五木ひろし

五木ひろしは在日韓国人?本名と生い立ち&実家や家族まとめ

はじめに

『NHK紅白歌合戦』の常連で通算出場回数歴代2位を誇る演歌界の大御所・五木ひろしさん。

 

五木ひろしさんは韓国にまつわる生い立ちが噂されていますが、本名や実家家族について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。

五木ひろしの本名と韓国にまつわる生い立ちについて

五木ひろしについてのプロフィール

伝説的な記録を残し続けてきた日本を代表する演歌歌手・五木ひろし

五木ひろしさんは演歌界でも最も名前を知られた大御所のひとりですが、その経歴はまさに伝説と呼べるもので、『NHK紅白歌合戦』には1971年に「よこはま・たそがれ」で出場して以来2018年現在まで通算48回出場し北島三郎さんとタイとなる2位で、トリ回数は美空ひばりさん、北島三郎さんと並び歴代1位、「日本レコード大賞受賞」も大賞を始めとした各賞を多く授賞してきました。

 

五木ひろしさんについての詳しいプロフィールはこちら。

 

本名: 松山 数夫(まつやま かずお)
別名: 松山まさる、一条英一、三谷謙、中川淳、松山かずお(作曲時のペンネーム)、松園明(特別公演、歌謡ショー、構成・演出)
生年月日: 1948年3月14日
出身地: 福井県三方郡
ジャンル: 演歌
職業: 歌手、作曲家、俳優
活動期間: 1964年 – 現在
事務所: 株式会社五木プロモーション

 

引用:Wikipedia – 五木ひろし

 

 

五木ひろしの本名と在日韓国人説について

父親が韓国人だった五木ひろし

五木ひろしさんの父親は韓国人の鉱山技師であり、京都府での出生時の本名は”李和夫”でした。

 

五木ひろしさんの母親は松山キクノさんという名前で日本人だったことから、五木ひろしさんは日韓のハーフということになります。

 

また、五木ひろしさんの父方の祖父母は韓国人だと言われています。

 

その後、五木ひろしさんは日本に帰化して通名の「松山 数夫(まつやま かずお)」を名乗りました。

 

そのため、五木ひろしさんは元在日韓国人ということになり、帰化してから現在まで国籍は日本人ということになります。

 

 

五木ひろしの生い立ちと実家家族について

小学校時代に歌手を目指し始めた五木ひろし

五木ひろしさんの父親は仕事の関係で家族を連れて各地を転々とし、京都に移り住んだ時に五木ひろしさんが誕生しています。

 

11歳年上の姉を始め、次女、長男がおり、五木ひろしさんは4人姉弟の末っ子でした。

 

五木ひろしさんは幼稚園から小学校2年生までの3年間を三重県鳥羽市で過ごし、鳥羽市立加茂小学校に通っていましたが、歌が好きだった父親の影響でこの頃から歌手になりたいと思い始めました。

 

小学校時代の五木ひろしさんは学年で10位以内に入る優秀な生徒で、周囲が野球にのめり込む中で声出しが喉を酷使して悪そうという思いから野球はしなかったもののガキ大将であり、地元の祭りや宴会などで歌を披露しておこづかいを貰っていました。

 

五木ひろしさんは小学校時代に地元に撮影で来ていた美空ひばりさんと一瞬目が合った際に圧倒的なオーラを感じ、より一層歌手を目指す気持ちが強くなったそうです。

 

その後父親が鉱山技師を辞めて家族で福井県美浜町に移って建築用石材を扱う会社を立ち上げ、松山キクノさんは農家をしていましたが、五木ひろしさんが小学校5年生の頃に父親が家を出て行ったため離婚し、朝から晩まで働き通しで女手ひとつで子供たちを育て挙げたそうです。

 

五木ひろしさんは1963年3月に中学を卒業しましたが、その翌日に長姉を頼って京都へ移り住み、関西音楽学院に入学して歌を学びました。

 

その1年後となる1964年5月に、五木ひろしさんは作曲家の上原げんとさんを紹介されたことでプロ歌手を目指して上京し、上原げんとさんの弟子となって松方弘樹さんら歌のレッスンを受けました。

 

 

五木ひろしは母親の姿を見て立派な歌手になった





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