日本のオカルトブームを牽引した霊能者の宜保愛子は、極度の韓国嫌いでも有名でした。
今回は宜保愛子のプロフィールと韓国嫌いと言われる理由、生い立ちや実家の家族(父親・母親・兄弟)、結婚した旦那、子供や孫の有無も紹介します。
この記事の目次
宜保愛子のプロフィール
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名前:宜保 愛子(ぎぼ あいこ)
生年月日:1932年1月5日
没年月日:2003年5月6日(71歳没)
出身地:神奈川県横浜市
宜保愛子は、70年代から90年代にかけて日本のオカルトブームの時代に活躍した霊能者で、作家やタレントとしても活動しました。
6歳の時、友人から「遊びに行こう!」と誘われ家を出ようとした瞬間、親からその友人が亡くなったと聞かされたことがきっかけで、自身に霊能力があると自覚するようになりました。
それ以来、人間の死の瞬間の光景や、死んだ人間の身体から魂が抜ける光景などが見えるようになったといいます。
この霊能力を武器に、日本がオカルトブームに沸いた1970年代にテレビ出演が増え、霊能者として注目されて一躍有名人に。
多数出版された著書はベストセラーとなり、数々のテレビ番組に引っ張りだことなりました。
宜保愛子の霊能力とは
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宜保愛子の霊能力は、亡くなった人間や守護霊と会話をしたり、霊視により相手の秘密や過去を見ることができるといった能力があるとされています。
相談者の守護霊の姿が見えて会話もでき、相談者の亡くなった肉親と霊能力を通じて会話することで、他人が知り得ない情報を言い当てることができたとされています。
また、霊視も可能で、相談者の持ち物を通じてその人の過去を見たり、建物であれば過去の出来事を見たり、遠く離れた海外の出来事も霊視できるとされていました。
60年代初期からはテレビ出演するようになり、70年代には心霊研究家で放送作家の新倉イワオと共に日本テレビ「あなたの知らない世界」に出演して話題に。
数々のオカルト番組や心霊番組に出演し、多くの著名人とも霊視対談を行うなどオカルトブームを牽引する活躍を見せました。
しかし、90年代に入ると霊能力を疑問視する声があがり、オカルトブームも終焉を迎え、霊能者としてのメディア露出は激減していきました。
その後も講演会や著書の出版など作家やタレントとして活動を続けましたが、2003年5月6日に胃癌のため71歳で死去しました。
この記事では、霊能者として有名になり、オカルトブームを牽引した宜保愛子の生い立ち、家族や結婚についてまとめました。
生粋の韓国嫌いと言われていた宜保愛子の韓国嫌いの理由、実家の家族(父親・母親・兄弟)、結婚事情(旦那・子供・孫)など、その生涯や家族の情報をお届けします。
宜保愛子が韓国を嫌いな3つの理由
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70年代から90年代にかけて数々のテレビ番組に出演し、日本を代表する霊能者の名を欲しいままにしていた宜保愛子。
元々は英語教師だったため英語が堪能で、霊能者として有名になってからは日本のみならず海外にも活躍の場を広げていました。
海外では通訳を介さずに現地の人や霊と会話し、超能力者のユリ・ゲラーと対談をしたこともあります。
海外での活動も多かった宜保愛子ですが、唯一韓国だけは行くことを拒否していたようで、宜保愛子の韓国嫌いが話題になることもありました。
宜保愛子はなぜ韓国嫌いだったのか、その理由を見ていきましょう。
宜保愛子の韓国嫌いの理由:おぞましい土地に見えていた説
宜保愛子は韓国に対して非常に強い嫌悪感を持っていたことが判明しています。
宜保愛子の韓国嫌いが知れ渡ったきっかけは、あるテレビ番組のロケでした。
ロケのために飛行機で韓国に向かっていた宜保愛子ですが、飛行機の窓から朝鮮半島が見えた瞬間、「あんなおぞましいところには行かない!」と叫び出したといいます。
当時、宜保愛子は視聴率が取れるタレントで、多くの番組に引っ張りだこでした。
それを聞いたテレビ局側のスタッフは、ここで宜保愛子を無理矢理に韓国に連れていくと、その後の番組出演に支障が出ると考え、番組をお蔵入りにしてとんぼ返りで日本に戻ったそうです。
これを週刊誌が記事にしたことで、宜保愛子の韓国嫌いが広まるようになりました。
宜保愛子の韓国嫌いの理由:韓国の風習が嫌い説
宜保愛子が韓国嫌いとされる理由の1つとして、かつて朝鮮半島に伝わっていた風習が原因という話があります。
その風習とは、結婚前の娘が妊娠できるかを調べるために性行為を行う「試し腹」と言われるものです。
かつての朝鮮半島では、嫁は子供を産む道具であり、不良品ではいけないという考えから、「種男」と呼ばれる男と性行為をさせ妊娠した状態で嫁入りさせていたと噂されています。
この時に妊娠した子供は、生まれると同時に奴隷にされて一生を過ごすことになるそう。
一説によると高麗の時代からあった風習で、大韓帝国の時代まで残っていたとされていますが、1910年の韓国併合により、日本の朝鮮統治が始まった際に禁止されたと言われています。
しかし、この「試し腹」が実在する風習かどうかはかなり怪しいようです。
日本・韓国どちらにも明確な資料がなく、元ネタは日本を舞台にしたポルノ小説という話もあり、この風習は創作の可能性が高いとされています。
インターネット上では、宜保愛子の韓国嫌いの理由として、この「試し腹」を忌み嫌っていたとの情報が散見されますが、嫌韓派が作り出したデマの可能性も考えられるでしょう。
宜保愛子の韓国嫌いの理由:地獄の入口説
宜保愛子の韓国嫌いの逸話として、韓国のことを「地獄の入口」と言っていたという話があります。
ただ、宜保愛子が実際にこの言葉を口にしたというソースはありません。
このように、宜保愛子の韓国嫌いは有名ですが、なぜ韓国嫌いになったのか明確な理由は明らかになっておらず、ネット上で都市伝説のように語られているというのが実情です。
宜保愛子はすでに亡くなっており、活動時期もインターネットが今ほど普及していなかったため、様々なデマが生まれてしまうのは仕方ないことなのかもしれませんね。
宜保愛子の生い立ち
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ここからは、宜保愛子の生い立ちについてお届けします。
宜保愛子の生い立ち:神奈川県横浜市に生まれる
宜保愛子は1932年1月5日に神奈川県横浜市に生まれました。
右耳の聴力がないという生まれつきの難聴を患っており、その右耳で霊の言葉を聞くことができたといいます。
また、4歳の時に左目に火箸が当たって視力もなくなり、1年ほど療養しましたが視力は回復せず、左目はほとんど見えない状態だったといいます。
右耳が聞こえず、左目が見えない状況で幼少期を過ごす中、次第に宜保愛子は自身の霊能力を自覚していくことになりました。
宜保愛子の生い立ち:6歳で霊能力に目覚める
宜保愛子によると、前述の通り、霊能力を自覚したのは6歳の時で、脳内に建物が燃える風景が入り込んできたり、飛び降り自殺した人の最後の瞬間の光景が見えるようになりました。
また、交通事故で亡くなった弟の身体から魂が抜けるのが見えたといいます。
宜保愛子の生い立ち:霊能者として活躍するまで
宜保愛子は幼少期から霊能力に目覚めていましたが、21歳の時に腎臓炎を発症して生死を彷徨い、この時に臨死体験をしたことで一時的に霊能力を失いました。
臨死体験では、宜保愛子が意識を失っていた最中に幽体離脱し、亡くなった兄と弟が迎えに来たのでついて行くと、霧がかった森の道の先に三途の川が見えたというものです。
この時は、自身の守護霊である弟の「お姉ちゃん!行ってはダメ!」という声に引き留められ、遠くから母の声が聞こえた瞬間に目が覚めたようで、三途の川を渡るには至りませんでした。
この体験の後、一時的に霊能力を失った宜保愛子は、普通の人間として結婚します。
しかし、旦那の借金のせいで経済的に苦しく厳しい毎日を送る中で、突如として霊能力が戻ったことで、60年代から霊能者としての活動を始めました。
生活が苦しくても、なんとか子供たちを養わなければいけないと精神的に追い詰められた状況が引き金となって、霊能力が戻ったのかもしれないですね。
宜保愛子の実家
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宜保愛子の実家に関する情報はほとんど残っていません。
出身地が神奈川県横浜市のため、当時の実家も横浜にあったと考えられます。
ただ、宜保愛子はすでに亡くなっており、生まれたのも90年前のため、実家は取り壊されている可能性が高そうです。
宜保愛子の家族:父親・母親
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ここからは、宜保愛子の家族についてお届けします。
宜保愛子には父親・母親がいましたが、両親に関する情報はほとんど残っていません。
ただ、幼少期より霊能力に目覚めた宜保愛子の特異体質を両親は良く思っておらず、「懐疑主義者の父親や母親からは非難された」という記述が残っています。
宜保愛子の祖母は沖縄ノロだった?
父親・母親どちらの家系かは不明ですが、宜保愛子の祖母が沖縄の琉球神道における女性祭司・ノロだったという噂があります。
宜保愛子も、日本人にしては彫りが深く、沖縄系の血が入っているように見えます。
しかし、宜保愛子自身のルーツが沖縄という情報は見つからなかったので、これもネット上の噂止まりとなりました。
宜保愛子の家族:兄弟
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宜保愛子の兄弟は、兄と弟がいたことが判明しています。
しかし、兄弟どちらも宜保愛子が若い頃に亡くなっています。
宜保愛子の兄弟:兄
宜保愛子には兄がいましたが、戦死により死別しています。
幼少期から霊能力を持っていた宜保愛子は、両親からはその特異体質を非難されていましたが、兄だけは受け入れてくれていたことを明かしています。
幼い頃から心の支えだった兄が海に墜落して戦死した時は、精神的にかなりのショックを受けたようで、海に行っては号泣しながら兄の名前を泣き叫んでいたことを明かしました。
宜保愛子の兄弟:弟
宜保愛子の弟は、宜保愛子の霊能力の開眼に深く関わっています。
宜保愛子が4歳の頃、弟が焼けた火箸を誤って落としてしまい、その火箸が宜保愛子の左目に当たって失明寸前となりました。
療養後も視力は回復せず左目はほとんど見えない状態でしたが、これを機に霊能力が強くなったことを明かしています。
また、弟は幼い頃に交通事故で亡くなっており、車に轢かれた弟の身体から魂が抜ける瞬間を宜保愛子が見ています。
そして、死後は宜保愛子の守護霊となったようで、臨死体験中に現実世界に引き戻してくれたのは弟だったとも語られていました。
宜保愛子の結婚
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宜保愛子には結婚歴があります。
21歳の時に腎臓炎を発症して生死の境を彷徨い、臨死体験をした後に一時的に霊能力を失ったことを明かしており、その後は普通の人間として結婚したことが判明しています。
生前は自身の家庭について明かすことがほとんどなく、結婚生活に関しては詳細な情報が残っていません。
ただ、宜保愛子は遺言として自分の死後は密葬で送ってほしいと伝えており、家族に見守られて密葬が営まれました。
宜保愛子が結婚した旦那
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宜保愛子の旦那は性格は良かったものの、逆にお人好しな性格が災いして悪い人間も寄ってきたようで、他人の借金を肩代わりさせられてしまったといいます。
宜保愛子の著書にも旦那の借金の件が綴られており、「夫は善人すぎた」と行った旨の文章があります。
旦那が現在も健在なのか、最期まで結婚生活を続けたのかは不明です。
ただ、その厳しい生活で宜保愛子の霊能力が戻り、60年代以降は霊能者としての稼ぎで良い暮らしができていたものと思われます。
宜保愛子の子供や孫
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宜保愛子には3人の子供がいます。
男の子が2人、女の子が1人の二男一女であることが判明していますが、子供たちは一般人のため詳細な情報は公表されていません。
借金を返しながら子供たちを養うため、宜保愛子は一番下の子供が幼稚園に入った頃に霊能力を武器に活動していくことを決意しました。
しかし、長男がテレビ出演に反対していたようで、その後も不仲が続いていたという噂があります。
孫の有無は不明
宜保愛子に孫がいるかは不明です。
ただ、一番下の子供が60年代に幼稚園児だったことが判明しているため、3人の子供たちはすでに60代より上の年齢になっています。
孫どころか、ひ孫までいてもおかしくない年齢ですが、宜保愛子の子供たちは一般人のため、孫やひ孫の情報は公表されていませんでした。
まとめ
宜保愛子の韓国嫌いの理由、生い立ちや家族についてお届けしました。
霊能者として強烈なインパクトを残した宜保愛子ですが、子供たちは穏やかに過ごせていることを願いたいですね。