韓流ブーム

韓流ブームは現在終わった?第1次~第3次の歴史&捏造や終了説を総まとめ

はじめに

2003年のドラマ『冬のソナタ』を皮切りに日本で”韓流ブーム”が起こりましたが、2019年現在では「終わった」と言われています。

 

韓流ブームがいつからなのか、歴史やきっかけ、捏造だと言われる理由について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。

第1次韓流ブーム(2003~2009) 韓流ドラマブーム

韓流ブームの歴史はいつから?

2003年の『冬のソナタ』に始まった”韓流ブーム”

韓流ブームとは韓国の芸能や音楽など大衆文化が東アジア圏をはじめとした世界に広がった現象を指しますが、日本での韓流ブームの始まりは2003年に放送されたドラマ『冬のソナタ』がきっかけでした。

 

『冬のソナタ』に出演した主演俳優、ペ・ヨンジュンさんや、ヒロイン役のチェ・ジウさんはそれぞれ「ヨン様」「ジウ姫」と呼ばれて中高年世代を中心に爆発的な人気を得ました。

 

『冬ソナ』として韓流ブームの火付け役になったこのドラマは、すでに台湾や香港など中国圏で人気を博しており”韓流”という言葉が生まれましたが、”ヨン様ブーム”にあやかってフジテレビやNHKはこれらの俳優を中心とした韓流スターのドラマを定期放送し始めます。

 

『冬のソナタ』の日本語吹替版でペ・ヨンジュンさんが務めたカン・ジュンサン役を務めた俳優・萩原聖人さんは当時の韓流ブームについて以下のように語っています。

 

空港からホテルまで人、人、人…。ヨン様の行く先々で中年女性の悲鳴が上がる。大スターを生み出した「冬のソナタ」は、韓国の俳優や作品に注目する人々を急増させ、日本のエンターテインメント界に韓流という新しいムーブメントを巻き起こした。

 

 その一端を担った萩原は「まさか、あんなブームになるとは…。韓国ドラマは当時、日本に全く浸透していなかったし、恋愛の価値観は国や文化によって変わると思っていたので、このドラマが当たったのはビックリしました」と本音を吐露する。

 

引用:SANSPO.COM – 平成16年「『冬ソナ』ヨン様と韓流ブーム」

 

この『冬のソナタ』をはじめとした韓流恋愛ドラマが中高年層にヒットした理由は、青春時代にハマった昭和の恋愛ドラマに通ずるものがあったからだと言われています。

 

 

韓流ドラマが中高年にヒットしたきっかけ

日本の男は情けない、韓国の男は素敵という構図

『冬のソナタ』でペ・ヨンジュンさん演じるカン・ジュンサンの自己犠牲愛は、異性に対して不器用な夫や日本人男性を情けないと感じていた中高年層の女性の乙女心に突き刺さりました。

 

それまでの欧米ドラマ・映画などにはない、”似た風貌を持つアジア人であり、海外のドラマ”という親近感と真新しさもミーハーな中高年層の心を動かしたのだと思います。

 

そして、やはり1970年代の昭和のメロドラマを彷彿とさせる展開に、当時こうしたドラマを観ていた人は懐かしさを感じながら韓流ドラマにはまってしまったようです。

 

「冬ソナ」は、山口百恵さん主演の「赤いシリーズ」で知られる1970年代の大映ドラマを思わせる波乱に満ちたストーリー展開と、雪景色の映像美が魅力の純愛物語。

「繰り返し障害に立ち向かい、幸せになるのを願いながら見るのは大映ドラマのよう。時代背景が放送当時より少し前で、日本人にとっては衣装やメークも懐かしかった。『冬ソナ』は意図せずして誰もが好む普遍的なものに触れるタイミングだった」

 

引用:SANSPO.COM – 平成16年「『冬ソナ』ヨン様と韓流ブーム」

 

そして、韓流ブームを盛り上げるためにメディアは「韓流四天王」という言葉を作って、特に人気のあった韓流スター俳優、ペ・ヨンジュンさん、イ・ビョンホンさん、チャン・ドンゴンさん、ウォンビンさんを掲げて彼らが主演するドラマや映画をプッシュしました。

 

 

 

韓流ブームに対して”嫌韓ブーム”が起こる

2002年に始まった韓国人への違和感

嫌韓の動きは韓流ブームが起きる2003年の前年に起きており、それは日韓FIFAワールドカップでした。

 

この日韓FIFAワールドカップは開催前から「なぜ共同開催なのか」ということは言われてきましたが、それは開催地に日本が手を挙げたことに対して韓国が対抗するように慌てて手を挙げたことに始まりました。

 

当時韓国はアジア通貨危機により大不況に陥っていたため、開催スタジアムを建設する費用が無かったため、すでに大会チケットの販売が始まっているということもあり、日本が30億円を融資する形でスタジアムの建設が実現しました。

 

元々日本での単独開催だと言われていたところを、韓国が相乗りし、さらに日本人の血税を出させたことに日本人は反発していました。

 

そして、いざ大会が始まると韓国代表選手のアン・ジョンファンさんがアメリカ代表から得点した際に、ソルトレークオリンピック時のスピードスケートでの誤審で韓国選手が金メダルを逃したことに対するスケートパフォーマンスを行うなど政治的アピールをして物議を醸しました。

 

さらに酷かったのは、韓国代表は対戦したイタリア代表選手らにことごとく目に余るラフプレーを仕掛けて世界のサッカーファンを唖然とさせ、韓国代表がピンチになると韓国サポーターが大ブーイングをするなどマナーの悪さが目立ちました。

 

これに対しオランダ代表のヨハン・クライフさんは「W杯の恥さらし国家。韓国は史上最低の開催国として歴史に名を刻むだろう」と言い放ち、その他のスター選手らも同じように韓国をなじるコメントを残しました。

 

もちろん日本人も共同開催したことが恥ずかしくなるほど韓国人の劣悪ぶりを批判し、この頃から「韓国人は何かがおかしい」という風潮が世間に広がることになります。

 

このあたりから日韓関係は急速に冷え込み始め、韓流ブームを推し進めていたフジテレビやNHKなどのテレビ局へのデモや不買運動が起こり、2005年には著書「マンガ嫌韓流」が累計100万部を突破するベストセラーとなり”嫌韓ブーム”が到来しました。

 

 

韓流ドラマブームの終焉と嫌韓ブームの激化

韓流ブームが失速し嫌韓ブームが激化した

2005年以降は韓流ドラマブームは下火となっていき、それまで夢中になっていた中高年層も「観なくなった」という人がアンケートで増えるようになりましたが、逆に嫌韓の動きは活発化し、2006年には「在特会」が生まれることになります。

 

韓流ドラマの人気が失速した理由は、ペ・ヨンジュンさんをはじめとする韓流スターに頼りすぎたことによる多様性のなさであり、一部の熱狂的なファンだけを残してライトユーザーがことごとく観なくなってしまったことにあります。

 

しかし、フジテレビとNHKが韓流ドラマを定期放送していたことに対して嫌韓ユーザーらによるデモや不買運動が相次ぎ、スポンサーがダメージを受けたことからフジテレビは2005年に定期放送を打ち止めしてしまいます。

 

ネット社会の急激な普及に伴い、嫌韓ユーザーはネット上で結束していかに韓国と断交すべきかを熱論し、それらを取りまとめるように桜井誠さんが「在日特権を許さない市民の会」通称”在特会”を立ち上げて全国で会員を募り過激な嫌韓デモを繰り返しました。

 

これらのデモで叫ばれたシュプレヒコールでは在日韓国人、朝鮮人を「ゴキブリ」「チョン」などと蔑称で罵倒し、ヘイトスピーチとして社会問題にまで発展しました。

 

社会で嫌韓ブームが過激さを増す一方で、2005年からNHKで放送された時代劇ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』が再び中高年層にヒットし、『冬のソナタ』の時とは違い男性からも高い支持を得たことから、下火だった韓流ドラマが再び注目されるようになります。

 

 

第2次韓流ブーム(2010~2011) K-POPブーム





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