父親・母親・兄・姉・本人・弟の6人家族で、三男一女の4人兄弟の次男として育ちました。
つかこうへいの父親は朝鮮からの移民
つかこうへいの父親は朝鮮からの移民であり、職業はホテルや鉄鋼などに携わる仕事をしていたといいます。
父親は仕事が成功していたようで、つかこうへいは幼少期から比較的裕福な家庭で育ちました。
大学在学中に演劇の世界に入ったつかこうへいですが、1972年に父親が病気を患ったことで福岡県の実家に戻り、劇団「仮面舞台」は解散を迎えたようです。
父親以外の家族の情報はほとんどなし
つかこうへいの家族については、父親以外はよくわかっていません。
母親がどんな人物だったのか、兄弟たちとどんな暮らしをしてきたのかは、現在までにほとんど語られていませんでした。
つかこうへいの結婚歴① 最初の嫁は女優の熊谷真実
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ここからは、つかこうへいの結婚や嫁について見ていきましょう。
つかこうへいは、これまでに2度の結婚を経験しています。
1度目の結婚は1980年で、舞台「サロメ」に出演した熊谷真実と結婚しましたが、多忙による夫婦生活のすれ違いが原因で1982年に離婚しました。
結婚生活は、わずか1年10ヶ月というスピード離婚でした。
つかこうへいの結婚歴② 再婚相手は劇団女優の生駒直子
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2度目の結婚は1983年で、お相手はつかこうへい劇団に所属する14歳年下の女優・生駒直子です。
つかこうへいは在日韓国人2世のため国籍は韓国で、結婚をしても帰化することはなく、家族の将来を考えて夫婦別姓での結婚となりました。
つかこうへいと現在の嫁・生駒直子との馴れ初め
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つかこうへいと現在の嫁・生駒直子の馴れ初めについては、つかこうへいをよく知る演出家・脚本家の長谷川康夫が明かしています。
つかこうへいと嫁の出会いは、つかこうへい劇団が1980年春に開催した新人オーディションがきっかけでした。
つかこうへいの嫁・生駒直子は、祖父が松竹の映画監督・生駒千里という家柄で、中学生の時に祖父に連れられて紀伊國屋ホールで上演された「熱海殺人事件」を観劇しました。
初めて触れたつかこうへい舞台に感銘を受けた生駒直子は、自身もその舞台に立ちたいと強く思うようになり、劇団のオーディションを受けることを決心します。
1980年春に行われたつかこうへい劇団の新人オーディションには、人気絶頂の時期ということもあり全国から何千人もの応募が殺到しました。
その締切最終日、郵送では間に合わないからと自ら履歴書を持って渋谷の事務所を訪れたのが生駒直子です。
当時女子高生だった生駒直子は学校帰りに制服姿だったそうで、事務所のドアの外でつかこうへいの秘書に履歴書を手渡しました。
その秘書が事務所に戻るなり開口一番「すごく可愛い子でした!」と発言し、それを聞いたつかこうへいが「呼んで来い」と指示。
つかこうへいの目の前に立たされた生駒直子は緊張で喋ることができず、つかこうへいから「俺の舞台はよく見るのか?」と聞かれても「はい…」と答えるのが精一杯だったといいます。
自宅や学校、家族構成を聞くだけで、面接とはいえない面接でしたが、その短い時間でつかこうへいは生駒直子の魅力を見出し、オーディションに参加することなく劇団の一員になりました。
親交を深め、結婚へ
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こうして出会ったつかこうへいと生駒直子は、数々の舞台を共にしながら仲を深めます。
劇団の一員になった生駒直子は、舞台「蒲田行進曲」にも初演から参加し、女子大生役でワンシーンのみ出演しただけでも〝なんだあの美少女は〟と話題になる存在感を示しました。
1981年に再演された舞台「ヒモのはなし」では、田中邦衛が演じるヒモ男が前妻との間に残した一人娘という重要な役柄を演じています。
この役は再演前の作品には無かった役で、つかこうへいが生駒直子のために物語を変えて作った新しい役です。
つかこうへいはこれほどまでに女優としての生駒直子に入れ込み、劇団内でも〝将来は生駒直子がメインを張る舞台が作られるだろう〟と噂になるほどでした。
しかし、いつの間にか生駒直子が稽古場に現れなくなり、劇団員の中でも〝もしかして…〟と勘が働き始めた頃に、つかこうへいと生駒直子が結婚することが伝えられました。
つかこうへいは、出会った頃は女子高生だった嫁と芝居を通じて親交を深めるうちに恋愛関係となり、結婚に発展。
2度目の結婚ではありますが、生駒直子とは生涯を終えるまで結婚生活を続けました。
つかこうへいの子供:娘は女優の愛原実花
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つかこうへいには子供が1人おり、嫁の生駒直子との間に生まれた娘が、女優として活動している愛原実花です。
つかこうへいの娘:愛原実花のプロフィール
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名前:愛原 実花(あいはら みか)
生年月日:1985年12月14日
出身地:東京都北区
身長:163cm
愛原実花は、宝塚歌劇団雪組トップ娘役として活動した経験があり、現在はホリプロ・ブッキング・エージェンシーに所属する女優です。
4歳の時にバレエを習い始め、中学3年生の時に宝塚音楽学校の受験を決意。1年間の勉強を経て初の受験で合格を果たし、2002年に宝塚音楽学校に入学します。
2004年、宝塚歌劇団90期生として雪組公演「スサノオ/タカラヅカ・グローリー!」で初舞台を踏みました。
ちなみに、愛原実花が宝塚歌劇団に入団した2004年は創立90周年の特別な年で、同期には元月組トップ娘役の蒼乃夕妃、星組娘役で副組長を務める白妙なつなどがいます。
愛原実花は入団当初からダンスの技術が高く評価され、「ベルサイユのばら オスカル編」では少年時代のアンドレ役、「エリザベート」ではマデレーネ役など重要な役柄を演じてきました。
2008年の「君を愛してる」新人公演では初ヒロインに抜擢され、「凍てついた明日」でも大月さゆと共にダブルキャストでヒロインを務めました。
2009年になると雪組トップ娘役に就任し、雪組トップスター水夏希の相手役に就任。
しかし、雪組トップ娘役就任からわずか1年後の2010年、舞台「ロジェ/ロック・オン!」東京公演千秋楽をもって、雪組トップスター水夏希と共に宝塚歌劇団を退団しました。
その後はホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属となり、女優として芸能活動を開始しています。
娘・愛原実花の芸名は家族で考案
つかこうへいの娘・愛原実花の名前は芸名で、本名は母親の姓である「生駒みな子」です。
つかこうへいを古くから知る役者仲間などは、現在も娘のことを「みな子」と呼んで可愛がっています。
「愛原実花」という芸名は、家族で考えて名付けたことを明かしています。
本人が好きだという「愛」という漢字を使い、「愛の原っぱにお花が咲いて実るように」という意味を込めて現在の芸名となりました。
娘・愛原実花は日本国籍
つかこうへいは在日韓国人2世のため韓国籍ですが、娘である愛原実花は日本国籍です。
母親の生駒直子が日本国籍であるため、娘は母方の日本国籍で育ちました。
つかこうへいは最愛の1人娘が自分とは異なる国籍で育つことに葛藤があったようで、つかこうへいの著書『娘に語る祖国』でもその葛藤と苦渋が綴られています。
この書籍は、つかこうへいが当時4歳だった娘に向けて日韓両国への想いなどを語りかけるように綴った作品です。
従軍慰安婦など重たい話題もあるものの、在日韓国人であるつかこうへいならではの冷静な視点で日韓関係が綴られているため、気になった方はぜひチェックしてみてください。
つかこうへいの娘・愛原実花が「熱海殺人事件」出演に話題に
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娘の愛原実花は父親の作品にも出演しており、2015年に劇団☆新感線のいのうえひでのりが演出を手掛けた「熱海殺人事件」に、女性警官・片桐ハナ子役で出演しています。
この作品はつかこうへいの代表作である「熱海殺人事件」のフランチャイズ作品ではありますが、出演者にはつかこうへいとも親交の深い風間杜夫、平田満が出演。
また、演出を手掛けたいのうえひでのりが所属する劇団☆新感線は、つかこうへい演劇のコピーからスタートした劇団という縁があります。
多くの人に愛される「熱海殺人事件」に出演するにあたり、つかこうへいの娘である愛原実花はこれまで感じたことのないプレッシャーに襲われたそうです。
インタビューでは「正直、これほどのプレッシャーを感じたことなかった」と心境を吐露。
稽古中、特定のシーンに差し掛かると毎回そこで鼻血が出てしまうほど精神的に追い詰められていたといいます。
愛原実花はこの作品を通して「父のお芝居を初めて演じさせてもらって、ようやく父の凄さに気付いた」とも語りました。
〝人間の言葉や感情にはこれほど大きな力がある〟ということを実感し、女優という道を選んだ人間として「打ちのめされた」ことを明かしています。
自分で自分がわからなくなるほどの重圧に襲われながらも、偉大な父親の代表作である「熱海殺人事件」に出演することは大きな意味を感じていたようで、前向きな発言もしています。
「父の芝居で紀伊國屋ホールの舞台に立てることがやっぱり嬉しくて、それが一番でした」と、宝塚を退団して一人の女優として歩き始めた愛原実花のターニングポイントとなったようです。
つかこうへいは2010年に死去
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70年代から劇作家として活躍し、数々の名作を生み出して日本演劇界を牽引してきた、つかこうへいでしたが、2010年7月10日、62歳という若さでこの世を去っています。
つかこうへいは2010年1月に肺がんであることを自ら公表。
その後、千葉県鴨川市の亀田総合病院で抗がん剤治療を続けるなど懸命な闘病生活を送っていましたが、同年7月10日午前10時55分に同病院で亡くなりました。
演劇界の仲間からの追悼メッセージ
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あまりにも早すぎる死に、家族はもちろん演劇界の関係者らは悲痛な想いを吐露し、多くの追悼メッセージが送られました。
「蒲田行進曲」で日本アカデミー賞新人俳優賞と主演男優賞を受賞した平田満は、「突然の訃報に、今は何を申し上げてよいか言葉にならない状態です」と悲痛な思いを明かしました。
続けて、「あまりにも早いお別れにショックを受けています。ただただ残念です。大きな存在をなくしてしまったとしか言いようがありません」とコメントしています。
つかこうへいの死因
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死因はステージ進行度高めの肺がん
死因は、かねてより公表されていた肺がんです。
2009年夏に体調を崩して精密検査を受けたところ、肺がんが見つかり、同年9月に入院。
2010年1月に病気を公表し、半年後である6月に危篤状態となり、その1ヶ月後に家族に看取られながら息を引き取りました。
病気の公表からわずか半年での死去ということで、肺がんが発覚した時にはすでに病状がかなり進行していたものと思われます。
つかこうへいの晩年のエピソード
最期まで舞台に携わった晩年
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つかこうへいは肺がんを宣告されてからも舞台への執念を絶やすことはなく、晩年も舞台に携わり続けました。
抗がん剤治療を受けながら、病室にビデオを持ち込んで自身が作・演出を手掛けた舞台「飛龍伝2010」の稽古をチェックし、入院中も病床から電話でダメ出しをしていたといいます。
年末に一時退院した際には、遺言を書くなど自身の死を覚悟していましたが、それでもなお舞台への想いは熱く、稽古場に現れて大きな声で指示を出していたことが関係者が明かしました。
つかこうへいの葬儀
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つかこうへいは生前に書いた遺言で、葬儀やお別れ会は行わず密葬を望むことを綴っていました。
そのため、死後はその遺志が尊重され、葬儀は密葬で執り行われました。
大々的なお別れ会も行われませんでしたが、演劇界の仲間たちにより追悼公演が開催されており、死去から十数年が経った現在も上演が続けられています。
2022年7月には、紀伊國屋ホールで、つかこうへい十三回忌追悼公演「蒲田行進曲完結編 銀ちゃんが逝く」が上演されました。
主演を務めた俳優・味方良介は「作品を通して、つかこうへいって生きてるんだ、演劇って生きてるんだと皆様に思っていただけるように、全身全霊の覚悟で届ける」と語りました。
最後まで舞台に執念を燃やし、命が尽きるその時まで芝居に向き合ってきたつかこうへい。
彼が生み出した作品の数々は今も上演が続けられ、劇場の中で生き続けています。
つかこうへいの娘・愛原実花は近年も女優として活躍中
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つかこうへいの娘・愛原実花は、現在も女優として活動を続けています。
2021年には、紀伊國屋ホールで上演された舞台「熱海殺人事件 ラストレジェンド 〜旋律のダブルスタンバイ〜」に水野朋子/山口アイ子で出演しました。
つかこうへい演劇以外にも、オルタナティブシアターで上演された舞台「眠れぬ森のオーバード」モエ役や、京都劇場でも上演された「ドン・カルロス」に王妃エリザベート役で出演。
2022年には、朗読劇「いつもポケットにショパン 2nd lesson」や、「氷川きよし特別公演」、「オルレアンの少女-ジャンヌ・ダルク-」などに出演しました。
活動の場は舞台の世界だけでなく、映画やドラマにも出演しています。
2012年、NHK大河ドラマ「平清盛」に統子内親王(上西門院)役で出演。
2014年には、NHK連続テレビ小説「マッサン」に野々村由紀子役で出演するなど、大河や朝ドラでも活躍しています。
他にも、テレビ東京ドラマ「刑事吉永誠一 涙の事件簿13」、テレビ朝日ドラマ「ストレンジャー〜バケモノが事件を暴く〜」、日本テレビドラマ「スーパーサラリーマン左江内氏」に出演。
さらに、2018年に放送され老若男女問わず人気を集めたヤンキードラマ「今日から俺は!!」にも出演しています。
賀来賢人演じる三橋貴志や、伊藤健太郎演じる伊藤真司が通う私立軟葉高校の世界史の教師で、清野菜名演じるヒロイン・赤坂理子の担任の山口先生を演じました。
この作品は映画化もされ、2020年7月17日に「今日から俺は!!劇場版」が公開。愛原実花も、引き続き山口先生役で出演しました。
まとめ
劇作家・つかこうへいの生い立ち、家族や結婚についてお届けしました。
生涯を演劇に捧げたつかこうへいが生み出した作品は、これからも多くの人に愛されることでしょう。