個性的なルックスやダンスでブレイクし、海外でも絶賛される芸人の渡辺直美さんですが、ハーフ説など国籍や生い立ちが話題です。
今回は渡辺直美さんについて、父親や母親や姉など家族や国籍、生い立ちから現在までをまとめました。
この記事の目次
渡辺直美のプロフィール
世界的な影響力を持つまでになった渡辺直美
渡辺直美さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 渡辺直美(わたなべ なおみ)
生年月日: 1987年10月23日
出身地: 台湾・新北市
血液型: A型
身長: 157cm
最終学歴: 石岡市立石岡中学校
出身: NSC東京校12期
コンビ名: フレッシュライム(2007年解散)
相方: ササキりな
芸風: 形態模写、ものまね、リズムネタ
事務所: よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期: 2007年 –
引用:Wikipedia – 渡辺直美
渡辺直美の家族① 父親と母親の国籍・ハーフ説も紹介
元々は内気な少女だった渡辺直美
渡辺直美さんは、父親が日本人、母親が台湾人のハーフで、台湾・新北市で生まれました。
しかし、幼少期に両親が離婚しており、母親と茨城県に移住して台湾と行き来する生活をしていました。
母親は日本語を話せなかったため中国語だったそう。渡辺直美さんは中国語は話せないものの、聞いて理解はできるそうです。そのためか、日本語も得意ではないまま育ったようです。
シングルマザーの家庭で渡辺直美さんは幼少期から貧乏に育っており、おかずが出ない日も珍しく無かったそう。そうした日はチラシに載っている食べ物を見ながら白飯だけ食べていました。
しかし、渡辺直美さんは決してひねくれておらず明るい元気な子供だったようで、当時は痩せていたことと、ハーフだったことから中学校時代まではモテたそうです。
渡辺直美の家族② 姉がいる?
渡辺直美さんのプロフィールは元々、”1人っ子”となっていましたが、近年台湾に姉がいるとして、インスタグラムやブログなどでツーショット写真を紹介し、話題になっていました。
渡辺直美、姉は台湾人で従姉妹だった?
家族、親戚の中で唯一太っている渡辺直美
渡辺直美さんの母親は日本語が分からなかったことから、現在は母親家族は台湾に住んでいるようです。
渡辺直美さんは自身のブログやインスタグラムなどのSNSで、度々台湾に住んでいるの姉を紹介していますが、実は血が繋がっていない従姉妹の可能性が浮上しています。
2017年7月19日に放送された『サタデープラス(TBS系)』において、渡辺直美さんは台湾を訪れて母親の姉・弟家族を紹介していました。
そこに登場していた林景俐(リンジンリー)は渡辺直美さんが”台湾のお姉ちゃん”と紹介した女性とそっくりでありながら、番組のテロップでは従姉妹として紹介されていました。
そして、「1人っ子の渡辺直美さんにとって、本当の姉のように憧れで甘えられる存在だった」と紹介が入っていたことから、渡辺直美さんには実姉はおらず1人っ子のようです。
そのため、ウィキペディアで”実姉”と紹介されているのは誤表記となります。
渡辺直美の生い立ち① 壮絶ないじめが芸人になるきっかけだった
中学1年生の頃に突然いじめられ始めた渡辺直美
吉本興業所属の芸人17人が中学生時代を振り返り綴った書籍『みんな十四歳だった!』の中で、渡辺直美さんはいじめや、それをバネにして芸人になったことを明かしていました。
渡辺直美さんは、中学1年の冬休み明けとなる3学期から突然いじめを受け始めたようで、クラスのいじめグループから無視されたり暴言・脅されていたそう。
いじめグループの首謀者は、元々は毎晩話に花を咲かせるような仲の良い友達だったそうで、渡辺直美さんにとって人生で初めて裏切られた事件であり、人間不信になったと明かしています。
原因は「好きな人が同じ」「名前の呼び方が気に入らない」というささいなこと。男子にもすぐ無視や悪口の輪が広がり「帰り道に待ち伏せして髪の毛全部抜いてやろうか」と脅されたり、上履きに「死ね」と書かれたりしたことも。いつまで続くか分からず学校も休みがちになった。「死にたい」とも考えた。
シングルマザーで夜遅くまで働く母を心配させたくなくて打ち明けられず、学校でも家でも孤独で苦しかった。そんな時、現実を忘れさせてくれたのがテレビのお笑い番組。「いつか私も人を楽しませたい」。それが芸人の原点となった。
幸い、2年生に上がる時のクラス替えでいじめグループとは離れたため、いじめは無くなったそう。
このような自身の経験から、いじめで自殺を考える子供達に対し、「未来が無いと自分で決めるのはもったいない。」と、境遇が変わればいじめも無くなることもある例として伝えています。
2016年5月30日放送のバラエティ番組『7時に会いましょうSP』では、渡辺直美さんが中学時代にいじめられていた時に助けてくれていた親友と再会し、涙混じりに喜び合っていました。
渡辺を救ったのが、保育園時代の友人だった。連日、その日にあったいじめについて電話で相談し、物まねを披露するなど芸人になるきっかけを作ってくれた友人。だが、芸能活動が忙しくなるに連れ、彼女と連絡を取ることがなくなったという。
不義理を後悔していた渡辺は、番組で友人と再会。恐る恐る本心を尋ねた渡辺は、友人から「(ずっと)親友だと思っていた」と渡辺の芸能活動を陰ながら応援し、誇りに思っていたことを明かされると、「涙が出そう…」と再会を喜んだ。
渡辺直美さんの不幸中の幸いは、助けの手を差し伸べてくれる親友や、その他クラスの味方になってくれる女子生徒がいたことでしょう。
渡辺直美さんはいじめで受けた心の苦痛をバネにして、過酷な芸人の道に進み多くの人を笑わせられる存在になりたいと決心しました。
渡辺直美の生い立ち② 家出をして芸人を目指す
高校卒業後に家出をした渡辺直美
渡辺直美さんは茨城県石岡市立石岡中学校を卒業後、勉強がほとんどできず苦手だったため、高校進学を諦めて、ファミレス「夢庵」でアルバイト生活をしていました。
そして、18歳の時に芸人を志したものの、母親に伝えたところ猛反対されたため、黙って家出をして上京し、NSC東京校に入学しました。
「18歳のときに家出したことありますよ」と切り出した渡辺は、芸人を志すも「母親に『芸人になるな!』と猛反対されて、許してくれなかった。母親に黙って東京に出て、NSC(吉本の養成所)に入りました」と意外な過去を告白。
さらに「その延長で今も家出中なんです」と笑いつつも「もうこの子は帰って来ないと納得したんじゃないですか? 『いいとも』の少女隊で毎週、出させていただいてから、母親も安心してくれた」とブレイクからきょうに至るまでを赤裸々に話した。
多くの親は、子供が芸人になると言いだしたらまずは反対したくなるものだと思いますが、渡辺直美さんは一人娘だったことからも尚更でしょう。
そして、日本語も苦手なハーフの渡辺直美さんにとっては、話が達者であることが必要な芸人という道は過酷なものとなりました。
渡辺直美の生い立ち③ 言葉の壁に悩むも長所を生かしてブレイク
芸人なのに日本語が苦手という挫折を味わう
渡辺直美さんは日本語が分からない母親に育てられ、さらに勉強ができなかったことから、18歳で芸能界デビューした頃もカタコトでした。
2008年からバラエティ番組『笑っていいとも!』の「いいとも少女隊」として出演し、知名度が上がっていましたが、渡辺直美さんはこの頃まで2、3年ほとんど喋っていなかったそうです。
「自己紹介お願いします、と言われた時に急に片言になっちゃうんですよ。あんまり日本語とか得意じゃなくて、掛け合いなんかできないんですよ。いまだにそれができてないんですけど、(デビューして)最初の2、3年、ほぼしゃべってないんですよ」
と、日本語がうまく使えないことを打ち明けた。大喜利のお題が理解できなくて、ペンを持ち紙に回答を書くふりをするだけの自分に、「芸人なんてもう無理だよ」と思ったという。
渡辺直美さんがこうしたコンプレックスを克服できたきっかけは、お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」の中田敦彦さんから言われた言葉だそう。
「短所はほっといて、お前の数ある長所を誰も真似出来ないくらいに伸ばせ」と言われ、長所である表現力に力を入れた結果、ビヨンセをはじめとしたモノマネで大ブレークを果たしました。
その後、渡辺直美さんはその個性的なキャラクターとファッションセンスから、オリジナルブランド「PUNYUS(プニュズ)」を立ち上げて若い世代から絶大な支持を集めています。
また、CMも10社以上と契約するなど、超売れっ子タレントとなりました。
インスタグラムのフォロワー数は今や900万人に届こうとしており、渡辺直美さんの快進撃はまだまだ止まらなそうです。
渡辺直美のいじめをするバイトの先輩に対しての行動が好きだった。とにかくその先輩と仲良くなって『こいつには嫌われたくない』と相手に思わせれば、渡辺直美はみんなと仲良くして居たから自然といじめは無くなったって。コミュ力は強い。
— そいや🌤️ (@sprsoiya) September 27, 2017
他人をコケにするお笑いって、面白くない、単なるいじめ、自分を笑い者にする渡辺直美ちゃんのお笑いは本物
— ♡amelie♡ (@YYamelieYY) June 8, 2018
中学時代いじめられてた渡辺直美がクラスのオタク女子から、いじめっ子がクラス全員に殺られるっていうバトロワパロの漫画プレゼントされたって話めっっっちゃ好きwww
— タンカスえなちゃん♥︎♥︎ (@enaaan) September 2, 2017
美容室でMORE読みながら声出して笑った pic.twitter.com/2vZGnTG0ca
まとめ
今や日本で最も有名な芸人と言っても過言ではない、渡辺直美さんの生い立ちや家族について総まとめしてきました。
・渡辺直美は言葉が話せない、勉強できないなどコンプレックスを表現力でカバーした
渡辺直美さんは現在では日本語も流暢で話も上手いため、コンプレックスを抱えていたこと自体意外に感じる人も少なくないようです。
渡辺直美さんはアメリカでも受け入れられたことから、言葉の壁はもはや問題ではなく、笑いを世界に届けられる唯一の芸人かもしれません。