今や世界的に活躍するBTS(防弾少年団)ですが、そのサクセスストーリーの裏には心無い批判やアンチの声に晒された過去もあります。
今回はBTSメンバーのデビュー前エピソード、デビュー当時の「売れない」などの批判を紹介します。
この記事の目次
BTSのデビュー前・デビュー当時とは
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BTSがデビューした当時、所属するBig Hitエンターテインメント(現ハイブ)は、JYPエンターテインメントから独立したパン・シヒョクが設立した小さな芸能事務所でした。
決して恵まれた環境でなかったBTSのデビュー前。
多くの練習生の中から選ばれた7人のメンバーたちですが、ダンス初心者、歌初心者、ラップ初心者もいて、それぞれのスキルはバラバラでした。
BTSのデビュー前エピソード① RM
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RM(ナムジュン)は、小学校6年生の頃に「エピックハイ」の『Fly』を聴いたことをきっかけにヒップホップを始めました。
「大南朝鮮ヒップホップ協同組合」に籍を置いて「RunchRanda」という名前で活動し、もともとアンダーグラウンドで一目置かれていた天才ラッパーでした。
2010年に、ラッパーである「Untouchable(アンタッチャブル)」のスリーピーがBigHitエンターテイメントを紹介して、オーディションの末に練習生となったリーダーRM。
動画(0:29頃~0:45頃)では、デビュー前のRMの力強いラップを聴くことができます。
パン・シヒョクは、彼のラップの実力を見て「ヒップホップグループを作らなければならない」と思ったそうで、その実力やセンスは抜きん出ていました。
また、IQが148で、頭の回転の良さは抜群、全国でわずか1.3%に含まれる秀才であるRM。
語学力にも優れていて英語が堪能で、後に国連でもスピーチをしていますが、日本語も流暢で頭の良さが光ります。
そんなRMは実はダンスが初心者でした。
「ラッパーがダンスをする」ことに抵抗し、一度はダンスが大変で逃げ出し、父親の説得で再び練習室へと戻るというエピソードの持ち主です。
また、BTSの活動について後に、次のようにインタビューで語っています。
最善を尽くして見せて行かなければ!こうして上がって来たチームなんです。パフォーマンスをすれば心臓が張り裂けそうでこのまま倒れてしまいそうで、こうして生きていたら寿命が縮みそうで…本当に命を削ってるんだと思いながらこうして活動して来ました。
小さな事務所から世に出るために、並々ならぬ努力をして来たことがうかがえます。
BTSのデビュー前エピソード② JIN
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BTSの最年長で、ビジュアルメンバーであるJIN(ジン)は、韓国の有名私立大学である建国大学映画芸術学科に通い、俳優を目指していました。
ワールドワイドハンサムなJINは、大学への通学途中で、BigHit関係者からスカウトされています。
実は、SMのほかにも多くの芸能事務所からスカウトを受けていたそうで、王子様のような容姿は輝くものがあります。
JINはミュージカル俳優を目指していましたが、ミュージカル用の発声方法を練習していたことがなかったため、発声から変える練習を始めたのでした。
JINはデビュー前、そのビジュアルからモデルやアーティストのMVに出演するなど美しい容姿を生かした活動を行っていました。
長兄でありながらも、現在も変わらないハンサムぶりはさすがです。
BTSのデビュー前エピソード③ SUGA
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SUGA(ユンギ)は、小学校の頃から楽曲制作を始め、地元の大邱ではヒップホップクルーとして制作にも携わり、プロデューサーもこなしていました。
BigHitの公開オーディションに参加したSUGAは、課題として与えられたビートに唯一、参加者の中でアレンジしたものを披露して合格。
この時、「プロデューサー」として合格したと思っていたそうです。
パン・シヒョクからは「踊りはほどほどでいい」 と言われて練習生になった経歴の持ち主で、「後で騙された」と冗談交じりに語っていました。
そんなSUGAは、「音楽は家族が壊れる」など家族から反対されていました。そのため、会社に内緒で練習生をしながら、生活のためにアルバイトをかけもちしていました。
その際、バイクで交通事故を起こし、肩を負傷してしまい、8年間注射を打ちながら痛みに耐えていたそうです。
BTSのデビュー前エピソード④ J-HOPE
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J-HOPE(ホソク)は、地元光州でストリートダンサーとして「スマイルホヤ」の名で活動していました。
JYPのオーディションを受けたという経歴がありますが、なかなかデビューにこぎ着けることができなかったそうです。
そんな時、通っていたスンリアカデミーに、Big Hitの関係者が訪れ、スクール内にカメラを設置し参加者の自由な姿を見るという形のオーディションが行われました。
この時、J-HOPEだけ2~3時間、設置されていたカメラの前でずっと踊り続けていたことで話題になり、「この子は絶対いける」と練習生に迎え入れられました。
しかし、J-HOPEは練習生の時に一度脱退することが決まります。
早い時期からラップラインとして共に練習生期間を過ごしてきたJ-HOPEでしたが、最終的にデビューメンバーから外されてしまうという出来事があったのです。
この時、マンネのジョングクは泣きながら「辞めないでほしい」と抱きつき懇願したそうですが、決意の固いJ-HOPEは去って行ってしまいます。
そんなJ-HOPEをBTSに引き戻したのがリーダーRMでした。J-HOPEの脱退を知り、BigHitのマネジメントに直談判したのです。
リーダーRMの権限や影響力は、現在と同様に相当強いものがあったに違いありません。その結果、J-HOPEは「もう一度頑張る」と戻って来ました。
RMはJ-HOPEのことを度々、「僕の親友」「僕の精神的仲間」と語ることがあります。
「BTSの母親」と言われるJ-HOPEは、RMにとって、メンバーにとって支柱の存在なのでしょう。
BTSのデビュー前エピソード⑤ JIMIN
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JIMIN(ジミン)は、釜山出身で、韓国芸術高校に首席で入学した経歴の持ち主です。
ダンスの実力者が揃った「舞踊科」内でも1、2を争う成績で、「現代舞踊の担い手」としての将来を期待されていました。
また、家庭の経済状況からダンススクールを辞めようとした際には、「授業料は払わなくていい」と言われるほど期待されていた存在でした。
JIMINはその後、BigHitのオーディションに合格して練習生となります。
実は、メンバーの中で一番最後に練習生に合格したのがJIMINで、他のメンバーたちはすでに1~2年の練習生生活を経ていました。
また、すでに「防弾少年団」はデビュー最終段階に突入しており、グループ内のメインボーカル、メインダンサー、メインラッパーというポジションはほぼ決まっていた状態でした。
そんな中で、当時のJIMINは寝る間も惜しんで練習に励みました。
午前4時に就寝、午前6時半に起きて学校に行き、その後練習をする生活を送っていました。
また、テテやJUNGKOOKのボーカルレッスンを見学させてもらい、その後は1人で夜中に練習していたそうです。
その上、「睡眠も練習室でとらなくちゃ」と、練習室にマットレスを敷き、ずっと練習し続けたこともあったそうです。
そんな誰もが認めるメンバー1の努力家であるJIMINは、デビューの日が決まった時も、自身のデビューが確定していることは知らなかったそうです。
BTSのデビュー前エピソード⑥ テテ
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テテ(V)は、学生の頃にサックスを習っていて、大会で金賞を獲得した経歴の持ち主です。
また、地元大邱のオーディションに参加する友達に付き添って会場へ同行した際、急遽オーディションを受けることになり、唯一の合格者となるエピソードを持っています。
しかし、練習生として上京したテテは、家族と会えないことがとても辛かったそうです。
お父さんが週末のたびにやって来て一緒に遊んでまた帰って行く時がすごく悲しかったです。幼な心に泣いたりもしました。
行かないでと…練習生生活がすごく辛かったので辛い、辞めたいと泣いて電話したことがありました。そしたら、お父さんが辛かったらやめてもいい他の職業はたくさんあるから探してみよう、そう話すから返す言葉は無くなってしまって
時間が経つと、その言葉がとても感動的で意味があったと語っています。
デビュー確定後は、ビジュアルメンバーとしてBTSの「秘密兵器」に。デビュー直前までテテだけ非公開メンバーという扱いになります。
デビューまでは、カメラに映ってはいけないと、常に隅っこで隠れていなければならなかったのです。動画ではその時のことを語っています。
BTSのデビュー前エピソード⑦ JUNGKOOK
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JUNGKOOK(グク)は、中学校2年生の時にMnetのオーディション番組「スーパースターK」の予選に参加しています。
オーディションには合格できなかったJUNGKOOKですが、7つの芸能事務所から名刺をもらい、当時、もらった名刺の中で一番無名だったBigHitを選びました。
その理由は、見学に行った時、すでに練習生として活動していたRMがカッコ良かったからだそうです。
練習生生活をスタートさせたJUNGKOOKでしたが、初めて上京した15歳の時、ソウルの建物がとても高くて道路も5車線くらいあり、とても怖かったと話しています。
宿舎に入って数ヶ月後には、「お母さんに会いたくなって、コンビニでカップラーメンを食べながら会いたくて泣きました」とマンネらしいかわいいエピソードを語っています。
また、ダンスに感情がこもっていないことが理由で、ダンスの先生とともにダンス研修のために1月間アメリカで修業します。
一時期は、歌手よりもダンサーを本気で目指していたこともあったそうです。
BTSのデビュー当時・売れない時代のエピソード 【アンチの声を紹介】
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2013年6月、「NoMoreDream」でデビューを果たしたBTS。
今でこそ韓国一の芸能事務所に急成長したハイブですが、当時のBig Hitエンターテインメントは、まだ小さな芸能事務所でした。
韓国の三大芸能事務所と言えば、「SMエンターテインメント」「YGエンターテインメント」「JYPエンターテインメント」で、数々の有名アイドルやアーティストを輩出して来ました。
K‐POP歌手にとって、音楽番組で1位になることがステータスであり、目標とされていますが、大手事務所所属のアイドルであれば、デビューと同時に1位になることも珍しくありません。
当時の音楽番組では、パフォーマンスをするBTSメンバーたちのとても必死な姿を観ることができます。
BTSは音楽番組には出演していたものの、1位のトロフィーを掴むことはなかなか難しかったのです。
デビュー当時「売れない」と批判も
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デビューしたメンバーたちに待っていたのは「三流」「プロダクションが小さいから売れない」「ありきたりの弱小アイドル」といった心ない批判でした。
また、デビュー当時のBTSは、ヒップホップ色が強く、幅広い層には受け入れられにくい音楽性だったのも理由でした。
インタビューでJINは、当時のことを次のように語っています。
同じ頃にデビューしたグループがたくさんいました。ステージに上がったからって安心はできませんでした。フルコーラス歌わせてもらえないことも多かったですから。そんな時は本当に悔しかったです。もっと必死に練習しました。実力さえあれば負けないと思っていました。
また、SUGAも厳しい音楽番組の状況について語っています。
音楽番組の競争率は本当に熾烈でした。ステージに立ちたかったです。音楽を続けたかったですから。
彼らが音楽番組で1位を獲得したのは、実にデビューから692日後のことでした。
「アイドルラッパー」とアンチから揶揄
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デビュー当時のBTSは現在と異なり、一見、彼らが憧れるBIGBANGを彷彿とさせるスタイルでした。
しかし「BTSはヒップホップではない」「アイドルラッパー」と、他の歌手からも批判されることがありました。
元々ヒップホップの世界で有名だったRMやSUGAは、大きな屈辱を味わっていたのです。
そんなBTSでしたが、2014年、本国デビュー1周年を前に、早くも日本デビューを果たします。
当時の日本は今ほどのK-POPブームではなかったものの、思うような成果が出ない韓国の音楽市場と比べ、何倍も大きいマーケットである日本は魅力的だったに違いありません。
BTSはインタビューで、日本デビューについて明かしています。
当時の初々しいメンバーの表情には、まだあどけなさがありますね。
弱小事務所と言われたBig Hitの戦略は、いち早く日本をはじめとする海外に向かい、SNSを活用しながら、活躍の場を広げて行きました。
そんなBTSが「INEEDU」で念願の1位を獲得します。
リーダーのRMは信じられないという表情とともに、「落ち着いてもっと頑張らないといけないと思った」とコメントしたことはとても印象的でした。
トップの座を獲得しても、奢ることなく努力し続ける姿勢が、今のBTSの活躍につながっていることは間違いありません。
まとめ
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世界で活躍するBTSについて、メンバーそれぞれのデビュー前エピソードと、デビュー当時の「売れない」など批判やアンチエピソードをまとめてみました。
現在の活躍からは想像できないほど、多くの苦難を乗り越えて来たBTS。
彼らの凄いところは批判やアンチ、苦労を逆に強みにすることです。それらの辛い経験は、彼らの曲になり、ストーリーにさえなっていきます。
BTSはこれからどんな世界を見せてくれるのか、とても楽しみでなりません。