「BOØWY」「COMPLEX」を経て、ソロミュージシャンとして活躍中のギタリスト・布袋寅泰さん。
布袋寅泰さんの韓国にまつわる生い立ちや本名、実家の家族について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
布袋寅泰の韓国にまつわる生い立ちや本名、実家の家族について
布袋寅泰の本名やプロフィールについて
日本を代表するロックギタリストの布袋寅泰
布袋寅泰さんは同級生だった氷室京介さんらとロックバンド「BOØWY」を成功させ、その後吉川晃司さんとのユニット「COMPLEX」を経てソロのミュージシャンとして確固たる地位を築いてきました。
プライベートでは歌手の山下久美子さんと離婚して今井美樹さんと再婚し、二人の娘に恵まれています。
布袋寅泰さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 布袋寅泰(ほてい ともやす)
別名: HOTEI
生誕: 1962年2月1日
出身地: 群馬県高崎市
学歴: 新島学園高等学校(中退)ジャンル: ロック、ビート、ニュー・ウェイヴ、デジタルロック、ポップ・ロック、パワー・ポップ、ファンク、ポストパンク、オルタナティヴ・ロック、エレクトロ、ブラスロック、インダストリアル・ロック、様々なジャンルのクロスオーバー
職業: ギタリスト、ミュージシャン、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー
担当楽器: ギター、ボーカル、ベース、ピアノ、キーボード、シンセサイザー、ドラムス、コンピュータープログラミング
活動期間: 1981年 – 1988年(BOØWY)、1982年 – 1984年(AUTO-MOD)、1989年 – 1990年、2011年(COMPLEX)、1988年、1990年 – (ソロ活動)
レーベル: Virgin Records、Spinefarm Records
事務所: DADA MUSIC
引用:Wikipedia – 布袋寅泰
布袋寅泰さんは2006年に出版した自叙伝『秘密』の中で、父親が韓国人であることをカミングアウトしています。
布袋寅泰さんの母親は日本人とロシア人のハーフですが、国籍は日本のため通名などはなく”布袋寅泰”が本名のようです。
布袋寅泰さんは半分韓国人の血が、1/4ロシア人の血が流れている混血ということになりますが、国籍が日本のため在日韓国人には当てはまらないでしょう。
布袋寅泰の韓国にまつわる生い立ちについて
布袋寅泰は父親との深い確執があった
布袋寅泰さんは韓国人だった父親とはずっと折り合いがつかず、結局亡くなるまで分かり合うことはなかったようです。
布袋寅泰さんはオフィシャルブログ「BEAT主義日記」で、韓国人の父親との確執の深さを伺える投稿をしています。
俺の父…。
1988年4月4日。
BOφWYの解散コンサート。
あの日、俺の父は東京ドームの外で会場から漏れ聞こえる音に耳を澄ませていたと後に知った。
息子に拒絶された父は、どんな気持ちでそこにいたのだろう。
誇らしく思ってくれたのだろうか?
それとも自責の念に苦しみ、血のような涙を流していたのだろうか?
時は流れ、父の子もまた、今は父。
いつの日か、異国の地に父の墓を探し、花を供えたいと思う。
願わくば雨の日に。
降り注ぐ雨で涙を洗いながら一言捧げたい。
「ありがとう」
と一言だけ。
布袋寅泰さんはこの記事の冒頭で寝起きの娘に「父の日おめでとう、パパ」と言われ、「君が生まれた時からパパはパパになったんだよ」と返したエピソードから綴っています。
父の日に自身が父になった実感をしたことで、布袋寅泰さんは亡くなるまで分かり合えなかった韓国人の父親に対して思いを馳せて、伝えたくなったのでしょう。
布袋寅泰さんの父親は貿易関係の仕事をしていたため海外を飛び回っていたようですが、母国・韓国には家族を持っていながら”日本の妻”という名目で布袋寅泰さんの母親を愛人にしていました。
父親らしい父親ではなかったことから布袋寅泰さんは軽蔑し、ずっと拒絶して距離を置いてきたようすが、自身が父親になったことで心の余裕ができ、許すことができたのでしょう。
布袋寅泰がピアノ弾き語りで「PRIDE」を歌う動画見てたんだけど、コメント欄に「朝鮮人は半島に帰れ!」っていうような内容のコメントがあって胸糞悪い
— ずぴださん (@LOVEJP0611) 2017年8月23日
確かに布袋の父親は朝鮮人だが、彼の音楽に対して朝鮮に対する怒りをぶつけるのは間違っているし、そもそも朝鮮と聞いてすぐ牙を剥くのもねぇ
布袋寅泰は裕福な家庭で育った
布袋寅泰の父親は貿易商で金持ちだった
布袋寅泰さんの父親は貿易商だったため家庭環境はとても裕福なもので、一般家庭のふた回りくらいお金持ちだったようです。
布袋寅泰さんの父親は基本的には家にいないことが多かったため、ほとんど母子家庭状態で育ったようですが、父親が帰ってくると非常に厳しい躾をされたそうで、食事の時は家族全員が正装をしてテーブルマナーを徹底的に教え込まれました。
一方で布袋寅泰さんの母親は厳格な父親とは対照的に天真爛漫な女性で、一時期は地元高崎駅前でクラブ経営をしていたそうです。
布袋寅泰さんはファンの間ではレコードマニアとして知られているほど学生時代から非常に多くのレコードを買い込んでいましたが、それができたのも実家がお金持ちだったからに他ならない
でしょう。
父親が母親と布袋寅泰を捨てて離婚
布袋寅泰の父親は事業が傾き借金を残して消えた
布袋寅泰さんが高校3年生の頃に父親の事業が傾いたことで家庭を捨てて韓国に戻ってしまい、母親は借金を背負うことになってしまいました。
豪邸暮らしの裕福な生活から一転して4畳ひと間のアパート暮らしになり、非常に苦しい生活を強いられたようですが、母親はこの借金を完済したようで、布袋寅泰さんは母親と自分が捨てられたと思い、父親を憎むようになりました。
結局父親と母親は離婚し、布袋寅泰さんは韓国人の血を引いていることから「アウトサイダーとして生きざるを得なかった」と自著『秘密』の中で語っています。
布袋寅泰さんはこの頃から父親が亡くなるまで拒絶し続け、一切会うことはありませんでした。
布袋寅泰さんはプロテスタント系キリスト教主義学校の新島学園高校に通っていましたが、高校3年生の頃に長髪だったことから生活指導の注意を受け、「イエス様の方が僕より長い」と反抗したことから中退することになりました。
退学した翌日に布袋寅泰さんはこだわっていた長髪をバッサリと切って17歳で上京し、氷室京介さんらと「BOØWY(初期・暴威)」を結成して一時代を築くことになります。
布袋寅泰、「BOØWY」ラストライブに父親が来ていた
布袋寅泰の父親はずっと息子を気にかけていた
布袋寅泰さんの父親は東京ドームで行われた「BOØWY」のラストライブ「LAST GIGS」に来ていましたが、チケットを持っていなかったためライブ中ずっとドームの壁に耳を当てて聞いていたそうです。
父親はライブが終わると「BOØWY」のファンらと写真を撮って韓国に帰国しましたが、その数年後に他界してしまいました。
父親が亡くなる直前に布袋寅泰さんに会いたがっていましたが、布袋寅泰さんはそれを頑なに拒否しました。
父親が亡くなってから当時の秘書から連絡あり、布袋寅泰さんはラストライブに父親が来ていたことを知って衝撃を受けたようです。
自分のことを気にかけていたことを知った布袋寅泰さんは、父親の死に目に会いに行かなったことを後から悔やみました。
そして、前述の布袋寅泰さんのオフィシャルブログ「BEAT主義日記」に投稿された、父の日に父親を想った記事に繋がりますが、布袋寅泰さんはすでに父親の墓前で涙をしているかもしれませんね。
布袋寅泰さんが今井美樹さんの為に作ったこの歌。
— ヘンダーソン (@ooohenderson) 2019年1月10日
凄いよなぁ。本当に。 pic.twitter.com/oPC14GHV8e
王蟲の叫び声は、布袋寅泰氏のギターが演じてるのは周知だろうけど、布袋氏が ジブリ映画に欠かせない音楽家・久石譲氏に「ギターで泣いてくれない?」と頼まれて、困惑しつつも見事にリクエストに応えたってエピソードすき。#風の谷のナウシカ pic.twitter.com/XsnxqdSX7B
— 茉莉花べにこ (@beniko71) 2019年1月4日
#石川さゆり
— rinRock’nJulie (@neco4rin) 2019年1月1日
天城越え
すごい‥
すごすぎる‥
見つめて
煽る
布袋くんが
引き出す
情念‥#布袋寅泰#紅白 pic.twitter.com/cU4giuIY3S
布袋寅泰の韓国にまつわる生い立ちや家族について総まとめすると・・・
日本を代表するロックギタリストで海外でシンガーソングライターとして活躍する布袋寅泰さんの生い立ちや家族について総まとめしてきました。
・布袋寅泰が成功したのは混血のためアウトサイダーだと思っていたから
布袋寅泰さんはアーティストとして海外で通用するかチャレンジするためにロンドンを拠点に活動していますが、今では父親に感謝しながら活動しているかもしれませんね。