料理番組『料理の鉄人』などで人気を博した中華料理人の周富徳(しゅうとみとく)さんは2014年に亡くなり、家族や店の現在が話題です。
今回は周富徳さんの死因、嫁や息子など家族、店や弟子たちの現在、数々の伝説を紹介します。
この記事の目次
周富徳のプロフィール
「炎の料理人」と呼ばれたカリスマ中華料理人
周富徳さんの詳しいプロフィールはこちら。
本名: 周 富徳(しゅう とみとく)
生年月日: 1943年3月11日
出身地: 神奈川県横浜市中区(横浜中華街)
死没: 2014年4月8日(71歳没)
死没地: 神奈川県横浜市中区
死因: 誤嚥性肺炎
別名: 炎の料理人
民族: 在日中国人二世
職業: 料理人
活動期間: 1961年 – 2014年
著名な実績: 聘珍樓総料理長など
活動拠点: 広東名菜富徳
テレビ番組: フジテレビ「料理の鉄人」など
家族: 周富輝ほか
引用:Wikipedia – 周富徳
周富徳さんの出身は横浜の繁華街で、両親が経営していた中華料理店「生香園(せいこうえん)」で父親の背中を見て育ちました。
高校卒業後は東京都の新橋にある「中華飯店」や京王プラザホテルの「南園」、「聘珍樓」「赤坂璃宮」などの高級中華料理店で総料理長を務めるなど修行を積みました。
そして、その後自身の店「広東名菜富徳」をオープンさせました。
周富徳さんは料理バラエティ番組『料理の鉄人』で「炎の料理人」と呼ばれ、挑戦者として人気者に。NHK『きょうの料理』で家庭向きの中華を教えるなど、タレント活動もしていました。
周富徳の現在は死亡している~死因は「誤飲性肺炎」
周富徳は誤飲性肺炎により衰弱死した
2014年4月8日午後11時37分に、周富徳さんが誤飲性肺炎のため、横浜市中区の病院で死去したことが伝えられました。享年71歳でした。
周富徳さんの葬儀は家族葬で行われ、喪主は長男の周志鴻(しゅうしこう)さんが務めました。
周富徳さんの死因は「誤飲性肺炎」とのことですが、近年は腕の麻痺から中華鍋を振るうこともままならず、闘病中は食事もできずに、次第に衰弱して亡くなられたものと見られます。
「食べることが大好きだった父なのに、何も食べられなくなり、かわいそうで……。『せめて氷だけでも』という父のお願いを先生に話して、1日1個だけ、なめさせてもらいました」
長男の志鴻さんがインタビューで応えていましたが、周富徳さんは大好きな食べ物が食べられなくなり、生きる意欲を失ってしまったのかもしれません。
周富徳の家族① 嫁
周富徳さんの嫁は周節子さんといいます。ですが、写真が存在しないことから、夫がタレント活動していた頃も表に露出したことはないようです。
2人の馴れ初めは、周富徳さんが周節子さんの手帳に「富徳とデート」と強引に予定を書いてデートにこぎつけたようで、ベタ惚れしていたようです。
周富徳の家族② 子供 【店は現在息子が引き継いでいる】
周富徳の子供は志鴻さんひとり
周富徳さんの息子である志鴻さんは父親の背中を見て育ったため、大学卒業後に中華料理人になっています。
現在は、周富徳さんの店「広東名菜富徳」を引き継いでオーナーをしています。
周富徳の家族③ 兄弟 【両親の店を現在引き継いでいる】
周富徳の弟・周富輝が実家のお店を継いでいる
周富徳さんの両親は中国広東省の出身で、横浜中華街に移り住んだことから、子供達は在日中国人二世ということになります。
次男の周富徳さんの実家のお店は横浜・馬車道にある広東料理をベースとした「生香園(せいこうえん)」で、末っ子の周富輝さんが引き継いでオーナーをしています。
長男の周富新さんは、兄弟で唯一料理人ではないものの、別の中華料理店のオーナーをしているそうです。三男の周富安さんも仙台で「周香港飯店」というお店をしています。
周富徳さん、周富安さん、周富徳さんは「周三兄弟」としてテレビ番組にもよく出演していました。
周富徳の理想の店とは
周富徳は民宿のような中華料理店を持つのが夢だった
周富徳には夢の中華料理店像があった
週刊誌「女性自身」の記者がインタビューをした際に、周富徳さんはストレス社会に生きる人たちのためにリラックスできる民宿のような中華料理店を作りたいとの夢を語ったようです。
周さんは以前、本誌の取材に“夢”を語ってくれていた。それは、食材に恵まれた土地で、ペンションのような、宿泊もできておいしい料理をゆっくり味わってもらえる施設を作ること――。
《オレが料理を作って、一緒に食べて、おしゃべりをして、おしゃべりしたくない人はすぐに寝て。そう、自由にね。今はストレスのたまっている時代だから、そんなストレスを解消したい店を持ちたいと思っているんだ》
周富徳さんはこの夢を叶える前に逝去してしまいましたが、味はしっかりと息子や弟子たちに受け継がれていますので、多くの人の舌をうならせ続けることは今後もできるでしょう。
周富徳の店「広東名菜 富徳」は”おもてなし”重視
一流の本場中華がお手頃価格でお腹いっぱい食べられる
前述の周富徳さんの想いは自身の店「広東名菜 富徳」にも当然込められており、お店紹介サイトでは「リーズナブルな価格で本場中華が食べられる」というレビューがたくさん見られます。
富徳といえば…そう、懐かしの鉄人、周富徳のお店です。 そう聞けば高級っぽいけど、飲み放題付きで5000円がこの集まりの基本。
(中略)
満腹で飲み放題が5000円って。 鉄人の店も意外とお得、年末の素晴らしい経験です。
周富徳さんが『料理の鉄人』に出ていたネームバリューもあり、なおさらコスパの良さを感じる客は多いようです。
周富徳の弟子たちの現在
周富徳の弟子がやっている店
周富徳の弟子たちが味を受け継いでいる
カリスマ中華料理人だった周富徳さんには多くの弟子がいたようで、その総数は分からないものの、幾人かの弟子たちは味を受け継いだ中華料理店を日本各地に出店しています。
上の画像は、群馬県太田市新井町にある「広東名菜翡翠軒(かんとんめいさいひすいけん)」で、周辺の中華料理店とは一線を画す本場中華が食べられる店として地元民に愛されています。
火龍園(ふぁんろんゆぇん)
「火龍園」は東京ミッドタウン内と世田谷に店舗を構えており、唐朱興さんがオーナーシェフをしています。
食べログなどのレビューでは、こぞって”エビマヨ”がおすすめされているようです。
広東名菜好好 (はおはお)
「広東名菜好好」は栃木県小山市にあるお店で、店内には周富徳さんを始め、有名中華料理人の写真が多く飾ってあるようです。
料理は街の中華料理店というオシャレさはないものの、非常においしいレベルの高い中華だと評判を得ています。
その他、大阪府大阪市にある焼き鳥屋「鶏ざ(とりざ)」や、愛知県名古屋市にあるラーメン屋「麺屋 神風(めんやしんぷう)」など、中華料理店以外のお店もあるようです。
周富徳の伝説的エピソード① エビマヨ考案
”エビマヨ”の発祥は周富徳が勤めた店「聘珍楼(へいちんろう)」
定番のエビマヨは周富徳が開発した?
中華料理でエビマヨは定番人気メニューの1つですが、本場中国料理には無かったメニューでした。
初めてエビマヨを開発したのが横浜中華街「聘珍楼(へいちんろう)」だと言われており、周富徳さんがアメリカで食べたマヨネーズを使ったエビ料理を食べて改良したと言われています。
かつて私が取材した、広東料理の巨匠・周富徳(しゅうとみとく)さんが、
1986年に料理研究の為、ロサンゼルスを訪れた時、
中華料理店で偶然出会ったのがマヨネーズを使ったエビ料理でした。
しかし・・・これがマズイ。
そこで改良を重ね、今のエビマヨを完成させたと言われています。
(私は直接周さんから聞きました)
大元の発祥はロサンゼルスということになるのかもしれませんが、大味なアメリカのことなのでエビにマヨネーズをかけただけの、料理とは言えないレベルの可能性があります。
そのため、”エビマヨ”は周富徳さんが発祥ということになるでしょう。
周富徳の伝説的エピソード② 道場六三郎を初めて負かす
『料理の鉄人』の道場六三郎を初めて負かした
道場六三郎さんは『料理の鉄人』において、初代の中華の鉄人・陳建一さん、フレンチの鉄人・石鍋裕さんの3人の中で唯一負けなしの状態でした。
しかし、挑戦者・周富徳さんとの「豚対決」において、初めて黒星を付けられてしまいました。
周富徳さんにとっては前回道場六三郎さんに負けていたため、リベンジマッチでしたが、初めて道場六三郎さんに敗北の味を教えました。
以下のYouTube動画は周富徳さんと道場六三郎さんの対決回ですが、息子の志鴻さんも出演していました。
なお、周富徳さんは「料理の鉄人」だと思われている節がありますが、挑戦者であり「中華の達人」は初代から番組終了まで陳建一さんただ1人となります。
周富徳の伝説的エピソード③ 半生が堂本光一主演でドラマ化される
「炎の料理人」は漫画やドラマになった
周富徳さんの半生を描いた「炎の料理人・周富徳物語」は漫画化され、「Kinki kids」の堂本光一さん主演で1995年にドラマ化しました。
ドラマのあらすじについて、ザ・テレビジョンの公式サイトで以下のように紹介されています。
若き日の周富徳を描いたドラマ。終戦後の横浜・中華街が物語の舞台。伝説の料理人だった父を戦争で亡くした周(堂本光一)は、まだ未熟な料理人で自分流の料理の開拓に励んでいる。そんな周をライバル視する料理人や、中華街の乗っ取りを画策する日本人など、次第に周は日本の中国を守るために、闘うことを余儀なくされる。
周富徳さんが当時、いかに世間から注目を集めていたかが分かります。
しかし、タレントとして成功したことで油断が生まれたのか、周富徳さんはセクハラ疑惑や脱税により芸能界を失脚してしまうことになります。
周富徳の伝説的エピソード④ スキャンダルでテレビを去る
周富徳は芸能界を去る時も派手だった?
周富徳さんはタレントとして注目を集めてモテるようになったのか、元々女好きだったこともあり、ロケ現場にも愛人と思われる女性を連れて来ることがあったと言われています。
そして1990年代後半には、週刊誌によりセクハラ疑惑も報じられていたようです。
連日マスコミに追いかけられる中で、周富徳さんは記者を蹴るような仕草を見せたことから、世間での印象は悪くしてしまいました。
また2001年には、経営する会社の法人税を約4,700万円あまり脱税していたことが発覚し、懲役1年・執行猶予3年、罰金刑1,000万円の判決を受けてしまいました。
これらのスキャンダルにより「炎の料理人」として集めていた人気は一気に失墜し、周富徳さんは芸能界から姿を消してしまいました。
しかし、生涯を中華料理に捧げ、多くの人を魅了してきた功績はこれらスキャンダルで薄れることはなく、周富徳さんは間違いなく日本を代表する中華料理人の1人だったと言えるでしょう。
こんなん食ったら汗止まらんわ。あっつい!
— clean ogre 兄丸童子 (@animaru0522_RLH) July 17, 2019
暑い日に熱いものを食うのはもはや癖みたいなもんだわさ。周富徳さんの漫画でやってた! pic.twitter.com/p8XYNtvthf
周富徳さんですかね?
— くあっく (@O_K_now) July 17, 2019
私は彼の料理本を買って持っていて(半分マンガ)
私の中華料理の師匠と勝手に思っていたので
新幹線の駅でお見かけした時には声を掛けて
一緒に写真に収まって頂きました。
20年くらい前かなあ。
エビチリの生みの親は陳建民だが、エビマヨは周富徳なのだって。ロスの香港系中華料理屋でしょうもないの食わされて日本で改良版出したのが始まりだそう。
— 小隊長@栴檀林(せんだんりん)小隊 (@sendanrin) July 16, 2019
昔、知人がお洒落中華屋にいた時、エビマヨ頼もうとしたら「あぁ〜」って顔してよだれ鶏を勧められたのが昨日の事の様に思い出されます。
まとめ
『料理の達人』で「炎の料理人」として注目を集めた周富徳さんについて、店や伝説、家族を総まとめしてきました。
・周富徳は夢は果たせなかったが息子や弟子が味をしっかりと受け継いでいる
多くの人が中華を食べる時に楽しみにしている”エビマヨ”が、周富徳さんによって開発されたと考えると、日本の中華料理界に遺した功績は多大なものがあったと言えるでしょう。