日本はもちろん世界的に有名なカンフー俳優で、ダントツの人気を誇るブルースリーさんですが、未だに死因について様々な噂が飛び交っています。
今回はブルースリーさんの嫁や息子など家族、謎めいた死因と真相をまとめてみました。
この記事の目次
ブルースリーのプロフィール
氏名:ブルースリー(李小龍:Lǐ Xiǎolóng)
生年月日:1940年11月27日
享年:1973 年7月20日
職業:俳優、舞踏家、脚本家、映画プロデューサー
ブルースリーさんは、香港で活躍していた中国武術家であり、俳優です。
中国人の役者の父親と、コーカソイド中国人ハーフの母との間に、なんとアメリカ合衆国で生まれました。
ブルースリーさんは元々中国や上海に住んでいた、と思っている人も多いのではないでしょうか。実は、国籍はアメリカだったんです。
その後、当時はまだイギリス領だった香港に引っ越しをし、そこで生活を始めます。
当時はまだまだ戦時中で厳しい状況でしたが、大戦終了後には子役として映画に出演をし始めます。
この後から、彼の武術の起点となる少林拳の指導を受け、節拳や詠春拳などの武術をたしなむようになります。
当時からその腕前はかなりのものであり、非常に卓越した技量のある子役だと認知されていたようです。
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元々裕福な家庭だったため、特に苦労することなく映画の出演、好きな武術への傾倒をみせていたブルースリーさんでしたが、役者で生計を立てていた彼の父親はそれを許しませんでした。
「俳優の不良息子」として名高かった香港から、無理矢理引き離します。そして、彼はたった100ドル札のみで、単身アメリカの大地へと降り立つのです。
アメリカは生まれ故郷とはいえ、物心ついたときには香港に居たため、異国の地と言っても過言ではありません。
そんななんのサポートもない状況で、独り放り出されたブルースリーさんが、その後成功を収めると思うと、やはり何か特別なものを持っていたのでは、とどうしても思ってしまいますよね。
彼は、アメリカで職業訓練学校に通いながら大学進学を果たし、その時に結婚をしています。
ただ、持ち前の彼の武術の腕前はとどまるところを知らず、自らジークンドーの流派を立ち上げるに至ります。
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ここまでは俳優というよりは武闘家として生きてきたブルースリーさんですが、彼の演武のフィルムを見た関係者によって見事ハリウッドにスカウトされ、ようやく俳優人生を歩み始めます。
『ドラゴン怒りの鉄拳』や『死亡遊戯』など、当時の最先端技術をもってしても彼の動きをとらえられず、やむなくスロー再生で映画にしたという人間離れした逸話はあまりにも有名ですね。
そんな人気絶頂の彼でしたが、終わりは突然に訪れます。
共演予定の女優の部屋で腹痛を訴えたブルースリーさんは、アスピリンを服用後に昏睡状態となり、その後あっという間に帰らぬ人となってしまいました。
非常に激動の人生を生きたブルースリーさんの死因は、今なお多くの審議にかけられており、真実は未だに判っていません。
ブルースリーの嫁であるリンダ・エメリーとは
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超人と呼ばれたブルースリーさんが結婚している事実は、意外と多くの人に知れ渡っています。
ブルースリーさんの結婚は、2度目にアメリカの地を踏んでから彼が大学進学を果たした後、そこで芽生えたロマンスが成就したものでした。
彼の結婚相手はリンダ・エメリーさんという女性であり、当時ワシントン大学にブルースリーさんが在学しているときの同級生とのことです。
当時、彼女はワシントン大学の医学生という超有望な肩書であり、謎の多く無駄に強い東洋人との結婚として、大変有名となりました。
その後ブルースリーさんは、若くして帰らぬ人となってしまい、結果的にリンダ・エメリーさんも若くして未亡人となってしまいました。
ちなみに、現在もなおリンダ・エメリーさんは存命です。ブルースリーさんの特集などでは、彼のパーソナリティーについて語る姿を目にすることがあります。
愛人がいた!?
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奥さんについてはこれでおしまいですが、それだけでは終わらないのがブルースリーさんです。
どうやらブルースリーさんには、愛人と呼ぶべき存在がいたことが分かっています。
一番有名なお相手が、女優の苗可秀(ノラ・ミャオ)さんです。
彼女は、幼い頃から彼と映画で共演しており、他の女優さんの中でも、共演率が最も高いことで知られていました。
非常に可憐な雰囲気が印象的であり、黒髪に黒い目という姿が、同じく生粋の東洋人であるブルースリーさんとかなりマッチしていますね。
次に有名なのが、丁珮(ペティ・ティン・ペイ)さんです。
彼女は、映画『死亡遊戯』で共演予定であったヒロインであり、プライベートでも親密な仲であったと言われています。
何より、ブルースリーさんが命を落とした現場が彼女の自宅だったことから、映画を超えた親密な関係だった可能性が高いでしょう。
彼女は、大変気の強そうな目力のある女性であり、クールビューティーという言葉がよく似合う女優さんと言えそうですね。
ブルースリーの息子であるブランドンリーは撮影中の事故で死亡
ブルースリーさんには息子さんがおり、名前はブランドン・リーさんといいます。彼はブルースリーさんと妻のリンダ・エメリーさんの間に生まれた1人っ子です。
彼自身も父親から直接武術の指南を受けており、香港で暮らしていました。
しかし、父親の若すぎる死を経験してからは、アメリカに渡り、父親と同じようにハリウッド俳優を目指すようになります。
実際、ブルースリーさんに指南を受けた武術の腕前は群を抜いており、その才能を遺憾なく発揮して、彼もまたカンフー映画の俳優として生計を立てるようになります。
しかし、これから活動を多忙にしていくその最中、彼に不幸が起こります。
映画撮影中の悲劇
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彼としては最後となる映画撮影の際、映画用の空砲を受けるシーンで、なぜか模擬弾が入っており、それが腹部に命中してしまいます。
彼はすぐに病院に運ばれましたが、結果として帰らぬ人となってしまいました。
この時ブランドン・リーさんは、なんと享年28歳であり、父親の若すぎる死と重なって、世界中の人々が驚きと悲しみに暮れました。
このように、立て続けにブルースリーさんとその息子が若くして死亡していることで、本当は国家レベルで狙われていたとか、特殊な役回りを担っていたのでは、と疑う人も多くいます。
ブルースリーの家と死後エピソード
ブルースリーさんの家は、さまざまな場所に存在します。
大スターであり、国外への移動も多い上、家族と住んでいた時、アメリカに渡った後など、さまざまな人生の岐路でも家を変更していますから、その数は4ヵ所に上ります。
その中でも最も有名なのが、九龍塘と呼ばれる場所に存在する豪邸です。
この豪邸では、ブルースリーさんは、妻のリンダエメリーさんと、息子のブランドンリーさんと一緒に生活をした、彼にまつわる建造物の中で最も有名なものです。
しかし、その有名になるきっかけは、大変酷いものでした。
有名になった理由は
ブルースリーさんの没後、この邸宅は競売に賭けられたり、右隣りを幼稚園、邸宅をホテルとして実際に営業していたそうです。
また、この邸宅が建造された当時は、大変高価な立地だった九龍塘ですが、現在はラブホテル街化しているそうで、邸宅もラブホテルとして営業されていたというのですから、驚きですね。
2019年7月頃になると、建物の老朽化による取り壊しが決定されかけました。
しかし、ブルースリーの大切な家ということで、取り壊し反対運動が起こり、ファンクラブが香港政府に訴えるなどの騒ぎに発展していったのです。
最終的にその活動の成果もあってか、ブルースリーを称える数々の物品や環境を展示した博物館となっており、一時期荒廃していたこの土地や建物もきれいに整備されました。
もちろん、現在はラブホテルとして営業していないので、遊びに行っても泊まれませんが、幾多行われた愛の営みとともに、ブルースリーさんの偉業を感じることはできそうですね。
ブルースリーの死因とは【公式発表と噂される説を紹介】
脳浮腫による死亡
数々の伝説をもつブルースリーさんですが、彼の死因は大変衝撃的なものでした。
元々、彼には薬物使用の噂が立っていましたが、それでも大スターであり、多くの影響があることもあってか、容認されていた当時の事情があったのかもしれません。
気になる彼の死因は、脳浮腫(脳水種)というものでした。これは、脳に水が蓄積することで発症するものです。
本来存在する液体の量を超え、脳が膨れ上がるわけですから、適切な位置にあった神経や器官をはじめ、脳自体が圧迫されて隅に追いやられ、座礁状態となってしまいます。
もちろん、これに伴いさまざまな症状が発生することになるのですが、ブルースリーさんの場合は、激しい頭痛であったと言われています。
彼は、亡くなる数週間前から体調不良を訴えており、『燃えよドラゴン』のアフレコの最中には、突如意識不明となります。
急いで病院に搬送され、脳浮腫の診断により必要な治療が開始されたため、幸いにも一度意識を取り戻したようです。
それから、頭痛に悩まされながらも普段通りの多忙な生活へと、ブルースリーさんは戻っていったそうです。
しかし、1973年7月20日、映画『死亡遊戯』の撮影期間中、ヒロインを演じる女優ペティ・ティング・ペイさんの自宅にレイモンド・チョウさんと一緒に出掛け、そこで事件は起こります。
レイモンド・チョウさんが席を外した後、ブルースリーさんはひどい頭痛を訴え、ペティさんが持っていたアスピリンやメプロバイトを含む鎮痛剤を内服します。
少し横になると言ったっきり、なかなか目を覚まさないブルースリーさんが意識消失しているのにペティさんが気が付いたのは、数時間経ってのことでした。
ペティさんはレイモンド・チョウさんを呼び、すぐに病院に搬送されて懸命の蘇生措置を行われましたが、彼が目覚めることは二度とありませんでした。
最終的に、脳浮腫による死亡と断定されます。
当初はアレルギー反応によるものと考えられた
ブルースリーさんが脳浮腫により死亡した、というニュースは瞬く間に広まりました。
通常元気な人間が脳浮腫を引き起こすというのは、大変考えにくい事です。
多くの人が、こぞってブルースリーさんの死因の真相を探し始めました。
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彼の死因の原因として最初に疑われのが、最後に飲んだ鎮痛剤である合材エクアジェック(Equagesic)でした。
慢性的な頭痛に悩まされていた彼でしたが、最期に自分のものではない薬剤を飲んだ後に死亡していることから、薬剤と身体との相性が最も指摘されたものです。
しかし、これも適切な考察ではない、という話が出始めます。
通常、過度なアレルギー反応は「アナフィラキシーショック」と呼ばれており、俗に言うショック症状により、血圧の低下、意識消失、顔面蒼白など、生命維持の機能が危ぶまれる状態です。
この場合、最も適切な対処法として、いち早く強心剤「エピネフリン」を静注しますが、彼の場合、医師がエピネフリンと酸素投与したにも関わらず、反応を見せなかったのです。
もし本当にアナフィラキシーショックだったとすると、彼の身体がエピネフリンに反応しないのは大変考えにくい事です。
エピネフリンに反応しない原因があるとすれば、意識消失して発見されるまでにすでに数時間が経過していた点です。
ブルースリーさんはショック状態に陥ってからから長時間放置され、発見時には完全に死亡していた可能性が残っています。
彼が普段から内服していた薬剤によるものという可能性も
彼の死後、彼と親交のあった武術家チャックノリスさんは、彼が普段から筋弛緩剤を摂取していたと主張しています。
筋弛緩剤は、その名の通り筋肉を麻痺させ筋緊張を取る薬ですが、同時に過剰摂取すると呼吸筋や新機能など、生命維持に必要な機能を停止してしまうという副作用も存在しています。
彼が常時筋弛緩剤を内服していたとするのであれば、その摂取量が気になるところです。
鎮痛剤以前に、多くの筋弛緩剤を過剰に内服していた場合、彼の死は不慮の事故ではなく自殺の可能性もはらんでいるためです。
また、彼が筋弛緩剤を常時摂取していたその理由も気になります。
筋弛緩剤は、摂取量を間違えれば生命に危険な影響を与えてしまうため、その使用は医師による厳格な管理などが必要となります。
彼が独自の判断で筋弛緩剤を摂取していたとしたら、彼の主治医である朱博懐さんの管理ミスということも考えられます。
これは一重に、マイケルジャクソンさんと同様の事件性があるということに他なりません。
こうした筋弛緩剤の他、彼はドラッグや脱法ハーブなど、さまざまな薬物を使用していたとされる噂も流布されています。
もちろんこうした薬物を摂取しているのであれば、彼の身体に脳浮腫をはじめとする、通常では考えにくい異変を引き起こしたとしても納得がいきます。
しかし、普段から糖分を控えるなど、厳格な食事管理をストイックに自ら行ってきたブルースリーさんが、こうした違法ドラッグを手にするのか、大きな疑問が残るのもまた事実です。
他殺の可能性も
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当然ながら、他殺の可能性も指摘されていました。彼は元々その強さから、さまざまな人や勢力に目をつけられることも少なくない人物でした。
俳優として優秀な演技ができる人物は大勢いますが、実際に戦ってみた際に本当の強さを持っている人物はほんの一握りであるとされています。
しかし、ブルースリーさんはその能力を持つ類まれなる人物でした。
一説によると、CIAの工作員であった、中国の特殊部隊にスカウトを受けていた、などスパイ組織との関わりも多く存在しています。
彼と親交のあったアグネスチャンさんは、「本当の死因ならだれでも知っている。でも、命が惜しいから言わない」と発言しています。
このように、スター界隈で常時的に何かがあったのは事実であるとされています。
ブルースリーさんの存在は、言ってみればすべてが規格外でした。
誰と実際に戦っても圧倒的な素早さと強さでのしてしまう。たった少額のお金を懐に、アメリカで大成功を収めてしまう。こうした人物は後にも先にも出てきていません。
彼は生粋の突然変異、天才という存在だったのではないでしょうか。
彼の一族に不幸な死が多いのは、こうした新たな事実を隠すための隠ぺい工作と言われると、ぶっ飛んだ話ではありますが、割としっくりと納得のいく説明がつくのではないでしょうか。
こうした明らかに異能を持ったものは、トップの政府機関などが放っておかないでしょう。
なんといっても、彼はそれだけの露出をしていますから。実際に彼の遺伝子を研究することで、新たな人類の進化の謎や兵士のトレーニング法が確立できるかもしれません。
都市伝説で何者かに殺されたという情報があるのは、あながち、こうしたことが嘘でないからかもしれません。
また、微量の大麻が検出されており、薬物でラリったところを殺害された可能性なども指摘されています。
天才的な才能ゆえに死亡したとの説も
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もう1つ、類稀なる才能を持っている場合、特に頭脳明晰だったり、人よりも何倍も速く動くことができるなど、天才的な脳の使い方により、脳に負担がかかっていたことが挙げられます。
実際に彼は慢性的な頭痛にさいなまれており、それは解消することはありませんでした。
彼の天才性が、突然変異による脳構造の変化であったとするならば、脳浮腫というその死因にも納得のいくものがあると言えるでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ブルースリーさんの死因には様々な噂が飛び交っていますが、その名声は今でも語り継がれ、数少ない映画によって伝説となっています。
ブルースリーさんに関する理解は深まったでしょうか。是非参考にしてみてください。