松田優作

松田優作は在日韓国人!本名や生い立ち&実家と家族まとめ

はじめに

1970年代からドラマ『太陽にほえろ!』や『探偵物語』などで活躍したアクションスター俳優の松田優作さん。

 

松田優作さんの韓国にまつわる生い立ちと本名、実家の家族について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。

松田優作の本名とプロフィール

 

若くして散った昭和のアクションスター俳優

松田優作さんは1970年代後半から刑事ドラマ『太陽にほえろ!(日本テレビ系)』で俳優として頭角を現し、『探偵物語』『俺たちの勲章』など熱狂的なファンを獲得しながらも55歳という若さで膀胱がんのためこの世を去りました。

現在は嫁・松田美由紀さんとの子供で長男の松田龍平さん、次男の松田翔太さんが俳優として、長女の松田夕姫さんがエレクトロニックユニット「Young Juvenile Youth」のボーカルとして活躍しています。

 

松田優作さんについての詳しいプロフィールはこちら。

 

本名: 松田 優作(まつだ ゆうさく)
生年月日: 1949年9月21日
没年月日: 1989年11月6日(40歳没)
出生地: 山口県下関市
死没地: 東京都武蔵野市
国籍: 日本(1973年 – )
身長: 183cm
血液型: A型
職業: 俳優、歌手
活動期間: 1972年 – 1989年
配偶者: 松田美智子(1975年 – 1981年)、松田美由紀(1983年 – 1989年)
著名な家族: 松田龍平(長男)、松田翔太(次男)、ゆう姫(次女)

 

引用:Wikipedia – 松田優作

 

松田優作さんは1973年に刑事ドラマ『太陽にほえろ!』のジーパン刑事でカリスマ的な人気を博していましたが、同時期に「現在は”松田優作”という通名を使って活動をしていますが、僕が在日韓国人だと分かると皆さんが失望すると思います」という理由から日本国籍を取得して帰化して本名が”松田優作”となりました。

 

松田優作さんが帰化する前の名前は”金優作”であり、日本人の父親と在日韓国人1世の母親・かね子さんとの間に生まれたハーフでした。

 

 

松田優作の生い立ちや実家と家族① 日本人の父親と韓国人のかね子との間に生まれた

 

在日韓国人であることを隠し続けた松田優作

松田優作さんの生い立ちが明かされたのは没後から約10年後のことで、嫁で作家だった故・松田美智子さんがファンクラブの会報の中で初めて公表しました

 

優作は下関の遊郭で生まれ、非嫡出子であったことなどは、とくにてらいもなく明かしていました。しかし、自らが「金優作」であったことは、死ぬまで隠し通してきたのです。在日であることが知れたら、ファンは夢を裏切られた気持ちになる、という優作の悲痛な文章も残されています。

 

引用:現代ビジネス – 松田優作、力道山…日本の芸能・スポーツ界を支える「在日」が出自を隠す理由と苦悩

 

また、松田美智子さんは自著『永遠の挑発 松田優作との21年』や『越境者 松田優作』の中で松田優作さんの生い立ちについて克明に記していました。

 

山口県も在日韓国人が多い地域として知られていますが、松田優作さんも山口県下関市で日本人の父親と韓国人のかね子さんとの間に非嫡出子として生まれました。

 

非嫡出子ということで松田優作さんの両親は結婚しておらず、父親は長崎出身の保護司(非常勤国家公務員)で当時39歳であり、故郷の長崎には妻子のいる身だったことからかね子さんの不倫相手でした。

 

松田優作さんには異母兄弟と異父兄が二人おり、後者とは仲がとても良かったものの、成長するに連れて自身の生い立ちに気づき始めると次第に孤独を抱えるようになっていきました。

 

 

 

松田優作の生い立ちや実家と家族② 遊郭の一角で育った

 

松田優作の実家は娼婦が出入りしていた

松田優作さんが生まれる前に父親は姿を消したため、母親・かね子さんは駄菓子屋やよろず屋をして生計を立てていましたが、それだけでは生活していけず空いている2階の部屋を娼婦に貸してそのあがりの一部を部屋代として受け取っていました。

 

松田優作さんは自宅が女郎屋で遊郭で育った生い立ちについては生前インタビューなどでもあけっぴろげに語っていましたが、自身が在日韓国人であることだけはお墓まで持っていきました。

 

当時は在日韓国人・朝鮮人への差別が酷く、こうした出自の人はまともな仕事にはつけず、飲食店か風俗業界で働くしかなかったため、松田優作さんは生い立ちがバレてしまうと仕事を失い、それまで親しくしてくれていた人たちも去っていくと考えていたようです。

 

 

 

松田優作の生い立ちや実家と家族③ 母親の命令で渡米…アメリカで弁護士を目指していた

 

松田優作は母親の命令で渡米

松田優作さんは1967年11月にかね子さんから「アメリカで弁護士になれ」と言われ、下関市立第一高等学校 (現・山口県立下関中等教育学校)を2年生で中退して渡米し、叔母夫妻の元に身を寄せてカリフォルニア州モントレー郡シーサイド市のシーサイド高校に編入しました。

 

しかし、叔母夫婦が離婚協議で環境は悪化し、さらに言語の壁に苦しんでいた松田優作さんは母親に知らせずに高校を退学して帰国し、長兄夫婦が暮らしている東京都豊島区にあるアパートに身を寄せました。

 

そして松田優作さんは私立豊南高等学校夜間部普通科の4年生に途中編入し、1970年には関東学院大学文学部に入学しています。

 

松田優作さんは在学中の1971年に劇団「文学座」の入所試験で落第したため、同年5月に劇団「新演劇人クラブ・マールイ」に入団し、俳優の道へと進みました。

 

 

 

松田優作の生い立ちや実家と家族④ 前妻・松田美智子にも在日韓国人だと明かさなかった

 

松田優作は在日韓国人だとバレるのが怖かった

松田優作さんは劇団「新演劇人クラブ・マールイ」で前妻の松田美智子さんと出会い、1975年9月21日に結婚しましたが、自ら在日韓国人だと明かしたことはありませんでした。

 

優作は美智子に自分が在日コリアンであることを告げていなかった。自分の恋人に生まれを明かすことができない。それほど差別意識の強い時代だったのだ。美智子が男と同棲していることを知った彼女の親族による身上調査の結果、後に美智子は優作の過去を知ることになるが、だからといって優作との関係を終わらせることもなく、同棲生活は続いていった。

 

引用:トカナ – 芸能人が体験した“在日差別”の実態を今こそ知れ! 松田優作、都はるみの苦悩、伊原剛志、玉山鉄二の勇気

 

松田優作さんは松田美智子さんと同棲を始めても自身が在日韓国人であることを固く伏せていました。

 

しかし、松田美智子さんは親族が松田優作さんの身辺調査をしたことから在日韓国人だと知りましたが、それでも関係を解消することなく結婚し、長女に恵まれました。

 

それから松田優作さんは『太陽にほえろ』や『探偵物語』などの大ヒットでスターダムにのし上がりますが、後者で共演した熊谷美由紀さんと不倫関係になってしまい、1981年12月24日に松田美智子さんと離婚しました。

 

そして、熊谷美由紀さんと再婚して、長男の松田龍平さん、次男の松田翔太さん、長女の松田夕姫さんの3人の子供に恵まれました。

 

 

 

松田優作が在日韓国人だと分かったファンの反応





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