台湾出身の歌手で女優の白冰冰(パイ・ピンピン)さんですが、娘が台湾の犯罪史上最悪と言われる誘拐殺害事件で殺害されています。
今回は白冰冰さんの経歴、旦那や息子の有無、白暁燕さんの死因や犯人、子供など現在をまとめました。
この記事の目次
白冰冰(パイ・ピンピン)のプロフィール
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本名:白月娥
生年月日:1955年5月17日
出身地: 中華民国(台湾)台湾省基隆市
職業: 歌手、女優、アイドル、社会運動家
白冰冰さんは台湾出身の女優・歌手で、現在も活躍中です。
白冰冰の略歴
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白冰冰さんは、台湾基隆市の貧しい家庭に生まれました。10代の頃に学校を中退し、1973年、18歳の時に、台北で開かれた歌唱大会で優勝したのをきっかけに芸能界で活躍し始めました。
1977年、漫画家・梶原一騎さん主宰のバンコクと香港を舞台にした劇映画「カラテ大戦争」の香港オーディションにてヒロインに選ばれたことをきっかけに来日。
当時の白冰冰さんは、歌って踊れて、カンフー・ドラマに出演歴も多く、マルチタレントぶりを発揮していたので、松竹映画のプロデューサーや梶原一騎さんの眼に留まったようです。
映画「カラテ大戦争」は1978年に公開され、白冰冰さんは主題歌「カンフー・エレジー」も担当、日本で女優兼歌手でデビューも果たしています。
一時期は芸名を「スザンナ・スー」と改め、1980年に劇場版アニメ映画「あしたのジョー」の挿入歌「グッバイ・ジョー」などを歌ったこともありました。
プライベートでは、白冰冰さんは1979年、梶原一騎さんと結婚しています。しかし、梶原一騎さん家庭内暴力から結婚生活は長くは続かず、別居後の1983年に正式に離婚しました。
1984年、日本での最後のシングル「忘れないわ…」をリリースした後、1981年に台湾に戻っています。
台湾に帰国後、本格的に歌手活動を開始して、次々とアルバムを出すかたわら、 テレビ番組の司会やコマーシャルなどにも出演して人気を得た白冰冰さん。
この頃は日本語や北京語、台湾語で日本のカバー曲をたくさん歌い、1980年代の台湾で有名な歌手の1人になりました。
白冰冰の元旦那は日本の漫画原作者・梶原一騎
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白冰冰さんは、「巨人の星」の作者である梶原一騎さんと結婚していました。
梶原一騎(かじわらいっき)のプロフィール
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本名:高森朝樹
生年月日:1936年9月4日
没年月日:1987年1月21日
出身地: 東京都
職業:漫画原作者、小説家、映画プロデューサー
梶原一騎さんは東京都出身の漫画原作者で、1960~70年代に日本の漫画文化に多大な影響を及ぼし、傑作を多数発表。日本の著名な原作者のひとりです。
代表作は、あしたのジョー、巨人の星、侍ジャイアンツ、タイガーマスク、空手バカ一代、愛と誠、柔道一直線など。誰もが一度は見たことがある作品ばかりですよね。
また、小説家や映画プロデューサーとしても活躍しました。
妻の高森篤子さんとの間には、2人の娘と3人の息子がおり、長男は映画プロデューサーの高森城さんです。
高森篤子さんとの間に一時的に離婚期間があり、その間、白冰冰さんと結婚しています。
梶原一騎さんは白冰冰さんと離婚後、傷害事件などを起こして実刑を受けたり、壊死性劇症膵臓炎を患うなど体調を崩したりと波乱万丈でしたが、1987年に50歳で死去しています。
白冰冰の娘は白暁燕(パイ・シャオイェン)【息子はいない】
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台湾の女優・歌手の白冰冰さんと日本の漫画原作者の梶原一騎さんの間に生まれたのは、一人娘の白暁燕さんです。
白冰冰さんは暁燕さんが生まれる前に梶原一騎さんと別居して台湾へ帰国しているため、暁燕さんは冰冰さんの元で育てられました。
白暁燕さんは母親譲りの美貌を持ち、成長するにしたがって母親とともにテレビ出演する機会も増えていました。
しかし、1997年4月14日に誘拐され、犯人による無残な虐待の末に惨殺されています。享年17歳でした。
白冰冰の娘・白暁燕の誘拐殺害事件とは
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白暁燕誘拐殺人事件とは、1997年に台湾台北市で起きた「台湾の犯罪史上最大の誘拐事件」と言われる凄惨な殺人事件です。
白暁燕さんは通学途中に誘拐され、犯人らは身代金を要求。母親の白冰冰さんは全額を用意しますが、身代金の受け渡しに失敗し、白暁燕さんは無残な虐待の末惨殺されました。
また、犯人逮捕に至るまで一般人が殺されたり、警察官との銃撃戦に発展したりと単なる誘拐殺人に収まらない悲惨さから、白暁燕という単語が「検索してはいけない言葉」入りしています。
白冰冰の娘・白暁燕の誘拐殺害事件① 事件の経緯
白暁燕が通学途中に誘拐される
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1997年4月14日、私立醒吾高級中学2年に在学中だった白暁燕さんは、通学途中に実行犯の陳進興と林春生によって拉致され、高天民が運転する車に乗せられました。
犯人グループは白暁燕さんの頭部にゴムバンドを巻き付け、顔を見られないようにし、あらかじめ借りてあった五股西雲路の部屋に連れて行きます。
犯人たちは、白暁燕さんの身体を縄で縛った状態で左胸を露出させ、その姿を写真に撮り、小指を切断しました。
白暁燕さんが痛みで泣き叫んだため、犯人たちは殴る蹴るの暴行を加えています。
母親の白冰冰に身代金要求
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犯人グループは、白暁燕さんの母親・白冰冰さんに電話で娘を誘拐したと伝えます。
そして亀山郷の霊園管理室に行くことを指示し、白冰冰さんはそこで娘・白暁燕さんの写真3枚と切断された小指、身代金などが記載された紙を発見、警察に通報しています。
犯人たちは白冰冰さんに対して500万ドルの身代金を要求し、白冰冰さんは500万ドル全額を用意しました。
身代金受け渡し失敗と白暁燕殺害
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「0414特別案件」として身代金受け渡し時の犯人逮捕に向けた計画が進み、4月18日と19日の交渉で身代金の受け渡し場所の候補地が決定しました。
取引場所は台北市、台北県、桃園県でしたが、身代金受け渡し当日に犯人らが現れることはありませんでした。
その後、2度目の身代金の受け渡し計画も実施されますが、すでに最初の身代金受け渡しの失敗時点で白暁燕さんは殺害されていました。
2回目の身代金受け渡し失敗
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白暁燕さんを殺害した犯人グループは、警察に対してまだ人質が生きているように装い続け、身代金500万ドルを受け取ろうとします。
4月23日、新しい受け渡し場所が決まりますが、またしても犯人グループは現れませんでした。
4月26日以降は、白冰冰さんや犯人の親族などがテレビ出演し、犯人グループに自首するよう呼びかけました。
白暁燕の遺体発見
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4月28日に白暁燕さんの遺体が発見されます。あまりの損傷に、発見者は「豚の死骸かと思った」とコメントしています。
その後、台湾全土に犯人の指名手配が出されます。
しかしこの後、逮捕まで非常に難航することになります。身内による犯人の隠匿や妨害工作があったのではとも言われています。
犯人は逃亡中にさらに強奪や殺人、さらに銃撃戦に発展
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白暁燕さんの誘拐殺害事件は、思わぬ方向に向かいます。
遺体発見から時間が経った6月6日、高天民、林春生、陳進興は台北県議員の蔡明堂さんを誘拐し500万ドルを奪います。
また8月8日にも金属会社の経営者を誘拐し、身代金を奪っています。この被害者2名は金銭受け渡し後に解放されています。
白暁燕誘拐殺害事件が起きた当時の李登輝総統は、「犯人らを発見次第、問答無用で射殺せよ」との命令を発令していました。
8月19日、発見された高天民、林春生、陳進興らは短機関銃で応戦してきたため、台北市内で警官隊800人との間に銃撃戦が発生します。警察の特殊部隊も動員されました。
この銃撃戦で警官1人が殉職、1人が負傷し、主犯の林春生が6発の銃弾被弾の末に自殺しています。
整形手術をさせた医師と看護師を惨殺
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銃撃戦から逃走した高天民はその後、陳進興と共に台北市の整形外科病院に押し入り、医師と看護師を脅し、顔面の整形手術を行わせます。
手術後、口封じのために手術を行った医師夫妻と看護師を拳銃で殺害しました。
後手に手錠で拘束した上、頭部に発砲しており、さらに看護師は殺害前に陳進興に強姦されていました。
2度目の銃撃戦
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11月17日、高天民は台北の石碑路で警官隊に包囲され、2度目の銃撃戦になります。
最後は逃げ切れず、高天民は拳銃で自殺します。
残る陳進興は裁判で死刑に
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白暁燕誘拐殺害事件の主犯格のうち2人が自殺という最期を迎えましたが、残る陳進興は11月18日、南アフリカ大使館の駐在武官官邸で5人の人質を取り、立て籠もりました。
しかし、人質のうちの1人で民進党の謝長廷さんが陳進興の弁護を引き受けると約束したことから、翌日11月19日に投降し、警察に逮捕されました。
陳進興には、5件の誘拐、殺人、強盗に対し死刑5回、暴行などに対し懲役刑、合計59年9か月の判決が下されました。
また、被害者である白暁燕さんの母親・白冰冰さんに対し、1億7130万台湾元(日本円で6億3000万円)という台湾史上最高額の賠償命令を言い渡しました。
陳進興は1999年10月6日、死刑が執行されています。
白冰冰の娘・白暁燕の誘拐殺害事件② 白暁燕の死因とは
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被害者の白暁燕さんの遺体は、誘拐から約2週間後の4月28日に発見されました。
検死の結果、死後8日~10日ほど経過しており、直接の死因は頭部、腹部殴打による出血多量及び内臓破裂と判断されました。
遺体解剖では腹部内に500ccの内出血が確認され、切断された被害者の小指には細い針金で止血した跡がありました。
また、首にはナイロンコードで絞められた形跡がありましたが、絞められた時点では既に絶命していたと言われています。
白暁燕の遺体についてネットでさまざまな情報が…
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白暁燕さんの遺体については、ネット上で真相が定かでない情報が飛び交っています。
「肋骨は全部折られ爪は全部剥がされた。髪はむしられまばら、両耳には爆竹を詰められ爆破される。膣に釘を48本入れられた後、肛門と膣に鉄パイプを入れられ、直腸破裂、膣口裂傷、眼球をくり抜かれ、最後はワイヤーで首を絞められ絶命」
残忍極まりない方法で殺害されたため、遺体は人間の原型をとどめていなかったとも言われています。
しかし、台湾警察の調書や裁判記録などでは、ここまで凄惨な殺害方法だったかは確認できないようです。
白冰冰の娘・白暁燕の誘拐殺害事件③ 3人の犯人の他にも協力者がいた?
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白暁燕誘拐殺害事件の犯人は、高天民、陳進興、林春生の3人です。
この3人は台湾マフィアのメンバーとも言われており、白暁燕さんを殺害後も逃亡しながら犯罪を重ねていきました。
ただし、この3人以外にも協力者が複数いたという情報もあります。
高天民
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高天民は主犯3人の中でもリーダー格でした。
誘拐事件当日は白暁燕さんを連れ去り、拉致に使った車を運転していたと言われています。
陳進興
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主犯格3人のうち、唯一生き残った陳進興。
拉致事件では白暁燕さんを車に無理やり押し込む役割を受け持っていたと言われています。
また、整形外科では看護師を強姦の末殺害しており、逃亡中もあちこちで強姦事件を起こしていたようです。
林春生
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主犯格3人のうち最初に死亡しました。警官との銃撃戦の末、体に6発の銃弾を受けた後に自害しています。
陳進興とともに白暁燕さんを車に押し込む役割を担当し、交渉材料として白暁燕さんの小指を切り落とした犯人です。
協力者が18人いた?
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主犯格3人には多数の協力者がいたと言われており、実は逮捕者だけでも総勢18人にものぼっているのです。
この18人の中には、主犯格の林春生と陳進興の身内が6人も含まれています。主犯格3人を身内が匿っていたため事件が長引き、逮捕に時間がかかったと言われています。
さらに主犯格3人は、先に逮捕された台湾マフィアの構成員の釈放を求める手紙を台湾検察に送っていましたので、台湾マフィアが関与していた可能性もあります。
白冰冰は娘の誘拐殺害事件後、子供を授かっていない 【人工授精を15回】
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白冰冰さんは、愛娘・白暁燕さんを殺害後、5年間で15回も人工授精に挑戦し、ことごとく失敗していたことを明らかにしました。
自身が司会を務めるテレビ番組で「不妊」を話題にした際のことで、「娘を再び生まれさせたい」との思いからだったそうです。
事件後の1999年からアメリカに渡って妊娠にチャレンジしましたが、最終的には自分の命も危ないことを医師から告げられ断念。
番組内では、悲しい過去を思い出し、涙で声を詰まらせながら語った場面もあったそうです。
白冰冰の現在
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悲惨な体験をした白冰冰さんですが、現在も台湾の国民的エンターティナーです。
テレビやラジオ番組をいくつも持ち、歌や司会など幅広く活動し、マシンガントークで陽気なかわいいおばちゃんキャラを確立しています。若々しくて美しい美貌を今も保っていますね。
想像を絶する苦しみを経験したはずですが、そんな境遇に負けず、明るく前向きな白冰冰さん。彼女を応援、支持するファンが多いのはうなずけますね。
また、事件後は人権活動家としても有名になりました。死刑存続を訴え、犯罪被害者のケアなど自らの経験を生かした活動をしています。
さらに事件から1年ほど後には、手記「燕よ、空へ―慟哭を乗り越えて」を出版し、日本での生活、台湾に戻ってからの生活、そして凄惨な事件後の心情を綴っています。
また、周りの人々への感謝の言葉とともに、悲しみの心を率直に語っています。
「かつての恨み、苦しみ、悲しみ。友人たちがそれぞれ信仰する宗教で語り、私に寄り添い、最もつらい数年を共に過ごしてくれた」
「今は平和に暮らしているけれど、シャオイェンが苦しんでいたあの時間を忘れることはできない」
この上ない悲しみと辛さを経験しながらも、強く前向きに生きる白冰冰さん。
想像を絶する苦しみや辛さを乗り越えて、輝いている姿を私たちに見せてくれています。
まとめ
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台湾の歌手で女優の白冰冰さんの経歴、日本人の元旦那や息子の有無、娘・白暁燕さん誘拐殺害事件の犯人や死因、子供の有無など現在を調べてみました。
白暁燕誘拐殺害事件は台湾史上まれにみる凶悪事件でしたが、一説にはマスコミ報道の過熱が事件を複雑にしてしまったとも言われています。
このような犯罪が二度と繰り返されないことを願うばかりです。